私、「ブルータス、お前もか」と叫ぶ
ジャック先生はアキラのセコンド。対するダイスケ側には、忍者と私がついた。
ちらりとアキラ陣営に目をやる。
「あちらはジャック先生だけでなく、フィー先生までついたね」
「ダイスケさんのこと、倒す気満々だよ」
私たちの助言にドワーフの巨漢は、拳で応える。羽目板の壁に二発、三発とパンチを入れた。アキラのパンチとは、質が異なるパンチだ。さすがはヘヴィ級といったところか。
「さ、二人とも。準備はいいかな?」
スパーをさばくのは、ブラウスに蝶ネクタイ。黒のスラックスを履いたホロホロである。というかホロホロ、君はレフェリーなんかできるのかね?
疑問は残るが、たぬきが鍋を叩いてゴング代わり。戦闘開始である。
両者ヘッドギアにグローブ着用。アキラは8オンス、ダイスケは16オンスを使っている。そしてベルトラインにはファールカップという、なかなかに本格的な装備だ。ゴングは鍋だけど。
まずは両者中央でグローブを合わせ、互いにパッと距離をとる。巨漢ダイスケ、ボクシングは未経験という話だが、これまた様になっている。
「まあ、男子だからね」
「男子はみんなボクシングができるとでもいうのかい?」
忍者、それは偏見だ。現に私はボクシングなどできない。
「真似程度なら、できる子はかなりいると思うよ。男の子ってこーゆーの、大好きだべさ?」
それもまた偏見だ。私はスポーツに興味が無い。格闘技は、なおさらである。
とはいえ学生時代を思い出すと、クラスに一人や二人確かにいたものだ。その手の話題に食いついてくる奴が。
「ダウンっ!」
ホロホロの声だ。
巨漢が尻餅をついている。そしてアキラは、天狗やベルキラたちのコーナーへと歩いてゆく。つまり、ニュートラルコーナーである。ということは、巨漢のダイスケがダウンを奪われた、ということになる。
「………なにが起こったんだ?」
うかつにも、見逃してしまった。
「フック一発さ、左のね………」
忍者が忌々しげに答えた。舌打ちまでしている。そして小さな声で、「キレっキレに切れまくった左だぜ」と呟いた。
カウント8まで休んで、ダイスケは立ち上がった。そしてファイティングポーズ。戦意があることを証明する。
「ファイっ!」
ホロホロが戦闘再開を宣言。二人はまたもや、リング中央へ。
ダイスケのジャブ。
ダイスケのジャブ。
とりあえず、アキラを懐に入れない姿勢。忍者も、「それでいい」と呟く。しかし命中率が悪い。アキラの軽いステップで、ダイスケのジャブはすべて空を切る。
ダイスケのジャブが戻る際、アキラが飛び込んだ。巨大な顔面に吸い付くように、真っ直ぐ、垂直に、ワンツーが入った。
カクンと、力が抜けたように膝を着くダイスケ。その頭上を、カミソリのような左フックが通過した。
「………なんだ、今のは?」
「ワンツーから、返しの左フックって奴さ」
「いや、そうじゃなくて………」
あれは私の知るアキラではない。アキラはもっとこう叩きつけるような、無限のスタミナに裏打ちされた野性的な拳を振るっていたはずだ。
「だからキレっキレのパンチだっていうのさ」
「なんで? どうして?」
何故そのような変貌………というか、変身を遂げたのだ、アキラは?
「それはジャック先生と………」
忍者は親指で敵陣を指差す。
「あの魔法医師が説明してくれるさ」
指差した相手は、フィー先生だった。
「これくらいで充分かな?」
リングにジャック先生が入ってきた。スパーリングの終了である。アキラはダイスケとレフェリーのホロホロに頭をさげる。
「さて、ジャック先生。アキラの変貌ぶりについて、説明していただこうか」
「うん、説明は次回………」
「それはもういい」
忍者がボケを潰す。
「じゃあまず、どこから話せばいいかな」
ジャック先生は腕を組んだ。
最近のアキラは、ボクシングスタイルが明確に崩れていた。ジャック先生は、そう断言する。
ボクシングには体重制限が厳しくかけられていて、同じ体重であることを前提に様々な技術が進歩、成立している。その基礎になる部分が崩れていた、というのだ。
何故か?
「闘技場でのファイトで自分よりも大柄な相手とばかり闘っていたからさ」
だから力みだらけの雑なパンチになってしまったと、ジャック先生は判断したそうだ。
「まずは力みを抜く。それだけでアキラは、本来のキレを取り戻すと思ったのさ」
「そのためのレイピア修行でしたか」
レイピアはフェンシングの剣のように、細くたよりないものだ。西洋剣や日本刀のように、思い切り振るものではない。足運びでサッと突いて、有効な攻撃をしたならばサッと退く。まさにアキラが失った技術に違いない。
「それだけじゃない。レイピア修行では筋肉の中でも、伸筋をメインに使う」
「伸筋というと、腕を伸ばす筋肉?」
「そう、腕だけじゃないけどね。この伸筋をメインで使った動きは、いわゆる伸び伸びとした動きになるんだ」
ちなみに屈筋を使った動きというのは、力みの入ったギクシャクした動きだそうだ。
つまりジャック先生はレイピアを使わせることで、アキラに伸び伸びとした動きを思い出させたということになる。
「だけど、それだけじゃないよな?」
忍者だ。
両目を鋭く光らせている。
その目の前に、ニコニコしたフィー先生がヒョッコリ。
「もちろん、それだけじゃないよ?」
「その秘策、語ってもらえるんだろうな、フィー?」
「お姉ちゃん、って呼んでくれたらね♪」
フィー先生は、やっぱりニコニコ。
忍者は苦い顔をしている。
「ほらほら忍者、みんなも私の秘策を聞きたがってるよ? 素直に私のことを、お姉ちゃんって呼んでみて?」
二人の間に、何があったのか?
童顔だけど年上のフィー先生を、普段から忍者は年上扱いしていないのだろうか? そしてそのことを、日頃フィー先生は不満に思っていたのではなかろうか?
その程度のことは、容易に想像がつく。
忍者は私たちを見た。
救いを求めるような目だ。
しかし私たちは、忍者の背中を押す。
「言ってくれないかな、忍者さん」
「私もフィー先生の秘策、聞きたいですぅ!」
「ここは忍者さん、ひとつ折れてくれませんか?」
「ポンと一言、呼んでやればいいだけじゃないの! 思い切りの悪い忍者ね!」
「ここはひとつ、忍者さん!」
「お願いします、忍者さん!」
覆面にジットリと、汗がにじむ。
固くまぶたを閉じて、そして見開いた。忍者の眼差しには、今や虚無の色しか無い。
忍者は重たい口を開く。
「………お」
「お?」
フィー先生は可愛らしく首をかしげて復唱した。
「お、教えてほしいな………お、お姉ちゃん………」
何かが折れる音がした。
忍者の心が折れた音に違いない。
「わかったよ、忍者」
フィー先生は満足そうに言った。
「教えてあげるね、明日の更新で」
「離せダイスケさん! 止めるな、マミヤさん! 私はこの悪魔を、絶対に斬り殺してやるんだっ!」
やはりフィー先生も、陸奥屋一乃組のメンバーだ。汚いにも程がある。
あらためて、そう思い直さざるを得なかった。
そして私からも、言わせもらおう。
ブルータス、お前もかと………。