私、惨劇を見る
地面に開いた穴へ落ちた鬼将軍は異空間をくぐり抜け、地面の穴の真上に開いた穴から出現。そしてふたたび、地面に開いた穴へと落ちてゆく。
まさに非道。
まさに過酷な罠に似た、天宮緋影の魔法であった。
落ちるだけなら一本勝ちにつながらないじゃん。
などと言うなかれ。
我らが総裁鬼将軍は、『落下し続けている』のだ。つまり加速し続けているのである。
第二次世界大戦中、戦闘機から脱出したパイロットたちは落下傘を開くまでの間、大声で数を数えていたそうだ。
そうしなければ落下し続ける加速と恐怖、空気抵抗による風圧などで意識を失い、傘を開くことなく地面に激突してしまうからだという。
それ以上の風圧と地面に叩きつけられたらという恐怖が、我らが総裁を襲っているのだ。
上の穴から下の穴へ。その落下速度は増す一方で、我々が総裁の姿を確認できる時間が、みるみる短くなってゆく。
「………困りましたね、マミヤさん」
「どうしました、ユキさん?」
「穴から穴へ落ちる総裁、一瞬ですけど体力ゲージが確認できるんですけど………」
「あっ、もう半分近くまで減ってる!」
さしもの鬼将軍も、風圧と恐怖には勝てないようだ。みるみるゲージが減ってゆくのが分かる。
「マミヤさん、このままでは総裁は………」
「うん、危ないな」
私の周囲で試合を観戦している陸奥屋メンバーも、事態に気がついたかにわかにざわめき始めた。
「大丈夫じゃろうか、総裁………」
「馬鹿野郎! 滅多なこと口にするもんじゃねぇ!」
「しかし先輩、総裁には反撃の機会が………」
「なんとかするさ! ………だってお前ぇ、俺たちの総裁なんだぞ!」
根拠もなにも無い言い分で、力士隊の先輩が後輩をたしなめていた。
しかし、どうにもならないのも、また事実。ただのじり貧というのが現状である。
「マスター………」
アキラだ。
モモと一緒に私を見詰めている。そして戦士部門年長であろうベルキラまでもが、不安に満ちた眼差しを私に向けてきた。
「心配いらないさ、みんな。鬼将軍は私たちの総裁だ、このまま終わりなんてことは無いさ」
私もまた、無能だ。力士隊を笑うことのできないレベルで、根拠もへったくれも無い言葉でメンバーを励まさなければならないのだ。
だが、根拠は無くとも私は信じている。必ず鬼将軍は逆転すると。
だから総裁!
………だから総裁!
「なんとかしろやっ! 鬼将軍!」
「そうだ総裁っ! しっかりしろっ!」
「総裁総裁しっかり! 俺がついてるぞ!」
窮地の同朋を救うがごとく、男どもが足を踏み鳴らした。手を打ち鳴らす。
ヘイ、総裁! ずいぶん待たせてくれるじゃないか!
ヘイ、総裁! そろそろお目覚めの時間だぜ!
ヘイ、総裁! 俺たちの準備はオーケイさ!
いつでも反撃を讃えられるぜ!
だから総裁! やっちまおうぜ! さあ今だ、やっちまえ!
男たちの声が止んだ。
鬼将軍の体力ゲージはすでに、ゼロに近くなっていた。
しかし声が止んだのは、それが原因ではない。
「あれを見ろっ!」
「ああっ、総裁がっ………!」
「総裁が増えてるっ!」
そうだ、落下を続ける総裁は二人になり三人になり。四人五人さらに増殖、みるみる内に滝の流れのようになったのだ!
「………す、すごいよ、総裁」
「体力ゲージの減りが、止まってますぅ」
「しかし総裁、ここからどう巻き返すんだ?」
マヨウンジャーのメンバーたちも、手に汗を握っている。
が、さらに!
「見ろっ! 総裁のマントが無くなっているぞ!」
「それだけじゃない! ブーツも無くなっている!」
「あぁっ! 今度は上着がっ!」
総裁の一人一人が衣服を剥ぎ取られている。それはもう、あれよあれよという間に、それこそ一本フンドシ土俵入りとばかりに。
しかし鬼将軍が人を驚かすに、限界というものは無い。………無いのだ!
総裁たちの流れが、突然止んだのである。
「………………っ!」
さすがに天宮緋影も、警戒の色を濃く眉をしかめた。穴と穴との空間。あれだけ大量の鬼将軍が流れ落ちていたというのに、今は流れをせき止められたかのように一人も落下してこないのだ。
「………どうしたことでしょう?」
天宮緋影は首をひねる。警戒した足取りで、ジリジリとふたつの穴に近づいた。
「………おい、よく見ろよ」
「まさか………あれは…………」
「さすがだぜ………シビレちまうよ………!」
私も目を凝らした。
そこに見たものは………人間業ではない。
鬼将軍が一人、穴と空間の境目を手足の指で掴み取り、下の穴へ落ちないように踏ん張っているではないか!
しかもそれだけではない。鬼将軍は無数の鬼将軍を背中に受け、その重みに耐えているのだっ!
すげぇぜ、総裁!
さすがは鬼将軍!
私たちは言葉にならない声をあげて、その勇姿を讃えた。
「………相変わらず、信じられないことばかりしますね、鬼将軍」
天宮緋影は顔を曇らせ、重たいため息をつく。
「………フフフ、私はこれでも鬼将軍なのだ。見せ場も無しに退場はできないのさ」
キラリと白い歯を輝かせるが、ヒョロ眼鏡がフンドシ一本で四肢を広げている姿は、女子にはまったくウケていなかった。
「フッ………小娘どもが。見せ場はこれからだというのに、ピーピーとうるさいことだ。………その目にしっかと焼き付けるが良い! 鬼将軍の鬼将軍たる由縁をっ!」
眼鏡が発光した。
ついに鬼将軍が攻勢にでるぞ!
波打つようにうごめく四肢。
その波は体幹へと伝わり、やがて大きなうねりへと変化する。
つまり水泳で言うところの、ドルフィンキック。仰向けならば背泳のバサロのように、鬼将軍は身をくねらせ始めたのだ。
その甲斐あってか、鬼将軍は天宮緋影へと近づいてゆく。
しかし。
「………ねぇ、マスター?」
アキラが不安を声に表した。
「あ、あぁ………」
私も曖昧に返事をするが、私とて大人なのだ。明確にしたくないこともある。
だがアキラは少女。子供特有の無責任さで、鬼将軍の本質をえぐる。
「マスター、総裁って………運動が苦手なんだろうね?」
「………アキラ、もっとハッキリ言ってやれ」
そうだ。
中途半端な生殺しなど、かえって残酷なだけだ。ここはズバリ、引導を渡してやるべきだと、私は思う。
「………うん。………総裁って、ドンクサイんだね」
ヨチヨチのろのろ。
酔っ払ったモモンガか、はたまた二日酔いの蝶々のごとく、穴を広げた鬼将軍がのたくるように飛行するが、とてもではないが見れたものではない。アキラなどは目を逸らしている。ユキさんも見てられないとばかり………あ、こっちは肩を震わせて笑いをこらえてる。ちなみに美人秘書二人は………。
「さすがは総裁。見せ場たっぷりね、冴」
「はい、先輩! 素敵です!」
割りとウットリとしているので、かなりの重症な方々なようだ。
「お見事です、お館さま! その自在なる滑空、ジイはしっかと目に焼き付けましたぞ!」
気の毒な方はここにもいた。
そして。
深々とため息をついた天宮緋影が、どこからか長い棒っ切れを持ち出してきた。
「それで? どうするというのですか、鬼将軍?」
えいっ! と無防備な鬼将軍を突いた。
「おっ! 何をする、ひ~ちゃん! 私は今、空を飛ぶことに専念しているのだ! や、止めたまえ! よさんかっ!」
天宮緋影、攻勢。
と見るのは、あまりにも鬼将軍を知らなさすぎる。あるいは陸奥屋というものに対し、無理解である。
調子に乗った天宮緋影が、あまりにも鬼将軍に対し接近していたのだ。
今や鬼将軍の、ほぼ真下。
それなのに得意気に、えいえいっ! と鬼将軍を突いている。
その時、残された良心がほどけた。
フンドシという名の良心だ。
天宮緋影は棒で突くために、鬼将軍を見上げていた。そして良心が立ち去ったのである。
つまり天宮緋影は、『コブラ』と対面したのだ。
さらに悪いことに、これまでのダメージの蓄積のため、鬼将軍の手足が外れたのだ。
これまで支えていた大量の鬼将軍が、乙女目掛けて降り注ぐ。
それも、全裸で。
試合結果。
天宮緋影、体調不良を訴え棄権。
鬼将軍、規約違反により失格。
我々の一次予選は、惨劇をもって幕をおろした。