Ⅷ レイの真相 前編
休日。お昼。学生食堂。
すべての始まりは、ここだったように思う。成績開示の後に、四人で集まったこと。僕にとってこの事件の起点は、七年前に服部玲が死亡した時ではなくて、そこにあった。
そして、今。僕は同じ場所にいる。
休日のお昼時である。あえてここを指定した。平日に比べると、人の入りが少ないからだ。もちろん無人ではないけれど、他人と隣同士の席になることはない程度。
──きっと、あとからやってくるのは僕の方だろう。
そう予想していたが、案の定当たった。食堂に入ってしばらく中を見回していると、呼び出した人物はすでに、ちょこんと座って待っていた。
僕が近づいて挨拶をすると、目を合わせて会釈してから、目を伏せる。
らしくない。らしいようで、らしくない。
けれども、そうなるのも無理はない。電話で僕は、深刻な調子で呼びかけたのだから。
──何があったのかは、もう大体わかったよ。
こうも言った気がする。その結果がこれということは、僕の言ったことが全くの的外れではない、ということでもある。後ろめたいものがあるからこそ、今日はこんな態度を取っているのだ。
「待たせちゃったかな」
「ううん、大丈夫」
向かいに座った相手──隠すまでもないが、服部楓──は、肩をすぼめて頷いた。いつものように外見に気を遣っているのはよく分かるけど、表情は暗い。それは僕のせいなので、どうにもならない。
それに、今は僕自身の表情も、暗いはずだ。
これから僕は、楓の前で、楓の嘘を暴かなくてはならないのだから。
──僕は、嘘が嫌いだ。
なんの種類の嘘であれ、つかれたら腹が立つ。しかし世の中には仕方のない嘘というのも大いにあるわけで、そのようなものの場合は、腹が立っておしまいだし、後は根に持ったりしない、となる。
そして、今回の嘘というのは……どちらだろうか。
今日ここに来るまでに考えてきたが、まだ明確な結論は出ていない。
まあ、そこはこれから決めていくことにしよう。
「分かってると思うけど、服部さんは僕に隠し事、あるよね」
「…………」
返ってきたのは、沈黙だ。それも仕方がないだろう。
「もちろん、人に言いたくないことはいっぱいあるだろうし、それは全然かまわないんだけどさ。どうやら僕は色々と、騙されていたってことに気づいたんだ。これから一方的に喋るからさ、間違っていたら訂正してよ」
「……うん」
小さい、しかし返事だとはしっかりわかるものが、今度は返ってきた。どうやら話をきちんと聞いてはくれるらしい。
というわけで、始めよう。僕はさっそく、大事な所から切り出した。
「まず、いきなりで悪いんだけど。服部玲と服部楓は、同一人物だよね」
同一人物。なんと、なんという当たり前の結論だろう! 会った当初はそう思ったではないか。それなのにいつの間にか、玲が幽霊であると思うようになり、二人を完全に分離して考えてしまった──こんなにも似ている二人を。一方が消え、同じタイミングでもう片方が現れたというのに、二人を分離して! 僕は一体、何を考えていたのだろうか。
「……そう、だよ」
思いのほか、すぐに肯定された。否定はしないかな、と予想こそすれ、少し肩透かしを食った気分である。向こうの承認を得たとはいえ、僕は丁寧に話を進めた。
「思い返せばだけど、気になる点もあった。まず、服部玲の幽霊らしきものを見かけて追いかけたとき。結局見失う形になって、近くにいた学生に質問したよね。そして僕の意に反する答えが返ってきたとき、服部さんは仲裁するように、この人は嘘をついていないって割り込んできた。あたかも、僕が嘘をつかれると人並み以上に怒るってことを知ってたかのように」
楓という名前の彼女に対しては、僕が嘘嫌いだということはまだ言っていない。
「それから、この前服部さんの下宿にお邪魔したとき。僕とお揃いの六法を見つけた。でもそれって、去年のなんだ。おかしいよね、今年から転部してきたのなら、今年のものを買うでしょ。友人や先輩に恵まれていないって言うのだから、貰ったとも思えないし」
その他の教科書は部屋に揃っていた。それなら、六法くらいは新品で買うのが普通だ。ちなみに「今年の六法」というのは、その前年の秋に出るのが慣わしだ。だから、四月の今に手に入れられないはずがない。
しかし楓と玲が同一人物ならば問題はない。ずっと法学部であった玲の私物というだけのことだ。
「もちろん、これだけで決めつけるのはおかしい。けど、同一人物って考えたほうが、片方は幽霊だって考えるよりは、合理的だよね」
そう、幽霊なんてものは、いるかどうか分からないのだ。いつの間にかいる前提で考察していたが、これが思い込みだったのだ。遭遇当初の、幽霊の存在を疑いまくっていた僕の方が、よっぽど賢いことになる。
もっとも、傾いて行ったのには理由があるのだが、そちらもこれから明かしていけばいい。既に把握している。
「でも、幽霊だって考えたほうが、納得できるところもあるよ?」
楓の言葉は、僕に反論しているというよりは、僕の説明の進行を補助しているようだった。なので、それに乗っかって言葉を継ぐ。
「そうだね。挙げて行こうか。まず、玲と楓の人格の違い。それから服部玲は七年前に死んでいるってこと。これは新聞にも載っていたから確実だよね。あとは、実際に服部玲の幽霊らしきものを追いかけたこと、かな」
なお、玲と楓が双子であるとは思えない。それはやはり、双方が同時に出てきたことがないからである。一度、楓の前で玲らしき人物を追ったが、今となっては「らしき」に傍点が振られるべきものだ。
なお、ここでは挙げなかったが、僕が幽霊を信じる羽目になった重大な理由は、あと二つある。一つはクラスメイトの僕の噂。そしてもう一つは、理穂さんが僕に幽霊は存在する前提で様々な推理を広げたことだ。この理穂さんの存在というものがかなり大きい。完全に、誘導されていた。
このうち前者は、以前理穂さんにかけられた「魔法その一」で解けている。僕は独り言が多い。なんでもない、例の彼は僕の独り言を聞いて、軽く引いただけのことだ。幽霊がどうとかいう文脈で考えるから、ややこしいことになる。
そして後者だが、これはしかるべき時に明かそう。
「人格の、違い……」
楓は僕が言葉にしたもののうちの、最初の要素を復唱した。
「そう。一方は大人しくて、もう一方は溌剌としてた。何より玲のほうにだけ、潔癖症みたいなものがが固有に備わっていたよね」
そう言って僕は、机の上に置かれている楓の腕を、おもむろに取った。突然のことでピクリと強張った反応があるが、あまり嫌そうでもない。ほか、楓は一度僕に抱きついてきたことがあった。潔癖症ならまずしないことだろう。
「けれど、それが同一人物ではない証拠にはならないよね。むしろ、少しでも印象を変えようと頑張っているようでもある」
外見に気を遣ったり、大きな声で話したりしたのもそうだ。どちらが「素」なのかは分からない。玲のときに潔癖のフリをしていたのか、今でも色々と我慢しているのか。ともあれ、この点に関してはあまり気にする必要はない。大事なのは、彼女がずっと演技をし続けていたってこと。
「じゃあ、服部玲が七年前に死んでいた、っていうのは、どう?」
ついに楓も、玲を姉さんと言わなくなった。会話が確認作業になっている。
「もちろん事実さ。繰り返しになるけど、新聞にも載っている。だからさ、普通に考えたらいいわけだ。つい最近まで服部玲だった人物は、もちろんあなただけれど、服部楓が『玲』と名乗っていたんだね」
楓は一年生のときにオカルト研究会に属していた。学内の変死事件について詳しく知ることも可能だろう。さらにそこで、死んだのが自分と同世代かつ同じ苗字をもつ女性だと知る。強く印象に残っていてもおかしくない。
「つまり、あなたは去年、経済学部にいながら、たまに法学部の授業を受けていたんだよね。二つの学部は結構分野も近いし、そうする人も多い。法律学の教科書を買おうとして僕と鉢合わせたのも、変な話じゃない。で、その後教室であった時、僕がいきなり『法学部だよね』と訊いて、答えあぐねているうちにそうなってしまったから、玲っていうことにしたんだ。下の名前がどうだろうとそこまで困ることはないし、服部玲は法学部生だったし」
「…………」
楓は顔を赤らめて俯いてしまった。自分の引っ込み思案が招いた事態だけに、思い返すと恥ずかしいのだろう。しかし、同情するつもりはない。
「続けるよ。これが一番大きいのかもしれないけど、以前に幽霊の追跡をしたよね。あのとき追っていたのが服部玲の幽霊だとすると、同一人物説はもちろん崩れる。だから当然、あれは別人だ。去年まで僕といた服部玲はあなただから、生身の人間。服部玲は失踪したのではなくて、服部楓に戻っただけ」
これまた当たり前の発想だが、それを邪魔する事実もある。追いかけていたら玲の幽霊らしき存在が忽然と消えてしまったことが、そうだ。
楓もそれは分かっているようで、まだ熱を持っている顔をこちらに向けて、
「追っていたらパッと消えてしまったのは、どうしてなのかな?」
「それも簡単。なぜなら、あれが服部玲ではないとしたら、あの恰好は変装だったことになるから。すると、前方を急いで走って角を曲がり、コートとカツラを取って鞄に詰めて、そのまま歩いて引き返せばいいことになる。当然僕とはすれ違っただろうし、鞄や下半身はあのままだったかもしれないけど、あの状況でその程度じゃ気付くわけもないよ」
ただ、あのとき茶髪で小柄な女性とぶつかるようにしてすれ違ったことは、今でも覚えている。あれが服部玲の「中の人」だったのだ。記憶に残っていたのは、無意識のうちに彼女の鞄が脳に刻みついていたからではないだろうか。
「すごく単純なことだけど、あの時の僕は服部玲を幽霊だと信じ込んでいたから、そもそも変装に発想が至らなかった。服部玲を偶然見つけた、といった感じが強かったのもあるね。でも実際はあなたが手引きしたんだろう? 服部玲の姿が見えない演技をしていたけど、あのまま僕が見つけられなかったら、何とかして誘導するつもりだったんじゃない? どうするつもりだったの?」
僕の問いにはちゃんとした答えは返ってこなかったが、この場において積極的な否定がないものは全て肯定だ。楓を睨むように見やると、彼女は肩をすぼめて小さく言った。
「じゃあ、その変装してた人って……誰?」
「誰って、知ってるくせに。僕は知らないよ」
実際問題、分からなくとも楓に(つまり玲に)体格の近い人を探して頼めばそれで終わる。犯罪行為でもないわけだし、報酬でも用意すれば誰かはやってくれるだろう。
なお、教室内での服部玲の死体出現の謎も、真相はどうでもいいことになる。この目の前の服部玲、もとい楓には何の関係もない。僕は続けた。
「ここいらはこれくらいにして、次の疑問に移るよ」
「……ええっと、どこかな?」
「服部玲が幽霊でもなんでもないとして、じゃあ原根はなぜ死んだのか、ってところ。死ぬ直前に、服部玲が幽霊だって僕にわざわざ電話して来たんだよ? なんの関係もないなんて言わせない。じゃあどういうことなのか」
僕は一拍、間を置いてから言い放った。
「逆に考えればよかった。服部玲の事件があってから原根が死んだんじゃあない。まず原根が死んで、服部玲の事件が利用されたんだよ」
「……どういうこと?」
「原根一馬の幽霊なんてものも、嘘っぱちだってことさ」
嘘。
吐き捨てるように、言葉にしてみせた。
「これは知らないかもしれないけど、僕は花村さんに写真を見せられたことがあるんだ。原根が幽霊として存在している証拠として、彼女と編集者の矢野さんだけが写っている写真をね。当時の僕はびっくりして、逃げてしまった。そんなことありえないと思ったからさ」
楓が驚きの表情を見せた。知らなかったようだ。
「そのうち僕は原根の幽霊を信じるようになったから、なんとも思わなくなった。幽霊って写真では消えるんだなあ、なんて感じたよ。でも、それはおかしい」
「……本当?」
「ああ。まず、僕が幽霊を信じるきっかけになったのは、原根の姿を見たから。遠目だったけどアレはそうだった。服部玲的な人物を追いかけたときとは違う。そして当然、花村さんもそれを目撃した。その限りにおいて、僕と花村さんは同じ原根一馬を見ている」
「うん。そうだね」
「だったら当然、花村さんもあの写真を見て、僕と同じように彼女自身と矢野さんだけを目撃するはずだ。決して、別の空間に原根を見ることはない。しかしそうではないのだから、そこは嘘だということになる」
「えっと」楓が理解が追いつかないとでも言うように、左上のほうを見やった。
「いい? 僕と花村さんは、原根の幽霊を、いやあれもカギかっこつきの《幽霊》だけどさ、同時に見られたわけ。だったら原根がいるっていう写真を見て、僕はそこに彼を見いだせず、花村さんだけが見いだせるっていうのは論理的におかしい」
「あ、そういうことか。でも、それってどういうこと?」
僕は軽くため息をついた。
「花村さんも、僕を騙していたんだ。原根一馬の幽霊がいるって信じ込ませようとした」
「そ、それは」
とたん、楓の反応が変わった。ただ受け入れるように聞いていたのが、慌てたような口調になる。
「ん、違う?」
「え、いや、その……それは……」
しかし、歯切れが悪い。もじもじするだけだ。なんなんだと思ったが、楓のもとは玲であることを思い出した。引っ込み思案で大人しい。ここ最近は、頑張っていただけ。むしろ当初のような性格に戻ったのだと思うことにしよう。
「あなたも、花村さんも、それぞれ幽霊をでっち上げて僕の前に持ってきた。まあ、あなたの場合は去年からなんだけどさ」
どうしても、服部さん、と目の前の彼女を呼びにくくなってしまう。玲と楓の重ね合わせのように思えるから、具象の苗字より抽象の代名詞に頼ってしまう。
「それで、原根の幽霊は嘘だったわけだけど、僕は彼を目撃したのも確かなわけ。これってどういうことだろう。簡単だよね、彼は生きている」
「でも……」
「分かってるよ、原根一馬は死んだ。学生部でも確認したよ。だからさ、これも単純な話」
一つ、溜息。
「──去年僕が接していた原根一馬は、彼の名を騙った別人ということになる」
「……分かって、いるのね」
観念したかのように、楓がうな垂れた。祈るように手を組んでテーブルに乗せ、拳で額を支える。降参のポーズに見えなくもない。
「初めて会った時から別人なら、当然気付かないよね。そんなことをするメリットが気になるところだけど、この場合はある。本物の原根一馬が、執筆活動に専念するためさ」
一馬は桃香と付き合うに当たって、無理をしてこの大学に来た。しかし作家になることが夢なのだから、したくもない勉強なんて無駄だ。しかし卒業はしないと花村家の覚えが悪くなるので、替え玉に学業を任せたのだ。
「もちろん、替え玉には花村さんから報酬が出ているんだろうね。彼女と付き合っているフリをしながら、大学に四年間通うアルバイトさ。もちろん、原根に似ている人物である必要があるけど、彼はそこまで特徴あるタイプじゃなかったし、多少のメイクがあれば該当する人物はたくさんいると思うな」
食堂でちらりと目にした彼の学生証は、写真こそ本物の原根のものだったが、やはり実物とは顔つきも違った。しかし、そんなことは本人でも起こりうることである。なんていう会話をこの食堂でしたのも懐かしい話だ。
「報酬……は……」
「なかったの? そこはまあ、想像にすぎないけど。ああ、想像と言えば、僕が会ったこともなかった原根君の死は、やっぱり自殺なんだろうね。執筆活動が上手く行かなかったのかな」
「……遺書が、あったの。概ね、そういう感じだった」
「そう。なら僕の言っていることはそう間違っていないのか。そういえば、矢野さんが原根から僕にかけてきた電話の件を知っていたね。でも、花村さんが僕を騙そうとしていたのだから、矢野さんに話が筒抜けなのも当然」
思い返せば様々な陰謀論を組み立てたものだが、僕が一馬だと思っている人物は一馬ではないという観点に立てば、あっけなく終わるものだった。事実、理穂さんの「魔法その二」はこれだったのだ。
──君が知っている原根一馬は、別人だよ。
少し人を見下したようないつもの調子とは違ったものの、あの言葉は耳について離れない。
が、話を進めなければ。
「さて、そして次に考えなければいけないのは、理由だね。あなたも花村さんも、どうして幽霊を僕に見せたのか。教えてくれる?」
試しに問いかけてみたが、ここは黙秘された。どうやら言いたくないらしい。いつもなら訊かないが、今日は掘り下げる。僕は嘘をつかれたのだから、それを暴く権利はあってしかるべきだ。
「だったら、こっちの想像のままに言うけど。一応、考えはあるし」
あまり口にしたくはないのだが、仕方あるまい。
「……こういうことをした理由っていうのは、僕だからだろう?」
楓の目が、見開いた。怯えの混じった色で、こちらを見る。
「僕だから。つまり、僕が嘘をこの上なく嫌うからだ。それが理由でしょう?」
もう一度、繰り返す。否定の言葉は、返ってこない。
「原根君の自殺は、もちろん想定外だったはずだよね。発見者は……やっぱり、花村さんなのかな?」
「……うん。そう、だよ」
「それはつらいだろうね。でも、原根君の替え玉にとっては、それ以上の問題でもあった。なにせ、自分が死んでしまったのだから。もう大学には通えないし、原根一馬も名乗れない。しかし、僕にそのことは知られたくなかった。だから、幽霊になったのさ」
楓の瞳が少し翳った。
「普通なら、僕の目につかない所に逃げちゃえばおしまいだろうけど、それができなかったんだろうね。大学に行かなければならない理由が継続してあったとか、本来の自分の自宅もすぐ近くにあったとか。正確な理由は分からないけど、とにかく替え玉は僕とニアミスする危険性があった。それを予防するために、花村さんは幽霊の話を僕にした」
依然として、楓は何も言わない。ゴルゴンに石化させられてしまったかのようでもある。口元の震えが目についた。
「そしてあなたも。些細な事とはいえ、僕をずっと騙してきたよね。それでも多分、成績開示の日には打ち明けるつもりだったんでしょ? 前もって転部の用意をするだけあってさ」
あの日、名前を大声で呼ばれた意味も理解できる。また振り返ると、楓は玲と名乗っていただけではなく、自分が幽霊であるような振る舞いも見せていたかもしれない。中二病と言われそうな行為ではあるが、死者を名乗ったのならそういう行動を取ることも、多少わかる。
「だけど今回の自殺騒ぎがあって、あなたにも花村さんから連絡が行った。だから、それに便乗してやろうと思ったんでしょ? 原根一馬と同じように、服部玲という架空の存在も完全に消し去ろうとしたんだ。携帯電話の変更までしてさ。でも、それは花村サイドにとっても有利な話だよね。幽霊だなんて突拍子もない話、一つより二つ重ねたほうがいい。事実僕はすっかり信じた。違う?」
「…………っ」
声にならない声が漏れる。終始びくびくしてばかりの楓。
いい加減、僕も苛立ってきた。
「どうして?」
大きめの声が出る。周囲を気にして、声音だけは落として続けた。
「そんなに、嘘がバレるのが嫌だったの? そりゃあ僕は嘘をつかれると怒るよ。でも、それだけのことじゃないか! たったそれだけのために、ここまでやるのかよ!」
「違うの! これは、花村さんが」
「ああ、花村さんはそうしたかったかもしれないね。替え玉なんて、実家には極秘事項だろう? 僕なんかが知ったら、密告するかもしれないもんね。正直に、さ!」
「それだけじゃなくてっ」
「そうだ、あなたも自分の利益だけで動いたわけじゃあないよね。服部玲を葬りつつも、花村さんに協力もできる、一石二鳥だ。たいしたもんだよ」
「そういうわけじゃあ……」
「じゃあ、なんなのさ。さっきから全く喋ってくれない!」
タン、と机を叩くと、しゃくりあげる感じの呼吸音とともに、楓は黙りこくってしまった。見れば両目からは涙が伝っている。鼻も赤い。食堂で女の子を泣かす大学生、ここに現わる、だ。声を荒げるなどうるさくしすぎてはいないので、人もまばらな周囲に感づかれてはいないが、気まずい。
沈黙が続く。
蓋を開けてみれば、大したことのない話だった。これまで大仰に考えたことは、全部妄想だった。バカみたいだけれど、あれだけ必死に考えた、服部玲の死体消失の謎も、至極どうでもいいものとなった。
だって、関係ないのだから。
理穂さんにも、考えすぎるなと何度も言われていたっけ。ちなみに彼女が僕に幽霊はいると前置いて推理をしたのは、きっと早い段階でここに気づいたからだろう。そして、桃香や楓の意図を汲み、大人しく僕が騙されたままならばそれがベストだと感じたのだ。
しかし、僕が独自の推理をおっぱじめて迷走してから、限界を知った。
その果てが、あの土下座だ。
やられたときは大げさな、と思ったが、理穂さんなりの謝罪だったのだろう。理穂さんも僕を騙す側にいたことになるけれど、不思議と腹は立たなかった。そう、仮に嘘をつかれたとしても、どれもこれも僕を積極的に害しようと意図したものではないのだから、あんな風に一言すっぱり謝ったらいい話ではないか。
それを目の前の楓は、いつまでもはぐらかす形で。それとも僕が言ったことは全て正しく、図星だらけで素直に肯定できないだけの事なのだろうか。
「……ねえ。いい加減に認めてよ。原根一馬と服部玲、二つの人格の嘘を消し去るために、こういうことをしたんでしょ?」
「……それは……」
「それは?」
「──それは、違うぜ」
突如背後から声がして、僕は反射的に振り返った。
いや、振り返りつつも、そこに誰がいるのかは分かっていた。
懐かしい声。そして姿。アイドルの写真と現物の差異について、ここで熱弁していた彼。
原根一馬──の、替え玉が、そこにいた。
「……違う?」
僕は問いかける。替え玉は歩み寄って楓の隣、僕の斜め向かいに座って言った。
「ああ、違う。服部さんは本当のことも言いづらいし、君の前で嘘をつきたくもないだけ」
その言葉に、びくりとした様子で楓が替え玉を見る。
それを目で制しつつ、優しく語りかける替え玉。
「もう、いいよ。全部話そう。俺がやるから、さ」
彼の一人称の変化に気づいたころ、替え玉は僕に向かって一礼していた。
「久しぶり、そして初めまして──原根一馬改め、花村孝介です」




