【外伝】アンドロイドの家族1
引き金を引きたくない。
それでも彼は引き金を引かなくてはならなかった。
命令。
自分の意志などこの場には必要ない。
彼が今いるこの区域に入った人間を殺す事。
ただ、それだけが命じられた任務だった。
逆らう事の出来ない絶対的な枷。
血の海に倒れた少女と、あっけなく引き金を引いてしまった手を交互に彼は見つめる。
あの少女は泣きながら走っていた。
恐らくは戦闘に巻き込まれた民間人だろう。
考えてはいけなかったことなのに、考えてしまった。
彼が呆然としていると、次々と仲間が戻って来る。
誰の表情も、ここへ派遣された時と同じで変わらない。
何故自分はこんなにも動揺しているのだろうか。
彼は考える。
あの少女を殺したから?
しかし彼は、戦闘を目的として製造されたアンドロイドだった。
仲間と変わらないはずなのに、どうして違うのだろう。
答えを出せないままに再び命令が下され、彼はただ命を奪い続けた。
******
桜が舞う。
ディスはこの散りゆく花の美はわからなかったが、手を繋ぐアルヒェは珍しそうにはしゃいでいる。
この国にディスが来るのは二回目だ。
一度目は機能が停止したままで、再起動が終わるとすぐにアルヒェ達と出国してしまった。
「お兄ちゃん、あっち」
アルヒェに左手を引かれるまま、彼は歩く。
「ああ、わかっている」
目的地はもう視認できている。
ここは一度は機能停止したディスが運び込まれた修復施設の庭だった。
ところどころに植えられた桜の木の向こうに大きな石碑が見える。
「せっかくだから、ゆっくり行こうか」
「うん」
ディスはアルヒェに『お兄ちゃん』と呼ばれているが本当は違う。
彼女の知る『お兄ちゃん』は壊れてしまった。
ただ、今のディスの左手と左足はその彼の物だ。
ゆっくりと二人で石碑に近づくと、石碑の台座に様々な文字が刻まれているのがわかる。
『スケイルクレスト社DISシリーズ001号』
上から下へ、左から右へと刻まれていく型番。
その一番新しい刻印を見つけてディスはそれを指でなぞった。
「D1……」
それはディスの兄弟機の型番だった。
ディスが手足を彼から貰うのと引き換えに、彼の名は永久にここに刻まれるのだとキリシマに聞いた。
もしディスが修復できなければ、ディス自身の型番もここに刻まれることになっただろう。
「……おにいちゃん……」
アルヒェが小さく呟くのをディスは聞き逃さなかった。
彼女が呟いたのはディスに向けてではないことを、彼は知っている。
ディスが『お兄ちゃん』ではないことを、アルヒェの両親は娘に説明した。
彼女も『お兄ちゃん』がもう壊れてしまったということは、わかっていたようだ。
理解した後でも、アルヒェはディスのそばを離れようとはしない。
「ねえ、お兄ちゃん」
今度の呼びかけはディスに対してだった。
「何だ?」
「『お兄ちゃん』のこと、教えて」
「D1の事か」
「うん」
ディスもD1について多くを語れる立場にない。
ただ、アルヒェと出会うずっと前に過ごした記憶があるだけだ。
「わかった。後でな」
ここで話すようなことでもない。
日本滞在に使っているホテルに戻ってから話そうとディスは決めた。
D1はディスと全く同時期に造られた同仕様の機体だ。
仕様上性格も同じにならないといけないはずだったのだが、『誤差の範疇』によりD1とディスでは違う部分があった。
ディスは感情の抑制が良く効く代わりに射撃の精度が仕様より低く、D1は射撃の精度が仕様よりも高い代わりに感情の起伏が大きかった。
製造工場での研修期間を終えて、軍へと供給される前にD1の感情面が問題視されたこともあったらしい。
しかし、それがディスたちの耳に入ることはなかった。
「もうすぐ、研修も終わりだね」
D1が言う。D1はディスより感情の幅が広いせいか声も柔らかい響きがする。
「研修中にお前に勝つことはできなかったな」
ディスは研修運用中に低かった射撃精度を仕様上の精度まで引き上げることはできた。だが、射撃能力が仕様より高いD1には及ばない。
「実戦ではきっと変わって来るさ」
D1は笑って言った。ディスには彼のような表情はできない。仕様上、感情を表現する必要があまりないからだ。
「俺はお前には勝てないだろう」
「そんなことないさ。俺の方が戦闘型アンドロイドとしてはお前に勝てないだろうというのに」
そんな事をぽつり、D1は呟く。ディスにはその言葉の意味が分からなかった。
無事に研修期間を終えて、それぞれ軍の違う部隊に配属となった。
数年後、初めての実戦を経験したD1が、研究用にと退役させられたことをディスは知った。
そしてD1が機能停止するまで彼らが稼働している間に再会することはなかったのである。
「俺がD1について知ってるのはそれだけだ」
ディスは自分とD1の記憶を手短に語った。アルヒェはディスが座る椅子と向かい合うようにベッドに腰掛けて首を傾げる。
「お兄ちゃんは、今でも『お兄ちゃん』の言ってた意味がわからない?」
アルヒェの真っ直ぐな問いに、ディスは首を振った。
「何となく、わかった気がする。俺は実戦を経てもこうして無事に稼働しているのに……」
彼はは戦闘型、それも軍用としては感情の幅が大きく実戦での運用には無理があったのだと今ではわかる。
D1は研修時から自分が軍用には適さないことを知っていたのではないだろうかと、ディスは思う。今となってはD1の想いを知るすべはない。ただ一つ、残された記憶チップ。読み込めば記録は覗けるだろうが、それはただのデータに過ぎない。
「多分そういう意味ではアルヒェの方がD1の事をよく知ってると思う」
アルヒェはアンドロイドの思考を読むことが出来る。接した時間もそうだが、能力の影響で彼女はより深くD1の事を知っているはずだった。
「ううん。『お兄ちゃん』が考えてること、私にはむずかしくて、わからなかったの」
アルヒェはそう言って悲しそうにうつむいた。アルヒェにとってアンドロイドの思考を読み取るのに、知識や様々な経験が足りす、感じた事を的確に翻訳できない。D1の思考もそうなのだろう。
「難しかったのか」
「うん。私が覚えてるのは、私と同じぐらいの女の子と『お兄ちゃん』の『どうして引き金を引けてしまったんだろう』って言葉だけ」
表情を曇らせたまま言ったアルヒェの言葉で、ディスは何となくD1に何が起きて退役したのかがわかってしまった。彼は作戦遂行中に民間人の少女を撃ち殺してしまったのだろう。D1自身が嫌でも、アンドロイドにとっては所有者の下す命令は絶対だ。どれだけ葛藤しても無意味。
D1はどれだけ嫌でも引き金を引かなければならなかったのだろう。
「……そうか」
やはり、D1のその感覚は感情の起伏が乏しいディスは同じ考えには至らないだろうと思った。
「さて、もうこんな時間だ。休もうか、アルヒェ」
「やだ、まだ寝たくない」
「子どもは寝る時間だ」
時計はもうとっくにアルヒェが普段眠る時間を過ぎている。だからディスは眠るように言ったのだが、アルヒェは拒否する。
「じゃあ、お兄ちゃんが一緒に寝てくれる?」
アルヒェが小首をかしげると、ディスはしばらく沈黙した後に答えた。
「アルヒェ、そろそろ一人で寝ようか」
彼女が添い寝をせがむのは今に始まったことではない。アルヒェの両親のところにディスが引き取られてからずっとこの調子なのだ。
別に嫌だというわけではないが、彼女の両親からは護衛を頼まれているのに添い寝をしていると万が一のことがあるととっさに行動に移せないのが困る。
しかしディスはアルヒェからのおねだりには弱かった。
数十分後にはアルヒェはディスの腕の中で寝息を立てていた。