2日目-2
僕らがその事件のことを知ったのは『彼女』、瑠璃を部屋から連れ出し、散歩でもしようかと語りかけたときだった。
ただ部屋にいるだけでは気もふさぐ。まだ昨晩の雨の跡がのこっていて彼女の着物もぬれるかもしれないけれど、散歩するにはちょうどいい気温でもあった。
一応外に出ることだし、紅い下駄を探し当てて履かせる。足袋に包まれた足は、やっぱり堅かった。
考えてみれば、この状況。彼女は動かないし喋らないし僕は一人で喋っているだけだから妖しさ満点だ。はたから見ると人形に一人喋りかけている青年という構図。
まずい。ただでさえ先生と危ないネタを繰り広げているというのに、彼女が加わるとさらに拍車がかかる。 しかも少なくとも瑠璃ちゃんの見た目はどう見繕っても小学校高学年……これ、完全にアウトじゃ……
そんな内心を口にすることもできず、僕はかいがいしく彼女の世話を焼くことにしたのだけれど。
彼女の車椅子を押しながら、さあ庭に出ようとしたのだけど。
玄関をくぐったところで、ミツイさんとでくわした。
なにやらものすごく焦っている顔だ。
「なななんだ、君は。いい年して人形遊びなんてしていないでどきなさい」
何かいっていることがおかしい。
車椅子一つあるせいで退くにどけなかったために、ミツイさんは僕らの脇を抜けて館内を駆けて、自分の部屋にはしっていく。
「なにがあったんだろうね?」
そのまま外に出たら、西館のほうからオオザトさんがやってきた。
「おや、天野様。お嬢様と散歩ですか」
なんとか平静を装うとしながらそういう顔は、少し青ざめている。
「ええ……なにかあったのですか?」
「いえ、それが、その……」
要領をえない。
いちど、瑠璃ちゃんをオオザトさんにまかせて僕一人で西館へと向かってみる。
玄関が、少しだけ開いていた。
そっと中を覗くと、わずかに薄暗い。とくに異常はなさそうではあるのだけど……
そのまま体をすべりこませ、中を見渡した。少し埃っぽい。
床一面に人形が広がっていた。
それこそ、ここでいやというほど見た球体関節人形からカラクリ人形。マネキン、雛人形、指人形、こけし、マトリョシカ、アンティーク人形、わら人形、泥人形、操り人形。地蔵、パペット、多種多様なぬいぐるみたち。……いやちょっとまて地蔵ってなんだ!?
床だけでなく、窓の桟にも階段の脇にもこれでもかという数の人形であふれている。人形であふれすぎていて足の踏み場もないぐらいだ。
彼女達とは別の意味でぞくりとした。
なんといえばいいんだこの感覚は。
みられている
のろわれている。
なにに?
そっと階段に沿わせていた視線が、巨大な操り人形を目に留めた。
それは、ほかの操り人形たちに混じって、天井からつるされる形でぶら下がっている。
あんな位置からつるすだなんて大変だっただろうに……
普通ならそんな感想が浮かぶところなのだろうけれど、状況がそれを許してくれなかった。
ああ……
「タカラベさん……」
今朝、ダイニングで見かけなかったタカラベさんが、首をつり、四肢にひもを絡める形でそこにぶら下がっていたのだった。
「坊主と三井のおっさん。あと大里さん以外は現場をみてない、でいいんだな?」
ミツイさんの騒ぎを聞きつけ、キタガワさんやカンダさんたちもやってきた。そのまま何人かが西館に向かおうとしたところをキタガワさんが押し止め、全員をいちどダイニングに集めたところだ。
瑠璃ちゃんもなし崩し的にここに来ている。前みたいにぴたりと動いていない。
ミツイさんは一人、あわてて車に乗って敷地外へと飛び出していった。仕方がないといえば仕方がないとおもえるけれど。
なにがあったかはオオザトさんの口から説明された。
いわく
オオザトさんが朝食のあと一通り館内を見て回ったけれど、見つからなかったから西館をみせてくれといいにきたと。
なぜなら、昨日の探索の時点で一度ミツイさんとタカラベさんが西館を見に行っており、ひょっとしたらどこかから入り込んでいるかもしれないからと。
そういわれてはオオザトさんも西館に行かざるをえない。
鍵をもって立ち入ってみたら、タカラベさんが首をつっていた。
というわけだ。
「な、何をのんきにしてるんです。早く警察を呼ばないと……」
モギさんがあわてていう。
それに対するキタガワさんは
「ああ、心配しなくていいぜ。警察ならここにいる」
そういってポケットからナニカ手帳のようなものを出した。
え?
「俺が警察だ」
いやまってくださいどこかの町長みたいないい方しなくても。
そう突っ込みたいところだったのだけれど、一応見る限りでは本物の警察手帳……だとはおもった。
だって本物だなんてそうめったに見れないでしょう? ちらっとなら見たことあるけど。
「それと、警察はいま神田が呼んでいる。というかこいつも警官だ」
そういいながらカンダさんを指差す。そのカンダさんは携帯を耳に当てたまま会釈していた。
二度びっくりだった。
あれ? ということは
「えっと、なんでここに?」
しかも収集家と偽ってきているんだ。なんか気になることがあるんだけど。
「とある事件を追っていてな。それでここにきたんだ。あとは守秘義務がある」
あ、ずるい。先生の知り合いの警官ならもっとべらべらと喋ってくれるのにこのヒトはそうじゃないのか。そうか。
そこまで話したところで、カンダさんがこっちに向き直って口を開いた。
「だめね。電波が弱くてつながらない」
いわれて僕や、他の人達も携帯を開いてみるが、誰もが通じないようだった。
「なあ、オオザトさん。電話はあるか?」
「あるのですが……」
昨日の雷雨で電話線が切れたのか、通じないらしい。
「とりあえず、一度現場の写真をとって、遺体を降ろそう。さすがにあのままでは忍びない」
「おおおお下ろすって、さわるんですか? 死体に!?」
モギさんがありえないという感じで震えている。
「まあ、無理にとはいわねーよ。手伝えそうなのは……」
僕とクマガワさん。
カンダさんは念のためにここに残るという。
女性にあたる先生とアキヅキさんはオオザトさんと残ってもらうということになった。
「これは……」
遺体を見上げて、クマガワさんが一瞬口を押さえる。
「無理してやんなくていいぞ」
そういいながら、カワキタさんは持ってきた携帯で写真を撮ってる。
「カワキタさんって、演技してたんですね」
「ああ?」
写真を撮り終わるまで暇だったので、なんとなく話題を振ってみた。人形に囲まれて無言でいるだなんて、それこそ人形になってしまいそうで。
「昨日とはだいぶ口調が違うので、そう思ったんですけど。ちがいますか?」
「ちがわねえな」
ばれていたかと、苦笑しながらカワキタさんは答える。きっと潜入捜査官とかそんなことをしてみたかったのだろう。
「にしてもだ、坊主もかわってるな」
「なにがですか?」
「生の死体をみてふつーそこまで平気でいられねえぞ」
「生の死体って……」
なんだろう?
加工された死体だとか作り物の死体だとかあるんだろうか。
動物の死体なら先生のせいで何度か見たことがあるから、それで慣れているだけだったりもするんだけど。
「これでも十分驚いてますよ? びっくりです。ほっぺたが落ちるかと思ったぐらいに」
「そこは目玉だろ。なんだほっぺたって」
あれ、『生』といわれたから『食べ物』で返してみたんだけどはずしたのか?
「ごめんなさい。ボクは外に出てます」
やはり耐え切れなかったようでクマガワさんが出ていった。
うん、僕ってギャグのセンスあるな。
「おい、お前って……」
「はい?」
「……いやいい。よし、下ろすぞ……といいたいところなんだが」
「下ろすに下ろせないですよねぇ。コレ」
だから僕も、最初に見たとき駆け寄ることすらできず、見ているしかできなかったのだけど。
ここで改めてタカラベさんの死体をみてみよう。
天井の高さは五メートルほど。結構高い。
そこの中央、天井の装飾として着いているいくつかの出っ張りに、これまたいくつかのロープや紐が掛けられている。
タカラベさん自身はその中の一本で首をつり、両手足が絡まる形で操り人形然としているのだけれど……
地上にいる僕らの頭から、タカラベさんのつま先があるところまでおよそ一メートル。
普通の首吊り死体のように、まっすぐにぶら下がっていればよかったのだけど、手足がつるされて格好が少しおかしかった。
脚立を借りてきてはいるのだけど、手足にからまった紐やロープをはずすと、丸ごと押しつぶされそうだった。
さすがに死体に押し倒されるような趣味はない。
ちなみに死体の真下は水溜り。昨日雨だったからなぁ。
というよりも
「これ、いちいちはずすにしてもかなり手間かかりません?」
「だよなぁ。見事に絡まってて……」
そういいながらも、二人でなんとか少しずつロープをはずしていく。
この場合最後にはずすのはどこがいいのだろうか。やっぱり首か?
「坊主、お前はこれどうみる?」
「どうって?」
「死んだ原因だよ」
「あー……」
右足に続いて右手の紐をはずしていく。下から見ると絡まっているようだったけど、どちらかというと無造作に張っている糸に投げ入れた感じなんだな。蜘蛛の巣にダイブしたような。
「首吊り、ですよねぇ、どう見ても。自殺にしてはちょっと面白い死に方ですけど、他殺にしてもちょっと無茶があるような」
「ほう、よく見てるな」
カワキタさんが左手の紐をはずし終えて、残るは首だけとなった。
「いやだって、周りには踏み台になるようなもの無かったですし。二階に上がる階段から自分の首を引っ掛けてターザンしたとしても、この紐の絡まり方がおかしいですからね」
それに、いまのロープの長さだと目いっぱい体を階段に近づけても届かないような気がした。
カワキタさんに、タカラベさんを正面から抱きかかえてもらい、僕は後ろから首のロープをなんとかはずそうとする。
「……これ、切ったほうがはやくないですか?」
「……だよなぁ。とどかねえし」
「あ、はずれた」
「おい」
そのまま、二人でそうっと死体を下ろして横たえた。
両手を合わせて、改めて冥福を祈る。なんまんだぶなんまんだぶ……仏教徒じゃないけど。
「うわ、見事にべとべとじゃねえか……」
カワキタさんが服についた水を払っている。あのスーツクリーニング行きだ。
「ついでにだ、坊主。おまえ昨晩はどうしていた?」
「アリバイってヤツですか?」
「一応だよ一応」
「先生と二人部屋にいましたね。あ、人形も入れれば三人ですか」
「……いれなくていいんだよおい」
あきれた顔をされた。少しでも証人は多いほうがいいと思ったのだけど。
「いいですか? 人形というのは古来よりヒトガタと呼ばれて……」
「そういったウンチクは別にいらねー。捜査の何にも役立たないじゃねえか」
そういいながら、タカラベさんの遺体を調べていく。
「他に外傷はなし。ぬれてるし、昨日の夜みんなが寝てからここに来て釣ったか釣られたかなんだろうなぁ」
「カワキタさんの意見はどうなんですか?」
「うん?」
「犯人像だとか」
「捜査のことをばらすと思うか……いやまあ、今の状態だと自殺とも他殺とも断定できないとしかいえないんだけどな」
仮に他殺だとしたら、ここかどこかでタカラベさんの首を絞めるなりロープを引っ掛けるなりして殺した後、頑張って吊り上げて操り人形に仕立て上げる必要がある。
もし自殺だとしたら、足場がない。そこらじゅうにぶら下がってる紐をたどっていけば中央までいけなくはないだろうけど……少なくとも僕にはできそうにない。
「そういえば、タカラベさんはどこから入ったんでしょう?」
「うん? ああ、この奥だろう。窓が一枚割れている」
いわれてみてみれば、確かに窓が割れている。
なるほどねぇ。
カワキタさんが遺体に上着をかぶせて、ひとまずということになった。この後、遺体を安置できる場所をオオザトさんに確認してそこに運ぶ手立てになっている。
とりあえず、ということで一度西館からでると、ちょうどミツイさんが走って本館に戻っていくところだった。
うん?
「おいおい、おっさんどうしたんだよ?」
二人で顔を見合わせて追いかける。たしか車で飛び出していったはずだったのだけど。
「い、いや、みち、ちが……」
イイヤミチチガ……いい闇乳が?
あわててるばかりで何をいっているのかわけが分からない。
「オイ坊主、お前変なこと考えてないか?」
「いえ全然まったくこれっぽっちも」
何を言い出すのだろうこの人は。
そんな寸劇を繰り広げている間に、ゼエゼエと息をしていたミツイさんが一度口をつぐんで、大きく吐き出した。
「道がっ! 木がっ! 倒れていて通れないんだ!」
おやおや。そうとなるとこの屋敷一帯は巨大な密室ってことになりませんかね?