アルヒェの能力
その日の夜の事だ。
ディスはこっそりキリシマにあてがわれた部屋を訪ねた。
さすがに手錠は外されたキリシマは、基地内にいるのはほとんどアンドロイドという状況で寝首をかかれると思ってないのだろうか。とても寛いだ様子でソファーに腰掛けていた。
「邪魔をするぞ」
簡単に一言断って、ディスはキリシマの向かいのソファーに座った。
「何か聞きたいことがあるのかな?」
悪戯っぽく笑う男は、ディスの用件にも気付いているだろうに。自分からは何も言おうとしない。
「お前の国ではアンドロイドはどんな仕事についているんだ?」
誘われた以上、これだけは聞いておいた方がいいだろうとディスは思い、キリシマに聞いた。自分のような戦闘型は出番がないはずだ。確か武器の所持については厳重な法律があったとディスは記憶していた。
「ほとんどが看護型か家政型だ。特殊なのでは職人と、災害支援かな」
「前者はわかるが後者はなんだ?」
「職人は文字通り職人だよ。伝統工芸や町工場の技術を継承して実践する仕事。この町工場の技術が我が国のアンドロイドの部品を支えてたりするから結構重要なのだよ」
普通そんな重要な仕事はアンドロイドや人の手ではなく、同一部品を製造する機械が担うものだと思っていたのだが、どうも違うらしい。
「機械では測れない微妙な誤差もなく完成させれるのは人の手だけだからね。だからってわけじゃあないけれど、指や手で僅かな誤差を検出できる高性能なセンサーを搭載してる」
どうも日本という国はディスの知っているアンドロイドの常識の枠をはみ出している気がしてならない。人間の手よりアンドロイドの手の方がまだ誤差も少ないのではないだろうか、とディスは思った。
「もう一つの災害支援だけどね、これは何か災害が起きた時に現地に救助や復興の支援に行くのが任務。普段は災害の対策にこまごまとしたことを訓練してる。これが戦闘型に一番近い仕事じゃないかな」
「救助?」
「そう、戦闘型は戦地で活動するために高性能なセンサーを搭載してるよね。それを生存者を探すのに使ったりする感じ。違うのは飛行ユニットを取り付けたり、完全防水や耐高熱装備があることかな」
アンドロイドの装備としては異様な物が並んでいる。飛行ユニットはディスの知る限り実用化されていないし、普通に雨に濡れたところでディスたちには影響はない。耐熱でいえば、爆弾を爆発させた後でも短時間だが彼らは活動することが出来るのだ。
「そんな装備がいるのか?」
「これだけ技術が発展しても自然災害は防げないからねぇ。山にもまだ人が住んでいるし、川の増水は予測できても避難を促すことしかできないし、土砂災害でも起きたら空を飛んだほうが早いんだよ」
飛んだ方が早いというのは理解できる。しかし飛行ユニットを実用段階にまでしてしまう技術力は恐ろしい。ディスの表情の変化を読んだのか、キリシマは苦笑した。
「まあ、飛行ユニットは操縦する側の姿勢制御が大事なんで、災害支援アンドロイド用にしか作ってないんだ」
「ふむ……」
「アルヒェと来る気になった?」
身を乗り出したキリシマにディスは首を振る。
「まだお前を信用したわけではない」
ディスが敢えて冷たく言った時、どこからか静寂を切り裂くように悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
その悲鳴にディスは反射的に腰を浮かせ、悲鳴の上がったところまで急行しようとしたが思いとどまる。キリシマを監視下に置いた方がよいとディスは思ったのだ。
「ついてきてくれ」
キリシマはいたって素直に言うことを聞いて、ディスと二人で悲鳴のした場所へ向かう。すると、そこにはベルがうずくまっており、周囲に戦闘型のアンドロイドが困ったように取り巻いていた。
「何があった?」
すると仲間の一人、アンが困ったようにディスに状況を説明した。
「ベルはご主人様を失った時の事を思い出しちまったのさ」
ベルは家政型のアンドロイドだった。金持ちの小さな『お嬢様』を所有者として登録してずっとお世話をしていた。『お嬢様』との仲は良好で歳の離れた姉妹のようだったのだという。
そんな二人を引き裂いたのが『流星群の日』だ。人間に不満を持つアンドロイドの暴動と、枷の外れたアンドロイドを人間が処分しようとした混乱の中でベルはその小さなご主人様を失った。
アンドロイドが『お嬢様』を殺したのではない。アンドロイドだからと処分しようと武器を向けた人間からベルをかばって『お嬢様』は死んだのだという。
恐らく似た年頃のアルヒェの世話をすることでその時の記憶が刺激されてしまったのだろう。忘却する人間と違い、アンドロイドは過去の出来事も意識すればはっきりと再生できる。
そのせいで今ベルはその記憶の再生に苦しんでいる。どうにかしてあげたいが、彼らにできるはないのだ。
手を差し伸べることはできず、かといって放っておくわけにもいかない。何人かは基地の外への監視という任務がある。見守る人数は減ったがその場を離れられない仲間もいた。
「どうしたの?」
その時背後から少女の声がした。この騒ぎで眠りから覚めてしまったのだろう。声はぼんやりしている。
「……アルヒェ……今は……」
振り返ると枕を抱えて眠たそうに眼をこすりながらも、ベルを見ているアルヒェの姿があった。部屋に戻るようにと言いたかったが、ディスは何かに押しとどめられるようにその一言が言えなかった。
「お姉ちゃん」
アルヒェがベルを呼び近づいていく。ディスはアルヒェを制止したかったが、不思議と身体は動かずただアルヒェの後ろ姿を見つめる。
ベルはうずくまり両手に顔を埋めたままだ。アルヒェの声にも応えない。
「お姉ちゃん、こっち向いて」
再び少女が呼ぶとベルはのろのろと頭を上げた。泣きそうなのに泣けない。ベルの表情はまさにそんな感じだった。アンドロイドには涙を流す機能はない。それが人間にとっては哀しみを発散する機能を果たしていたとしても、だ。
「泣かないで、お姉ちゃん」
泣くことは機能上できないが、アルヒェはベルにそう言った。
「泣いてないわ」
ベルは確かに泣いてはいない。涙を流す以上に、過去の記憶が彼女の感情を切り裂かんばかりに苛んでいるのは間違いないだろう。
「でもお姉ちゃんは泣いてるよ。だって声が聞こえたもん」
床に座った状態のベルはアルヒェに見下ろされる形だ。アルヒェはベルの肩に手を置いて視線を合わせたようだ。ディスのいるところからでは様子はよく見えない。
「お姉ちゃん、もう泣かなくていいんだよ」
アルヒェが細い腕でベルの頭を抱え込んだ。小さな少女が大きな女性を抱きしめる姿は何だが不思議な気分だった。どちらが年上なのか全くわからない。
恐らくアルヒェの能力が周りに影響しているのだろう。ディスは何だか不思議な気分だった。戦闘型としては感じたことのない感情。胸を締め付けるような何か。切なさや哀しみといった感情なのだろうか。
どれだけ少女がベルを抱きしめていたか、ディスたちはわからなかった。本当なら体内時計が正常に動くので、ディスたちがいつここに来てベルがいつアルヒェに抱きしめられたのかわかるはずなのに、意識をしても時間経過がわからない。
ふとアルヒェがベルから離れる。ようやくディス側から見えたベルの表情は驚くほどすっきりして見えた。
「もう、大丈夫だね」
アルヒェは安心したように言って、振り向きディスのところまで走ってきた。
「お兄ちゃん、抱っこして」
手を伸ばして求められたら、ディスには断ることも出来なかった。アルヒェのおねだりを聞くのも不思議と嫌な気分ではない。
アルヒェはディスの腕の中であくびをして、すぐに眠ってしまった。
「お見苦しい所をお見せしました」
ベルはスカートの裾を払い、立ち上がると周りのアンドロイドたちに謝罪する。先ほどとは違い、とても落ち着いた様子だ。
「何が起きたんだ?」
「さあ? アルヒェが何かをしたのは間違いないようだね」
ディスの疑問にキリシマも答えを持っておらず、二人はアルヒェを連れてその場を後にした。