2日目-1
二日目
そして翌日。昨晩の雷雨は嘘だったかのように晴れ渡っていた。
そんな朝食の場。
ダイニングにばらばらと人が集まり始めている時間帯で、僕と先生がダイニングについたときにはすでにモギさんとタテイシさんの美術館ペアと、クマガワさん、アキヅキさんの弟子ペアがそろっていた。
「おはようございます」
「おはよう。ああ、あなたね。どうだった? 人形とすごした夜は」
「すばらしいものでしたよ。ってなに言わせてるんですか!」
突然アキヅキサンが出会いがしらに鋭いジャブを繰り出してきた。あまりにも自然すぎてついノリ突込みを返してしまったではないか。恐ろしい人だ。
別にナニかあったわけでもない。相手は無機物だし、先生が隣にいるんだ。そもそも汚すつもりなんてない。だからリップサービスだったりもするんだけど。
「とかいいながら想像ではしっかり汚すんだよな。君は」
「……先生、その部分だけ聞かれたら凄く勘違いと誤解と警察の厄介になりそうな台詞をさらっと言わないでください。ついでに人の心読まないでください」
先生が台無しにする。このやり取りはもう何度目なんだろう。
アキヅキさんも分かってていってるようで、悪戯な笑みを浮かべているし。
「で、だれが警察の厄介になるって?」
「このぼーやでしょ?」
「!?」
あきらめの境地にたって肩を落としていたら、いきなり後ろから声がかかった。
カワキタさんとカンダさんだ。二人そろってニヤニヤと笑っている。
「別に僕と先生のいつものやり取りですよ」
「それでけーさつの厄介になるんだったらたいしたものね」
「なりませんてば」
なんだろう、昨日僕が知らないところでみんなして僕をいじることでも決めていたんだろうか。
うらみをこめてカワキタさんをにらみつけてやるけど、ヘラヘラとわらって見事にスルーされた。
昨日と同じように席に座り、残りのタカラベさんミツイさんペアがやってくるのを待つ。
「みなさま、おはようございます」
部屋のおくから、オオザトさんがカートに朝食を載せてやってきた。パンにオムレツ、サラダ、ウィンナー。結構ボリュームがある。
配膳を始めたところで、ミツイさんがやってきた。あれ?
「みなさん、おはようございます」
そういいながら部屋を見渡すミツイさん。
「タカラベはまだきていないようですね?」
まるでいないことを前提としたような言い方に、他のみんなも首をかしげた。
「きてないですね。一緒の部屋だったのでは?」
クマガワさんが代表してきくのだけど、ミツイさんはどうにも落ち着きが無かった。
「昨晩はちゃんと部屋に帰ってきたんですけどね。朝起きたらいなくなっていたのですよ」
それはまた、突然なことで。
「たとえばトイレにいってるとかじゃねーの?」
「トイレも確認しましたがおりませんでした」
「一人こっそり外へぬけ出したとかー」
「荷物も車の鍵も置いてですか?」
ふむ。確かに荷物からなにから全部置いていきなりここを出て行くとは考えにくい。
なんせ、ここは首都から外れているところで、とてつもなく悪路が続いて、近場の公道から私道に入って一時間は車に揺さぶられてこないとこれないようなところなのだから。歩いて帰るにしたらかなり時間がかかるだろう。
まったくもって何でこんなところに館をたてたのだろう。いや、もうすでに故人となってる人に文句をいっても仕方のないところではあるけど、もう少し利便性というものを考えなかったんだろうか。
「ひょっとしたら、すでにほかの人形の見定めをしているかもしれませんよ?」
モギさんがパンに手を伸ばしながらもっともらしい意見を言った。それならそれでもいいのだけど。
「とりあえず、朝食を食べちゃいましょう。食べている間に来るかもしれませんし。隠れているにしたってこの敷地のどこかなんです。すぐに見つかりますよ」
クマガワさんがそうみんなを促して、ひとまず朝食を食べることになったのだけど。
朝食が終わっても、タカラベさんはダイニングに来なかった。
「そういや、アンタは昨日はなにをしていたんだ?」
朝食も終わり、二日目の探索にみんながダイニングを出て行くころ。唐突にキタガワさんが先生に質問を投げかけた。
確かに僕自身先生の姿は冬の部屋に行くまでは全然見ていなかったのだけど、それをいうならタカラベさんとミツイさんのペアも見かけていない。どこにいっていたんだろうか。
「なに、オオザトと世間話をしていたよ。その後はヨシカズと一緒に部屋を廻ってそのまま夕飯だな」
「ふーん。そうか」
納得したのかしていないのか。よくわからない顔をしてキタガワさんはカンダさんと部屋を出て行く。
「なんなんでしょうね?」
「さあな」
僕は先生と二人でダイニングに残り、彼らを見送った。
残っているのはオオザトさんと僕らの三人である。
「どうした? ヨシカズ。今日の探索はいいのか?」
しばらく無言でいたら、先生がそんなことをいきなり聞いてくる。
この人は昨日自分で言ったことを忘れているのか。
「今日から別のことさせるみたいなこといったのは先生じゃないですか。忘れたんですか?」
「おや、そんなことをいったかな?」
「いったじゃないですか。『今日ぐらいはゆっくり夢の世界を楽しみたまえ』って」
クスリとわらう先生に、ため息混じりに僕は答えて暗鬱な気分になった。厄介ごとのにおいがひしひしとするよ。
「そうだったな。オオザト、いいか?」
「構いません。楽しみにしておられたようですし」
先生に確認されたオオザトさんは、先生に鍵を渡してそう答える。
うん?
どこか、隠し部屋か、それこそ西館にでもいくのだろうか。あそこは普段鍵を掛けているともいってたし。
ただ、“楽しみにしている”って……ろくな予感がしない。たとえば待ってる相手が昨日話していた『妹様』の怨霊だとか? やめてほしいところなのだけど。かなり、いや本気で。
先生がそのままこっちへこいと手招いて、僕を連れて行くけれど、肩を落として床を見つめている僕はどこへ向かっているのかいまひとつ見当がつかなかった。
というかすぐにその場所に着いたのだけど。
ダイニングを出て、ホールをまっすぐ横切って、すぐの部屋。
なんだろう、部屋の中から何かの気配がする。ただ、その気配は先生がノックしたとたんぴたりと消えた。消えたというのか、とまったというのか。
そして先生は、中からの反応がないというのに鍵穴に鍵を差し込んで、ガチャリと回す。
開いた。
なんでノックをした後に鍵を開けるんだ? 鍵がかかってるってことは中に人がいないということだろう? いやそうなるとさっきの気配は気のせい?
「あれ? ここって……」
開けられたドアの向こうの部屋をのぞく。
入ってすぐに目に付いたのが、木でできた車椅子にのった『彼女』こと『黒瑠璃』
こちらに横を向けるようにして、白いテーブルについている。
『彼女』以外にもテーブルを囲む者達がいて、いっしょに白いテーブルを囲んで色とりどりの人形達がお茶会を開いていた。
帯やレースがふんだんに装われた和服の少女。ドレスをきた蝶のような妖精。猫頭のイギリス紳士。緑の翼をもった女の子。
どれもそれぞれの部屋で見た人形達だ。オオザトさんがつれてきたのだろうけど、いつのまにここに。
部屋の内装は紅い絨毯がしかれ、白い壁に囲まれていた。窓から入る光で、かなり明るい。
『彼女』のカップにだけ紅茶が注がれていて、部屋の中はその香りで満ちていた。
左手奥には天蓋つきのベット。その傍らに化粧台と箪笥。あと本がぎっしり詰まった本棚もあった。どれも装丁がすばらしい。ぬいぐるみだとかファンシーなものは無かったけれど、それだけで明らかに女の子の部屋だということがわかる。
彼女達は、静かに、それでも部屋の空気を支配している。
「何をほうけているんだ? ヨシカズ」
先生が声を掛けてきて、我に返った。
「彼女の美貌に目が奪われるのはいいけど、もう少ししっかりしてくれないと困るぞ」
そういいながら、先生は『彼女』に近づいていく。
『彼女』の耳元で何事か囁くと、少し離れてこちらに向き直った。
まさか
そのまさか。
先生がなにをしたわけでもなく、他に誰かが手を触れたわけでもなく。
キィ
と、車椅子が、誰の手も触れていないのにこちらに向き直った。
そのまま、そうっと、ゆっくりと、『彼女』の首が、彼女の目が、僕に向かって上げられる。
「瑠璃、こいつがヨシカズだ」
まさか
まさかまさかまさかまさかまさか!
無感情な瞳。動かない表情。でもこの場でなら、しっかりと彼女の気配がわかった。
彼女は、人間のような人形じゃない。
人形のような人間なんだ。
いやそれとも、人形であり、人間であるというのか。
動けない。声が出ない。だまされた。いや、思い込んでいた。
ありえないとは思っていたけれど、まさか全部本当だったなんて。
「どうした? 固まっていないで自己紹介したまえ。ヨシカズ」
だから先生がよばれたんだ。
だから先生が副業で関係していたんだ。
「ヨシカズ、何を勘違いしているか知らんが、私はこの黒瑠璃のことしか関係しておらんぞ? オオザトが話した内容は昨日が初耳だ」
「あ、いや。うん……」
先生は人のことは騙すけど、嘘はいわない。だからそのことはきっと真実なのだろう。だからといって何でもかんでも隠しごとをされても困るといえば困るんだけど。
そうだ、そのまえに、まずは彼女に。
「天野ヨシカズです。よろしく……」
そういって、ついうっかりと右手を差し出してしまった。
「あ……」
差し出して気がついたけれど、彼女の腕は人形の腕のはずだ。動かせるわけがない。
なので、勝手に右手をとって握手を交わした。堅い。
「よろしく よしかず」
だけど、喋った。
凄く透き通った、でも少し暗い感じの声。なるほど、見た目だけではなく声までもが『黒瑠璃』ということか。
口は動いていなかったけれど。
ひとつの言葉が頭の中によみがえる。
“わたしのお人形が勝手に動いて喋るの”
「ちなみにだ、君に頼みたかったのは、この一週間の逗留中に、彼女の相手をしてほしいということだよ。な、夢のような話だろう?」
確かに夢のような話だ。
ああ、うん。はっきりいおう。
僕としての理想の一つである『彼女』と、『黒瑠璃』と、これからすごせるというのは確かに夢のような話だ。むしろ非現実過ぎて地に足が着かないといってもいい。
でも、先生の存在がそれを現実にしてしまっている。
手を握ったまま、どうしたらいいかわからず一瞬固まったあとにそっと『彼女』の手を膝に戻して、いろいろなことを考える。そんな僕を先生はニヤニヤと見つめている。
どうしよう。先生に対する不満。彼女に対する態度。今後の展開。他の人への事情説明。
「じゃああとは若い二人でよろしくやってくれたまえ」
そう先生は告げて、一人部屋を出て行く。出て行った。出て行きやがった!
「あの、せん……」
バタリ。
とドアが無情にも閉じられる。
替わりに僕の手には、すれ違い様に先生が握らせた部屋の鍵が残っていた。つまり、あとは自由に出入りしろと。
振り向いて、彼女に向き直る。なにか彼女以外に部屋の様子に違和感を感じないでもなかったけれど、この際は無視しよう。
「とりあえず……じゃないや。この一週間よろしくね。瑠璃ちゃん」
先生も“瑠璃”と呼んでいたし、おなじ呼び方でいいだろう。返ってくる言葉は無かったけど、文句がないってことはオーケーということだ。そうしよう。
さてどうしようか。瑠璃ちゃんはまったく喋れないというわけでもなく、まったく喋らないというわけでもないから適当に会話を促しつついい関係を築いていきたいところなんだけど。
「一応確認だけど、瑠璃ちゃんは先生の弟子ってわけじゃないんだよね?」
答える言葉は無かったけれど、まったく動きもしなかったけれど、なんとなく首をかしげているイメージが伝わってきた。なにをいってるの? みたいな。
「ちょっとごめんね?」
念のため、腕を指先から肩まで、足をつま先から膝上あたりまで軽く服の上から触れてみたけれど、案の定肩から指先まで、ももからつま先まで、ほかの人形達と同じような手足だった。
それでもその小さい軀に合わせた長さという点で、かなり大きなものなのだけど。
ついでに、頬にもふれてみる。冷たい。けど暖かい。そして、わずかに伝わってくる脈のリズム。
「うん、なるほど。わかった。理解した」
さて、これからどうやって彼女と付き合っていこうかな。
ぱっとみ小学生高学年ぐらいというイメージがあるのだけど、実年齢いくつぐらいなんだろう? 落ち着いているし、その気配のせいで年齢が読みづらい。ただ、先生が傍にいるせいで変な勘違いされるかもしれないけれど、僕はロリコンじゃない。たぶん。
そうのんきに思案していた僕ではあったのだけれども、周囲の状況はまったくもってのんきどころではなかったようだ。