実録 北海道大停電
作者は北海道在住です。被害は最小限でした。ですが今回の災害で見たこと聞いたこと感じたことを、実録形式で発表させていただきます。その中には失敗もあります。それを反省点としながら、皆様の参考になれば幸いと思います。
自分ならばこんなとき、どうするべきか?
それを考慮しながら呼んでいただければと思います。
ドグラの国のマグラの森。
あるプレイヤーの記録。
地震だ。
揺れている。
しかし今回は俺の体験したものとは、少々趣が異なる。
俺の住む地域の地震は横揺れで、振り幅が大きいものだ。しかし今回は小さく細かく、長く揺れている。
不吉な予感がした。
俺の経験では、振り幅が大きくても揺れる時間が短ければ、規模はそれほど大きくは無い。しかし今回は細かく、やけに長く揺れている気がした。
咄嗟に飛び起きて壁に背中を貼りつける。長い揺れから強く、巨大な揺れになった場合に備えるためだ。目覚まし時計へ目をやった。
午前三時一〇分。
なにもこんな時間に起こしてくれなくても。ただでさえ俺は、朝の早い仕事なのに。もう少し寝かせてくれてもいいだろうに。
こんなことを考えることができるのは、揺れが小さく、鎮静化の方向へむかったからだ。
しかしいま思い返すと、隣室で寝ている両親に声をかけてもよかったのではないかと思う。俺は親と同居しているのだ。そして両親は年老いている。
どうにか揺れもおさまり、やれやれひと安心と、布団にもぐり込む。俺は常に眠たい。朝早い仕事につきながら、ネットゲームで夜遅くまで遊ぶ人だからだ。
午前四時三〇分、起床。
夏至を過ぎて以降、日ノ出は日に日に遅くなってゆく。ダラリと起きてダラリとPCを立ち上げて、ダラリとスケベな画像を閲覧する。いつもの日課だ。
だが………。
………なぜ蛍光灯が着かん?
枕元の煙草セットからライターを探り当て、着火。PCの電源をオンにする。
………ならない。オンにならない。
停電か?
停電だろうな。
すぐさま部屋を出て、両親を叩き起こす。先日の台風で関西国際空港が壊滅的な打撃を被り、タンカーが連絡橋の橋脚にぶつかった画像が頭をよぎったからだ。
そしてゲーム内のフレンドさん………大坂在住から、「停電でクーラーも働かず、寝苦しくてタマラなかった」と聞いていた。その時彼女は言っていた。
「冷蔵庫の中身が全滅しました」と。
まずは食糧の確保。そのためにはひとつ確認しなければならないことがある。ブレーカーが落ちてるだけかどうか、一度見ておく必要がある。
ブレーカーに異常は無かった。つまり個人宅の停電ではなく、地域性の停電である。
この時点で俺の頭の中には、地震のことなど欠片もなかった。実を言うならば前の夜、雷が激しく鳴っていたのだ。
「どこかに雷でも落ちたのかね?」
俺はのんきにそんなことを考えていたのだ。電線に雷が落ちたのなら、電気工事の業者に緊急通報がかかり、即応体勢が敷かれるのを知っていたからだ。
我が国のライフライン復旧速度は、極めて優秀である。
俺は勝手に、そう信じている。そしてそのことは、この話を読んでいるみんなも納得できると思う。
事実、俺の住む地域は午前五時に電気が回復した。おそらく冷蔵庫の中身も無事なことであろう。
いらぬ騒ぎで朝食の時間が無くなってしまった。朝は贅沢に、コンビニ飯とシャレこんでみようか。
まだ俺は、危機感が薄かった。
自家用車に乗り込み、いざ現場へ。俺は額に汗水流す、シャララ労働者。ちょっとロックな労働者。今日の現場は、ちょっと離れた隣街。国道を飛ばして出勤するのさ!
だが、俺の住む地域………いや、区画を抜けた途端に、緊張感が走った。
信号機が死んでいる。
見慣れた発光、見慣れた色が、死んだように沈黙している。そう、こんな時に出すたとえじゃないけど、ゼットンに負けたウルトラマンのように、眼差しの輝きが失せていたのだ。
「おいおい、どこに落ちたのよ?」
俺はまだ、落雷のための停電だと思っている。
信号機を越える。信号機を越えるということは、交差点を渡るということで、右を見れば市街地。左を見れば郊外であるのだが………どちらを見ても信号機が全滅しているのだ。
「どんなんなってるんだ、停電?」
本当にどこに雷が落ちたのか?
街の急所にでも落ちたのか?
いくつ交差点を渡っても、信号機はことごとく死滅している。
死の街。
たかだか信号機がダウンしているだけで、そんなフレーズが思い浮かぶ俺を笑ってほしい。だが走れども走れども、確認すれども確認すれども、信号機が死んでいるのだ。俺の心情を、少しだけ汲んでもらいたい。
だがひとつ。
たったひとつだけ、希望が見えた。
先行する自動車が信号機の死んだ交差点で、誰に命じられるでもなくキッチリと一時停止。左右をしっかりと確認した上で、落ち着いて発進したのだ。
信号機が死滅したからといって、決して無法は働かない。いやむしろ、こんな時にこそ倫理と道徳が重要視される。そして俺たち日本人は、こんなときにこそ『人として大切なもの』を重要視できるのだ。
ほんの些細なことである。そして、「停電の時に一時停止は当たり前だろう」と笑ってもらいたい。だがこんなつまらないことにでも、俺はこの国の民族として生まれ、この国の教育を受けて、この国の倫理観を身に付けていることを、誇りと感じる。
たかだか交通道徳を守ること。しかしそれは、人心の安定につながる。落ち着いて運転をしているならば、決して無駄な事故は起こらない。そして俺一人の振る舞いは、必ず他の誰かを落ち着かせる。
非常時の混乱が連鎖するならば、非常時の落ち着きもまた連鎖する。たかだか当たり前の運転で、俺はそのことを学んだ。
これだけ停電区画が広いということは、何が起きるかわからない。ということで、いつもは現場付近で入るコンビニだが、この日は郊外で朝食と昼食を求めることにした。
店内に入ると、当然のことながら蛍光灯が消えている。そして有線放送も途絶えていた。自分の足音が聞こえる。作業服の衣擦れの音が聞こえる。そして他の客の気配を、濃厚に感じていた。とても新鮮な感覚である。人間の気配は、その生命力にも思えたのだ。
普段の俺は昼食を菓子パンで済ませている。だがその菓子パンが、陳列棚から消えていた。時刻は午前五時三五分のことだ。もちろんお目当てのコンビニ弁当もだ。
店を出る。
のっぴきならなさが、ジワリとのしかかってきた。いや、ジワリという表現にのしかかるという受けは、正しくない。しかし、ジワリだった。そして、のしかかるだった。
この期に及んで停電の原因を落雷のためと考えていたのは、俺がラジオを聞いていなかったからである。これは反省点だ。
自家用車所持ならばカーラジオがあるだろう? と君は言うだろう。だが俺の車はラジオが壊れた、愛しいポンコツなのである。
ということで、俺は現場のある隣街へ。
そうだ。
落雷の影響で停電しているならば、隣街のコンビニは可動していると誤った認識を抱いたまま。