戦闘の結末
ベルはアルヒェを強く抱きしめた。
ディスは突然現れたサイボーグの男と交戦している。
状況は不利だと戦闘型ではないベルでもわかった。サイボーグの男は最初にアルヒェもろとも自分たちを攻撃しようとした。
敵はアルヒェを傷つけてでも手に入れるつもりだ。対してディスはベルとアルヒェをかばいながらだ。
取れる行動は限られている。
ディスが男に追い詰められるのも、時間の問題だった。
サイボーグの銃が、ディスの左肘を撃ちぬいた。一瞬バランスを崩すが、ディスも応戦して引き金を引いた。サイボーグは続いて左膝を撃つ。ディスの撃った高エネルギー銃は、むなしくも男に避けられた。
肘と膝はアンドロイドにとって急所とも言える。特に膝は少しの衝撃でもバランスを崩しやすい。
案の定バランスを崩して倒れたディスには目もくれず、サイボーグはベルを振り返った。
「さて、お嬢ちゃん。その子を渡してもらおうか」
ニヤニヤと笑いながら近づく男にベルは叫ぶ。
「誰が貴方たちなんかにこの子を渡すものですか!」
ベルはかつて庇護対象の『お嬢様』に守られ、その命と引き換えに廃棄されずに済んだ。
それをずっと苦しんでいたのを救ってくれたのがアルヒェだった。
彼女がアンドロイドに対して作用する能力を持っているということは知っていた。
大切なものを失った時の記憶がフラッシュバックしたあの夜、アルヒェはベルを抱きしめた。
彼女がどんなふうに能力を使ったのかベルにはわからない。
ただあの時から記憶にこびりついていた惨劇の風景がよく思い出せなくなった。代わりに『お嬢様』の愛らしい声が、笑顔が思い浮かぶ。
あの時救われたからこそ、ベルは思うのだ。今度はこの身を犠牲にしてでもアルヒェを守るのだと。
「ちっ……非戦闘型のアンドロイドを壊すのは趣味じゃねぇんだがな……」
口ではぼやきながらも、笑いながら男はベルに近づく。
その言葉は嘘だろうとベルにだってわかった。
「おねえちゃん……」
腕の中、アルヒェが不安そうに呟くのが聞こえた。
「私は逃げない。今度は私が貴方を守る!」
「非戦闘型にこの状況で何ができる?」
嘲笑う声と共に、非情の手がベルに伸ばされた。触れられたら終わり。ベルは破壊されるだろう。
ベルはさらに強くアルヒェを抱きしめて目を閉じた。すぐに自分は壊されるとベル思ったが、いつまでたっても予想した衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると、男はベルの頭に手を伸ばしかけた姿勢で固まっている。
「えっ……」
男の手は震えている。伸ばそうとする力と止めようとする見えない力が拮抗しているかのように。
「ぐっ……このガキ……!」
ベルが慌てて腕の中を見下ろすと、アルヒェが深い静かな目でサイボーグの男を見つめていた。
アルヒェの能力は、脳が生体のサイボーグには効かないはずなのに。
「お兄ちゃん……!」
アルヒェは救いを求めるように地に伏したまま、もがくディスに叫んだ。
アルヒェは自分の力についてよくは知らない。ただ小さい時からずっと機械の声なき声を聞いていた。
自我を持つアンドロイドも、そうでないものも全てだ。
アルヒェの両親は、アンドロイドの研究をしていた。自我を持つアンドロイドの心理についての研究だった。
アルヒェは両親の研究についてはよくわからなかったが、アンドロイドと幼い頃から触れる機会が多く、アルヒェは『声』が聞こえることを一度両親に話した。
両親は驚いたが、それを他の人には話さないようにとアルヒェに優しく言って、話し相手の『お兄ちゃん』をつけてくれた。
戦闘型で、退役した軍用アンドロイド。アルヒェは知らなかったがそれが『お兄ちゃん』の身分だった。
アルヒェは彼に触れて、彼が深い悲しみを抱えていることを感じた。でも、幼いアルヒェにはどうすることもできない。
アルヒェには知る由もなかったが、この戦闘型アンドロイドは戦地で心に傷を負い、検体として払い下げられたものだった。
研究者としては興味深いサンプルだったが、両親はそのアンドロイドをただの研究サンプルとはせずにアルヒェの護衛としての役割を与えた。
アルヒェはこの『お兄ちゃん』を慕い、よく懐いた。
とても幸せな日々だったが、『流星群の日』に全て失ってしまった。
何が起きたのか、アルヒェは今でもわからない。ずっと『お兄ちゃん』と一緒にいたはずなのに。
「アルヒェを守る……絶対にだ……」
抱きしめられた『お兄ちゃん』の心の温かさが最後に感じたことだった。
気が付いた時、アルヒェは見知らぬ暗い部屋で白衣の大人に囲まれていた。
ここで大人の言うことを聞いて大人しくしていたら『お兄ちゃん』が迎えに来ると大人たちは言う。
早く『お兄ちゃん』に会いたい、と思っていたらある日突然『お兄ちゃん』がやってきた。
アルヒェと暮らした『お兄ちゃん』ではないのはアルヒェも『声』を聴いて分かったが、それでもアルヒェはディスを『お兄ちゃん』だと感じた。
何がとははっきりアルヒェ自身でもわからない。でも彼を『お兄ちゃん』だと思った。自分がいい子にしていたから迎えに来てくれたのだと。
だからアルヒェはディスを『お兄ちゃん』と呼んだ。
ディスの他にも、自分の世話をしてくれた優しいベルに、ディスの友人のカナル。出会ってから短いが皆、アルヒェの大事な『家族』だった。
それを奪う相手をアルヒェは許せなかった。
笑いながらベルに手を伸ばすアンドロイドならぬ男。アルヒェの能力は本来及ばない相手だが、彼女は怒りで頭の中が真っ赤に染まり、能力を極端に集中させた。サイボーグの脳の命令を受け取る機械が誤作動を起こすほどに。
そしてアルヒェは心の底から救いを求めて叫んだ。
「お兄ちゃん……!」
その声に反応してか、地に倒れたままだったディスが身を起こす。
片腕と片足の損傷は電子脳に盛大なエラーを発している。
その感覚はアルヒェにも痛みとして伝わった。
ディスの無事な方の手が大地を探り、倒れた時に手放した銃を握った。
肘と膝を片方だけでも破壊されたため、動作のエラー信号が電子脳内にガンガンと響く。
これ以上動くと致命的な動作不良を巻き起こすかもしれない。
それでもディスはアルヒェを守らないといけなかった。
誰かに命令されたわけでもない。恐らくアルヒェがアンドロイドを操れるのも関係ない。
アルヒェが叫んだ時に感じた記憶。アルヒェが感じたディスたちの印象が、ディスの身体を無理に動かす原動力になった。
銃を握って照準を合わせようとしたが、身体中を切り裂くエラー信号に腕が震える。
ベルに手を伸ばすサイボーグの男に銃を向けても、狙いを定めることが出来ない。
それが、ふとした瞬間に全て楽になった。誰かに支えられたかのように腕の震えが止まった。
エラー信号も全て沈黙する。極限の集中下でディスは動かないサイボーグに向けて引き金を引く。
何本かの光の軌跡が敵に向かうのを最後に視界に納めてディスは電源が切れたかのように地に再び沈んだ。
身体中を駆け抜けるエラーは、緊急信号を発信させた。友軍に危険を知らせるために戦闘型には必ず内蔵されている特殊な機能だ。
しかし、ここは基地の近くではなく、友軍はいない。もしこれを聞けるとしたら敵を引き付けてどこかで戦闘に入っているだろうカナルだけだ。
機能がゆっくりと停止していく。
「しっかりして……アルヒェちゃん!」
ベルの声がどこか遠くから聞こえる。アルヒェは相当無理な能力の使い方をしたのだろうか。
さっき聞こえたようなディスを呼ぶ声は聞こえない。
最後までアルヒェとずっといたかった。そんな事を最後に思考しディスの意識は闇へと落ちて行った。
「はっきり言って直るかはわからない」
腕と足を破損し、機能を一時停止させたディスを目の前に駆け付けたキリシマは唯一意識のあるベルに言った。
ディスが意識を停止させる前に発信した緊急信号はキリシマのところまで届いたのだ。
正確には、キリシマが護衛として連れてきたアンドロイドたち。彼らは元はディスの基地から人間との対立を放棄して出奔した仲間たちだったらしい。
サイボーグの男はディスの銃撃により、ディスと同じように腕と足を損傷し動けない。その男をアンドロイドたちが取り押さえていた。
「アルヒェちゃんは……?」
アルヒェはベルの腕の中でぐったりと動かない。苦しそうな様子はないが、呼吸と脈拍が弱く感じてベルは恐ろしかった。
「多分だけど、能力の使い過ぎだね。サイボーグの動きを止めたのだろう? 無理な使い方をした反動かもしれない」
「アルヒェちゃんを……これからどうするんですか?」
「コネのある安全な病院に預けるよ。大丈夫、絶対この子を奪われるようなことはしないから」
ベルは疑いながらも、アルヒェの身体の事を考えて頷いた。
「よろしくお願いします」
カナルは、キリシマの護衛が捜索するとすぐに見つかった。アルヒェを守るために無理をしたディスと比べると、損傷は軽微だったが修理が必要なので割とすぐに意識を休止させられた。
これから自分はどうなってしまうのだろうとベルは不安に駆られたが、キリシマはベルをアルヒェと共に信頼できる病院へと連れて行った。
検査の結果アルヒェの身体には問題らしいので、ベルはアルヒェが目覚めるまで付き添うことになった。
キリシマが選んだ病院はほんの少数だが、看護型アンドロイドが医師の助手をしているのが珍しい。
「全ての人間がアンドロイドを排除しようとしているわけではないのだよ」
アンドロイドがいることに驚いたベルにキリシマはそう言って笑った。
「私はあの二人を直すために一度日本に帰る。代わりに私の知人のイーストマン博士が来るはずだから後は彼に任せてくれ」
キリシマは最後に言い残して病院を去る。その後ろ姿にベルは深々と頭を下げた。