キノコ料理
旅人が森の中で美しい少女と出会うお話です。オチは特にないですが、情景やふるまいの描写に自分なりに挑戦してみたので、ぜひお楽しみください。
森のなかで、何かが吠える声を聞いた。温かい春の日差しが、木々にふいた葉を通って黄緑色の光を森の空気に落としている。不規則に立ち並ぶ木々。その幹の一本一本は竜の首のように太く逞しく、しかし根本には可憐な花々を身につけている。このような光景を目の当たりにすれば、どの人も足を止め思考を止め、のんびりと周囲を見回したいと考えるだろう。だがしかしここは野生の森であり、ひょっとすると私の背後には腹をすかせた獣どもが茂みで息を潜めているかもしれない。この腰に下げたナイフは、私の警戒心とあわせて初めて役に立つものだ。それに、ここまでの道のりは想定外に長く、夕方までにこの森を抜けて向こう側の村へ着かなければ、今夜飲む水のあてがない。私は気を引き締めて、歩みを進めていった。
さて、森を進むあいだに、やがて急に腹が鳴りはじめる。いやはや、魔物より先に腹を空かせてしまうとは愉快だ。私は、近くの木の根本に目をやった。よく見ると、木々の根本にはうまそうな枯れ木色をしたキノコの集団が顔を出している。それは丸々と太った形のキノコで、おやつにするのに十分な量だ。試しにその足元を摘まんで引き上げると、土からするりときれいに抜けたので、今度はリュックからマッチを取り出し、茂みの少ない開けた場所に枯れ枝を並べて火をつけ、これを炙って食べることにした。腰をおちつけ、キノコを火に当てると、そこから香ばしい匂いが漂い、私の食欲を誘う。思わず溜め息をついて気が緩みそうになったとき、ふと、周りの茂みが気になりだした。この匂いがいま、獣の鼻に届いたかもしれない。これを欲しがる生き物もきっといるだろう。念のため、ナイフに手を掛けて周りの様子を伺った。するとそのあとすぐ、背後の草むらからガサリと何かが滑り出る音が聞こえる。それきた!狼か?イノシシか?そう思って振り返ったが、しかしそこに思いもよらぬ姿を見つけ、私は武器を抜かずに横を向いて跳び、それの突進を間一髪でかわした。ひとたび地に伏す格好になるが、すぐに立ち上がり、もう一度敵の姿を確認する。
匂いに誘われて襲ってきたのは、狼のたてがみの代わりに長い銀髪をなびかせる、人間の少女だった。それはこちらの目をキッと見つめて、力強く吠えると次なる突進を試みた。しかし、旅人の端くれたる私は同じ攻撃に二度も怯むことはない。より強い怒号を吐き出して気合いをいれると、少女の腕を両手で掴もうと試みる。大声が効いたのか、驚いた少女の手はいったん宙を跳ねて、そのまま封じられてしまった。私は最後に少女を草花の絨毯の上に投げ伏せ、両腕を背中に回してしっかり掴んだ。少女はしばらく暴れていたが、勝ち目が無いと思ったのか、体の力を抜いた。これでひとまず勝利だ。私は小さくため息をつき、少し緊張をほぐした。さて、この少女は何者なのか?なぜ突然現れて襲いかかってきたのだろうか。人間が相手なら、話せば分かるだろう。私は少女に問いかけた。
「おまえは何者だ?」
ところが、答えらしい答えは返ってこない。
「ううっ!ギャア!ギャア!」
ひょっとすると、言葉が通じていないのだろうか。先ほどの闘いですぐそばに転がったキノコを拾い上げて見せ、もう一度問いかけてみる。
「この食べ物が欲しかったのか?」
「あっ!うーん、うーん」
少女はやはり言葉も返さず、今度は目の前に掲げられたグルメに一生懸命首を伸ばそうとしている。あまりに夢中になった姿はなんだか面白く、和解するきっかけになりそうなので、キノコは彼女に譲ることにした。食べたければまた採って炙ればいいだろう。そういうことで、よだれのこぼれそうな口へキノコを運んでやると、勢いよく食い付き、すっかり顔を綻ばせて頬をもぐもぐとやりながら味わいだした。同時に、封じた腕に抵抗する力はなくなり、私が安全と判断して解放してやると、ゆっくりと起き上がり、足を前に伸ばして座る姿勢になった。まだ口は食べ物を頬張っているが、その目は嬉しそうにこちらを見つめている。もう敵意はないと思ってよさそうだ。
私は改めてその姿を眺めてみた。銀の長髪が初めの印象だったが、衣装は胸と腰に野うさぎか何かの毛皮らしきものを身につけただけでいる。街や村に住むような者なら、もう少し露出の少ない服を着るだろう。信じがたいが、言葉を話せなかったことも考えれば、きっと、この娘はこの森に住んでいるのだ。毛皮を身につけた肌は黒っぽい色で、それから劣情ながら、同じく浅黒い乳房と腰にはよく肉が付いていて魅力的に見える。やがて観察対象はおもむろに立ち上がり、どこかへ歩き始めた。満足して住処に帰るのだろうか。私は美しい少女との別れに少し勿体無い気持ちを感じながら、その体をじっと見つめていた。これが街の中なら真面目な人に叱られただろうが、運良く人の気のない世界に居る私は、遠慮無くその横顔を追うことができる。ありがたいことだ。……と思ったが、少女は住処へ帰るというより、先ほど私がキノコを採った木の根元へ行き、同じようにそれを摘みはじめ、両手のひらにこぼれるほど採取したものを私のもとへ駆けながら持ってきて、微笑んだ顔をしながら差し出してきた。はて、彼女はまだ私に興味のあるような素振りを見せているが、一体どのような意図なのか分かりかねた。これは礼のつもりなのだろうか、それとも再びあの料理をご馳走してほしいのだろうか?ひとまずそれらのキノコを受け取るが、少女はまだ帰ろうとはしない。仕方がないので、試しにふたたびキノコを炙ることにした。先ほど焚いた火がまだ少し残っている。私はそこへ枯れ枝を足すと、リュックから串を三つ取り出し、キノコに刺して火のそばに立てた。キノコからはふたたび香ばしい匂いが立ち上り、いい加減にペコペコと音がなりそうな胃袋を誘ってくる。彼女があれだけ嬉しそうに食べていたのだから、よほど美味いものなのだろう。その顔は今、期待に満ちた表情でキノコの様子を見ているが、その割に火からは距離を置いているように見える。やれやれ、どうやら、炙ったキノコをもっと食べたいのだが、火が怖いので代わりに作って欲しかったというところだろう。しかし、そんなうまい話はない。私も十分に空腹だし、ただであげてしまえば何度でも要求してくるかもしれない。ここは心を鬼にして、私は火から取り上げたキノコを素早く振って冷まし、串から外して口へ放り込んだ。
「ああっ!」
少女はあからさまに残念そうな声を上げる。しかし私はたった今口に入れたものをしっかり味わう権利がある。これは少し独特の臭みがあるが、舌に触れるたびに動物の肉のような旨味と、野菜のような甘みが感じられる。一般的な料亭でもこれより旨いものを食べられるかもしれないが、旅の疲れにじわりと沁み込み、わずかながら癒してくれる。こんなものを安々と渡すわけには行かない。私は二本目の串に手を伸ばす。今度は少女も私の腕からそれを奪おうと近づいてくるが、こちらは焚き火を挟んで反対側へ素早く移動した。火が苦手な少女は為す術なく前にかがんだまま立ち尽くし、私は難なく次の美味を口へ運ぶ。目を閉じて、今度もじっくりと味わう。まぶたの向こう側から聞こえる悔しそうなうめき声をよそに、香ばしい森の肉を飲み込み、三本目に意識を向ける。しかしそのとき、興奮ぎみだった少女の声が、急に弱々しくなってしまった。
「くぅ……」
しまった。美味そうに食べる姿を見せびらかされる悔しさからか、少女の目には涙が浮かんでいる。その瞳は三本目の串というより、地面に咲き散らしている野花を悲しそうに見つめている。さすがに、意地を張りすぎたかと思った。しかし、ここで折れて、ただでコレを譲ることに心配がなくなった訳では、やはりない。私は若干ばかり申し訳ない気持ちを感じながら、三本目の串に刺さったものを、腰の巾着にしまうことにした。ついで、少女の方へ近づき、優しく声を掛けてやることにした。
「ごめんな、これをあげる訳にはいかないんだ。」
言葉は通じないだろうから、私自身の罪悪感を減らす意味しかないのだが、意地悪をしている訳ではないことは伝わったようで、彼女は少し落ち着いた様子になって目元のしずくをごしごしと拭った。それを見て安心した私は、ここで少女と別れることにした。美しく表情豊かな少女との別れは名残惜しいが、あまり一緒に居ると、またいざこざが起きることだろうから。
「私は急がないといけないから。じゃあね。」
(つづかない)