アンドロイドの矛盾2
黒いアンドロイドは監視カメラの死角に一旦隠れた。
彼は監視カメラの位置も熟知している。
何故ならば、彼はこの基地にいたことがあるからだ。
どこが死角になるのか、手に取るようにわかる。
物陰で彼はアルヒェの様子を確認する。
壁にもたれさせ、呼吸音などをチェックした。
軽く当身をして、意識を奪った事を申し訳なく思いながらアルヒェの頬を撫でる。
彼の記憶では、アルヒェと共に過ごした中でこうして触れることは少なかった。
いつも触れようとするのはアルヒェの方で、彼はできるだけ触らないようにしていた。どんな時でも。
「おにい……ちゃん……?」
アルヒェは目を開けてぼんやり呟いた。
「あれ? ベルちゃんは?」
状況がわかってないのか、アルヒェはきょろきょろと周りを見渡す。
「ねえ、お兄ちゃん。ベルちゃんはどうしたの? 私と一緒にいたでしょ?」
少女と直接目を合わせることはないマスクの奥で、彼は視線を逸らした。
「ねえ、お兄ちゃん。答えてよ」
アルヒェは気づくだろうか?
この欺瞞溢れる身体に。
自分は紛れもなくアルヒェの兄だ。
しかし自分は今、何よりも遠い所にいる。
アルヒェの傍にいるというのに。
「彼女は後から来る」
黒いアンドロイドは嘘をつく。
ここを出たら二度とアルヒェが彼女と会えないことはよくわかっている。
アルヒェは彼女といたがるだろうし、彼女もアルヒェといたがるだろう。
「うそつき! お兄ちゃんは何で嘘をつくの?」
やはりどれだけ嘘で塗り固めても、アルヒェにはわかってしまった。
何故、と聞かれたらアルヒェの命を守る為だと言うしかない。
「……アルヒェを守るにはこうするしかないんだ」
言葉を尽くしてわかってもらおうとするが、アルヒェはそれを拒絶する。
「あの時、お兄ちゃん言ったじゃない。暗い中で待ってたら迎えが来るって。この先守ってもらえって。なのに何で……」
「俺は壊れるはずだったから、あいつに託したまでだ。俺が残った以上アルヒェは俺が守る」
彼はあの時壊れるはずだった。
それは間違いない。彼が持つ記憶にも記録されていることだ。
だが、不思議なことに彼の自我も記憶も健在だ。
身体はそっくり変わっている。
恐らくDISシリーズの最新型だろう。
旧型には劣らない性能。アルヒェは渡さない。
「さあ、アルヒェ。行こう。ここにいては危ない」
そのうちに『彼』が追いかけてやって来るだろう、とアルヒェの兄は言う。
アルヒェはその手を拒絶する。
「お兄ちゃん、私あの暗い所に戻るの嫌。迎えが来るってお兄ちゃんが言ったから待っていられたのに」
「大丈夫、俺がどこまでも一緒にいる」
人間が弄ったこの身体は、おそらく人間には逆らえない。
その枷がついているからこそ、アルヒェ奪還の任務に侵入者はつけたのだ。
枷さえあれば、アルヒェを連れて無事に戻れると人間たちは思っているのだろうか。
簡単に手放すとでも?
彼は内心、人類を嘲笑う。
アルヒェが離れたくないと望めば、二人を引き裂こうとする人類にアルヒェは弓引くだろう。
その時彼女の隣にいるのはこの自分なのである。
「アルヒェが望めば俺は何でも揃えてやるよ」
ただ一つ、叶えられない望みがあるとすれば、アルヒェがこの基地に留まる事だった。
ここに留まれば彼女はいずれ死ぬ。
そんな彼の想いをよそに、アルヒェは首を振る。
「アルヒェ……」
アンドロイドである彼はため息をつく機能はない。
しかし自分で流したはずの声はため息のようであった。
どうにかして、アルヒェを連れ出さないといけない。
先ほどのように意識を失っていれば別だが、こうしてアルヒェが起きている以上は無理矢理抱えて逃げることはできなかった。
彼が焦ったその時、こちらに走ってくる足音が聞こえた。
「もう、追いついたのか」
アルヒェを背に隠すように、彼は振り返る。
足音が近くに止まる。
手にした高エネルギー砲を構えたその相手は、彼が現時点で最も嫌い、憎んでもいるアンドロイド、ディスであった。
やっと侵入者に追いついた、とディスは手持ちの砲を構えた。
これは侵入者に対する威嚇だ。
実際に撃てばアルヒェも無事では済まない。
侵入者が本当にアルヒェの兄ならば、彼女を危険にさらすことはあるまい。
これは確実に侵入者を取り押さえ、背後関係の情報を手に入れるのに必要な事だった。
正直のところ、アンドロイド同士での尋問というのは、全く意味がない。
同型機さえいれば、相手を解体して記録を読み込む芸当も出来るのだから。
「動くな。お前もその子を犠牲にしたくはないだろう」
相対したそのアンドロイドの身体から発せられる識別信号は、確かにディスと同じDISシリーズだった。
しかし、ディスにインストールされている、『流星群の日』直前までの識別信号にはないパターンのアンドロイドだ。
それが意味するところは、彼が『流星群の日』以降に製造されたアンドロイドだという事だ。
アルヒェが『お兄ちゃん』と呼んだのに?
ディスが誤認されていることから、彼もまた誤認された――もしくは人間側がそれを期待して投入したアンドロイドだろうか。
「脅しても無駄だ。俺にはわかる。お前はアルヒェを撃てない」
冷たい声と共に、実弾入りの銃を向けられる。
「遊撃隊のお前のことだ。高エネルギー砲しか装備がないのに、俺にどうやって対抗する?」
相手の言う通りだった。
ディスは戦争屋で、人質奪還やこんな狭い所で人的被害・破壊なしで相手を制圧する手段なんて持ち合わせていない。
「ほら見ろ。お前は撃てない。侵入者を破壊するのに、何のためらいがいる?」
淡々と事実を告げる侵入者は、感情を音声に乗せていないのにこちらを嘲笑っているような気がした。
「……確かに俺は戦争屋だ。この基地の中には他のアンドロイドもいる。俺の役目は足止めのつもりだったんだが、そちらはそちらで動けないようだな。都合がいい」
いくつかの足音がディスの後ろから響いてくる。
この上もなく頼もしい友軍の到着だ。
「足止めご苦労さんっと、思ったけどただ単に相手動けないみたいだな」
呑気に高エネルギーナイフなど、接近戦に有利な得物を携えてカナルは言った。
「まあ、まずは拉致された子の奪還だねぇ。任せな。あたしはこういった場面でしか役に立たないんだからね」
元々護衛として機能していたアンが言う。
要人の護衛では暗殺や襲撃の可能性から、万が一拉致された時の奪還まで訓練を重ねている。
その目的は第一にその要人が無事であることである。
繊細な人質奪還が出来ない戦争屋とは全く畑が違う。
「……カナルにアン……か。人数の上では確かに不利だ。だが、俺は諦めるつもりなどない」
「ずいぶんと、こちらの事を調べているんだな」
戦闘型アンドロイドとして実戦配備されていたカナルの知識をインストールされているのはわかる。
まさか元護衛のアンのことまで知っていることは驚きだった。
「大人しく投降すりゃ、こっちも色々考えたんだけどな。まあ、その子がいる以上酷い事にはならんと思うが、諦めてくれ」
カナルは言うなり、一足飛びに侵入者の懐まで潜り込む。
「その銃じゃ接近戦では不利だな」
拳銃のような小さな銃だと、懐まで潜り込んでも対処できるかもしれない。
しかし侵入者の持つ銃は大きく、ナイフの間合いまで潜り込まれては撃って対応することは難しい。
後退するか、銃が壊れるのを承知で受けるかだ。
侵入者はカナルの振りかぶったナイフを後退することで避けた。
ただ、マスクのせいで間合いを見誤ったのか、マスクが代わりに切り裂かれる。
カランと床に割れたマスクが落ちる。
隠されていた素顔はディスと同じ顔だった。
「D1……?」
同じシリーズ内でも顔にはバリエーションがある。
全く同じ顔というのはめったに存在しないはずだった。
と、いうのも同シリーズが同じ軍に配属された時に、管理する人間が混乱するからだ。
例外的にディスには全く同一の顔をした兄弟機がいた。
DISシリーズ001号。
研究用に退役したと聞かされていた、同仕様のいわば『兄』。
だが、相手から発せられる識別信号は紛れもなく最新型だ。
D1のものではない。
ディスが混乱していると、ディスと同じ顔のアンドロイドは口元に皮肉気な笑みを浮かべた。
「違う。D1ではない。俺はD2だ」
DISシリーズ002号であるディスに対して侵入者はそう告げた。




