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Ⅲ レイの出現 前編


 一馬が死んだ。

 そして、幽霊となって桃香の前に姿を現した。

 相当の──双頭、と掛けてもいいかもしれないが──発言である。特に後者など、荒唐無稽すぎて普通なら受け入れる事すらできない。ただ今の僕にとっては、その荒唐無稽さというものが違うベクトルで襲い掛かってきていた。

 すなわち、アナロジー。

 あるいは、デジャヴ。

 ついさっきまで、服部玲が幽霊か否か、という問題で悩んでいた矢先のこれだ。幽霊続きにもほどがある。空想おとぎ話の世界ではよくよく分かる話ではあるが、現実とは線引きされているようなものではないのか。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものではあるが、それすらも小説内で使われる表現ではないのか。

 どうも自分がいる場所が、地面が、土台がぐらついているような気がしてしまう。詐欺に引っかかる人間の心理状態とはこういうものなのかもしれない。現にいま、僕は幽霊という存在を普通よりも信じてしまいそうになっている。しかし、幽霊という符合があるからといって、事態が飲み込めたわけではない。むしろ逆だ。混乱はより深まっていく一方である。

 それらすべてを相手取っていたら行き詰まるのは目に見えていたから、僕はもっとも重要なところから片付けていくことにした。

 現状の把握だ。

「花村、さん」

「ん? どうしたのー?」

 さっきまでの貼りついた笑みが薄れ、いくぶん通常通りの表情になる。

「原根は……いつ、亡くなったのかな?」

 辛い質問をしてしまった、という感覚はあまりなかった。会うなりにこやかにそれを宣言されてしまったからだろう。それは、かなり異常なことのはずだが。

「ええと──」

 そして僕の予想通り、桃香は特に嫌がるでもなく教えてくれる。桃香が口にした日付は、僕が一馬と電話をした日。つまり、四人で一緒に昼食を囲んだ日だった。では、あの電話の後一馬は死んだのか。玲は幽霊だ、という言葉を言い残して。

 謎が深まるあまり、さらに突っ込んだ疑問が浮かんでくる。

「これは、別に答えてくれなくてもいいんだけど、さ。その、どういう感じだったのかな。原根は。事故、だったの?」

 言葉を選びながら、尋ねる。事故かと訊いたのは、それが一番「二十歳の死因」としては真っ当かな、と思ったからで。実際のところは、

「ううん。首、吊ったんだって。自分の部屋で」

 桃香の言の通り、自殺ではないかと僕も疑いはしていた。

「そ、そう……」

 予想こそ的中してしまったが、自殺という単語は、海中に深く沈んで底を削る碇のように、僕の心を重たく引っ掻いた。ただ死んでしまって悲しいという感情を、一馬は自ら死を選んだのだ、という現実が食い荒らしているかのようだ。事実僕は、幽霊にまつわる混乱を抜きにしても、喪失感やつらさを思ったほど得ていない。

 友人が死んだ直後は悲しみなんてなくて、あとからやってくるのが普通なのかもしれない。いや、僕の場合もそうだろう。自分の内面が、急速に冷静になっていくのを感じる。パニックに陥った人間が冷水を浴びせられたら我に返るようなものだろうか。

 次第に事態の把握ができて、ようやく気付いた。一馬にこちらから電話をかけてもつながらなかったのは当然だが、昨日になって番号が使われていない状態になったのは、携帯電話を解約したからだ。一馬の家族が手続きを取ったのだろう。昨日の段階で気付けたとは思わないが、僕は過去の自分をとんでもなく間抜けに感じてしまった。

「……葬式なんかは、終わったのかな」

 僕が言うと、桃香は突然、はっとした顔つきになり、間もなく一筋の涙をこぼした。

 あっ、と意外に思い、すぐに当たり前の反応だと考え直す。気味が悪いほどの笑顔を見せていた桃香だが、僕と会話しているうちに現実を噛みしめていったのか、表情は暗くなる。むしろそのほうがいい、と思えるほどだ。

「一馬の地元で、済ませたって」

 一馬の地元は桃香のそれでもある。口ぶりからは、行っていないようだ。桃香の実家は一馬のことをよく思っていないから、行ってもトラブルになるのかもしれない。そういうものを知らずに育ってきたからか、何とも言えない気持ちになる。当の桃香は、どう感じているのだろうか。

「……うん」

 かける言葉が見つからなくて、僕はただ、それだけを言った。周囲の学生たちは僕たちを気にせず通り過ぎていくから、時の流れに囚われてしまったような気分にもなる。華やかな雰囲気の中に誰も気づかない穴をあけたかのようなただ重たい空気。呼吸がしにくい環境。

 なにか、僕にできることはないものだろうか。こういうときに口にする常套句も躊躇してしまう。

 そりゃ、なにができるかって、なにもできないのだ。一馬は自殺して、葬儀も終了。それで終わりである。ただただ、つらい。こういうときのためのマニュアルが欲しくなった。

 が、僕がどんどんと沈んだ表情をしてしまったからだろうか、桃香はこちらをまじまじと見つめると──

 ──自分は幸せだ、と思い込もうとしているような笑顔に戻った。

 ああ、まずい。

 思う間もなく、はしゃいだような声音で、打って変わって明るく語る。

「雪見君、そんなに悲しまないで。大丈夫。一馬は死んじゃったけど、幽霊になってあたしたちを見守ってくれてるから。ね?」

 ね、と言われても、困る。一馬の幽霊なら僕も見たいくらいだ。彼にはまだ、問い質したいことが山ほどある。だいたい、一馬はなんで死んだんだ。あんな意味深な電話を残して自殺するなんて、あたかもそれと関係があるみたいではないか。

 ……ん?

 本当に、あの電話と一馬の死には、関係があるのではないか?

 もともと服部玲の変死について語ったのは一馬だ。もしもそれを調べすぎて深入りしてしまったことによって、あの結果を招いたという可能性はあるのか?

 ただ立ち尽くしているだけなのに、息ができなくなる。

 心臓を掴まれたような感覚とは、このことだろうか。今の想像はかなりホラーものの影響を受けているきらいがあるが、一馬の死の原因が分からないのは確かだ。最初は小説が上手く行かないことを苦にしたのかと考えたが、この文脈上で再構成すると、また別の線が浮かんでくるかもしれない。

 ──だめだ、だめだ。最近、このようなオカルトめいたことばかり考えてしまう。

 打ち消そうとはするものの、現実に戻ればとんでもないことを言い出している桃香がいる。そもそも一馬が死んでいる。玲は幽霊になってしまったらしい。いや、初めからそうだったのか。それで幽霊になってしまったのは一馬ってか。もうわけが分からない。フィクションでいうところの超展開というやつが、どうして三度も連続して訪れなければいけないのだ。

「あ、そっか。雪見君は、霊体の一馬を見てないもんね。そりゃあ、信じられないかー」

 桃香の言うことは至極正確だ。見てもいないものをそうそう信じることはできない。だが、それ以前の問題である。前提からして信じられないのだ。

「ええと、さ。一馬の幽霊は、どのように見えてるの?」

 幽霊が存在しないにしても、桃香が一馬の幻影を見ていないとは言い切れない。悪しざまに言えば、気が狂って幻覚を見ていてもこうなるのだから。ましてさっきからのこの、普通ではない笑顔を維持している桃香である。正気を多少疑っても、罰は当たらないのではないか。

「どのように、かあ。これがさ、案外生きてるみたいなんだよね」

「生きてる……? 話は、できるのかな?」

「もちろん」

「今……ここにいたりは、する?」

「ううん。今はいないよー。いて欲しいときにいるわけじゃないんだ。でも、好きな時に呼び出せるのは、幽霊じゃなくて妄想だよね?」

 それはそうかもしれないが、いきなり出てくるのも幻覚だろう、とは言えなかった。嘘をつきたくはないが、苦肉の策として沈黙を維持することにはやぶさかではない。

 さて、どうしたものか……僕は迷った。桃香は幽霊の話となると活き活きとしている。ならば、ここであのことを訊いてみてもいいかもしれない。

 しばしの逡巡を経て、僕はそうすることにした。

「ねえ、花村さん」

 呼びかけて、一馬の最後の電話のことを伝える。すると桃香は目を白黒させて、

「え、えーっ! 玲ちゃんも幽霊だったの?」

 顔中で驚きを表現しているが、疑っているようではない。どちらかと言えば、前提は認めた上で、玲も()()なのか、と考えているようである。

「でもまあ、そうだったかもね。……あれ? ってことは、雪見君も玲ちゃんが見えていたんだよね? だったら、一馬だって見えるってことになるよ!」

「……論理としては、ね」

 苦々しげに答えると、桃香はにっこりと笑った。今度はちゃんと、感情のこもったような笑みであったけれども、やはり怪しさは消えない。

「ただ、僕は原根が死んでから、あいつを見ていないから、やっぱり信用はできないな」

 ここは正直に断った。正直に。僕の名前。

「うーん……あ、そうだ。これでどうだろう」

 言うなり桃香は鞄を探り、自分の携帯電話を取り出した。操作しながら、呟く。

「昨日撮った写真は、どこだったかなー」

 ……、だって? 

 僕は動悸を感じた。貧血にも似た頭部の疲労。そんな、まさか。幽霊が写真にって、それは心霊写真のことか? いや、おい、それは洒落にならない──

「あった。これだ」

 そして、僕の眼前へ。

 映っていたのは、二人の人間だった。

 片方は桃香。

 そしてもう片方は──ずいぶん小柄な、大人の、

 どっちも女性だ。

 しかも僕は、彼女を知っている。これは、桃香の兄、孝介についている担当編集者だ。確か矢野さんとか言ったか。花村孝介は、桃香曰く実家で執筆をしているらしく、覆面作家ということもあって僕は会ったことがない。桃香も孝介のヴィジュアルを示すものは持ち歩かないようにしていて(ブラコンっぽいけれども、兄のためにと頑張っているようだ)、僕は間接的にも顔を合わせたことがないのだが、この矢野さんは別だった。

 矢野さんの働く出版社はこの大学から遠くはなく、ときおり桃香を介して孝介と意思疎通を図ったり、モノの授受を行ったりすることがある。それで一度だけ、その現場に居合わせたことがあった。写真からも分かるように小さな人だけれども、編集者なだけあってパワーがある人だ。

 ……と、それはどうでもいい話だった。

 重要なのは、ここだ。写真には()()()()()()()()()

 一馬なんぞ、影も形もないのである。

 僕は真剣に桃香に対して引き始めた。どうしよう。これをどうすればいいというのだ。よく見れば、写真は二人を映しているものの、少し桃香の隣にスペースが見られる。まさか、僕が見えていないだけで一馬はここにいるとでもいうのか。冗談じゃない。

 わあ、ホントだ。カッコいいね。

 そんな裸の王様式の嘘をつくわけにはいかない。僕には一馬が、発見できないのだから。

 だが、今の桃香に僕はどんな言葉をかけたらいいというのだろうか?

「あのね──」

「ごめん、もう授業始まってた。今度聞くよ」

 あまり褒められたものではない手段。逃走を僕は選択していた。

 といってもこれは嘘ではない。時計を見たらそうであることに気づき、これ幸いと利用させてもらったのだ。

 一馬が死んだというのに、授業ですか。

 そう己を苛む内心の声もあったが、もはや問題はそこだけではないことを知った。僕を取り巻く幽霊。その出現がもたらすものは戸惑いばかりで悲しみではない。

 案の定、一応出席した講義だけれども、その内容は一秒たりとも頭に入ることはなかった。


          ○


 講義を終えて、僕は法学部棟の外に出た。

 現状はショックよりも混乱の方が上回っている、という分析は正しいと思うものの、やはり一馬の死というものが鋭く心を抉っている事実に変わりはなかった。同じクラスの友人と顔を合わせ、少しだけ言葉を交わしたのだが、向こうの元気さにやや辟易してしまう。お互い何の非もないだけに、つらいものがある。

 また、玲がこの講義に出てはいないかとも考えて、今日は本腰を入れて探してみたのだが、見つからなかった。玲が幽霊だと言われてから、彼女と連絡は未だ取れない。もっとも、直に会うチャンスは新学期始めの今日が最初だったので、もう少し粘るつもりだ。

 でなければ、玲が正体を知られて雲隠れをしてしまったように感じられるではないか。

 それはなんだか、嫌だ。

「────」

 突如、頭上で鴉の鳴き声がした。

 ここは鴉がよくいるところだから、いつもの光景であるはずなのに、不吉に思えてしまう。

 高校生の頃の英語の授業で、ポーの詩を読んだことがある。あの有名な『大鴉』だ。何を訊いても「ネヴァーモア」としか答えない鴉の不気味さは、妙に心に残っている。今の五里霧中に近い状況と合わさって、よくない印象を僕に植え付けている。

 玲との別れ、一馬の電話、桃香の変化。記憶の泡が次々と浮かんできては弾ける。

 もう一声、鴉が鳴く。鴉はどういうときに鳴くんだっけ。発情した時? 縄張りを主張する時? 耳について仕方がない。

 だが、しばらく学内を歩いていると、広場になっていて活気のある場所に差し掛かったために別の騒音が耳に飛び込んできた。軽音部の勧誘が、アコースティックギターを弾きながら紹介ソングを歌っている。ラグビー部は暑苦しいユニフォーム姿でビラを配っている。中央では派手な衣装に身を包んだ集団が、打ち合わせのようなものをしている。ダンス系サークルのなにかが、これから公演を行うらしい。

 これから始まるようなので、足を止めて見に行ってもよかったのだが、なんというか、前向きなエネルギーの発散を目の当たりにすると、必要以上に疲れてしまうような気がした。まぶしい太陽を無理に見てしまうのと同じ感覚。

 とりあえず、コンピュータルームに入って、履修登録をしておこう。

 この時代、さすがに履修関係の登録はパソコン上で行う。家でもできることだが、ちょうど空き時間なので今のうちにやるのがいい。法科大学院に行きたい人間の履修すべき科目は大体決まっているし、後からも修正がきく。

 少しずつ集まってきた観客を横目に、僕はそこを通りすぎることにした。するとどうやら準備も終わったようで、背後から打ち込みのビートによる音源が流れる。ダンスが始まったみたいだ。派手な衣装を用意していたから分かっていたが、曲調もだいぶ明るい。見る気が起きないとは感じたけれど、こういうものを耳にしていると、僅かに気分が明るくなることを知る。

 俯きがちな視線も、ちょっとずつ上がっていく。

 そして、僕がそぞろに上を見た瞬間。


 ──()()()()()()()()()()()


 ……今、僕は何を見た。何と思った。

 黒い人影が、空中を、飛んで行った?

 いや待て、ようく考えてみろ。見たのはほんの一瞬のことだった。

 黒い人影……たしかに、そうだ。より正確に言うならば、ムササビのような影。ただ、あれよりはよほど大きい。四肢を広げているように見えた。

 こんな大学の中を、人間が滑降していった? そんな馬鹿な。そういうサークルはきっとあるだろうけれど、ここでやるはずがない。事故の危険性もある。近場には河川敷もあることだし、そちらですればいい。

 もしや、サークル勧誘の全盛期である今、パフォーマンスをしたのでは?

 少し考えたが、それはないだろうという結論に落ち着いた。

 なぜなら、僕はあれを見てからずっとここで立ち尽くして辺りを確認しているが、さっきから喝采の類が聴こえてこないからだ。後方でダンスの演武は行われているが、それ以外の特別な賑わいは感じられない。

 ならばあれは、本番前のリハーサルか。いや、そんなこともないだろう。

 なぜなら……ああ、これは言葉にしたくないのだが──

 ──どうやら今のを目撃したのが、であるようなのである。

 いや、通過の瞬間を僕しか見ていないのはまだわかる。近めの距離で視認したものの、ほんの一瞬で影は建物のせいで隠れてしまったし、あのタイミングで呆けたように上方を見ていなければ分からない。

 けれども、あれがちゃんとした人ならば、今頃は着地しているはずなのだ。

 あの、建物の向こうで。

 それならば、いくらただの練習と言えど、何らかのどよめきは起こるだろう。何だ今の、とか、すごーい、とか、そんな類のものが。

 ただ現実は、僕しか気づいていない。

 これが意味するものは何だろうか。最も、最も考えたくないことは、こうだ。

 ──僕は()()

 仮定の話ではあるけれども、そう思ってしまった途端、僕は前に進めなくなってしまった。そこにはコンピュータルームへ続く道があるだけなのだが、それ以上になにか、禍々しいものが待ち受けているような気がしてしまって。

 すごすごと、しかし足早に、気付けば僕は踵を返していた。



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