前日譚-1
僕が、まったく絵心がないのにその雑誌を買ったのは本当に偶然だった。
ほかの多くの学生が同じように、アニメやゲームが好きで、単純に表紙に惹かれた衝動買い。イラストレーターなんて志望していなくて、だからその雑誌を買うというのは本当に無駄でしかなかったのだけれど、それでも中に描かれた多くの絵に、変わらず心惹かれたのだ。
そのなかに、やや特殊なページがあった。絵とは違う、それも人形の写真を取り扱ったコーナー。
確かに写真は英語で言えば変わらぬPicture。間違いではない。
ただそのような突込みをする前に、そこに写し出されていた彼女達に、僕は飲み込まれた。
そこにあるのはただの写真に過ぎないというのに、ただのモノに過ぎないというのに、妖艶さと、深さと、淡さと、何より耽美というものに。
はっきりいう。興奮した。
変態とののしられるかもしれない。いや外から見れば間違いなく変態だろう。物言わぬ彼女達に心奪われてしまったのだから。
彼女達の写真を相手に自慰すらしたこともある。写真をなめるようなことはさすがにしなかったが、ネットで作者のことを調べ、彼女達のルーツをたどった気になったり、多くの姉妹達を日がな一日眺めた。
そんなときだ。知り合いの人から、自分のいる大学へ来ないかと声がかかったのは。
そんなに好きなら、私のところでひとつ勉強してみないか。君も人形を創るよりは観たり識ったりすることが好きなんだろう?
と、そんなかんじで。
そんなノリで。
そのときの僕は、やはりどうかしていたのだろう。その話にすぐさま飛びつき、猛烈に勉強し、受験し、合格した。
□ □ □
その日の授業は午前中で終わり、研究室で昼ごはんでも食べたあと、さてバイトまでどうやって時間を潰そうかと考えているときだった。
「先生、なんですかこの手紙」
おなじ学年でこのゼミに参加したのは僕ともう一人、幼馴染兼友人のルナだけで、後は先輩達ばかりが五人ほど。でもその誰もが授業のためにこの部屋にいなくて、つまり僕と先生は二人きりだった。
研究室の中は、あいかわらずわけのわからないものばかりで散らかっている。理科室においてありそうな骨格標本や人体模型、天球図、世界の呪術辞典、地方の道祖神の模型、外国の術具、どこかの少数民族がお祭りで使いそうな腰ミノのような何か、かと思いきや壁にはなにやら重そうな剣のレプリカに全身鎧。初めてこの研究室に入ったときは、実際なにを研究しているのかよく分からなかった。説明されているはずなのに、今でもよくわからない。たしか民俗学とかだったよな? 人形どこいったというのが僕の感想。
「うん? なんだヨシカズ」
僕の呼びかけに、一人の少女が奥から顔を出す。
そう、少女だった。どこからどう見ても少女だった。
長い茶髪を赤いリボンでポニーテールにまとめ、鼻眼鏡に白衣を着ている姿はなんらかの研究者然としているのだが、その身長と童顔からどうみても年齢を不肖にしている。いやむしろ中学生といっても構わないぐらいの外見なのだ。本人の目下の悩みは服のサイズと、飲酒や買い物、職質を掛けられたときの身分証明という手間である。知り合いたちの中ではマスコットとして扱われてもいるらしいが、今の年齢でそんな扱いをされることってどうなんだろう? プライドとかプライドとかプライドとか。
「この手紙ですよ。なにか妙なことが見えたので気になったのです」
部屋のど真ん中の机に、こけしや何らかの民族人形、呪術的なタペストリー、先輩達のなかの誰かが書いたであろう論文なんかに混ざるようにして、デンとおかれていたのだ。まちがって捨ててたりしたらどうするつもりだったのだろうか。
「ああ、昔の知り合いが死んだらしくってな。知らせは聞いていたがこういう茶目っ気があるとは思っていなかった。読んでいいぞ」
「いいぞって……」
コーヒー片手にいうその様子は、知り合いが死んだという割にはかなりドライな反応じゃないのか?
確かに封は切られており、手紙も読まれたようなあとがあるにはあるけど。
どれどれ……
『我が生涯の最高傑作を見つけたものに、我が財産を贈与する』
「は?」
「いいから全部読みたまえ」
いきなりインパクトのつよい、センセーショナルな書き出しから始まった文章に、思わず声を上げざるをえなかった。
『我が生涯の最高傑作を見つけたものに、我が財産を贈与する。
貴殿らは当方の調査により、身分、資産、社会的地位の観点から、当方の定めた条件を満たしたと判断し、財産贈与の権利を有する資格を得ました。つきましては別紙記載の期日に、指定された場所へとお越しください』
読み進め、二枚目に目を移すといくつかの注意事項と共に確かに日付と住所が書かれていた。他の、たとえば結婚式の招待状のような出欠確認の返信手紙のような余分なものはない。
「財産贈与ってまた……豪気な方ですねー」
「副業で何度か関係したんだけどな。なかなかに面白いことがかいてあるだろ」
「面白いってまた……」
副業の知り合いとは、またらしい知り合いといえばらしい知り合いではあるのだけど……同じ系統の他の知り合いには占い師に企業のお偉いさんに政治家に隣のおじいさんと、豪華なのか貧相なのかよくわからないメンバーがそろっていたような気がする。
まあいいやこのヒトだし。
「おお、そうだヨシカズ。君、どうせこの一週間暇だろう。一緒にこい」
……え?
「先生、その日から一週間バイト入れたかったんですけど」
そろそろ本気で、自分の力で、造って見てもいいかと思ったのだ。その材料購入のためのバイトである。“本物”を手に入れるにはさすがにバイトじゃ買えない金額であるし。卒論の変わりに作品一つでもいいといっていたから、ちょうどいいしそれにしようと思っていたのだ。といってもどこかの教室に通っているというわけでも無く、結局は独学というものになってしまうのだが。あと、在学中は手元においておくつもりだ。
「そうか。おまえの大好きな分野だと思ったのだがな。後学のためにと思って誘ってやったのだが……そうか、仕方がない。他の誰かを誘うとするか」
残念がるその姿はどうも芝居じみている。ああ、本当に本当に残念だと、片手で顔をおさえ、首まで振っていた。
にしても、大好きな分野……?
「先生、この天野……みず……ひ? という方は何をされていた人なんですか?」
「おお、ちゃんと気がついたか」
先生は関心関心と首を縦に振りながらもったいぶるように、こっちにやってくる。
「知りたいか? 知りたいだろ」
実際もったいぶってきやがった。見た目の年齢とあいまって凄く憎たらしい。
こんど買い物に付き合わされたときに迷子センターへつれてってやろうか。
「ヨシカズ、君、なにか凄く失礼なこと考えていないか?」
「いえまったくこれっぽっちも考えておりません。さあ、どなたなんですかこの人は」
先生に詰め寄り、その両肩を掴んでゆする。
以前この状態を先輩達に見られた時は犯罪者に見られるからやめろと言われたけれど、そこは今は考えないようにする。そんなことより、もっと重要で大事なことがあるんだ。
僕の想像が正しければ、絶対僕が飛びつくべき何かに関係している人物だというのは分かる。そうでなければ先生もこういう言い方はしない。
「ヨシカズ、本当に気付いていないのか?」
先生がありえないという顔をするが、なんなのだろう?
「なんなんですか?」
「……君がまったく気付かないということは考えて無かったよ。ひょっとしたら名前を見るだけで分かるかと思ったのだけどね」
ため息混じりに、失望したように言われる。
「天野水火。君の大好きな人形の、作家の一人だよ」
う……む……
正直に言うと、作家のことはこういう人がいるという具合でしか調べたことしかない。
どちらかというと、画像検索がメインだったのだ。
『誰が作った』ではなく、『その人形が』お気に入りなのだ。
ただ、うん。
なんとか脳内検索には引っかかった。
天野水火。数多くの作品を排出した人物として有名。ただ、その多くは自身のギャラリーに保管されているため表に出てくるものも少ないという。
それだけ。
……ある意味情報がない。
どうしよう。
「おや、本当に知らなかったようだな。ふむ……君が保存している上から四番目のフォルダの中の、十三番目の画像。そこにうつっている子(人形)の作者だよ」
ああ
「あれか……」
彼のつくった人形は生きているという。
“生きているようだ”ではなく“生きている”と。その姿は他の人形達と同等以上に、妖艶にその“魂”を宿しているのだと。
「にしてもそこまでいう人だったかなぁ? なんか評価に対していまひとつな感じもしたのだけど……たしかあのジャンルは……って先生!? なんでそんなところまで知ってるんですか!?」
「なにをいう。君と私の中ではないか」
「その部分だけ聞かれたら凄く勘違いと誤解と警察の厄介になりそうな台詞をさらっと言わないでください」
この先生を、ちょっと侮りすぎたかもしれない。
にしても、先生の関係者で人形作家で故人か。知り合った経緯は間違いなく予測がつく。だれが手引きして誰が紹介したのかということまで。彼らは呼吸をするように予定調和を仕組むのがうまい。僕個人はあんまりお付き合いしたくない相手だけど、先生がいるとそうも行かないのがなんとも……
そして手紙の内容そのものが、ものすごく不穏といえば不穏だ。
相手が人形作家ということは、ここに書かれている“最高傑作”というものも恐らく人形なのだろう。
財産というものがどれだけあるのかわからないが、人形を見つけるだけでそれがもらえるというのはうまい話しすぎる気がする。
「というより、先生そんなにお金に困ってましたっけ? 以前『副業なんてしなくても、十分食っていけるだけの蓄えはすでに用意してある』とかいってたじゃないですか」
そのときは確か、ゼミのみんなで飲みに行ったときだったと思う。あのとき僕は、初めて自分が下戸だと知ったのだ。もうお酒は飲まない。酒は飲めども呑まれるな。他のみんなは、浴びるように飲んでいて僕一人ダウンしていたのはよく覚えている。あと先生がとてつもないウワバミということも。
「ヨシカズ、いいことを教えてやろう」
「何ですか? 先生」
とてつもなく重要なことをこれから告げるという感じで、これまでふざけ心満載だった先生の目が急に真剣なものになった。
だまされない。こういう時はなんらかしらの罠がある。過去の例を忘れたというのか。あのときは写真集をネタに丸三日下水道にもぐらされて汚水まみれになったんだ。あのときの疲労と苦労と屈辱とそれに見合わないささやかな報酬のことを思い出すんだ。
何があっても引っかかるな。絶対うなずくんじゃないぞ。
「もし、仮に、万が一、偶然、贈与権を手に入れることができたら君がほしがっていた“本物”が手に入るのかもしれないぞ? 彼の創った人形だって財産の一部なのだからな」
「いきます!」
何を考える必要があったのだろうか。何を警戒する必要があったのだろうか。
いままでほしかったものが手元に来る。それも先輩達を拝み倒してやっとガラス越しにちらっと見せてもらう必要も無く、自分のものとして、やっと手に入れることができるのだ。
いや、でも感動の対面の後はちゃんと保存用のガラスケースに入れないといけない。やはりどうあってもモノなのだから、むき出しでおいておけば劣化してしまう。すぐ会えるのに会えないこのつらさ……
「それより先生、ある意味部外者な僕がいってもいいのですか?」
ふと我に返って気がついた。
手紙というよりは招待状のそれは、あくまでも先生に送られたものだ。それも先生の副業関係の。たとえ大学のゼミ生だとはいえ、いきなり関係のない人物が押しかけて迷惑じゃないだろうか。いやそもそも、死んだ人がどうやってこの手紙を出したのだろう?
「その手紙をよく見たまえ。同伴者は一名まで認めるとかいてあるだろう」
おお、本当だ。
「時々、そんな君のどこをルナ君が気に入っているのか凄く気になるよ」
先生がなにやらつぶやいていたけれど、再び狂喜乱舞していた僕にはそんな言葉は聞こえなかった。
こうして僕の、五月の、ゴールデンウィークの予定はあっさりしっかりすんなりと決まってしまった。
長年の夢がかなうということにうかれ、やはりこのときもどうかしていたのだろう。小躍りすらしかけていた僕はすっかり忘れていたのだ。
初めて出会ったそのときからいままで、何度も何度も、それこそ飽きるほど、先生の行く先々で事件が起こり、そのたびに巻き込まれていたということを。