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Ⅱ レイの失踪 後編

 翌日。少し遅めの起床ののち、僕は午前中から大学に向かった。

 一馬に言われた、新聞記事の調査のためだ。

 大学は新学期前で始業はまだ数日先だが、新入生対象の健康診断やガイダンス等は行われていて、それに伴うサークルの勧誘も盛んなため、活気があった。去年ならば新入生と間違われてビラを押し付けられることが多かったのだが、今日はそれがない。大学内を歩く様も堂に入ってきたということだろうか。勧誘のうざったさを回避できたのは嬉しい一方で、一抹の寂しさもある。

 図書館に入る。がらんとしている。こちらはさすがに、春休み相応の人口密度だった。まあ、我らが法学部生は年がら年中勉強していることで有名で、僕も多少はその気があり、来年あたりは完全にそうなるおそれもあるのだけれど、やっぱり通常時と比べればそういう人も少なかった。

 古い新聞のデータは、必要事項を記入した申請用紙をカウンターに提出しなければ閲覧できない、らしい。そんなものを借り出すのが初めてなので、今知った。

 日付までしっかり知らされていたが、念のため前後に幅をとって一週間分を貸し出してもらった。ローカル新聞なので、データ化されておらず、適度な保存処理が付された紙媒体のものだった。こういうものは、丁重に扱えと語りかけてくるようで、少し苦手だ。強制されたようなそわそわ感が、両腕を走る。

 慎重に該当する日付の新聞を取り出し、一面を眺める。

 と、ここで僕は、重要なことに気づいた。

 ……これの、何を調べればいいっていうんだろう?

 一馬は新聞を読めとしか言ってこなかった。だが、いくらローカル紙とはいえ、結構な情報量がある。ここから虱潰しに探していくのは骨だぞ……もしや。

「あ」

 そうだ、と言おうとして自粛。ここは図書館だ、静かにしなくては。

 ひとつ、思い出したのだ。一馬はこれを「玲に関係あること」と言っていた。それくらいはわかっているけれども、ここから言えることがある。

 求めている記事は、ローカル紙にしかない。

 全国紙に載る内容ならばそちらを参照すればいいわけだ。そこをあえて避けていることは、あまり有名なニュースでないことを示している。

 ならば、そういうところをピンポイントで突けばよい。

 手続きが簡素化したことに満足して、僕は新聞をめくり始めた。案の定、それらしき記事はすぐに見つかる。

 そして。

「!」

 僕は思わず身体を強張らせた。新聞を触る指に力が入り、しわになりそうになる。

 瞬きの回数が増える。一気に喉が渇く。

 ……こんな、ことって……

 僕は視力良好なはずの裸眼を数度こすってから、もう一度記事に目を通した。



『大学の教室で不審死』

 十一月××日(木)、○○大学学内の教室内にて、女性の遺体が発見されたことを大学側が明らかにした。女性は同大学の法学部の学生である、服部玲さん(二十)と確認されており、毒物を服用したものと見られている。警察は自殺と殺人の線で捜査を開始したと発表した。



 たった数行の短い記事を、僕は何度も、何度も、読み返した。

 そのうちに、凝視しているところは一点だけであることに気づく。

 ──さん。

 僕の中で、何かがつながった。

 昨日の四人での会話。フリーペーパーに載っていた怪談めいた話題の後、一馬が口にしたオカルト話。一般教養棟での、女子生徒の変死事件。

 まさに、このことだ。

 そして──あれが話題になったとき、玲はどんな反応をしたか。

 やめよう、と窘めていたではないか。避けたがっていたではないか。

 さらに、別れ際の玲の不審な態度。切羽詰まった一馬の電話。連絡の取れない玲。

 まさか、まさか、まさか……

 玲は、本当に幽霊なのか?

 じわり。

 脇の下に、嫌な汗をかいているのが分かる。昨日までの自分と今の僕が、連続しているようには思えない。朝起きたら、異世界に迷い込んでしまったような感覚がある。

 もう少し、調べなくては。

 僕はこれより後の新聞を漁っていった。関連する記事があるかどうか、気になったのだ。事件はその後どのように処理されたのか。責任問題にはなったのか。

 ──仮に殺人だとしたら、犯人は捕まっているのか。

 知りたいことは次々と湧いて出てきたが、それらを満足させてくれるものはなかった。追加で新聞を借りて調べたが、やはり徒労に終わる。そこで、図書館内のコンピュータルームを訪れ、インターネットで検索を掛けてみた。

 それらしい記事が出るには出たが、芳しい情報は得られない。どうやら殺人事件として処理されてはいないようだ。もしされていたら、さすがにもっとニュースになっているはず。毒物を服用したとあったし、自殺の線が濃厚だったのだろう。

 自殺、か……

 なんともやりきれない気持ちになって検索を続けると、奇妙なものがヒットした。

 匿名巨大掲示板のいちスレッドだった。どうやらオカルト関係らしい。

 それを開いて、該当する書き込みを探ってみる。比較的早くに見つかった。


『○○大のあの変死事件あるじゃん。女子大生が毒飲んで死んだやつ。

 あれって、目撃者の話によると、かなり不思議な発見のされ方をしたらしい。

 なんでも、目撃者が教室に入ったときは無人だったのに、

 ふと気づくと、いきなり死体が出現していたんだってさ』


 、だと?

 僕は息を呑んだ。だが、同時に納得もする。一馬の話では、服部玲の件は結構有名なオカルトの噂話になっている、とのことだった。ただの中毒死では、不謹慎だが話題性が足りない。こういうことだったのか。

 さらに書き込みを追うと、さすがにオカルト系だけあって、一笑に付すようなレスはほとんどなく、「いいネタ」として扱われていた。多くは彼女が死後幽霊になって云々という、タイムリーすぎて今は特に想像したくないものだったが、中にはもう少し事件を補足するような書き込みもあった。


『知ってる。俺、そいつと同期だった。△△教室の話だよ、それ』


 ウェブ上の書き込みに信憑性があまりないのは分かり切っていることだが、これ以降にも教室名を挙げるレスがちらほらついていた。これは一考に値する情報なのではないだろうか。

 ともあれ、何とかして玲か一馬に連絡を取らないと。

 僕は後片付けをして、図書館を後にした。


          ○


 図書館を出た理由は、単に携帯電話を使用したかったからに過ぎない。自動ドアを開けてすぐに、ボタンを操作する。

 まずは一馬だ。昨日掛け直したときは電話に出てくれなかったが、一夜明ければ別。言われたことも調べたことだし、話したいことはごまんとあった。きっと、一馬が玲を幽霊だと判断したきっかけは、これなのだ。新聞を読むことで、察してしまったのだ。

 しかし、電話はつながらない。

 これはどちらのパターンだろう。単に出られない状況なのか、あえて無視しているのか。

 僕は前者だと推測した。どうやら着信拒否はされていないようだし、無視する意味もわからない。少なくとも、あのような荒唐無稽な話を振ってそれでおしまい、というのは腑に落ちない。

 となると、僕はどうするのが望ましいか。一馬の下宿に押しかけるか。しかし僕は、彼の住所を知らなかった。散らかっているというし、自宅には誰も足を踏み入れてほしくなさそうだったからだ。作家志望ということで、部屋には色々な事情があるだろうし、それは分かる。あれだけ気心の知れた恋人である桃香すらもあまり訪れないというのだから、僕が遊びに行かないのも当然だ。

 ……じゃあ、新学期が始まってからでいいか。

 僕は先送りを決意した。なんだか批判を浴びる政治家のようだけれども、よく考えてみてほしい。玲が幽霊だとか、実際に新聞記事で死亡がニュースになっていたとか、仰天の事実がどんどん押し寄せてきている現実だが、急いで何かをしなければいけない、ということはない。今日中に行動を取らなければ誰かが不幸な目に遭ったりはしないのである。

 次に、いちおう玲にも電話をする。こちらはすでに番号が使われていなかったから、望みはゼロに等しいのだが、何かの間違いということもある。

 さて。どうだ。

 ……当然、間違いではなかった。昨日と同じ反応。

 ふと、玲が教えてくれた番号はそもそも架空のものだったのではないかという気分に駆られた。はなから通じないだけ。過失ということも考えられる。以前僕の知り合いがメールに電話番号を添付して寄越してきことがあったが、それは間違っていた。同様に玲も言い間違えただけではないだろうか。

 そのように考えると、さっきまで慌ただしく動きまくっていた自分がバカらしく思えて、僕は小さく自嘲の笑みを漏らした。

 昨日のあれで、混乱しすぎたんだな。

 どこかで昼食を摂って帰ろうと思う。健康診断用の胸部X線診断車の脇を通り抜けるようにして、構内から外れる。

 と、僕はデジャヴを起こした。

 図書館裏のあのベンチで、三つ編みの眼鏡っ娘が目を閉じて座っていたのだ。

 ──理穂さん。

 厳密に言うとこれはデジャヴではない。過去に見た気がする、ではなく、昨日確かに見た。昨日とは服装こそ違えど、似たようなタートルネックだ。

「……今日もここにいるんですか」

 どうせなので声をかけると、理穂さんはううんと目を細めて、

「ああ、君か。どうだい、調子は」

 ベンチの守護神とも言える風格を以て、大きな欠伸をした。

「休みなのに、ここにいるんですね」

「ん? ああ、まあね。図書館のそばにいると、結構考え事もはかどるものだよ。パワースポットとはこのことだと思うね。霊験云々を気にするくらいなら、こういうところに来たほうが何倍もマシだろうに」

 この人、正式にここの主と認めてもいいんじゃなかろうか。呆れて肩をすくめたが、霊験という言葉に触発され、僕はこんなことを訪ねていた。

「理穂さん。幽霊って、いると思います?」

「はあ?」

 理穂さん(立入さんと呼ばないのは、そうしようとすると「タテイリ」と僕が発音してしまい、機嫌を損ねるからだ。でも、「タテリ」って言いにくいよ)は眉根をきゅっと寄せて僕を見た。そうしてちゃっかり視線を逸らしてから、

「いるには、いるんじゃないのか。わたしは知らないけれども」

 曖昧な返事をする。真っ向から否定はしないようだ。

「そういうのは、これも陳腐な話で厭にはなるけれど、幽霊の定義から入らなければならない気もするね。それに幽霊の場合、存在がフィクションとされているわけだから、共通の定義などできそうもないし。何、君は幽霊でも見たのかい?」

 僕はゆっくりと頷いた。笑われるかとも思ったし、あまり言いたいことではなかったが、つまらない嘘をつくのは気が引けた。

「へえ」

 一転して、理穂さんは真剣な表情になった。

「どれ、話してくれない? いくらでも聞くよ」

「いや、それは……もうちょっとしてからで、いいですか」

「なんだ。まあ、しょうがないね」

 顔をそむけて言うが、さして怒った風でもなく、話を強要されたりもしなかった。

 ここで昨日からの体験を語るというのも一つの手だった。理穂さんは面白がって聞くだろうし、その性格上、僕が望むような、現実的な解釈を与えてくれそうだったからだ。いかにもミステリ上の探偵が行うような、華麗な解決を。

 だが、それはやめておいた。この件について急ぐことはないと考えたのは確かだけれども、まだ自分だけで進める余地もあると感じたからだ。もう少し、この手で全貌を探って、それでも分からなかったら尋ねよう。そう決めた。

「すいませんね。でも、そのうち喋ると思いますよ」

「楽しみにしてるよ。ところで──」

 珍しく、理穂さんが僕のほうを見て、言った。

「君自身は、幽霊の存在を()()()()のかな?」

「え」

「そんなに気負うなよ。わたしだって、分からないさ。見たこともないんだからね。ただ、君は一応、幽霊的なものを見たんだろう? それをどう思ってるのか、という話さ。幽霊だと考えているのか、まやかしだと感じているのか──おっと、幽霊そのものもまやかしみたいなものだけど」

「そう、ですね……基本的には、幽霊じゃあないと思ってるんです。だけど今日、ちょっとだけ揺らいできていて。だから、分からないっていうのが、本音です……」

 正直であれ。僕の信念ゆえに、このような微妙な返答となってしまった。そう、実際分からないのだ。弱気っぽい声音になってしまった僕の横で、理穂さんがおもむろに立ち上がる。

「そうか。じゃあ、もう少し固まったら話してくれよ。わたし、友達いなくて暇なんだ」

「僕もですよ」

「けっ。何人かいるじゃないか。そういうのな、嫌われるぞ。リア充は死ねなんて言っているやつに限って、現実生活が比較的充実してるんだぞ!」

 イーッと威嚇するような顔つきになる。ちょっとかわいい。でも、理穂さんに友達がいないのは、単にみんな卒業しちゃったからなのではないかと思う。

「まあ、わたしはもう行くよ。というか、君もことのついでで寄っただけだろうしな。そうだね……君は結構賢いし、話していて大変面白いのだが……気を付けたほうがいいね」

「なにに、ですか?」

「嘘が()()人間が、嘘を()()人間であるわけではないってことだ。あまり気負うな、少年!」

 なんだそれ。少年って柄ではないぞ、とも思ったが。

「悪いね、雪見君」

 やけにすまなさそうな言葉とともに、理穂さんは歩いて行ってしまった。

 ……まあ、ちょっとは気分が楽になったかな?

 話してみると、どこか力んでいた部分がほぐれたのも事実。僕は狐につままれたような気分になりながらも、やや上機嫌で家に帰った。

 その後、新学期の始業までの数日間は、下宿にこもったり、実家に顔を出したりして過ごした。一応、一馬には毎日電話をかけていたのだが、すべて出ず。始業前日には、ついに番号が使われていないとの形になってしまった。

 それを聞いた時にはひどく心配になったものだが、翌日探して会えばいいか、という思いも強かったので、変にうろたえることはなかった。進歩である。

 そうして僕は、大学三年の初日を迎えることになる。


          ○


 始業前も大学内は賑わっていたが、やはりそれは前夜祭的なものに過ぎなかった。

 熱気にあてられそうになりながら、人の流れをかわしていく。

 張り切る新入生。それに輪をかけて張り切るサークル勧誘。乱立する立て看板。地面にすら散見されるビラ。数々のオリエンテーション。

 眩暈がしそうだ。

 どこか変な匂いがすると思えば、看板に使われたニスである。「求ム、ボート部!」「硬式野球の本気」「四十あるテニサーの頂点はここ、サテラ!」「劇団ゼッペキ定期公演『飛行幽霊』是非!」エトセトラ、エトセトラ。

 色の暴力とはこのことか。

 しかもなんだよ、飛行幽霊て。あてつけか。

 朝から大学に来たことを若干後悔しはじめたが、それは一瞬で吹き飛んだ。

 この人だかりの中、桃香の存在を見つけたのだ。法学部棟のそばで、携帯電話をいじりながら佇んでいる。

 僕は急ぎ足でそちらに近寄った。

「花村さーん」

 桃香は僕を見ると、にっこりと微笑んだ。

 ……うん?

 少し違和感を覚える。確かに桃香はかわいい感じの女子大生であるが、こんな満面の笑みを貼り付けるような性格でもない。なんだろう、この、仮面のような、わざとらしい笑顔──


「雪見くん。」


 正直に言うならば、多少薄気味悪くもある笑顔のまま、桃香が僕の名前を呼ぶ。やはり変な気分だ。戸惑いが顔に出ているかもしれない。困ったな。

 そのまま桃香は、言葉を続けた。


「あのね。」


 笑顔が消えない。なんだか、不吉な予感がする。

 根拠はない。しかし、こう、今から桃香が言うことを、聞かないほうがいいんじゃないのかというような予感が、全身を弱い電気のように通り抜けて行って。

 そして。

 その言葉は、いともあっさりと放たれた。


「……()()()()()()()。」


「……え?」

 ぞ、ぞ、ぞ、と、足元から得体の知れないものが這い上がってくるかのような、厭な感じ。

 一馬が、死んじゃったよ。

 それを、教科書を忘れちゃったよ、と同じくらいの感覚で言ってのける桃香。

 気持ちの悪い、笑顔のまま。

 それをきっかけに、僕の脳内を一気に記憶が駆け抜ける。

 電話の切羽詰まった様子。最後に僕にかけられた言葉は、「じゃあな」だった。

 それから不通になった電話。

 最近の彼の小説のスランプ。

 服部玲に関するさまざまな噂話。

 これらは何か、一馬の死と関係があるのだろうか? 新学期特有の周囲の明るい雰囲気をすべて打ち消すかのような空気感が、僕の周りにだけ生じていた。

 そう、僕のまわりだけ。

 桃香は相変わらず、にっこりと笑っている。

 どうした、桃香。その、ショックで気がおかしくなったりはしてないよな?

 いや、そもそも、一馬はいつ死んだんだ。どこで死んだんだ。

 言いたいことはいくらでもあるのに、僕も相当なショックを受けているため、まったく言葉にならない。

 そうしていると、異次元の笑みを湛えたままの桃香が、さらに僕へと言葉を重ねた。


「でもね、」


 でもね、なんだ。


「大丈夫なの。」


 ──その笑顔からは、僕はそう思うことはできない。


「だって、」


 だって? どういう──

 次に桃香の口から発されたものは、一馬の死そのものよりも重い衝撃を僕にもたらした。


「だってね──」


「──あたし、()()()()()()()()()()()()()()


She's so crazy.

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