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Ⅵ レイの追跡 前編

「ふうむ」

 とりあえず僕は腕組みをして唸っていた。

 楓から会いたいという要請がかかった土曜日。僕と楓は予定通り大学内で落ち合った。女の子にメールで会ってもらえないかと尋ねられることなんて、玲はおろか桃香との間でもしなかったことだし、少しばかりドキドキしてしまって、着ていく服を何にしたものかと気にしたりもしたのだけど、結局は普段着に落ち着く。まあ、それしか持ってないから当然の帰結なのだけども。

「うーん」

 一方の楓だが、こちらも普段着である。しかし、それは楓としてのものであり、春らしさをちゃんと押さえて考えたらしいコーディネイトであり(これを描写する語彙が僕にないのが残念だ)、メイクもしっかりしている。服装数パターン、いつも大体同じ格好だった玲となまじ同じ顔をしているだけに、違和感が抜けない。

「ここで、ねえ」

 僕たちは今、教養棟にいた。休日なので、構内や他の建物には今日も学生が結構な数ひしめいているとはいえ、クラス単位での授業が行われるばかりの比較的小さな教室が集まったこのフロアは、ほぼ無人である。

 そして僕たちは、そのフロアの一教室に立っている。

 服部玲が死んだとされている教室に。

 静かだ。冬を引きずっているかのようなひんやりとした空気がある。

 僕は窓の前に立ち、外を見た。ここは三階なので、地面を見下ろすようにする。そこは自転車置き場になっていて、時折学生が出入りしている。ずっと置いてあるような自転車もちらほら目についた。

「……どうかな?」

「どうって、そりゃただの教室だよ。僕も一年生の時、語学ここだった」

 玲の足取りを追いたい、という楓の希望を叶えるのが今日の目的だが、まず彼女はここに来ることを望んだ。しっかりと、姉の玲が死んだ場所を観察したかったらしい。僕としては、玲そのものの死よりも、それと一馬の死との関係を見つけ出したかったのだが、ここに来ることも完全な無駄とは思えなかったので、良しとする。

「たとえば七年前の事件に何か仕掛けがあったとして、その痕跡が今でも残っているなんてことは、考えない方がいいんじゃないのかなあ」

「そうだよね……姉さんの幽霊がここを拠点としていてくれたら楽なんだけど」

 何を言う、と突っ込もうとしたが、直感的な想像としてはそんなものだな、と納得した。幽霊が一番執着する場所は、やはり自分が死んだところのはず。今日みたくここに出入りのない日は、案外留まっているかもしれない、と楓は考えたのではないだろうか。

「お姉さんは、自殺だったのかな。それとも、殺されたのかな」

 ついに、玲のことを自然とお姉さんと言えてしまった。まあ、そうなんだけども。

「自殺、ってことにはなってる、よ?」

 上目遣いにこちらを見る楓。その仕草は、玲を思い出す。ただ違うのは、目の前で揺れるポニーテール、そして二人の物理的な距離感だ。玲に比べて楓はパーソナルスペースが狭いらしく、心持ち位置が近い。服が触れあってもおかしくないくらいだ。

「自殺かあ」

 僕は腕を組んだ。いや、自殺でも困りはしないのだ。むしろ、学び舎で殺人が起きるほうがよっぽど問題だろう。

 けれども、僕の立てている仮説は、玲に関する何かを一馬が知ってしまったがゆえに、一馬も死ぬ羽目になったのではないか、というものなのだ。単なる自殺にそんなものがあるだろうか。何かの陰謀による、やむにやまれぬ自殺という可能性はありえるが、それは強迫による殺人と変わりはしない。

 それに、例の噂もある。

 死体出現だ。

 話の大概は分かっていたが、僕はもう一度教室を確認した。まず、二人して一旦外に出る。

「これが、ドアだね」

「うん、そうだよ」

 閉めきった状態では、教室内部の様子は分からない。僕は扉の取っ手を掴んで下げ、ぐぐっと押し開けた。目の前に、教卓がある。右手の壁が黒板だ。そして、開けきったドアもそちらの壁についている。

 左手には、机と椅子だ。三人掛けの机が、四行七列。ずらっと一望できる。

「この状況では、死体はなかったってわけか」

 そして、中に入る。振り返って、ドアを閉める。

 教卓に背を向けている形だから、右方後ろに机があるのを感じることはできるが、死角になって見えないところもたくさんある。

「……この時に死体が出現したとして」

 振り返る。

「ようやく発見、かあ」

 おおまかなシミュレーションだが、そういうことなのだろう。

「そういえば、お姉さんは教室内のどこらへんにいたんだろう?」

「うーん」

 僕が問いかけると、楓が思案顔で唸った。

「そこまでは、わかんないよ。でも、入り口にあんまり近いと、ドアを閉めているときに視界に入っちゃうんじゃないかなあ?」

「順当にいけば、奥の窓際、それも後ろの方かな?」

「そう……だと思う。でも、どうやって出現したんだろう?」

 そこだ。ワープしてきたわけでもあるまいし、いきなり出現するなんてことはない。隠されていたものが、現れたにすぎないはずだ。

 出現の方法はなんなのか。僕には見当がついていないのだけれど、確か理穂さんは言っていた。複数の解答がある、と。もちろんそれは、手がかりが少ないからという理由によるが、それでも彼女はこの現象に答えを示せるらしい。

 だったらそのうちの一つくらい、僕だって思いついてみたいものだ。

 まあ、この前のスラックライン騒ぎ(騒いだのは主に僕だけどさ)のときに理穂さんは同じことを言っておきながら、あまり大した仮説を立ててくれなかったことを考えると、いくらでも解法があるというわけではないのだろう。

「どさっという音がして振り返ると、死体があった、ねえ……」

 僕が考え込む素振りを見せると、楓は目を少し見開いて声を上ずらせた。

「え? そうなの?」

 おっと、そうか。楓と言っても情報量に優れているわけではないのだった。大学生も三年目に過ぎないし、何年やっているのか分からない理穂さんに長があってもおかしくはない。

「あーうん、よく知っている人に聞いたんだ」

「へえー。オカ研なの、その人?」

「いや、違ったと思う」

 過去に在籍していたかもしれないが、というか在籍していたと言われても全然驚かない自信があるが、今はサークルをやっていないと言っていた気がする。

「どさっと……って、じゃあ、天井に貼りついていたの?」

 楓が声を上ずらせて、上方を仰いだ。つられてそちらに視線を動かしたが、そんなことができるようには見えない。

「というか、天井から落ちてきたとして、机に突っ伏すなんてこと、あるかな? 机の上にどしんと倒れてきておしまい、だと思うんだけど」

「うん。私もそう思うな」

「でも、教室に入ったときに死体が見えなかったのは事実なんだよね」

「そうみたいだよねえ……隠れるとこ、あるかな?」

 楓の視線が教室内を乱れ撃ち。それはふと、教卓にて止まる。

「この中にいた、とか」

「そこからどうやって机に移動するのさ」

「そうだよねえ……あ、じゃあここ」

 ついで楓が指差したのは、入口右手すぐの壁だった。

「ああ、ドアを開けたときには死角になるね、そこ……でも、やっぱりどうやって机に」

 言いかけて、思った。

 死体が出現したと言っているが、果たしてその時服部玲は()()()()()()()()()

 例えば生きているまま隠れていて自力で出現し、死んだフリをすることでパニックを起こした後で、自ら毒を飲んで死んだ可能性はないだろうか。

 だとすれば、謎は比較的楽に解決できる。教卓の裏とか、ドアの死角の壁とかは無理があると思うが、教室一番後ろでうずくまっていればそうバレない。そうしておいて「出現」すれば足りる。そのあとで死んだのか殺されたのかは知らないが。

 と、いう内容の疑問を、楓にぶつけてみたところ。

「週刊誌にあったけど、発見時に学生が救命活動をしたって書いてあったよ。やっぱり後で毒を飲むのは難しいんじゃないかなあ」

 なるほど。毒を飲んでもいないのに救命活動を受けてしまったら、これはおかしいぞと違和感を持たれてしまうかもしれない。

 しかし案外と、僕はその反論に対する抜け道を見つけていた。

「いや、簡単だよ」

「うそっ」

「ほんと。救命活動をしている人が、その時に飲ませればいいじゃん」

「えっと……ってことは、姉さんが狂言で死んだふりをすることは目撃者に伝わっていて、でもその目撃者は本当に姉さんを殺したってこと?」

「うん。そうなるかな」

「でも、どうして? 狂言なんてする必要、あるかな?」

「えーと……目撃者が二人いたというから、片方を犯人に設定するよ。犯人はお姉さんを殺したくらいだから動機はあるよね。だったら、普通に殺したら疑われる。いきなり死体が現れて救命していれば疑いの目も逸らせるって考えた、とか……」

 自分で言っていて怪しくなってきたが、楓の追い打ちは続いた。

「うーん、だったら、姉さんは初めから死んだフリしておけばよくない? 途中で出てきたらややこしいよ」

「それはほら、死んだフリをしているときに他の人が来たら困るから……?」

 ついに語尾が疑問形になる。さすがにこの線はないか。

 目撃者が「これから行く」と連絡するなどして、直前に死んだフリをしておけば解決することである。

 確かに、狂言なのだとしたらあえて出現する意味はなくなる。僕の考えは的外れだ。

 くそう、理穂さんがいなければいつもこうなのか。確かにミステリの読書量は大したことはないし、推理ものに触れることは少ない。だが、大学に入って理穂さんのロジカルな思考をやたらと聞いてきた身としては、一つくらいなにか浮かんでも──

 ──浮かんだ。

「そうだ。なんだ」

 僕の呟きに、楓が怪訝そうな表情を送ってくる。

「逆? どういうこと?」

「誰かが殺したように見せかけるんじゃないんだ。もっと当たり前のことだったんだよ。単純に、()()()()()()()見せかけたかったんだ」

「ええ?」

「確かに状況は不思議だよ。死体出現だなんて言われてるんだからさ。でも、警察は自殺だと判断したんでしょ? これはなぜだろう。よくよく考えたら、お姉さんが狂言で突如出現してから、自分で毒を飲んだと解釈できるよね」

「誰かの前で、死にたかったとでもいうの?」

 楓の語調が荒くなったが、その通りなので僕は首肯するに留めた。

「もちろん、犯人が救命活動の最中に飲ませたのでは、と疑えるけど、それにはさっきの反論があるよね。必然性がない。だからなんちゃっての不可能状況を作ったんだ。奇妙な自殺ならあり得るが、他殺と考えるのはおかしい。よって、動機がある犯人の仕業というよりは自殺だろう。そう思わせたかった」

 現に、そう思われたため、玲は自殺で処理された。

 かなりの詭弁であることは分かっている。不可解な死体出現という現象は、犯人が行ったものか、死者が行ったものかのどちらかだ。そしてどちらがやるにしても必然性はなく、特に意味のない行為であるのならば、普通は死者が行ったものと判断されるはず。

 そう判断されることが、犯人の狙いだったのだという考えである。そこまで回りくどいことをする必要があるかについては僕も大いに疑問があるが、今の僕にはこれが一番筋道だった推論だ。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ」

 楓の慌てたような声が割り込んできた。

「それはよくわかったけど、結局ふりだしだよね? だって犯人は、何らかの方法で死体を教室に出現させたんでしょ? そこはどうやったの?」

「それは、だね」

 いつもの僕ならば答えに窮するところだが、今回は自信を持って言葉を継いだ。冴えているのか、さっき話しているうちに一つ、思いついたことがあるのだ。

「服部さんさ、奥の三人掛けの机の椅子に横になってくれない?」

「え? いいけど……」

 素直に従ってくれる。楓は小柄なので、机一つ分ですっぽり収まった。そのまま教卓へと移動し、教師のように教室内を見回してみる。三人分の椅子の上に寝そべっている楓は、案の定ここからは机に隠れて見えない。

 そして僕は、ゆっくりと左へと移動していった。ドアの方だ。視線は楓のいる方を見続けているが、やはり分からない。角度によっては、隙間から椅子の上に何か乗っているのが分かるが、注視しなければ気付かないし、人間だという判断はできない。

 そのまま、外に出る。ドアを開け、入り直す。

 ここからも楓は、見えない。

「よし。もういいよ」

 僕は楓を呼び寄せて、思いつきの続きを語った。

「さっき服部さんにあそこで寝てもらったけど、ここからその様子は分からなかった。ということで、こういう仕掛けはどうだろう」

 黒板に図示しながら、説明する。

「透明で細いテグスを用意するんだ。それをお姉さんの死体と、内側のドアノブで結ぶ。ここで大事なのは、死体の上体は起こしたままで、今にも後方に倒れそうなのを阻止するような短さのテグスで結ぶことだ。つまり、ドアが閉まっていることで、死体は椅子の上に横向きに座っていられることになる」

 九十度起き上がっていたわけではないだろう。四十五度くらい、腹筋運動中の静止をイメージするのがいいと思う。そのように書いた後、

「で、犯人=目撃者の片方は、自分で教室のドアを開ける。すると、テグスが当然緩むから、死体は完全に倒れて見えなくなる」

 楓があんぐりと口を開けた。どうやら後は理解してくれたらしい。

「そんでもって、こんどは強引にドアを閉めてやる。するとテグスがまた引っ張られるから、死体も起き上がる。でも変な方向に力が掛かって、机に突っ伏すようになる、と」

 力任せの仕掛けだ。言っていて、こんなものが成り立つのかな、と自分でも思う。いくらテグスが見えにくくてもバレるのでは、と感じもするのだけれど、目撃者として仕立て上げられた人物からすれば予想だにしないことであるし、気付かないように思う。

 ミステリなど読まない人間が考えてみたが、これはどうなのだろうか。トリックとでも言える代物なのだろうか。

 ひとまず傍らの楓に目配せをしてみると、そこには目を輝かせた子どものような女の子がいた。

「す、すごいよ雪見君! 絶対そうだよ!」

 僕の手をとってブンブンと上下に振り回す。こうまで好反応だと気持ちがいい。本当にそうだったのではないか、と思えてくる。

 実際、服部玲が殺されたとして、死体出現などという面倒くさいことをやる理由を押さえつつ、仕掛けも解明したこの推理はいい線をついているとは思うのだ。

「まあ、これが本当だったところで、お姉さんが殺されてしまったってことが分かるくらいだけど……っと、ごめん。無神経だな」

「ううん、大丈夫。その犯人が気になるって気持ちもあるけど、見つからないだろうから。私は姉さんの幽霊がいるとして、それに会ってみたいだけだよ。ここに来たのも、ひょっとしたらいるかなあ、なんて思ったのが大きいもん」

「そう、か」

 実際、玲はどこに行ったのだろうか。あの日を境にとんと姿を見ない。もともと目立たない人物だったから、探すのも難しい。

 ただ、ここの学生によくあることだが、玲は同じ上着を何度も着回していた。今でこそ、幽霊だったからあまり外見を変えなかったのだ、と推測できるが、ともあれ玲のシンボルとも言えるような恰好は覚えているので、それさえ発見できれば、とも思う。

 まさかこれから学内中を歩き回るわけにもいかないため、僕たちは法学部まわりをざっと見てみることにした。ここらになると平日にやったほうがよさそうなので、半ば散策めいてきている。天気もいい。

「雪見君は、単位大丈夫なの?」

 ちょっと一段落とばかりに、楓から大学生らしい質問が飛んでくる。

「うん。成績はちゃんと確保してる。そういえば、経済学部からの転部って実際どうなの、単位関係は」

「えっとね、法学部としても認められているのが──」

 スムーズに雑談が進む。外見はそっくりでも、相手が玲ならもっぱら口を開くのは僕の方だった。それはそれでいいものだが、頬を上気させて元気に話す姿は、可愛らしいと思う。

 ──じゃあ、このまま玲はいなくなってしまって、楓と仲良くやってればいいのかい。

 そう簡単にいくわけではないのも、事実だった。人間と幽霊を比べるのはよくないけど。

 ふと、少し前に感じたことを思い出した。

 玲が姿を消したのは、楓の転部が理由だという仮説。

 そっくりな二人が同時に消えて現れるというのも、出来過ぎた話だからだ。しかし、そうだったとして、なぜ転部されるとまずいのだろう。

 玲は今のところ、一馬の死と深い関係にあるのではと疑っているが、楓ともなにかあるのかもしれない。

 もっとも、一番手っ取り早いのは、楓と玲が同一人物だという、最初に思ったことだった。そうすれば大体のことは説明がつくことに変わりはない。

 二人の内面は大きく違うように感じるが、決定的とは言えない。それに、玲が幽霊でもなんでもなくなるので、オカルトに頭を悩ます必要もない。

 一方で、それだと一馬がなぜあんな電話をしてきたのかという疑問が生まれる。また、理穂さんも色々と先取った様子で「幽霊はいてもいいのでは」と言っていた。思い出したくない話だが、僕のクラスメイトが陰口っぽく「雪見は何もないところでぶつぶつ言ってる」と証言していたのも見過ごせない。というか、これが一番見過ごせない。未だにアレを言ったやつと、僕は会話できていないのだ。ビビってしまって。

 玲は幽霊だ、というのが一応の結論なのだが、やっぱりそれは一応なわけで。こうして玲の追跡をしていると、そこにどうしても考えが及んでしまった。

 ま、玲と楓を同時に見たことがないってのも、あるしなあ。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、楓と連れ立っていると。


 三十メートルくらい前方に、それは()()



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