第八話 続・彼女の出立の日
「……っ、だからそれを仕舞えっつってんのが聞こえないのか!? 頭でっかち侍め!」
「敵がいるというのにそのような世迷い言を……! 邪魔です、退いてください!」
通り名通り夜叉のような顔をして怒鳴る相手に、それでも私は退く訳にはいかなかった。
彼の手に構えられた刀は淡い青色の気をまとい、その水面のように光る刃を揺らめかせている。
私の話を聞く気など更々ない、戦闘準備万端である。
彼の前を遮って掲げる私の腕がなければ、即座に“敵”を斬り下ろしていたことだろう。
「あの子は何もしてないだろ! あんたは敵意も害意もない無抵抗の人間を出会い頭に袈裟斬りにするつもりか!」
「するわけないでしょう! あれは妖です! 人とは違うし、何かあってからじゃ遅いんですよ!?」
私に抗議の声をあげながらも、彼の目は“敵”から少しも離れなかった。
少しだけでも視線が逸れれば、逃げれるのにその隙もない。
にっちもさっちも行かず動けなくなってしまった“あの子”に本当に申し訳なくて、地面に頭を擦り付けて謝りたい気分だった。
「ただの動物と同じだ! 賢くて大人しい分、あの子の方が害もないくらいだし」
「これからもそうとは限りません! 後顧の憂いを断つのも私の役目ーー」
そして、この石頭侍にはいらっときた。
私は何事かを喋るお侍様の足を踵で掬い上げた。
足元がお留守。
体勢を崩しかけた彼はそれでも視線を逸らそうとはせず、何とか足を踏ん張った。
よろめいて少しだけこちらを向いた彼の背中に、私はーー思い切り蹴りを入れた。
ぐらり、と今度こそ彼の体勢は崩れる。
さて、少し遅れてしまったが、現在地を説明させていただこう。
あれから旅支度をし、真古村を出た詩音、畦倉殿、私の白銀の巫女一行は深潭の森を南東に進んできた。
ちなみに道に関しては問題ない。
獣道を少し整備した程度ではあるが、深潭の森を抜ける道があるので、それを使っている。
半日ほど歩いたところで日が陰ってきたので、予定通り川からやや離れた広場で野宿をすることにした。
深潭の森に流れる二つの川の内、真古村から遠い方の川だ。
流れは遅いが、そこそこの深さと幅のあるもので、ーーつまり、夜叉殿ひとり落っこちるくらいならなんの問題もないということだ。
横手で派手な水音と水柱があがるのを眺めながら、私は肩を竦めた。
天罰だ、天罰。
「悪いな。あいつ余所者であんたらが害のないやつだって解らないんだ」
私がそう言うと、妖は会釈をするように頭を下げてからばさりと大きく羽を広げて飛び立っていった。
太陽の下でなお、冴えた青に光る鷺が青空に混じって消えていった。
私たちは彼らのことを青鷺火と呼ぶ。
「つばめー? 何かすごい音したけど大丈夫?」
「……来るの遅い」
草藁を掻き分けてやっと現れた華音に思わず溜め息をこぼした。
きょとんとして首をかしげる彼女の手には拳大の果実が数個おさまっていた。
「青鷺火がいて、畦倉殿が攻撃しようとしてたから止めただけ。川に落ちてる」
「え? ……わ、小三郎様濡れ鼠……もう、つばめったら手荒なことするんだから……! 大丈夫ですかっ?」
「……げほっ、だ、大丈夫、です」
川の水でも飲み込んだのか咳き込む畦倉殿に私はふんと鼻を鳴らした。
天罰だ、天罰。
†
広場のちょうど真ん中に火を焚いて、私たちはそれを囲んでいた。
びしょ濡れになった服から替えの服に着替えた畦倉殿が私から離れているように見えるのは、気のせいではないだろう。
因みに脱いだ服は木の枝に紐を張って乾かしているところだ。
家で握ってきたおむすびと華音が取ってきた果実を口に運びながら、私の意識は別のところにあった。
半日深潭の森を歩いてきたが、少し気になることがあった。
それは異常なまでの妖の多さだ。
今日の行程だけでも狐狸の類は元より、鎌鼬や山颪などの付喪神、つい先程は送り雀の声までした。
どこから湧いて出ているのか、出会った数は両手を合わせても足りない。
異常だ。
「華音、村の外とはいえ、こんなに妖っていたか?」
私の問いかけに、華音はうーん、と唸り声をあげた。
ぱちぱちと音を立てる焚き火を眺めながら、彼女は迷い迷い口を開いた。
「昔よりは格段に増えてる、と思う……つばめと小三郎様が見たって言う青鷺火だって、そう簡単に人前に姿を現さないはずだし……でも、多分それだけじゃないよ」
「……っていうと?」
「よく解らないんだけど、騒がしいんだよね。ここ何ヵ月かなんだけど……、妖たちの気が立ってる感じ」
気が立ってる、ねぇ、と小さく呟いて返す。
確かに最近は村でも妖の討伐依頼が多くなってはいたが、何か関連があるのだろうか。
紫がかった空を眺めながら、私は嫌な予感を禁じ得ずにいた。
「あの、小三郎様、国都ではどうなんでしょうか……?」
黙々と握り飯を食べていた畦倉殿に華音はそう尋ねた。
ご飯を咀嚼してから言葉を選び始めた彼は川に落としたのを根に持っているのか、私と目を合わせようとはしなかった。
「そうですね……一夜に起こる妖関連の事件事故が少なくとも五件はある、と考えていただければ……」
「そんなに……」
基本的に、妖というのは村や町の中には入らない。
例外もあるが、妖の被害はその大半が山道や森の中などであることからも解るだろう。
家の扉を閉めれば、家主に招かれるまでは入れないというのも通説だ。
だから、妖が頻出するようになったら、夜は出歩かないのが最善の策と言われている。
今の国都だって皆同様の対策をとっているはずだ。
それなのにそこまでの被害が出ると言うことはまず尋常ではなかった。
「最近多く見られるのは家で寝ていたはずの子供が失踪する、というものです」
「子供が……」
「はい。翌朝になると家のすぐ近くで見付かるのですが、……何かしらを失っています」
その曖昧な台詞に眉をひそめる。
何かしら、とはどういうことなのだろう。
「ある子は笑顔を。ある子は記憶を。ある子は名前を。ある子は腕を。しかし、これだけ派手に事を起こしておきながら、妖の正体はいまだに解っていません」
ちらちらと揺れる焚き火の光が畦倉殿の顔をあやしく照らす。
視線を横にずらすと深刻な顔をした華音が目に入って、ふうっと溜め息をついた。
解ってないなぁ、畦倉殿。
「華音」
「……っ」
「あんたが焦ったってどうしようもないよ」
「で、でも……こうやって留まってる間にも……夜通し歩いた方が良いんじゃ……」
泣きそうに目を潤ませてうつむく華音に畦倉殿が狼狽えた。
そんなつもりではなかったのだろうとは思うけれど、華音の性格を考えればこうなることは明白だった。
「夜うろつくのは危険だ。あんたは妖に襲われないだろうけど、私と畦倉殿は違うし、疲れはたまる。短距離なら多少の無理はしても大丈夫だけど、長距離は危険だ」
解るね、と私が言うと華音は納得していないような顔のままでこくりと頷いた。
彼女が感じているのは焦燥だ。
早く行って、力にならなければと焦る心だけが先行している。
少し落ち着いた華音がご飯を食べ終えたのを確認して、畦倉殿が毛布を被せた。
今はゆっくり休んでください、となだめるように囁く声を聞きながら、私は周囲に広がる森に目をやった。
暗闇にざわざわと揺れる木々が妙に目につく。
「……畦倉殿」
「っ、……は、はいっ?」
少し経って、華音の寝息が聞こえてきてから呼び掛けると、畦倉殿は上擦った声を返してきた。
……どうせ、華音の寝顔に見惚れていたんだろう。
無体を働かなければ私は何も言わないから安心してくれ。
「火の番は私がするからあんたも寝たら良い」
「……送り犬が来るというのにあなただけに任せられません」
憮然とした顔でそう言った彼は焚き火を挟んで私の真向かいに座り直した。
ああ、なんだ、知ってたのか。
木の枝で焚き火を突っつきながら私はちらりと畦倉殿を見やった。
赤々と燃える炎の向こう側に凛とした青年の顔がある。
その手には彼の愛刀、流碧。
「斬らないよ」
「何故ですか。川での事もそうですが、あなたは妖に肩入れしすぎでは?」
「そうかな」
あぐらの上に置いていた竹光をそっと撫でる。
ええ、そうですよ、と投げやりな声が聞こえてくる。
そんなことはないと思うんだが、と口のなかで呟くが、私の抗議は受け入れられなかった。
畦倉殿もぶちぶちと小さな声で文句を言っていたからだ。
どこか御経のようにも聞こえるそれを聞き流しながら、私はふと広場の中に視線を巡らせた。
「……ああ、間違えた」
「大体あなたは……、……なんですか?」
「“斬らない”んじゃなくて“斬る必要がない”んだよ」
「はあ?」
訝しげな声をあげる彼に、私は広場の端にいる影を示して見せた。
闇のなかにいつの間にか現れた影は目だけを光らせて、私たちを観察しているようだった。