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Ⅸ レイのレイ

「──久しぶりだね、どうだい」

「おかげさまで」

 いつものベンチ。いつもの恰好。没個性系の男子大学生と、上から目線系の三つ編み眼鏡のコンビが、いつものように目を合わせないままに、いつものようにぶつぶつと会話を繰り広げている。

 もちろん、その片割れが僕に当たるわけだけれども。

 ゴールデンウィークが明けて、本格的に五月になった。学内は一年生が落ち着きを見せ、夏の暑さの到来の予感を所々覚えながらも、過ごしやすい陽気である。

「それで、わたしが助言したことは、役に立ったかね?」

「ええ、大方解決しました。まあ、僕は途中までしか分からなくって、花村さんに指摘を受けましたけど」

「なんだ。どこを間違えた?」

 優しく間違いを正す先生というよりは、嬉々としてあらさがしをするオバサン臭い語り口であったけれど、僕は正直に答えた。理穂さんは大体いつもこんな感じだ。

「ああ、そう行ったのか。まあ、君の思考回路は『誰が雪見正直を騙しているか』で一貫していたからね。花村桃香の件についても、そう予想立てるのも仕方あるまい」

「そうですかね」

「慎重に考えてみれば、首をかしげるところはある。例えば君が教室で彼女と話していると、不意に彼女が外を見て、幽霊を見たと言ったことがあったね。それを受けて君も外を見たが、それらしい人物をチラリと目にしただけで終わった。花村桃香が作為的なら、しっかり見せてくると思うがね」

 確かに、そうかもしれない。

「あとは、彼女は君に、幽霊がどのように現れてくれるのか、なんかを延々語ったりしていたらしいが、あえて騙しを仕掛けているやつにそんな大胆なことはできないだろう。それと、単純に動機が弱いというのもあるね。一年間名前を偽っていたのをなかったことにするためって君、どんな推論だよ」

「うう……」

 数日前は、楓に向かってそれを堂々と突きつけていたのである。我ながら恥ずかしい。

「まあ、いいじゃあないか」

 理穂さんは上機嫌に三つ編みを揺らした。

「結局は、上手いことまとまったんだろう? それとも、心の整理はまだかね」

「いえ、どうでしょう……それなりには、整理もできていますけど」

 現象的な面としては、一週間と少し前のあの対話で、大体のことにケリがついた。それから短くはない期間が過ぎ、僕も大分落ち着いてはいた。ゴールデンウィークを挟んでいたので、まだ楓や桃香とは会っていないけれど、普通に接することができそうだ。これまで僕がされてきたことについては、今でも嫌なことだと思っている。人間、そう簡単には変わらない。けれども、これから先にそれを蒸し返したり、ネタにして何かを強要したりしようとは思わなかった。忘れるでもなく、割り切っておきたい。

「そんなにすっぱり吹っ切れる奴は、逆に人間味に欠けると思うよ、わたしは」

「ですかね。あ、でも幽霊はいるんだって信じてたことについては、過去に置いてきた気もします。やっぱり、都合よくいるわけでもないですよね」

 理穂さんとは、散々幽霊についての考察を繰り広げてきたことになるが、それらは皆、空想の範疇のことだった。

「いや、君が見たものが人間だけだったという話で、幽霊は他にいるかもしれんよ。わたしの推論は、間違っていない!」

「……そうですか」

 こだわるなあ、と苦笑。と、理穂さんが声を真剣なトーンに戻して訊いてきた。

「ところで、花村桃香の具合はどうだ? 今までと変わりはないか?」

「ああ、その件なんですが」

 意外なことに、孝介があの後、行動を起こしたのだ。桃香を精神科に連れて行き、カウンセリングによる治療を始めた。実家は泡を食ったようで、桃香を連れ戻そうと必死らしいが、孝介は「戦争」を掲げて譲らないらしい。

 ──やっぱり花村先生、今のほうが生き生きしてますよ。雪見君に隠し事をしているときは陰りがありましたもん。

 とは、矢野さんの弁だ。孝介から僕が真相を知ったと聞きつけ、一枚噛んでいたことをわざわざ謝罪しにきてくれたのだ。僕もいらぬ妄想で疑いをかけたことを詫びると、「その展開、サスペンスっぽいですね!」と目を輝かせていたが。

 その辺りを簡潔に述べると、理穂さんはなるほどね、と眼鏡の位置を気にするようにして、

「では、花村桃香は大学生活を続行できるのかね」

「そうみたいです。まだ見かけないけど、そのうち会うでしょうね」

 いま現在の桃香の状態は、孝介から逐一聞かされている。まだ孝介を一馬の幽霊だと思っているらしいけれど、快方に向かう兆しはあるそうだ。とりあえず今は、こちらからその話をしなければいいらしい。孝介も大学に足を運ぶことは控えると言っていたから、学内で幽霊に出くわすことは、もうない。

 ──本当に、始めからこうすりゃよかったんだよな。悪かった。

 孝介にはこれを何度も言われた。ただ、思い返せば当時の彼らは、一馬の自殺で動転していたのだ、そちらに向かってしまうのも少し理解できた。

 そう、一馬だ。

 結局僕は、原根一馬なる人物に会うことはなかった。なので、どうしても彼の自殺に悲しみを覚えることができない。創作に行き詰まった、という人によっては至極どうでもいい理由で死を選んだそうだが、彼にとっては本当に切実な事だったのだろう。孝介いわく僕も性格が似ているとのことで、ちょっとシンパシーを感じた。

 矢野さんは一馬の原稿を何度か見たことがあり、決して才能がないわけではなかったが世に出られるには磨きが足りない印象だった、と教えてくれた。もう少し親身にアドバイスしていればよかったなと思う一方で、変に贔屓するのも駄目だなと感じているらしい。いずれにせよもったいないことです、と嘆いていた。

 そのほか、あれからのことをちらほらと話していると、僕はふとあることを思い出した。

「そうだ。本物の服部玲の死体消失については、これで全く関係がないことになってしまったんですよね」

「関係? ……ああ、そうだね。君はそれを結びつけて考えていたのだったね」

「ええ。あれって結局、自殺だったんですかね。殺人だったら、不穏ですけど」

 ぶるりと肩を震わせる。母校の未解決殺人事件とはまた、小説のようだ。

「むう。ひょっとしたら、君が提唱したトリックが使われたのかも」

「こら! それはあんたが否定したでしょ! 実際、どうなんですか!」

 ちょっと声を荒げると、理穂さんはやれやれと肩をすくめて、

「……つまらない意見を述べるなら、わたしは死体出現なんて()()()()と思うよ」

 なかった? それは一体。

「いや、噂が先行しただけ、とまでは思わないがね。なんだ、あんまり難しく考えなくてもいいんだが……」

「簡単なんですか?」

「簡単、というのもまた……服毒による死亡というのは、二つある。苦しんで死ぬやつと、苦しまないやつだ。そして普通は前者なんだね」

「……はあ」

「だったら、教室で横になって毒を飲んで、しばらくそのままでいて、全身が()()した結果、机に突っ伏すようになる、ってことは十分ありえるのではないか」

「……ええ? じゃあ、丁度目撃者が入ってきたときに、痙攣おこして出現したと?」

「一番つまらない答えだよ。でも、事実なんてものはそういうところかなあ、とは思うがね。だからミステリが楽しいのさ。奇想天外な謎は、虚構に求めなければならない」

「はああ……」

 理穂さんの持論は措くとして、なんだか肩透かしを食らった気分だ。散々考えた僕の立場はどうなる。それが虚構だというのか。

 しかし、服部玲も大胆なことをする。教室で服毒自殺とは。おっと、確定事項ではないにせよ、だ。まあ、自殺を試みる人の中には、目立つ場所を選ぶタイプもいるようだし。

「自殺だとすると、理由は何だったんでしょうね。分かるはずもないですが」

「そりゃあ、分からないね。単純に世の中に絶望しただけかもしれない」

 そう言うと、理穂さんは何がおかしいのか含み笑いをした。

「失礼。ま、君が元気そうで何よりだよ。そもそも君の内面が思わしくなかったのは、わたしが原因でもあるからね。あの頃は君が騙されたままでいいと思っていたんだよ、本当に申し訳なかった」

「いえ、もう過去のことですし。可愛い土下座も見られましたし」

「なっ、そっ、土下座に可愛いもクソもないだろう!」

 可愛い、という言葉には敏感に反応するようだ。からかい方がマンネリ化してきたが、効果的なのだから仕方がない。と、理穂さんは慌てた表情を浮かべながらも、どこか思いつめたような眼をしているのに気付く。

 本気で嫌がっているのかな。そう思っていると。

「その……だね。わたしとしても、君は貴重な話し相手なのだよ。だから愛想を尽かされるとまずいものもあるわけで……な?」

 突然のデレモードが来た。僕は面食らいながら、

「そんな、僕でよければいつでも」

 本心から返すと、理穂さんは僕と目を合わせて、よかったと微笑んだ。

「あ、でも勉強もしてくださいよ。いい加減ここも出て行かないと」

 付け加えるように言うと、理穂さんは温かい空気の中、笑うのだった。

「──永遠に無理!」


          ○


「お、おはよう」

 ぎこちない声がかけられる。大学構内、理穂さんと別れた後だ。

「いや、午後二時だし、おはようはないんじゃない」

 僕が皮肉っぽく返した相手──服部楓が、緊張したように立っていた。

「大学生はいつでも『おはよう』だよ……」

「あーそれあるよね」

 なんでここにいるの、なんて野暮な問いかけはしない。僕を見つけて、話しかけてくれただけだろうから。楓は楓として現れたときと同じく、しっかり外見に気を遣った出で立ちだ。やはり、玲のときは意識して地味にしていたのだろう。法学部生でないので目立ちたくなかったというのもあるだろうけど。

「僕はもう帰るだけだけど。そっちは?」

「あ、私も」

 そういうわけで、立ち話に移行。思ったよりもスムーズだ。

「先回りするけど、もう気にしないからね。正直すごく気にしたけど、これからはしないようにするから」

 例のことを絶対に謝られると直感したので、先に封じた。

「う、うん」

 案の定、先を越されたという顔つきをされた。真面目だなあ。

「どう? 法学部には慣れた?」

「まあ、去年からいたから……でも、知り合いは全然いないから、これから頑張らないと」

「ゼミでも始めたらなんとかなるよ。後期からさ」

「そうだね……経済学部の悲劇は繰り返さないようにしないと」

 自虐っぽくしているが、なんとも重めである。

「前から思ってたんだけど、そんなに駄目だったの? 人当たりも良いし、友達くらいできただろうに」

「ほら、私、潔癖なところあって。それで初めてのクラス会で失敗しちゃってさ」

「あ、それは本当にそうなんだ」

 玲としてのそれが本来のもので、楓としては我慢していたことになる。キャラクターにしても、玲ほど大人しくはないが以前に比べては控えめだ。きっと、これが楓の素なのだろう。去年はあえて引っ込み思案に、ここ最近はあえて明るく。そうしていたのだ。

「でも、雪見君にバレないように、って一生懸命やってたら、あんまり気にならなくなってきたんだ……あ、ゴメン。でも、それは成長したかも」

「へえ。それはなんだ、怪我の功名……じゃあないか」

 そんなにいい気分ではないが、楓にとっては喜ばしいことだし、素直に祝福しよう。

 そうして適当な雑談をしていると、突如肩をポンポンと叩かれた。

「久しぶりっ」

 なんと、桃香だった。いつも通り元気に見えるが、例の件はまだ残ったままのはずの桃香。

「お。花村さん」

「ゴールデンウィーク、楽しかったー?」

「まあ、特別なことはしてないかも」

「そうなんだー。お、こっちは楓ちゃんじゃないの!」

 楓、ちゃん。桃香は楓を楓として捉えているようだ。

「久しぶり。……あと、初めまして」

 恥ずかしそうにはにかむ楓。そうか、楓としては初対面となる。

「んもー、ペンネームで一年通すなんて、小粋な真似をしてー」

 桃香が楓を小突く。されるがままの楓は、確かに嫌がる素振りがない。潔癖症が和らいだのは本当のようだ。

 桃香が楓の事を知っているのには少し驚いたが、よく考えれば孝介(桃香にとっては一馬だが)に言い聞かせられているはずだ。桃香にとっては、名前が変わっただけ。大したことではないらしい。嘘嫌いの僕からしたら、羨ましいとも思う。

 しかし、ペンネームで一年間いたという設定とは。なんの漫画ですか。

「ねえねえ、二人とも暇なの?」

 桃香の問いに、二人して頷く。

「じゃあ喫茶店いこー。楓ちゃんとお話ししたいな!」

「あれ、僕は? 僕はおまけなの?」

「やだなー、嫉妬ですかー」

「こいつ、言いやがるな」

 ともあれ異存はないので、三人で学内の喫茶店へと足を運ぶ。

 楽しそうに楓に話しかける桃香を後ろから眺めながら、ふと思う。

 今の彼女の安定は、一馬という幽霊に支えられているものなんだよな。

 始めたカウンセリングによって、桃香は徐々に現実と向き合うことになる。そのときこの明るさは、残っているのだろうか。

 いや、変なことを考えるのはやめよう。どのような未来が待っていようと、僕や楓、孝介で支えて行けばいいだけの話だ。

 てくてくと歩くと、景色が新鮮に見える。最近構内をうろつくときは、鬼気迫っていたり混乱に陥っていたりで周りを見る余裕がなかったからだ。

 楽しそうな人、どんよりした人、緑色づいていく木々、学生を静かに歓迎している建物。すれ違った人が、誰も座っていないベンチをちらりと見た、ように感じた。ひょっとしたらあの人も幽霊が見えているのかもしれないが、それは知らない。

 ポケットに振動を感じる。携帯電話に着信があった。振動パターンからメールだと分かる。タイムリーなことに、孝介からだった。近況報告を兼ねたメールだ。

 ──これから花村・服部・僕でお茶してきます。

 素早くそう返信する。彼は羨ましがるだろうか。

 前方の二人を見やると、仲の良さげな会話が繰り広げられている。お互いが伸び伸びとしているように見えるのは、これまでの経験のせいだろう。

「……まー、これからもよろしくってことで!」

「うん。これからも、よろしく」

 おっと。

 うまい具合に三人の「これから」が揃った。なかなか、暗示的な符合である。

 そう、これから。()()()()()()だ。

 僕は自然に湧いた笑みを漏らすと、楽しさゆえか足が早まった二人を追いかけて、肩で風を切って地面を蹴った。


It's not too late!

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