アンドロイドの方舟
まず、最初に修復されて再起動を果たしたのはカナルだった。彼は誰を庇う必要もなく、単独で行動したのが幸いした。
駆動系に致命的な損傷もせずに、短期間で修復がなされたのだ。
目を開けたカナルは真っ先に友人の安否を聞いた。
「ディスは?」
肘と膝を撃ちぬかれて機能を停止したという話は、カナル自身が回収された時に聞いている。その後の修復の具合がどうなのか、きちんと直るのかカナルは気になったのだ。
「まだ修復中だよ。肘と膝の部分を損傷したまま動いたみたいだからね。ショートした電流で思ったより損傷は深い」
カナルの動作チェックの為に、彼に繋いだ計器類を見ながらキリシマは答えた。
それに対してカナルはもう一度問いかける。
「そうじゃなくて、直るのか直らないかって聞いてるんだよ。それにアルヒェはどうなったんだ?」
「修復する努力はしている。私も研究者だからね。はっきりしないことは言えないのだよ。だけど、破損した箇所のパーツ提供がとある所からあって、直る可能性は高い……今はこれだけしか言えない」
キリシマは計器を確認した後、手元の端末に色々と入力をしている。
「よし、これでOK。意識レベルと会話能力には問題ないね。起き上がってみてくれるかな? 詳しい話はチェックが終わってから」
キリシマは会話の合間にカナルに指示を出して、動作チェックを勧めていく。
チェックの最後に別室に連れて行かれて、カナルの知識にないような白い服、黒い帽子を被った人の前に座らされ頭の上で何かの枝を振られた。
その人は顔だちを見ると日本人のはずなのに、カナルには理解できない唄のようなものを口にしている。
カナルには意味の分からないこの出来事はあっという間に終わり、キリシマに連れられて元の部屋に戻った。
「今のは一体何だ?」
「お祓い。この国でアンドロイドを初めて起動したり、再起動を行う時に慣例的にすることになっているのだよ」
「つまり……宗教行事?」
「いや、慣例っていっただろう? 『そうすることになっている』っていうだけ」
カナルにはよくわからないが、深く突っ込むとさらに理解が出来なくなりそうで再度の質問は止めた。
「ところで、ディスはどっかからパーツが提供されたって言ってただろう。俺たちは造られた会社、工場、製造シリーズによってパーツに互換性がない。どうやってパーツを手に入れたんだ?」
代わりにカナルは気がかりな友人の事を聞いた。修復できないならできないで、ディスの事は諦めることが出来る。中途半端な状態は思考の切り替えにも影響してあまりよくない。
「パーツはディスと同系統の、修復不可能だったアンドロイドの無事なパーツだよ。アルヒェの両親が提供してくれたんだ。ディスと同じシリーズの戦闘型だとさ」
「アルヒェの両親?」
研究所にただ一人にいたというディスの話からは、彼女はてっきり天涯孤独で金の為に売られた少女だと思ったのだがどうも違ったらしい。
それに彼女の両親がディスの兄弟機を保有していた事に驚いた。
「そう。『流星群の日』に、あの子の両親は護衛の戦闘型アンドロイドに世話を任せて出張していたらしい」
一部のアンドロイドが主人たる人間を襲ったあの日、人間はアンドロイドと人間を見分けるのに、アンドロイドが発する電波を利用した。
アルヒェの能力はその電波を、アンドロイドの『声』として送受信できるというものだった。それが原因でアンドロイドと誤認されてアルヒェは襲われ、護衛のアンドロイドは彼女を庇って修復不能なダメージを負ったのだという。
「それが、アルヒェの言う『お兄ちゃん』だったってわけだ」
「なるほど、それがディスを『お兄ちゃん』って言った理由か」
「そういうこと。それで、アンドロイドの持つ電波を発する人間ってことで研究所にお持ち帰りされたのさ。そしてその電波がアンドロイドに対して干渉することがわかって、似た能力の人間を色々な手段で探して計画の要にしたってことらしい。君を修復している間に、そんな話がどこからか告発されたみたいだよ」
その告発のおかげでアルヒェは無事に両親に再会したようだ。そして、ベルはアルヒェの世話をする為に一緒に暮らしているらしい。
「だけど、よくアルヒェの両親もアンドロイドと暮らそうと思ったもんだよな。怖くはないもんかね?」
「アルヒェの両親はアンドロイドの心のケアについて研究していた人だ。この国にも出張で何度も来ている。アンドロイドだから危険だと言えないってことはよくわかってるだろうさ」
キリシマは最後にそう言って肩をすくめた。
「二人の現状については以上。ディスは無事に修復されたら身の振り方を考えることになるだろうね。まあ、ディスについてはアルヒェの両親から引き取りたいと申し出が来ているから再起動したらどうなるだろうね。さて、それで君はどうする?」
「一応聞いてみるが、ここでどんな仕事があるんだ?」
あくまで参考に、とキリシマは言ってカナルでも出来る仕事として災害支援を上げられた。
「これは戦闘型のセンサーも使えるからいいと思うけれどね。ただ、外装を変える必要があるのと、ちょっと特殊な訓練は受けてもらうことになるだろうね」
「ふーん……他には?」
「家政型は向かないだろうし、職人型は腕を丸ごと取り換える必要があるからねぇ」
元々戦闘型として造られている事を考えるとカナルは自分の用途とは全く違うが一番似ている災害支援型がいいような気がして、自分の希望をキリシマに伝えた。
人間とアンドロイドとの対立は今も各地で続いている。それでも進展は少しずつしている。
枷の外れたアンドロイドに恐怖を抱き、破棄しようとした人間からアンドロイドを匿い、安全を啓蒙する団体も声をあげるようになった。
ある国で事態の鎮静化を図ろうと幼い少女を道具に使おうとしたということを告発された事もあり、話題としては近頃そちらの方が報道を賑わせている。
カナルは日本語基本セットのインストール後、災害支援型アンドロイドとしての訓練の合間に、実際この国の報道も見てみたが平和なものである。
どこかの花が見ごろだの、どこの動物が可愛いだの、そんな報道もカナルにとっては不可解だったがそれ以上に不思議だったのが新型アンドロイドの製品発表だった。
家政型アンドロイドなのだが、特に業務に関係のない所でランダムに無意味な失敗をするのだという。需要はあるのかこの国の人間の感性はカナルにはさっぱり理解できない。
カナルが再起動を果たしてからすでに数ヶ月が経っていた。
ディスの修復はほとんど終わり、今は最終チェックの段階らしい。それが終われば再起動と、動作確認と『お祓い』という奇妙な儀式を経ることになるだろう。
ディスの再起動に合わせて、アルヒェのたっての願いで彼女が両親と共に、この国に来ることになっている。早くて今日、アルヒェはこの国にやってくる。
機体は損傷した腕と脚を兄弟機の物に交換し、致命的だった損傷も全て修復したとキリシマは言っていた。
後は無事に再起動するか、ということと記憶の抜けが発生しないかがカナルの心配事だった。
と、いうわけでカナルは今、キリシマのアンドロイド修復施設内でディスの再起動の一連の作業が終わるのを待っていた。
施設の入り口に近い待合室のようなところで一人、ポツンと座って無為の時間を過ごす。
割とのこ手のアンドロイドの修復施設にはこのような待合室があり、修復施設を『病院』に見立てて、修復するために施設に入ることを『入院』と呼び、修復が終わり戻ってくることを『退院』と呼んでいるそうだ。
この待合室は『退院』を人間が待つ為に設けられている。
入り口の自動ドアが動く音がしてカナルは振り返った。
ベルとアルヒェ、見知らぬ男女――アルヒェの両親がちょうど入ってきたところだった。
ベルはカナルの外装が変わっているので気付かなかったようだが、アルヒェはさすがに気付いたようだ。
「お兄ちゃんは?」
カナルに駆け寄って不安そうにアルヒェは尋ねる。
「もうすぐあっちの扉から出てくるだろ。それより、おかしいんだぜ。俺が修復されて再起動したとき――」
カナルはここで受けた『お祓い』の話を面白おかしく語った。
アルヒェはその話に気を取られたのか、不安そうな表情が和らぐ。
しばらく話をしていると、奥の扉が開いてキリシマが顔を出した。
「おや、皆さんお揃いで」
キリシマが扉の向こうから出てくると、その背後からもう一つ人影が現れる。
外見は完璧に最後別れた時のままのディスだった。
アルヒェはパッと表情を輝かせると、彼の元へと駆け寄っていく。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんの手だ……」
大切な物を持つように、アルヒェはディスの片方の手のひらを取る。
そしてそれに頬ずりして幸せそうに笑った。
ディスは無言でアルヒェを抱き上げてやる。笑った表情など今まで見せたことがないのに、瞳が笑っているように見える。
アルヒェはそんなディスの瞳を覗き込んで、楽しげにその首筋に抱きついて囁いた。
「お兄ちゃん、大好き」