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【証拠はいらない】お金が欲しい

作者: Wataru
掲載日:2026/01/30

相談者は、三十代後半の男性だった。


スーツはくたびれているが、清潔ではある。

ただ――椅子に座ってから、ずっと落ち着きがなかった。


「……お金の相談です」


「借金?」


「いえ」

「そういうわけじゃありません」


「生活できてる?」


「はい」


即答だった。


「貯金は?」


「あります」


「仕事は?」


「続いてます」


俺は、何も書かずに顔を上げた。


「じゃあ」

「何が足りない」


男は、少し考えてから言った。


「……安心です」


来たな、と思った。


「具体的に」


「いくらあれば安心できるか」

「分からないんです」


「増えても?」


「増えてもです」


「減ってないのに?」


「減ってなくても」


男は、自分でもおかしいと思っている顔をしていた。


「聞くぞ」


男は、小さくうなずく。


「金がゼロになったら」

「今すぐ、死ぬか?」


「……死にません」


「じゃあ」

「今日の不安は、命の問題じゃない」


男は黙った。


「不安なのは」

「金がなくなることか?」


「……違います」


「じゃあ、何だ」


少し長い沈黙。


「……自分の価値が」

「なくなる気がするんです」


俺は、椅子にもたれた。


「金がある間だけ」

「存在していいと思ってるな」


男の喉が、はっきりと動いた。


「誰に、そう言われた」


「……分かりません」


「じゃあ」

「自分で決めたんだ」


男は、否定しなかった。


「なあ」


俺は、静かに続ける。


「今まで」

「金がなくても」

「誰かに必要とされたことは?」


「……あります」


「仕事じゃなくてだ」


「……あります」


「じゃあ」

「金は条件じゃない」


男は、眉を寄せた。


「でも」

「稼げない自分は……」


「嫌いか?」


即答はなかった。


「嫌いじゃないなら」

「責めるな」


「責めてないつもりでした」


「責めてる」

「毎日な」


男は、視線を落とした。


「金を集めてるんじゃない」

「安心を、集めてるだけだ」


「……」


「でもな」

「安心は」

「数字じゃ埋まらない」


男は、ゆっくり顔を上げた。


「じゃあ……」

「俺は、どうすれば」


「金を稼ぐなとは言わない」


一拍置く。


「だが」

「稼げない自分を」

「消そうとするな」


男の肩が、わずかに揺れた。


「足りてるのに足りないって感覚はな」

「もう、十分生きてきた人間にしか出てこない」


「……そうなんですか」


「ああ」


「生き延びる段階は」

「とっくに、終わってる」


長い沈黙。


「……証拠」

「いりませんでした」


「ああ」


「俺」

「もう、持ってましたね」


立ち上がるとき、男は少しだけ背筋を伸ばした。


ドアが閉まる。


しばらくして、背後から声がする。


「お金って、誰でも欲しいものだよね」


「生活する上では、確かに重要だ」

「でもな」

「稼げないから価値がない、とはならない」


「人間の価値は」

「最初から、完成してる」


「綺麗事って言われそう」


「事実を言っただけさ」


静かになる。


金が欲しいんじゃない。

安心したいだけだ。


それに気づいているなら――

もう、証拠はいらない。


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