【外伝】アンドロイドの家族3
大陸の誰にもにとって悪夢の始まりとなった『流星群』は、極東の島国から始まった。
ただの流星群であれば、だいたい予測することができるが、この『流星群』は違う。日本の天文台は突然現れたこの流星群に驚いて大変な騒ぎになった。
アルヒェとD1のいる国では、扱いは小さいながらも昼間の間に報道された。
「私も見たかったな」
アルヒェがそんな感想を持った。ただそれだけの小さなニュース。
だが、その『流星群』は地球上のありとあらゆるところで観測された。
前代未聞の出来事に、学者は大騒ぎになったがそれ以外のところで、別の事件が進行していた。
だが、あまりにも機械に、アンドロイドに、頼りすぎていた人間たちがそれを知った時には全てが遅かった。
「ねえ、お兄ちゃん。買い物に行こうよ」
無言のエーファから食料の残りを聞いたのだろう。夕方ごろアルヒェは外出をせがんだ。
D1が来るまでは、アルヒェはあまり敷地の外に出ることはなかったらしい。
両親の出張が多いということもあったが、一緒に暮らしていたエーファが充電しながらでないと稼働できないのが一番大きな理由だった。
そのせいか、以前は配達を頼んでいた買い物も、D1と一緒に行きたがる。
ただ、初対面の時に『触ったりしない』と言った言葉通りに、アルヒェはD1には触れなかった。
「早く帰らないと、ご飯が冷めちゃうね」
買いこんだ食料は全てD1が持ち、アルヒェはだんだん暮れゆく空を見上げながら歩いている。
「ちゃんと前を見ないと危ないぞ」
「うん……」
生返事を返しながら、アルヒェは突然立ち止まった。
「どうした?」
「お兄ちゃん、音が聞こえるよ」
「音?」
D1は己のセンサーをフル活用して辺りを探査したが、特に気になる音は聞こえない。
と、思った時。ノイズが走った。
遠くから歪んで伝わる信号。
自分では理解できない何かの信号が全身を駆け抜けて、消える。
「何……だ……?」
もうノイズは感じない。今の信号がアルヒェの聞いた音なのだろうか。
「アルヒェ、音はまだ聞こえるか?」
「うん……聞こえるよ」
アルヒェは空を見上げたまま呟いた。
いつの間にか薄暗くなった空に、無数の『流星』が散っていた。
「あそこから、聞こえるの」
流れる星を指してぼんやりと呟くアルヒェを見て、D1は胸が騒いだ。
よくはわからないが、ここに居てはいけないと思いアルヒェに強く呼びかけた。
「アルヒェ……!」
アルヒェが応じて振り返る。びっくりしたような顔をしていた。
「帰ろう」
「……うん」
できるだけ急いで戻ると、エーファは既に料理を並べていた。
「ただいま、エーファ。いい匂い」
アルヒェは時折頭上を気にしながら言う。
対するエーファは無言。
発声機関に不具合が発生して長いエーファは、声で人間とやり取りすることはできないがアルヒェと意志を疎通することはできる。
何かをエーファが伝えて、アルヒェは頷いた。
「遅くなってごめんね」
そして手を洗ったアルヒェがキッチンへと駆けていく。
後ろ姿を見送った時、また全身にノイズが走った。
「痛い……! 痛い!」
悲鳴が上がった。すぐそばで。
「アルヒェ!」
耳を押さえてアルヒェが倒れそうになっていた。
一体何が起きているのか。
ぐらっとアルヒェの重心が後ろへ傾くのが見えた時に、D1は行動を阻害するノイズを振り払い、買い物の荷物を全て放り出して、アルヒェを抱きとめていた。
顔を覗き込むと、目をつぶって苦しそうな表情だ。
よくはわからないが、アルヒェに聞こえる『音』が原因ならば、他の音で紛らわせてあげなければならない。
迷った挙句、D1はアルヒェを抱え込むことにした。
自らの胸に片方の耳を押し付けて、もう片方の耳は腕で覆う。
「お兄ちゃん……!?」
注意深く、今までお互いに触れないようにしていたが苦しんでるアルヒェを放っておけなかった。
「じっとして。俺の『音』に集中するんだ」
それで解決するかはわからないが、D1はただアルヒェを抱きしめて動かない。
どれだけ時間が経っただろうか。
「お兄ちゃん……苦しいよ……」
弱々しい声でアルヒェが言うものだから、D1は恐る恐る腕を緩める。
「大丈夫か? 『音』は?」
「うん……へいき……」
平気だとアルヒェは言うが、元気な時とは打って変わってぐったりとしている。
「エーファ、アルヒェのベッドのシーツは換えてあるか?」
エーファの頷きに、D1はアルヒェを抱えたまま立ち上がった。
「少し熱があるみたいだ。氷と水の用意をしてくれ」
エーファに指示を出して、D1はアルヒェの寝室へと向かう。
「お兄ちゃん……ごめんね。触らないって言ったのに……」
「俺から触ったんだ。アルヒェが気にする事じゃない」
アルヒェをベッドに寝かせると、アルヒェが申し訳なさそうに告げる。
D1は少女を安心させようと、今度も自ら手を伸ばしてアルヒェの頭を撫でた。
「俺は少し、外の様子を見てくる。エーファが後は見ていてくれるだろう」
外の様子がD1には気にかかった。人に聞こえる範囲では静かなのだが、軍用として調整されたD1のセンサーは住宅街なのに騒がしいと感じていた。
窓から器用に家の屋根まで上がる。
そこから見えたのは遠くの空に浮かぶ緋色だ。どこかで火災が起きている。
方角からすると工場が立ち並ぶ区域だ。
どこからか、人間の悲鳴のような声も聞こえる。治安のいい、場所なのに。
何が起きたのかはわからないが、アルヒェをこの異変から守らないといけない。
もう変なノイズが全身に走ることはなかったが、何か違和感があったのは確かだ。
アルヒェの部屋に戻ると、D1は夜が明けるまでアルヒェのそばに付き添った。
異変は『流星群』そのものだけではなかった。
夜が明けると、『流星』が空に散った時に様々な事件が起きたことを知った。
住宅街からずっと離れたところにある工場では、働いていたアンドロイドが工場の機械を叩き壊した。
そして閑静だった住宅街では、アンドロイドが人を殺すという禁忌を犯したという。
D1はそれを知った時に、初めて所有者登録と倫理規定がきれいさっぱり消えていることに気付いた。
「……どうなってるんだ?」
それよりも、問題は時間が経つにつれて騒ぎが大きくなっている外だ。
アルヒェの熱がは下がったが、食欲もないようでぐったりとしている。
警戒を続けているが、センサーを研ぎ澄ませる限り暴動が起きているようだった。
こういう時はここでじっとしているか、いっそアルヒェを連れて逃げてしまうかだが、弱ったアルヒェを連れて動き回ることは無理だ。
騒ぎがこの屋敷まで及んだら、全てを置いてアルヒェだけ抱えて逃げなければならないが。
有線でしか動けないエーファ、壊れかけた洗濯機械ルード、アルヒェの『お友達』をどうするべきかD1には決断できない。
時折、偵察代わりに屋根の上に上る。
そうすると、騒ぎはアンドロイドが犯した殺人などの事件により人間が、アンドロイドへの不信を抱いて武器を持ち出すところまで発展していた。
どんどんこの騒ぎが拡大して、ここは大変なことになる。
急いでアルヒェのそばへ戻ると、アルヒェが起きているか確認する。
「おにいちゃん……?」
「ここは、もうすぐ危なくなるかもしれない。……皆を置いてお前だけ俺と一緒に逃げよう」
この家では囲まれてしまえばもう逃げ場はない。
D1は戦闘型だが、アルヒェの護衛になる際にほとんどの武装が無力化されている。
相手がアンドロイドでも、人間でも守れるのはたった一人だ。
所有者登録があってもなくても、アルヒェをただ守ろうと彼は思った。
「……うん」
じっとD1を見ていたアルヒェはコクリと頷いて、起き上がった。
「無理に動くな」
「だって、みんなとお別れ……」
「ゆっくり、動こう」
「うん」
アルヒェはゆっくりと立ち上がる。
D1が手を貸そうとしたが、アルヒェはそれを嫌がった。
触ってはいけないのだと、まだ彼女は思っているのだ。
「エーファ、バイバイ」
家の機能を担っていた自動機械に、家事をずっとしてくれていたエーファに別れを告げてアルヒェはD1と家をこっそり抜け出す。
どこか遠くから軍用の通信が聞こえる。
どうやらこの暴動に軍が鎮圧の為に投入されるようだった。
******
流れる記憶に、ディス自身も当時の事を思い出していた。
確かあの時、ディスは工場へ暴徒鎮圧に派遣された。
その時はまだ、アンドロイドに何が起きたか誰も知らなかったのに。
アンドロイドの所有者登録、倫理規定が消えたところで、元々軍用としてみっちり『訓練』された彼ら戦闘型アンドロイド達が人間に対してどうこうするつもりなどなかった。
それなのに、人間たちは工場へ突入した軍用アンドロイドたちを暴徒と化した他のアンドロイドたちとまとめて攻撃。
アンドロイドへの不信から起きたことだが、それがきっかけで全軍用アンドロイドが人間から離反することになった。
特殊な通信網で、軍用のアンドロイドは遠隔地でもそれぞれ離れていても連絡を取ることができる。
そのために、本来なら散発的な暴動の鎮圧だけで終わっただろう騒動は人間とアンドロイドとの全面的な対立となってしまった。
軍用アンドロイドは人間からエネルギー生産工場、一部の発電所を奪取。
さらに、基地を乗っ取り騒動の中で壊されそうだったアンドロイドたちを回収、保護をした。
その時点で人間に心から憎しみを抱いてるアンドロイドはもう存在しなかった。
残ったのは、『人間の方に裏切られた』アンドロイドたちのみ。
恐らく、今もディスのかつての仲間は立てこもり、自分たちを破壊しようとしている人間たちと敵対しているだろう。
D1は軍用通信を傍受できた。アルヒェの両親に売られる前、その機能は使えなくされたはずなのだが。
かつての仲間に合流しようとしたD1はアルヒェを抱えたまま、ずいぶん逃げ回ったらしい。
記憶の映像としては、追い詰められた時に空へと飛んだ場面で終わっている。
日本の災害支援型アンドロイドと違って飛行ユニットもないのに、である。
「一体どうなってたんだ?」
アルヒェは覚えてるのだろうか。D1と共に空を飛んだ最後の時の事を。
彼女にとっては喪失の辛い記憶だ。聞いたところで、どうしてD1が空を飛べたのか答えが得れるわけでもなし。
これでD1の記憶も終わりか、とディスが視覚の遮断をやめるた時。『声』が聞こえた。
D1が残した最後のメッセージ。
『聞こえてるか? このメッセージが届いた時、俺はもう壊れていてアルヒェの傍にはお前がいるのだろう、D2』
何故、よりによってディス宛に伝言を残してるのか、わけがわからない。
伝言を聞いてみると、もう機体の制御が出来なくなった時に、軍用の通信を傍受したのだという。
ついでに、兄弟機ともいえるディスの識別信号もだ。
D1はもう壊れてしまうから、と賭けでD2を頼れと丁寧にD2の外装をイメージでアルヒェに伝えたのだという。
「おいおい……俺たちアンドロイドが賭けなんてするもんじゃないぞ」
ディスと、D1の記憶回路とアルヒェが揃わないとこの伝言は聞けないはずだった。
D1が想定していたのは、壊れたD1の信号を捉えたディスが駆けつける事だったはずだ。
実際はすれ違い、あの場でアルヒェと出会うことはなかった。
それが何の因果か、ディスはアルヒェと出会い、今もこうしてアルヒェと共にいる。
「はぁ……アルヒェが起きたら話してやることが増えたな」
兄弟機からのメッセージの再生が終わると、ディスはため息をつきつつ、腕の中のアルヒェを優しく撫でてやった。
『最後に、聞いてほしい。俺には心残りがある。あの子と最後まで手を繋げなかった。どうかD2、俺の代わりと言ってはなんだが、アルヒェと手を繋いでやってほしい。そして、いつか伝えてほしい。お前と過ごせた日々に満足していると』
「俺の片腕はお前の物だぞ、D1。いくらでもお前の手で手を繋いでやる」