事態の進展
キリシマは長い道のりを歩いたことで息を切らしていた。昨夜世話になったアンドロイドたちの基地はもうはるか遠い背後だ。
キリシマを基地から帰すかどうか、揉めたようだったが無事に予定通り戻って来れたことに彼は安堵する。
「ふぅ……」
辿りついたのは簡易な柵で周りを囲ったテント群だ。そこにはキリシマの護衛を名目にここまでやってきたアンドロイドたちが身を潜めて彼の帰りを待っていた。
「おかえりなさい、キリシマ博士。どうでしたか? あちらの基地は」
聞いたアンドロイドは日差しでセンサーがおかしくなるのを防ぐために、サングラスのようなものをつけていた。
「まあまあかな。ほとんど稼働しているのは戦闘用か整備用の奴だな」
「そうですか。話し合いとやらは?」
「一応誘いは掛けてみたけれど、来るかどうかはわからないよ。こちらの受け入れも数人が限界だしね」
連絡手段に、こちらのテント群に置いてある通信機の特定周波数を教えておいた。心が決まるか何かあれば連絡が来るだろう。
肩をすくめてみせたキリシマに、相対するアンドロイドは小さく笑った。
「言わなかったんですか? 戦線離脱したアンドロイドを壊れる前に回収して日本に運んでいるって」
それは密航というより密輸である。専門家として特別便で各国を回っているキリシマならではの方法である。
ここにいる護衛のアンドロイドはほとんどディスたちの基地から離脱して行き倒れたところを、回収されて修理された者だ。
修理の際に外装と識別番号を日本の物に変えたので、日本製ということで各国の上層部から国内での活動を許可されている。
「君たちを運んだ時は、ここに来てた名目が日本製のアンドロイドの回収だったからね。おおっぴらに運べたけど今回はそうはいかない」
ちなみに、『流星群の日』には日本の外で活動する災害支援アンドロイドがいた。大地震、洪水、山火事などで派遣され騒動に巻き込まれた者も多い。
「人間の少女……アルヒェでしたっけ。彼女がいるからですね」
「そう。例えば戦闘型のアンドロイド単体なら、誰にも見つからずにここまで来るのは簡単だろうね。でも、人間の女の子を連れてじゃあ難しいのだよ。特に私たちの関与が見つかっちゃあね」
「……休眠モードになっている非戦闘型は?」
「基地が空っぽにさえなればいくらでも回収できるよ。日本製の子が残ってるかはわからないけれど」
この国の人間たちもそのつもりでいる。休眠中のアンドロイドは回収し、解体して再利用に回すか、記憶を初期化、新たな枷をはめて使うつもりだろう。
キリシマは記憶の初期化さえせずに、改修した行き倒れのアンドロイドを使っているが。
「……ところでアルヒェは誰を『兄』と認識してるんです?」
「ディス、という男性型アンドロイドだが、知っているかい」
問われたキリシマが答えを発すると、護衛のアンドロイドは難しい表情になって黙り込んだ。
「彼……ですか。未熟な子どもには毒になりそうな男ですよ。博士もご存知のように我々戦闘型は感情を表情に出すようには作られていません。俺の知る限り一度も普通に笑ったことがないような男です。せいぜい皮肉気に笑みを浮かべるくらいで。……泣かせることになりませんか?」
「あの子はとても懐いていたみたいだよ。それに彼も影響され始めている。そのうち感情を彼が持て余すことになるだろうがね」
キリシマは護衛のアンドロイドの肩を叩いてそう言った後、自分のテントへ向かった。
中にある通信機のスイッチをある周波数に合わせて起動させると、イーストマンへと繋がる。
「行ってきましたよ。イーストマン博士」
簡単にキリシマは報告する。
『……ご苦労。あと何日滞在するつもりだ?』
笑いを含んだ声が芝居がかった声で応答した。
「一週間ぐらいです。日本製と言えどもアンドロイドには抵抗があるのか、どちらかというと基地側に近いところで皆でキャンプです」
『まあ、妥当なところだな。だけど気をつけろ。そこの国の奴らは力ずくでアルヒェを取り戻すつもりでいるようだ』
イーストマンが語ったところによると、アルヒェを確保するためにサイボーグの投入を決めたのだという。
人間をベースに四肢や内臓などを機械と置き換えることで超人的な力を手に入れたサイボーグ。これは倫理的な問題からどの国でも法的に規制されているはずだった。
実際にアンドロイドの投入により、サイボーグの軍人は認められなくなった前時代の存在だが、政治の裏では非合法の汚い仕事を請け負い存続していたらしい。
それをアルヒェを守るだろうアンドロイドたちの掃討に使うつもりだろうとイーストマンは締めくくった。
『脳が人間の物ならアルヒェの能力の影響を受けないだろうからってさ。巻き込まれないように気をつけろよ』
「気をつけろって言ってもどうやってです?」
『ま、お前がアルヒェを『兄』ともども確保できたとき、だな。気を付けるとしたら』
サイボーグの投入がされた時に、ディスとアルヒェがここにいれば交戦するのはディスとキリシマが連れてきたアンドロイドたちだ。
サイボーグについてはキリシマたちの専門ではないうえに非合法な存在だ。どこまで強化されているかわかった物ではない。
この先波乱が待ち受けているような気がして、キリシマはイーストマンとの通信を終えた後ため息をついた。
一方、キリシマを帰した後の基地ではちょっとした問題が起きていた。
その原因はキリシマを帰したディスへの糾弾でもなく、キリシマが掛けた誘いでもなく、いずれ起きるだろうこの基地に対する掃討作戦でもなかった。
アルヒェが熱を出したのだ。
この基地には看護用アンドロイドはいても、医師はいない。病気に対する診断や治療は人間の医師が全ての決定権を持っていたからだ。当然、ここには薬もない。
家政型アンドロイドも多少の病気の対処は心得ているが、それは軽い風邪や怪我に対する対処だ。
「とりあえず、応急的に氷を入れた袋を布でくるんで脇の下に当ててます。でも熱の原因がわからないことには……食欲も落ちますし」
ベルが曇った表情でディスに報告した。
「……人間には医者が要る……か」
聞いたディスは考える。病人は安静にしていなくてはならないが、容体が変われば早急に医者に見せる必要がある。
以前のディスなら人間の事で判断が鈍るようなことはなかったのだが、アルヒェと出会ってから調子の狂うようなことばかりが起きていた。
アルヒェと、ここで暮らしていくにはアルヒェが人間であることが大きな枷になる。病気になった時に打つ手がないからだ。
人間同士で移るウィルスの問題は、アンドロイドたちが媒介者にならないので大丈夫だが、虫や動物が媒介するような病気が感染する恐れがあった。
「やはり俺たちだけではアルヒェが病気になった時に対処できないな」
ディスの言葉にベルは頷いた。それ以上は言わずにディスはベルの元を去り、カナルの元へ訪れた。
「『お姫さま』が病気で仕事が手につかないんだって?」
訪れたディスをカナルは揶揄する発言をしたが、お互いにこれは冗談だとわかっていた。
ディスやカナルの主な仕事は人間側の拠点を潰すことである。人間側に怪しい動きさえなければ彼らの仕事は実質存在しないのだ。
「仕事が手につかないというより、これからの事を考えるとキリシマという男の提案がな……」
「魅力的に思えてきたってわけか」
「アルヒェは我々と違い病気になる。我々の身体の異常は整備担当アンドロイドがいるから問題ないんだが……アルヒェにはいずれ医者が要るだろう」
心が決まったら連絡するようにとキリシマは言った。しかしディスは心が決まったわけではなく、どうするべきかを未だ決めかねている。
「キリシマが受け入れると言ったのは数人だ。俺とアルヒェだけで向かうのは少々不安だ。俺に何かが起きればアルヒェの身が危険にさらされる」
決断を渋るのはそれが一番の理由だった。
「まさかこの俺があの子を守るのに自分の身の心配をするとは、ずいぶん毒されているようだ」
カナルは真面目な顔でそんなことを言うディスに呆れて言う。
「お前さぁ、素直に俺に手伝ってくれって言えばいいじゃねぇか」
ディスはカナルの言葉に顔をしかめた。本当のところを言うとカナルを巻き込みたくはないのだ。
自分がアルヒェを守ろうとするのは、アルヒェに操られているからだとディスは思っている。対するカナルはアルヒェの影響も少ないはずだ。
ディスに付き合う必要もないと彼は思っていた。だから積極的に誘うつもりはなかったのだが、カナルに言われて降参の意を示した。
「わかった、俺の負けだ。カナル、アルヒェとここを逃亡するのを手伝ってくれ」
「ああ、いいぜ」
この基地を抜け出して人間のところへ行くには仲間たちから反対されるだろう。間違いなく彼らはディスたちを阻止する方向で動く。
アルヒェを人間側に渡せば確実に不利になるとキリシマによって知らされた以上、余計にアルヒェを手放したがらないだろう。
アルヒェがその気になれば反対を封じ込めることもできるだろうが、アルヒェに能力を使わせるのは木が進まなかった。
できれば自分たちの力で基地を抜け出す必要がある。
ディスとカナルはぼそぼそと基地を脱走する手段について話し合いを続けた。