脱出と逃走
ディス達が行動を起こしたのは三日後の事だった。アルヒェの熱が下がるまで待って、更に一日様子を見たのだ。
アルヒェ自身はディスと共に出て行くことには異存はないようで、逆に外に遊びに行けるとはしゃいでいてディスは頭の痛い思いをした。
キリシマにはすでにこっそり通信をして、キリシマ達が待つ座標は電子脳に叩き込んである。
彼女を連れていざ脱出、となった時に一つ問題が起きた。
アルヒェの世話をしていたベルに、見つかってしまったのだ。
「その子を連れてどこへ行くつもりですか?」
ディスはその瞬間この計画がとん挫しそうな気がした。まだ内部に警戒されていないからと警戒を怠ったせいでベルに見つかってしまったのだ。
これから厳しい仲間たちの目をかいくぐるか実力行使での脱走を図るというのに、非戦闘型の仲間に見つかってしまうだなんてこの先大丈夫かとディスは不安になった。
「さて、どう答えたら満足だろう」
「……外、ですね」
「だとしたらどうする? 俺を止めるか?」
「いいえ」
止めるつもりだろうと思っていたディスはベルの答えに意外の念を隠さなかった。
「その代わり私も連れて行ってください」
ついて行きたいと言ったディスは駄目だと首を振った。
「リスクが高すぎる。お前もアルヒェも見ながらでは何かあった時に対処が出来ん」
「足手まといにはなりません。何かあった時は私を見捨ててください」
「しかし……」
渋るディスはアルヒェにつないだ手を引っ張られて振り返る。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんも連れて行こうよ」
ディスはアルヒェの言葉に思い悩んだ。が、ふと気づいた。思い悩む余地があることは、今ディスはアルヒェに操られているというわけではない。
では何故自分はアルヒェの利益を優先して、ここから連れ出そうとしているのだろうか。
てっきり今まで彼はずっと自分がアルヒェの影響下にあるものだと思っていた。
そうでないとすれば、自分は何故――。
「お兄ちゃん?」
不思議そうな声にディスは思索から我に返る。
「アルヒェ、ここから出るのは危険なんだ。お前は俺が守るが、ベルは……」
「お姉ちゃんも一緒がいい」
「女の子の世話には女性型も連れて行った方がいいと思いますわ。戦闘型ではできないことを私が引き受けます。それでは駄目ですか」
アルヒェの懇願と、ベルの言葉にディスは渋々了承した。
そしてカナルと合流して、命を懸けた大脱走劇が始まった。
結果から言うと基地からの脱出にはあっさり成功した。カナルの他に協力者がいたのだ。
「ここはあたしが引き受けるから、さっさと行きな」
戦闘型女性アンドロイドのアン、彼女はキリシマの知人が製作したロボットだという。
「いつかここに来るだろう人間の指示を受けろってあたしは言われていてね、それがこの間来たキリシマ博士ってわけだ」
ディスたちを手助けする理由を簡単に述べて彼女は豪快に笑った。
「もしイーストマン博士に会うことがあったらあたしは任務を全うしたってつたえておくれよ」
そう言ってアンは仲間たちの足止めを買ってくれた。そのおかげで彼らは無事に基地から外に出ることに成功する。
これが最初の難関だったのだが、突破できたからと言って喜んでもいられない。
もしかしたら人間側に見つかってしまうかもしれないからだ。
「よし、行くぞ」
彼らが目指す地点まで、成人男性が歩いて半日ほどの道のりだ。アルヒェがいる分、もっと時間が掛かると思ってもいいだろう。
何事もなければいいと願いながら、ディスは歩き出した。これが自分の意志なのかアルヒェに操られているかなんて些細なことだ。
今は自分で決めたアルヒェを無事に連れて行く、という任務に集中しようとディスは思った。
アルヒェを歩かせるかどうか、基地を離れてしばらくしたとところでアンドロイドたちで話し合った。
「私が抱えて走ります」
早く到着することを最優先にベルは主張したが、戦闘型の二人は首を振った。
「非戦闘型のお前が走ると身体に負荷がかかりすぎる」
「抱えて歩くだけでも充分だろ。熱下がったばかりの女の子に歩かせるのは嫌だしな」
話し合った結果ベルがアルヒェを抱えて歩くこととなった。走っても戦闘型には問題がないが、非戦闘型は激しい駆動を前提に造られていないので熱が身体に籠るのだ。
戦闘型の二人が、交代でセンサーで周囲をサーチしながら進んでいく。ベルはアルヒェを抱きかかえながら慎重に歩みを進めた。
アルヒェの為にこまめに休憩を入れて、ちょうど目的地まで半分となった頃だった。センサーで辺りを探っていたカナルが声を低めて囁いた。
「何かがこちらに向かっているぞ」
即座に反応したのはディスだった。
「人間ではないのか?」
カナルは首を振る。
「有機体反応値が低いんだ。でも動物でもないぞ」
ディスは報告を聞いて自分の記憶から、該当するものを検索し始める。
該当する存在は知識としてのみ植えつけられているものだった。
「……となるとサイボーグか」
「前時代の遺物だけど、この場合有効じゃね?」
「ああ。アルヒェの確保の為に人間側が用意したんだろう」
サイボーグの脳は人間のままだ。アルヒェの能力も通じない。今ここで交戦するにはまずい相手だというのは間違いなかった。
「人数は?」
「五人から六人ってところだ。偵察部隊だといいんだがな」
「二手に分かれるか」
「そっちが妥当だな。こっちの存在もばれてるだろうし。俺が奴らを引きつけるからお前らはできるだけ遠くまで走れ」
ディスたちも武装をしているが、身軽さを優先して今回重火器などは持っていない。せいぜい高エネルギー剣や、高エネルギー砲といった装備しか持っていない。
二人で応戦するより一人一人が応戦した方が時間が稼げるだろうと二人は判断したのだ。
「よし、カナル。迎撃はお前に任せた。ベル、少し走るぞ」
ディスはカナルに後を任せて、ベルを促し走り出した。
ベルに負担を掛けぬよう、速さは出さないが木々の合間を縫ってどこを曲がるかの指示は素早く出す。
今は何より非戦闘型の彼女を連れたディスが近づいてくるだろう敵からできるだけ離れる必要があった。
森の中ではベルとアルヒェに隠れてもらう手もあるが、相手がセンサーの類を搭載したサイボーグなら不利である。
アルヒェを奪還されたらディス達は終わりだ。死角を減らすために森はいったん抜けなければならない。
しばらく疾走して森を抜ける。少し森から離れたところで速度を落とした。
「ベル、大丈夫か」
森の中を走って抜けるという、家政型には想定されていない駆動をしたのだ。身体にはダメージが蓄積しているはずだが、ベルは大丈夫だと頷いた。
「私はいいから、急ぎましょう」
走りはしないが、できるだけ足早に歩く。恐らく交戦しているだろうカナルが心配だったが、こういう時に友軍を残すために自らを犠牲にする事を戦闘型アンドロイドは平気で選べる。
最初は指揮官である人間を残すための、戦闘用の倫理規定だった。彼らにその絶対の倫理規定はないが、長年の訓練で身体で覚えたことだった。
カナルが壊れるにせよ、ギリギリで戦線離脱するにせよ彼が自らを犠牲にして友軍、つまりディスたちを残そうとした。その意志を無駄にはしないとディスは思った。
しばらく進んだ後、ディスは追手の有無をセンサーを起動して確かめた。猛スピードで近づいてくる有機物反応が一つある。人間にしては反応が低い数値。
ディスはとっさに叫んだ。
「ベル、伏せろ!」
ベルがアルヒェを抱きかかえたまま伏せ、その上にディスが覆いかぶさる。その上を高エネルギーの砲撃が一閃を描いて通り抜けた。
「ありゃ、避けられた」
男が、意外そうに呟くのが聞こえてディスは素早く起き上がった。
その男は口径の大きい高エネルギー砲を肩に担いだ、四十過ぎに見える外見をしている。だが、サイボーグも外装を弄ることで年齢や見た目を変える事は容易だ。外見年齢はあてにできない。
「意外と性能いいんだな。今のでぶっ壊れてくれれば面倒がなかったのに」
今の砲撃はアルヒェを殺すつもりだった。人間側はアルヒェの奪還ではなく抹殺でもしようとしているのか。
「あの子を殺すつもりか?」
「いんや? 奪い返すのに身体が無事じゃなくても研究サンプルになるからねぇ。手足の一つが取れても俺みたいにサイボーグにだってなれるさ。でも、至近距離だともうこれは使えないな」
サイボーグの男は肩に担いでいた高エネルギー砲を放棄する。その代わり取り出したのは小型の高エネルギー砲だ。先ほどの物と比べると威力は落ちるが急所を的確に打ち抜くことができるだろう。
「お前にアルヒェは渡さない!」
ディスも小型の高エネルギー砲を抜く。
彼らにとってアルヒェは、アンドロイドを無力化するためだけの便利な道具なのだ。
アンドロイドの一部が人間を殺したことで、彼らは簡単に全てのアンドロイドを廃棄しようとした。
アルヒェもアンドロイドが無力化されて、この対立が終わった後どうなるかわかったものではない。
ディスはこの男と刺し違えてでもアルヒェを奪われるのを阻止するつもりだった。