決戦前夜
静かな夜であった。
陸奥屋本店。その広い道場の片隅に的を吊るして、小柄なメイドさんが投げナイフの練習をしている。道場は他に人の姿もなく、ただ的に刺さるナイフの音だけが響いていた。
道場の障子が音もなく引かれた。美人秘書御剣かなめである。
「あら、かなめお姉さま」
「続けてちょうだい」
「はい」
メイドさんはふたたび的に向き合う。
「いよいよ明日ですね、かなめお姉さま」
「そうね」
銀の糸をひくように、ナイフは的へと吸い込まれてゆく。
「どちらが勝つと思われますか?」
メイドさんの質問に、御剣かなめは「ふむ」というポーズ。ただし眼差しは、メイドさんのフォームから離さない。
「………陸奥屋総裁秘書としてはマヨウンジャーって答えないと、薄情よね?」
「ズバリ本音でお願いします♪」
「真っ当な展開ならばカラフルワンダー。でもイレギュラーが発生したら、マヨウンジャーにも分があるわ。そのときは五分五分というところね」
「それでも五分と五分ですかぁ………」
メイドさんは肩を落とす。
「勝負なんて、終わってみないとわからないものよ? それよりメイドさん、マヨウンジャーに勝ってもらわないとならない理由でもあるのかしら?」
はい、と言ってメイドさんは顔をあげた。
「実は忍者さんと、賭けをしたんです。負けたらトイレ掃除だって。ゲーム世界の施設には、トイレなんて無いのに。不思議なことを言いますねぇ」
「あぁ、なるほど」
「どうかされたんですか?」
「さっき一乃組へ行ってきたんだけど、角材が散らかってたのよ。………きっといずみがトイレを作ってたのね」
「………賭けのために、ですか?」
「そうよ」
「………わざわざ、ですか?」
「えぇ♪」
「………かなめお姉さま?」
「なにかしら?」
「忍者さんって、馬鹿なんですか?」
「いま気づいたの? なかなか楽しいお馬鹿さんでしょ?」
はあ、と返事するメイドさんの顔は、まったく納得していない顔である。
「だけどメイドさんがマヨウンジャーに賭けたのなら、いずみはカラフルワンダーに賭けたのかしら?」
「はい。血も涙も無い方です」
「忍者としては、それで正解。でも陸奥屋一味としては、仁侠道に反する行為ね。………お仕置きを考えておかなくちゃ♪」
御剣かなめは美人である。
御剣かなめは大人の女性である。
だがしかし、忍者へのお仕置きを思いついた彼女は、女子高生のようにはしゃいでいた。
陸奥屋一乃組、道場。
剣士ユキは稽古着に袴、腰に二本をおとしてたたずんでいた。
静かな夜であった。
そして彼女の肩の辺りでは、空気が凍りついていた。
殺気である。
かなり押し殺してはいるがしかし、若い剣士にすべての殺気を抑えることはできないようだ。
いや、未熟というものではない。あふれ出てしまうのだ。殺気というものが。
「………ユキ、にじみ出てるぞ」
道場に入ってきたシャドウが、抑揚なく言う。
「無理だよ、お兄ちゃん。明日が決戦だっていうのに、殺気を抑えるなんてできっこないよ」
「だが『陰』の段では、殺気をころすことが第一歩だぞ」
「………違う技、稽古しようかな」
「父さんに言われたんだろ? 『陰』の技をやれって」
「………うん」
「大体にして、お前が決戦に挑む訳じゃない。そんなに殺気立つな」
「わかってるけどさ………」
ユキは小さな唇をとがらせる。
「………勝てるかな、マヨウンジャー」
「スペックでは、圧倒的不利。カラフルワンダーに勝つというのは、陸奥屋一乃組と同等の火力を備えるのと同じだ。マヨウンジャーにはそこまでの火力は無い」
「………………………………」
「だがマヨウンジャーには、対応能力がある。スペックで負けていたら、それを覆す工夫。不利な戦いでも、なんとかする能力。それがマヨウンジャーにはある。俺はひそかに、期待してるぞ」
魔法のカラフルワンダーと、なんでも出来るマヨウンジャー。と、ユキは呟いた。
「………本当に、『あしたはどっち』なんだろ」
静かな夜であった。
チーム『まほろば』の拠点で、出雲鏡花は技術書片手にチェス盤に目を落としていた。その眼差しは「次にどの手を打つか」よりも、「その手を何故打つか?」あるいは「その手を打ったことで、盤面がどのように動くか?」に注がれていた。
つまり出雲鏡花は次の一手そのものよりも、ひとつの動きが周囲にどのような影響を与えるか? そのことに興味を惹かれる人間と言えた。そして相手の一手から人物像を推し測り、一局の盤面から『その人物』を丸裸にすることを、無上の喜びとすることがうかがえる。
簡単に言うならば、出雲鏡花は性格が悪い。常に相手の揚げ足をねらい、自分の襟元は正している。そして相手の発言はことごとく記憶し、矛盾があれば速やかに突く準備を怠らない。そんなタイプだと、顔に書いてあった。『つまり』を繰り返すなら、つまり出雲鏡花の容姿は、フランス人形のように隙がなかった。
出雲鏡花がナイトの駒を動かす。
「ふむ」
鏡花以外は無人と思われた拠点で、他の人物の唸り声がした。
出雲鏡花は教本を、ローブのポケットにしまい込んだ。
そしてフランス人形のような表情を崩さず、傍らで盤面を眺めていた白銀輝夜を軽く睨む。
「いかがなさいました、輝夜さま?」
いささか侮蔑の色がにじむ笑顔だ。
白銀輝夜は答える。
「さすが鏡花どの。進み行く歩兵の陰に、さりげなく桂馬を打ち込むとは………」
定石中の定石でしかない手だ。
しかし鏡花は不快を微塵にも現さない。
「お分かりいただけましたか、輝夜さま? これなるは出雲鏡花、必勝の手にございます」
必勝などではない。定石だ。しかし鏡花としては、白銀輝夜がこの手に気づいたことを、手放しで誉めてあげたかった。なにしろ白銀輝夜は戦闘では斬れるものの、それ以外はポンコツ街道まっしぐらな………ダメな人間だったからだ。
「輝夜さま? まほろばの軍師出雲鏡花が、次なる手にどのようなものを用いるか。賭けてみませんこと?」
「鏡花どのに賭け事で、勝利を得られぬと存じまする………というか、いやいや鏡花どの! 私が今宵うかがったのは、賭けをするためには御座りませぬ!」
「ではなに故に?」
出雲鏡花は、まったく動じていない。つまり白銀輝夜を舐めているともとれる。良く言うならば、仲間として軽い戯れ口をきいたに過ぎぬ。
「鏡花どの。明日迷走戦隊マヨウンジャーが、カラフルワンダーに挑むと御存知でしたかな?」
「えぇ、存じてましたわ」
珍しいことに、サムライ白銀輝夜は、目を泳がせる。
「で、では鏡花どの。もしもよろしければ、明日はマヨウンジャーの一戦を、観覧いたしませぬか? もし! もしもよろしければの話で御座るが」
苦しそうに、白銀輝夜は続けた。
「………私ひとりでは、両者の機微を………見抜けそうにはありませぬ故………」
ホッというようなため息を、出雲鏡花がもらした。
「解説が必要ですの?」
「是非、是非に」
「ということは、輝夜さまはいずれをマヨウンジャーかカラフルワンダーとの対戦を、念頭に置いておいでで?」
む。
白銀輝夜が、さらに唸る。闘魂充実、そんな唸りであった。
「鏡花どの、行きますぞ」
強く言われた。
出雲鏡花は髪をなびかせた。
「仕方ありませんわね。拝見しましょうか」
マヨウンジャーの負けっぷりをだ。