私、たぬきを失神させる
たぬきは失神していた。
そのはずだった。
しかし唇を突き出して、ムーチョムーチョと動かしている。
「あぁ、御主人様。この可憐なたぬきに、どうか愛の口づけを………。御主人様の口づけでなくては麗しのたぬき、目覚めることはございません………」
力の限りに入れたヒジだったのだが、なかなかタフなたぬきだ。まだ死んでいないとは。
しかも悶えるように身をクネクネとクネらせ始めて、それがエスカレートしてゆくのだから気持ち悪いことこの上ない。
「あぁん、御主人様っ! はやくたぬきを滅茶苦茶にしてぇっ!」
魔法の杖で脇腹を突いた。
ふぐっと言って、たぬきはおとなしくなる。
なるほど、脳天は頑丈かもしれないが、脇腹は弱いようだ。おぼえておこう。
「で、発情たぬき。君をアイテムとして獲得したのだけれど、私にどのようなメリットがあるのかね?」
これまで話が停滞していたが、ようやく進展しそうだ。
たぬきはムックリと起き上がり、私に向かって座り直す。
「はい! たぬきをアイテムにすれば、御主人様の魔力を消費せずに、魔法を使うことができます!」
魔法を?
「御主人様はレベル1の魔法使い、種族は魔族ということで、火の玉や飛翔、障壁の魔法が使えますよね? その直前または直後に、たぬきの魔法を使うことができるんです!」
ふむ、火の玉の連打や飛翔時間の延長、ということではないのか。
だがしかし、たぬきの魔法も私の魔法と組み合わせ次第では、戦力アップにつながるかもしれない。
「では淫乱たぬき、お前はどんな魔法が使えるのだ?」
「はい! それではこの私が、たぬきの秘技のひとつを披露します!」
たぬきは直立不動、ビシッとした気をつけの姿勢。
そしてそのままバッタリと倒れた。仰向けだ。地面に後頭部が激突した。そして倒れた衝撃で手足が広がり、髪とスカートが乱れる。
「どうした、たぬき?」
「………………………………」
返事がない。
これはどうしたことか?
眼差しは虚ろ、下顎の力は抜けて口は半開き。うっすらとヨダレがこぼれかかっていた。
いや、もっとはっきりと言おう。
生気を感じない。
まるでたぬきは、死んでいるかのようだった。
首筋に触れてみる。
脈は無かった。
鼻の下に指を当てた。
呼吸も無い。
たぬきは、死んでいた。
しかもこのような事態だというのに、道行く人々は何事も無かったように、広場を行き交っている。
これは、どうしたものだろう。
ゲーム世界の中であっても、人一人の命………いや生命ひとつが失われることは、重大な話のはずだ。
しかしたぬきの亡骸を省みる者なく、自然と私たちを避けて歩く者ばかり。
頬を突っついてみる。
反応は無い。
その頬を、ペチペチと叩いてみた。
もちろん反応は無い。
「さて、どうしたものか………?」
死んだたぬきなど、いくらの価値も無い
たぬき汁というものが存在するが、あれはたぬきを煮込んだものではない。
まず断っておく。
たぬきは食用には向かない。
もっとダイレクトに言うならば、不味くて食えたものではない。………らしい。
私たちが普段たぬきを食べると言っているのは、あれは実はアナグマというまったく別な生き物だそうだ。
その事実から導き出される答えは、死んだたぬきには何の価値も無い。ということだ。
穴でも掘って埋めようか。
いや、スコップやシャベルが無い。
このまま捨てて置いて、自然の浄化能力にすべてをまかせてみようか?
いや、例えネズミの死骸でもそれが発する腐臭は、耐え難いものである。放置すれば確実に、近隣住民の迷惑になる。
そのようなことは、四角四面と役場で謳われた私としては、極めて不本意なことである。
ならば結論は、ただひとつ。
私が一人でこの木偶の坊たぬきに、引導をわたしてやらなければならない。
困ったものだ。
アイテムを自称する者が命を落とすとは。仕方ない、シャベルやスコップを手に入れるとするか。
立ち上がった私の足に、すがりつく者がいた。
「ちょ、ちょっとお待ちください御主人様! 決意の眼差しで、どこへ行こうというのですか!」
「死んだたぬきを埋めるために、シャベルかスコップを手に入れようとしたところだ」
「いえ生きてます! たぬきは健在ですから! 埋めないでくださいキスしてください抱いてください滅茶苦茶にしてください! お願いします!」
「………………………………」
「な、なんですか御主人様、その眼差しは?」
「なんだ生きてやがったか、チッ………という眼差しだ」
「あぁん、御主人様っ。そのクールな態度が、余計にたぬきを濡らします!」
どこが濡れるのか? 何が濡れるのか? なぜ濡れるのか?
そこは聞かないことにした。
「で、濡れるたぬきよ? 私は君に魔法を見せてもらいたかったのだが? その桃色脳みそで記憶しているだろうか?」
「はい! もちろんです! 今のがたぬきの秘術、『死んだふり』です!」
たぬきの秘術、死んだふり。
それのどこが魔法なのか? どの辺りが秘術なのか?
一応このたぬきは、私のアイテムである。それ故に私は理性を総動員して、たぬきの言い分に付き合い、理解をしようと努力したつもりだ。
だが天は私にさらなる努力を要求したのか、目の前の馬鹿が言うことがまるで理解出来なかった。
そして偉そうな顔で胸を張る、それだけのことをする根拠を見出だせなかった。
これは私が悪いのだろうか? はたまたこの馬鹿の言うこと為すことは、常識人には理解できない『馬鹿理論』でしかないのか?
判断に苦しむところであった。
「いかがなされましたか、御主人様? もしやこのたぬきの魔法に、ついホレ直したりしたのですか?」
どんぐりのような瞳で、下から覗き込んでくる。
「ですがシリアスな表情も、たまらなくス・テ・キ/ラブ」
まぶたを閉じて唇を差し出してくるので、とりあえず相撲の喉輪で退かせる。
「………たぬき、ひとつ質問していいか?」
「ゴブッ………ご、御主人様っ! ………喉輪っ………喉輪がキビシイです!」
「あぁ、これはキツイだろうな、緩めてやる気は毛頭無いが。だがそれでも答えてくれ。お前の秘術、死んだふりは………使えるのか?」
私の言葉が終わると、たぬきの身体から力が抜けて、グニャリと崩れ落ちた。
今度は死んだふりではなさそうだ。本気で「オチて」いる。
仮にも主の目の前で失神とは、だらしない奴だ。
ため息ひとつ、私は肩をすくめる。
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