第七話 彼女の出立の日
壁の隙間からやわらかい日差しが家の中に射し込む。
いつもと同じ埃っぽい部屋、いつもと同じ陽気。
ただ、家の外から聞こえる声はいつもとは比べ物にならないほど騒がしい。
……聞こえる声はなんだか悲壮感漂うものばかりだ。
その原因に想像がついてしまった私も相当毒されてる。
昨夜、あれから畦倉殿は特に何もせず帰って行った。
夜分遅くにすみません、と頭を下げた彼の顔がどこかすっきりしたものだったのには安心した。
――そう、一晩が経った。
今日は華音が国都に向かう日だ。
いつも通りに寝坊はしたが、まだ出て行ってはいないだろう。
暫くは会えないだろうし、顔のひとつやふたつは見に行くか。
のそのそと起き上がって大きく伸びをしながらそんなことを考える。
さてと、今日ものんびり――。
「おい、つばめっ! つばめ! 起きてるだろ、早く来い! 緊急事態だ!」
……のんびり、は無理だろうか。
思わず大きく溜め息を吐いて私はがんがんと叩かれた扉の方に目を向ける。
扉越しだから顔は見えないが、声の感じからして村の若衆の中でもよく話す伊佐吉だと思われる。
よく話す、とは言っても主に華音のことを話すので特に仲がいい訳ではない。
かといって仲が悪い訳でもないが。
「おはよう、伊佐」
「のんびりしてんなよ、早く来いって……」
「おはよう」
「……ああもう、おはよう! それより早く来い、大変なことになった!」
大変なこと、ねぇ、と小さく呟く。
何で私に言うのかな、こいつは。
ふあわ、とのんきに欠伸をしながら衣服を整えていると、伊佐が何だか扉の前でうろうろしている気配を感じた。
……何やってるんだろう、あいつ。
「……そんなにそわそわしてどうしたのさ、伊佐」
「どうしたの、じゃねえんだよ!」
「華音が行ってくるって事なら諦めな、あの子はもう決めてるんだし――」
「そうじゃねぇよ!」
……そうじゃない?
何だ、他に何か問題があったんだろうか。
ふと不審に思って顔をあげると、扉の前でぶつぶつと呟く声が聞こえた。
……その音量は私に聞かせたいのか聞かせたくないのか悩む音量だな、伊佐。
ふうと溜め息を吐いて戸を開けると、伊佐がはっとして顔を上げる。
「で、どうしたって――」
「お前! 国都に付いていくことになってるぞ!?」
「……はぁ?」
†
「……それでどういうことかな、華音」
伊佐にひっぱられるまま慌ただしく家を後にした私は村の中心で男共に囲まれていた華音にそう声をかけた。
ぎゃあぎゃあと喚く男衆の声にかき消されるかと思った私の声はどうやらきちんと華音に届いたらしい。
一言断るだけで男の群れを割る彼女に思わず苦笑した。
傍まで近寄ってきた華音にどういうことかな、と再び首を傾げる。
「あー、あー……えーっと、おはよう、つばめ」
「おはようさん」
うろうろと視線を彷徨わせる彼女を見つめながら言葉を待つ。
風呂敷を担ぎ、笠を被った彼女の表情は見えづらいはずだが、困ったように浮かべられたその苦笑は何故かはっきりと見てとれた。
華音を困らせている私に向けられる視線はお世辞にも良いとは言えないものばかりだ。
毎度のことながら面倒だ、とつきかけた溜め息を喉の奥の方に押し流す。
見下ろした華音がごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
「あの、ね」
「うん」
「私、国都に行くことを決めたの」
「うん、だろうと思った」
「それで、その……できれば、つばめにも一緒に来てほしいなって小三郎様に言っちゃった、んだよね」
気まずそうな顔でそう言う親友に、私は今度こそ溜め息をついた。
華音の言葉の続きは聞かなくてもわかる。
畦倉殿は想い人の願いに一も二もなく頷いたことだろう。
「そしたらーー」
「私も行くことになった、と。名目は何かな、護衛とか……いや、畦倉殿がいればそれはないか」
「一応その、付添人って形で……」
「……つまり女中か?」
「えっと、小三郎様は男だと思ってるから、小姓とかだと思うけど」
似たようなものかな、と頷く彼女にふうっと溜め息を吐き出した。
正直に言おう、めんどくせぇ。
華音は好きだけれど、ついていけば面倒事に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。
行く先々で会う男どもは華音に惚れ、嫉妬され、その上白銀の神子とかいうもののせいで余計な思惑に絡めとられる可能性だってある。
再三言おう、華音は好きだけれど、好きだからこそ近くにいて困っていたら助けたくなってしまう。
それが例え自分の首を絞めることになったとしても。
だから私はここで付いていってはいけない。
どうせ、私がいかなくても華音は強いから、自分で何とかする。
華音がなんとかできないことを、私が何とか出来るわけもないのだから。
「……悪いけど私は行かないよ。畦倉殿に言っておいーー」
「つばめさん。依頼です」
どこから現れたのか、私の言葉を遮ったのは畦倉殿だった。
にっこりと笑みを浮かべる彼にうすら寒いものを感じながら、苦々しい顔を向けるとその笑みは一層深まった。
「国都まで白銀の巫女様の護衛を。報酬は言い値で払いましょう」
「ーーは?」
「拒否権はありません。……あなたを雇うのは私ではなく、国です」
予想外すぎるその言葉に、村全体が沈黙に包まれたような気がする。
嫌な動悸を抑え込んで、大きく息をすって、吐く。
ちらりと見た華音も唖然としていることを考えると、初耳だったと見て良い。
「……何故、そういう話になった?」
「帝のご意向です。白銀の巫女様の望むように、と」
「どういう立場でついていけと?」
「護衛です。ただし表向きは付添人としてになります」
「……拒否権はないと言った?」
私の往生際の悪い問いかけに彼はおや、と首を傾げた。
その動作すら妙に絵になるのが腹立たしい。
村の男衆がやったら鼻で笑えるのに、この人がやるとどこぞの舞台役者なのかと思えるほど決まっているのだ。
「帝の計らいを無駄にするおつもりですか?」
ああ、本当に嫌なやつだ。
がりがりと頭を掻いて、私は彼らに背を向けた。
のろのろと私が動き始めると、畦倉殿の慌てたような声が追ってくる。
「ま、まさか逃げるのですか!」
「たわけ。旅支度をするだけだ、少し待ってな」
振り返らずにそう言い捨てて、向かう先は自宅。
笠、手拭いを何枚か、路銀、草鞋をありったけ、それから響刹は当然として、他に何があっただろうか。
着るものの一式も持っていかなければならないし、竹光の整備用に小刀なんかも必要だ。
本当なら部屋の掃除もしてからいかなければいけないんだが……。
「あー、くそ。こんな直前に言われたら用意できないことばっかりだ。こっちにも段取りってもんがあんのに、あんの片眼鏡め」
「全くだな。あのいけすかない顔の優男……華音に色目使いやがって……!」
はた、と気付く。
今の声は、右隣から聞こえたが、誰の声だ?
くるりと視線を巡らせると、不機嫌そうな顔をした伊佐がそこにいた。
「……伊佐、華音を引き留めなくて良いのか?」
「引き留めた! だけど、華音が大丈夫だっつってんならこれ以上言ったって無駄だろ」
「華音は頑固だからね」
「ああ。それに行っちまうのはお前だって同じだろ。別れを惜しみに、な」
いっつも華音華音って言ってるばかりが脳じゃないんだぞ、と伊佐は笑った。
そんな物好きお前くらいだよ。
心中で言って、くすりと笑う。
「華音が他の男に絡まれないように見てやるんだぞ」
「大丈夫だよ、私がいるだけで牽制になる」
「華音が無茶しないようにそばにいてやるんだぞ」
「大丈夫だよ、私がいてもあの子は無茶する」
「……気を付けろよ」
最後にそう言って心配そうな顔をする伊佐に思わず笑みがこぼれた。
「誰に物言ってんの? それより私がいない間、うちの手入れしといてくれない?」
「うげ、お前最近掃除してないからほこりだらけだろ……」
「頼むよ」
いつ帰ってこれるか解んないしさ、と肩を竦めると、伊佐は変な顔をしてからこくりと頷いた。
早く帰ってこいよ、と呟くような声に、私は返す言葉を持っていなかった。
2014・02・05 誤字訂正