第六話
第八が第一の言葉について考え込んでいる間も、日常は過ぎていく。
「シャオジェ、いかがなさいました?」
声を掛けられてハッとした第八が見たのは、文字の書き取りをしていた筆が止まり、墨が紙に滲みを作っているところだった。
「今日は何だか、お心がどこかへお散歩中のようですね。」
「も、申し訳ありません、母上。」
今日の教師役は、母であるジンツァイだ。妃と言えど、後宮に勤める四家の女としての役割が強く、こうして第八の教育を担っている。
だが、母が相手だったからか、少し気が緩んでいたかもしれないと第八は反省する。いつもなら勉強の時間に、上の空になることなど無いのに。
「いいのですよ、何か気がかりなことでもおありですか?少し休憩いたしましょう。」
ジンツァイが教本を閉じ、第八もおずおずと筆を置く。
一度机を離れ、休憩用の卓につくと、侍女たちが茶を供してくれた。ジンツァイは茶を運び終わった侍女たちに下がるよう指示し、人払いをする。
二人きりになると、第八は一口だけ茶を口にし、ため息をつく。
「……申し訳ありません。勉強中に気を逸らすなど……」
「謝らないでくださいませ、怒っているわけではないのです。ただ、シャオジェが心配なのですよ。一人で考えこまず、母を頼りにしてはくれませんか?」
「母上……」
膝を突き合わせるように対面に座る、穏やかなジンツァイの声音を感じ取って、第八は怒られるのではないかと固く握りしめていた拳を解く。
「この間の交流会で、イー姉様が仰ったのです。わたくしに、やるべきことはないのか、と……。姉様は将来皇帝になるために、とてもお勉強を頑張っているのに、わたくしの態度が悪くて……わたくしがワガママだったんです。」
第八の話を遮ることなく、しっかり聞いて頷くジンツァイ。受け止めてもらっていると感じた第八は、安心して気持ちを吐露した。
「わたくしのやるべきこと……わたくしにできることって、何なのでしょう?」
第八は俯いて、小さな自分の手に視線を落とした。ジンツァイに不安を吐き出したことをきっかけに、頭の中をぐるぐると考えが巡り始める。
自分にできることなど、何もないような気がする。まだ満足に読み書きもできず、上のシャオジェたちのように得意とすることも、好きなこともよくわからない。取り柄と言えるものなど、何もないのではないか。第八はそんなことを考えていた。
じっとその様子を見ていたジンツァイは、ゆっくり口を開いた。
「シャオジェ、お顔を上げてください。」
おずおずと顔を上げ、正面からジンツァイを見つめる第八。ジンツァイは柔らかく、しかし芯を感じさせる視線で第八を見つめていた。
「シャオジェはこれから少しずつ、できることを増やしていくのです。他のシャオジェたちをよくご覧くださいませ。皆様得手とすること、不得手とすること、色々あるのではありませんか?シャオジェは第八のシャオジェであらせられます。皆様を補うような力を伸ばしていけばよろしいのですよ。」
ゆっくりと、噛みしめるように語られる言葉は、第八の心身に沁みていった。
そうか、自分はまだこれから、伸ばせることがあるのかと、気持ちが高揚する。
「ありがとうございます、母上! お勉強の続きをいたしましょう。姉様方のお話について行けなければ、お支えすることも出来ませんもの!」
張り切って卓を離れ、机に向かい直す第八を見て、ジンツァイは嬉しそうに目を細めた。
そして第八の耳にも届かないような、小さな独り言をこぼす。
「……その素直さと前向きさが、あなた様の一番の武器となるでしょう。」
教本を開き、集中して文字を写し始めた第八には、その呟きは聞こえなかった。




