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Ⅴ レイの交差 後編

「……で、また幽霊と結びつけたってわけかい。宙に浮けるかって、そんな」

「ちょ、今回は違いますって! 単純に不思議だなーって思っただけで」

「でも、言ったじゃあないか。幽霊だったらいけるんじゃないかなー、てへっ、とか」

「てへっ、ってとこ全然可愛くないです」

 僕は小さく息をついた。

 いつものような理穂さんとの会話だ。知的な三つ編み眼鏡と無個性系男子大学生の問答。話を持ちかけたのは僕だし、今日も色々と言われそうではあるが、一つだけ、今までとは違うことがあった。

 理穂さんが、普通に僕の顔を見て話してくれるのである。

 普段は目を合わせて話すのが苦手と言い張って、僕が理穂さんの方を見たら顔を逸らすし、僕が明後日の方を向いて口を開いていればチラチラこちらを見ているのが分かるくらいだが、これはいったいどういうことだ。

 まさか。

「……もしかして、理穂さん、ツンデレですか?」

「はあっ?」

 途端、あたふたとしだす理穂さん。

「な、な、なにが? わたしが? そ、そんなわけないでしょう」

 真剣に慌てた反応だ。本当にそうなのか、と勘繰りたくなる。

 というのも、だ。ここはいつものベンチではなく、法学部の教室なのである。

 まあ、屋内なのは当然だ。外はまだ雨が降っているから、おちおち話していられない。

 しかし、講義室に入って後方に理穂さんを発見した時は驚いた。あの理穂さんが、授業に出席しているだなんて。彼女としても見られたくなかったのか、僕を発見すると、いつぞやのダンスサークルの発表会の時みたいに気まずそうな顔をしてから、そそくさと去ろうとした。睨んで制したところ、観念して居座ってくれたが。

 そうして講義も終わり、空き教室となったここで二人、居る。長机の前後に座って、向かい合うように。

 二人きり、というところがポイントだ。密室で魅力的な女性と、なんてシチュエーションはドキドキしないと言えば嘘になるが、こちらとしては真面目な相談があるわけだし浮かれてばかりもいられない。ただ、この態度である。まるで、人目につかないところでは目を見て話せるようではないか。さながら、ツンデレのように。

「あああ、もう知らん!」

 からかったら、いつものように顔を背けてしまった。変な人だ。

「別にいいだろう、君の目を見て話したって…………ちょっとだけ……気を……して……たというのに……」

「なんですって?」

 ごにょごにょと聞き取れない言葉。珍しいどもり方だ。

「なんでもない! なんでもないね!」

 しかし理穂さんはふいっと横を向いて、いつものように僕とは目を合わせないようにして、

「それよか幽霊の件だよ。なんだって? 幽霊は浮けるかだって? そんなもん、知るかとしか言いようがないだろうに!」

 ぶっきらぼうに言い放った。

「ふ、普段より口調が激しい……」

 荒唐無稽な質問だけども、今までの流れ的にそこまで唐突でもないだろうに。

「ああ、だめだね、わたし。こんなことで精神に変調をきたしているようじゃ」

 理穂さんは心底落ち込んだようにうなだれてから、表情を真面目なものに直した。といっても、どこかミステリアスなところのある微笑は残っている。

「幽霊が浮けるか、ね。なるほど。分かったよ、君に免じて考えよう」

「あと、幽霊に足跡ってつくのかなー、なんて疑問もあります」

 ついでにこっちもねじ込んでみる。

「うん、そいつはこの前の私の推測で応用できるね。つまり、幽霊が望んだときに物体に干渉することは可能とみなしたほうがいいのだから、足跡も同じことだろう。砂地につける場合はね。ペンキなどで足跡を付ける場合は、自分の足でペンキに干渉して靴底に色を付けて、それを地面に置く感じかな。どっちにせよ、わたしは出来ると思うよ」

 やはりそうか。なお忘れそうになるので自分に言い聞かせておくが、これら推測は、玲の行動をベースとして考えている。だから僕の当初の困惑よろしく、玲が幽霊でもなんでもないただの人間だった場合は意味がなくなる。

「ですねー。あ、じゃあ、幽霊に影がつくかどうかなんですけど」

「ふむ。吸血鬼には影がない、などはよく聞くね」

「はい。漫画でいくつか知ってます」

「これはね……二通りあるな。簡単なのと難しいの。簡単なのは、私の推測の応用だよ。前にさ、幽霊の外見の話をしただろう。わたしは影も、そのうちに含めていいと思うね」

「えっと、服や持ち物を具現化するようなことができるのだから、影も自分で作り出せるのではないか、ということですね」

「そうなるね」

「じゃあ、難しい方というのは?」

「うん。こういう状況を考えて欲しい。幽霊の前に、二人の人間AとBが立っている。二人は前後にぴったりくっついていて、後ろのBは顔をAの横に持ってきているから、二人の視界はほぼ同じだ」

「うげ。なんか気持ち悪い」

「男同士を想像しているのかい? じゃあカップルにしておきたまえ。で、話を戻すが、Aは幽霊が見えてBは見えない。そういう人間だということにしておいてくれよ。そして、幽霊はリンゴを一個、後ろ手に隠し持っている。リンゴはこの世のものだから、Bにも見える。さて、この場合二人とリンゴの関係は?」

 僕はちょっと考えて、すぐに答えた。

「Aはリンゴを見ることはできないけど、Bには浮いているリンゴが見えます」

「そうだね。半透明ではないからね、服部玲は。しかしこれって不思議なことじゃないかい。Aは幽霊が見えるばっかりに、リンゴを隠されてしまってるんだ」

「確かに」

「それでここからは想像なんだけど、この世にいないとはいえ、Aは幽霊という遮蔽物を感知してしまっているわけだろう。だったら、その遮蔽物に当たった光によって形成される影までも、認識してしまうのではないかな?」

 うーん。分かったような、分からないような。そうかもしれない、という思いのほうが強いのは確かだった。

「とにかく、理穂さんは幽霊にも影がつくって推測されるんですね」

「まあね。なかったら、さすがに露見するだろうね。それとも意外と大丈夫なのかな、どうだい、服部玲には影があったかね?」

「あった、ん、じゃ、ないですかね」

 そう言われると自信がない。桃香について同じことを問われても、断言できるわけではないが。人の影など意識して見ることはほとんどない。

「……で、だ。なんだか話が逸れた気がするが、幽霊が浮けるかどうかの話をしていたんだったはず」

「そうそう。忘れてました」

「話題を振ったくせに失礼なやつだね。まあいい、わたしもさっき言ったけど、基本的にこれは分からないね。多くのフィクションで幽霊は浮けるようだからそうなんじゃないのか、とは思うけれどどうなんだろうか」

「お手上げ、ですか」

 少し挑発してみると、案の定むっとされた。怜悧さとはすなわち単純さなのだろうか。

「すいません。僕が悪かったのでお願いします」

「……仕方ないね。じゃあ、考えよう。背理法っぽくいこうかな」

 背理法。仮説に矛盾する仮説を検証して、それが間違っていることを証明することで本来の仮説が正しいものだと導くやり方だ。

「ということは、幽霊が浮くことはできない、というところから出発するんですか? 浮けるとなると理由が分からないわけですし」

「そう。それで、幽霊が浮けないと仮定して、その原因は三種類考えられる」

「ほほう」

「まず一つ。幽霊には幽霊特有の物理現象があって、それゆえに浮くことができない」

「えー? それ、いいんですか? ()()()()()()の論理でしょ」

「ああ、こんなものを出されたら敵わないね。ただこういう可能性もあるってことさ」

 言われて気付く。なんだかんだで僕たちは、幽霊なんていう非合理的なものの話をしているのだ。それも、に。だったら思考の限界や、グレーとする分野の存在は受け入れなければならない。常に「今のナシ」と議論の根本が潰れる危険性を孕んでいるのだ。

 まあ、小難しく言ったけれども、要は妄想を擦り合わせているだけだから仕方ない、ということ。とはいえこれが、僕の周囲で起きている現象を考える上で有益なのは間違いない。

「二つ目に行こう。幽霊にも重力法則が適用される」

「あー、そういうことか」

「ま、一つ目とそう変わりはしないね。一応分けたけど、こちらも証明しようがないのは同じだ」

「そうですね。力の正体が分かってるかどうかの違いだけですもんね」

「で、三つ目だ。わたしとしてはこれが大事だと思うんだが……幽霊が自分は浮けないと思っている、だね」

な面、ですか」

「ああ。幽霊っていうのは、死んだ魂みたいなのがこの世に留まってるんだろう? だったら恐らくその行動は、生前自分ができたことに限定されると思うね。だからそもそも、自分に浮くイメージがない。それを実行できるかな、という話」

「……もしかして、この世への干渉も、それと関係あります?」

「お。よく分かってるじゃないか。その通り。現世への干渉ってのは、逆に生前できて当たり前のことだったわけだ。じゃあ、触れようと思えば触れられるのではないかな。案外、壁抜けなんていうのもできないかもしれないね、幽霊って」

 なるほどなあ。僕は感心して黙り込んだ。この三つがクリアされた時に、幽霊は浮けることになる。しかし三つ目の障害は、結構重大ではないかと感じた。外見を変えられるのもその延長だが、自分が着たこともないような恰好はできないことになりそうだ。それは生前の再現というより、変身になるからね。

「と、いうわけで」

 理穂さんが手を鳴らして、話題を変えた。

「君が見た途切れ足跡が幽霊の仕業かどうかなんてことは、知らんとしか言いようがない」

 こっちのトピックに戻ってきた。しかしちょっと待て。

「あの、理穂さん。僕も別に、あれが幽霊の仕業だとは考えちゃいないですって」

「ホントかなあ。だって幽霊についてあれこれ、考えてたじゃあないか」

「それはそうですけど」

「ふーん」

 意地悪っぽく笑う。こっちを見てやられると新鮮だ。普通は目を逸らされ続けるほうが異常なのだけど。というか、理穂さんのこっち向きモードが復活している。機嫌がよくなってきたのだろうか。とりあえず、野暮な指摘はもうやめておこう。

 と、理穂さんから質問が飛んでくる。

「じゃあ、あれが合理的な存在の仕業だとして、どうやってできたと思うかね?」

「そりゃ──」

 方法ならある。途中でジャンプして木に飛び移るやりかただ。とりあえず、それを披露した。

「ははっ。随分面倒くさい犯人だね。雨の中を木に飛びつくほどのことなのかな、それって」

「でも、できるじゃあないですか」

「まあね。けどさ、そんな七面倒臭いことするんなら、単純に自分の足跡だけを踏むようにして、下がったら終わりなんじゃないの」

 おっと。それもそうだ。が、認めたくない。

「ぐっ。そ、それはどうでしょうかね、不自然な足跡になって終わりな気も」

「まさか。足跡は雨でぬかるんでいたんだよ。わかりゃしないよ、そんなこと」

 完全に正論だった。僕は机に突っ伏して白旗を上げる。

「じゃあ、理穂さんはどうお考えですかー」

 軟体動物よろしく腕をくねらせて尋ねると、それを獲った漁師がごとく満足そうな理穂さんは、一つ間を作ってから言った。

「不思議の演出ではないね。なぜなら、そういうことをしたければ、あの砂道をもっと進んで足跡を長めにつけてから、同じように戻ればいいからだ。君の話を聞く限りじゃあ、それはだよ」

 それは僕もちょっと思ったことだった。

「だからまあ、なんらかの偶然で付いたんだろうが、それはわからん」

「また、わからんですか」

「コラ! 降参って意味じゃあないぞ! 答えがありすぎて一つに絞れないってだけだね。例えばそうだ、大きな靴付きの竹馬に乗っていた人が、文学部棟に入りたかったわけだが、あの場所で身体を前面に倒せば竹馬の効果で済んだ、なんてこともあるだろう」

「ありませんよ、そんなことは!」

 答えがありすぎると言ったくせに、最初に口にする推理がそれなのか。僕はおおいに脱力した。と、それを察知してやや焦ったのか、いや他にも考えは及ぶわけで、と理穂さんが眼鏡の奥の両目をくるくると回しながら忙しそうにする。

 しかし、答えがありすぎると言えば、服部玲が死んだあの教室の謎もそうなのだな、と僕は思う。過去の事件を伝聞だけで考えることは、あまり意味がないものなのかもしれない。もっとも、今回の足跡に関しては、僕は目撃者なわけだけど。

「ああ、そうか!」

 突如、理穂さんが叫んだ。何事かと思ってそちらをまじまじと見る。

「一番可能性の高い答えにたどり着いたよ。さすがわたしだ」

 ホントかなあ。僕が呟くと理穂さんはまたもやむっとして、

「嘘だと思うなら、明日の昼にあの場所に来なさいよ」

 と、僕をしっかり見据えて言うのだった。


          ○


 理穂さんの指すものはなんなのだろうと気になったが、一晩明けて。

 予報通り回復の兆しを見せた空模様の中、僕はあの三叉路へ向かっていた。きっと、理穂さんはすでに待ち受けていて、どうだいと自慢げに何かを披露するのだろうが──

「やあ」

「うっ、ど、どうも」

 不意打ちを食らわせるように挨拶してきたのが、その理穂さんだった。お外なので顔は合わせない。この前の教室でのドキドキはもう味わえないのだろうか。ビックリしたが、そのまま目的地へと歩む。

 しかし、いつも座っている理穂さんばかりを見ているせいか、ひょこひょこと動く彼女は意外に小さいのだなと感じた。体格は分かっていたのだが、不動のオーラのようなものが漏れている人なので、普段は少し大きく見えるのだろう。

 なんてことを思っているうちに、三叉路につく。

「ほら。あれだよ」

 理穂さんが指差す先を、もう僕は見ていた。

 そして、思う。

 ……なにやってんの、あれ。

 端的な描写を心がけよう。まず、三叉路の角に二本ある木の下から四、五十センチのところに、ゴムひものようなものが括り付けられ、木々を結ぶ白いゴムの線分ができあがっていた。樹皮を保護するためなのか、布がきちんと木に当てられている。

 そして、僕と同じくらいの世代であろう、つまりはここの学生であろう若者が二人ほど、そのゴムの上を走ったり、跳ねながらポーズをとったりしている。

 ……なんだ、これ。

 僕が呆気にとられていると、背後から理穂さんの声がした。

()()()()()()()だよ。こういうスポーツなのさ。綱渡りの技を競うんだね」

「すらっく……らいん?」

 初耳すぎる。

「初耳、とか思ってるようだけどね、君。この前ちょろっと読んだだろう、マイナーサークルの集い。あのスポーツ欄にちゃんとあったのさ」

 いや。そんなもの、()()()()()()()()し。

 ともあれ、謎はあっけなく氷解した。これがあれば、足跡なんて簡単につく。

 きっと経緯はこんなところだろう。メンバーが何人いるのか分からないが、スラックライン同好会の連中は昨日の昼も、ここで練習をしようとした。思えばうってつけの場所だ。下は砂地、都合のいい木があり、道をふさいでも迷惑が少ない。

 そして始めようとしたときに、雨が降り出した。

 おいおい練習できないじゃんか。ということで撤収を始める。ただその前に、誰かがちょこっとだけやったのだ。一方の木から真ん中辺りまで駆けて、ひもに乗り、どちらかへ渡ってジャンプして降りた。これで途切れた足跡ができあがる。

 きっと彼ら(二人である可能性が高い。二人きりだ。こんなマイナースポーツ、五人すら相応しくない)は、この足跡を見て、面白く思ったのだろう。

 どうせなら保存しようぜ、と後片付けも慎重に行ったはずだ。

 その数十分後、僕がそこに行ってあれを目撃。不思議に思う、で以上となる。

「あ、あっけないなー」

 思わず呟きが漏れた。すると、用は済んだとばかりに理穂さんがここを立ち去って行く。相変わらず、立ち見の嫌いな人のようだ。僕は苦笑して追いかけた。

 ちょっと歩いて、いつもの定位置、ベンチに座る。

「ふう。やっぱここじゃないと落ち着かないね」

「ベンチの精ですね、もはや……しかし、スラックラインの練習痕でしたか。うーん、僕からしたら思いつくものではないなあ」

 すると、理穂さんは上目遣いにこっちをチラリと見てから、鼻を鳴らした。

「君、そんなものだよ、謎の解決なんてものはさ。基本的には()()()()()なんだ。そりゃあ、伏線はあるだろうよ、誰かが解いているわけだしね。でも、やっぱり解決は後出しになっちゃうものさ。それでビックリするなり脱力するなりしてから、そういえばあの時あんなことあったなあなんて思えばいい。真相ってのはね、()()()()()()()()()んだよ」

 含みのある言い方に怪訝に思いながらも、まあそんなものかと感じる。幽霊が浮くかどうかなんてことを真剣に考えておいてこれはちょっと肩透かしを食った気分だが、地に足がついていると思えばいいか。

「君だって思っただろう? スラックラインをマイナーサークルの集いの冊子で見ていたからと言って、そんなものを覚えているわけがないと」

「え、ええ、まあそりゃあね」

「正直でよろしい。では、それは伏線足りえないほどの脆弱な手掛かりだったことになるね。しかし実際、この謎はそれを知っておかなければ解けなかったわけだ。それも、スラックラインという名前だけでなく、競技内容までね。しかしそんな言及まで君の周りであれば、君も気づいていただろうし」

「そこは心底初耳でしたよ」

「ふむ。そういうわけで、もう一度繰り返すが、真相なんてものは、明かされてから正当化されるものなのだよ。それは伏線を重視する本格ミステリであろうとそうさ。明かされる前から道が一本に定まっているわけではないし、ばら撒かれた伏線は真相が発覚するまではよくて状況証拠止まりだね」」

 理穂さんはわけのわからない講釈を一通り垂れてから、満足そうにうんうんと頷いた。

 良く分かりましたと相槌を打つのは嘘になるのでやめ、僕は話題を変える。

「しかし、面白いのかな、スラックライン」

「わたしは運動苦手だからやらないが、彼らは常に仲間を欲してそうだよ」

「まあ、そうですが」

 でもやっぱり、僕はやりそうにないな。

 感じていると、僕の携帯電話が着信を告げた。メールだ。

 差出人は服部楓とある。

 おっと。

 僕はそそくさと確認する。今度の週末、会えないかという内容だった。

 ──向こうから来たか。

 断る理由もなく、僕はさっさと了承の返信を出した。


Of course I do.

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