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鍛冶屋の娘  作者: 美雁
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第二話 続・何もかもの始まりの日

鎌鼬(かまいたち)――イタチの姿をした(あやかし)である。

甲斐、信州、越後などを境にそれより北に多く生息する。

山間部に現れ、彼らと遭遇した者は血の出ない傷を負う。

傷の大きさは様々だが痛まないことが特徴。



咄嗟に背負っていた籠を放り投げ、低く伏せる。

頭上を風を切る音が通り抜けたのに背筋が凍った。

四つん這いのまま四肢で地を蹴って左に飛び退く。

轟音が響いて地面が抉れた。


「キィイ……!」


砂埃の中から飛び出てきたのは一尺(30.3cm)ほどの大きさのイタチ。

その両腕は身の丈ほどの大きさの鎌でできていた。

ふわりと風が舞ってその横にもう一匹が現れた。

隣の動物と比べると半分かそれより少し大きいかくらいのイタチである。

しかしその手には(つち)が当然のように付属している。

地を(えぐ)ったのはこの小さな妖だろう。


「つばめ!?」

「平気!」


短く答えて響刹(きょうせつ)を腰から抜き取る。

がきん!

振りかぶられた大きな鎌を響刹で弾く。

刹那、耳の横を風が唸った。

後方で聞こえる破壊音に辛くも命を得たことに気付く。

……生身の人間が何の細工もない竹光で我を忘れた妖に向かうのって自殺行為かもしれない。

今更ながらに心中で舌打ちをこぼす。

そりゃ依頼で妖討伐なんて幾度となくあったけれどその時には事前に対策を立てて慎重に慎重を重ねてやっと森に来る。

大体、討伐(ころし)とは銘打ってるもののあれは牽制(しあい)に近い。

実際私は妖を殺した事なんてないし、勝負が見えた時点で妖たちはさっさととんずらする。

負けた者は勝った者に従う、妖の世界は単純だ。

だから基本的にこの真古(まふる)村の近辺では妖による人死にはでない。

狐狸(こり)の悪戯とか一ヶ月に一回野菜が少し減ってるとかその程度のものは放っておいているからなのかもしれない。

そしてこの鎌鼬も、足を斬りつける事はあるが絶対に痛まないので村の人間は放っている。


「キゥ……!」

「キィイ!」


ぎらぎらと光るその目は赤い、警戒色だ。

強いて言うなら華音(かのん)と親友だからと言って方向の間違った嫉妬を私刑で発散しようとして逆に私に伸された男の目というか……。

……例えが悪いな。

簡潔に言ったら、激怒している目、だ。

何に怒っているのか、私には解らないが――。


「つばめっ、ここ任せても良いっ?」


華音は解るだろう。

鋭く尖ったような彼女の声に私はほっと息を吐いた。

華音がそう言うってことは何が原因なのか、どうすればこの騒動を収拾できるのかが解ってるって事だ。

優秀な親友をもって私は嬉しいよ。

構えていた響刹を握りなおして、私は見えないだろうけれど頷きを返した。


「任せな」

「ちょっ……! 私も残って…」

「つばめの邪魔になります! 一緒に来てください!」

「……っ、解りました」


例の男性の声に華音がさっぱりと切って返した。

……否、まぁその人持ってるの真剣だし間違っちゃいないんだけどさ。

ぞわりと小さく身震いをする。

ああ、嫉妬の類は妖より恐いんですが。

砂埃の向こうで彼が私を睨み付けているような気がして思わず冷や汗。

響刹を低く持ち直すと風の唸る音。


「ッ、いやいや……そりゃさ、妖達(あんたら)華音(あのこ)に手ェ出せないのは知ってるけどさ……!」

「ギィイィ!!」

「あっちにゃ目も向けないってどういう事ですかっての…!」


きん、と鎌を弾いて体を前に倒す。

上手く衝突した二匹がもんどりうって倒れるのを眼前に捕らえて駆け出す。

大きい方に一閃。

竹光だから勿論切り傷はつかない。

視界の端に映った槌を体を捻って避ける。

地面に手をついてもう片方で小さい方を叩き付けた。


どうやらあの男性だけを狙った訳ではないらしい。

人という生物に対しての怒りなのか、それともただの八つ当たりか。

どちらにしろ私の今の状況がかなり切羽詰まっていることは紛れもない事実である。





「あの……!」

「はい?」

「大丈夫なんですか、あの人は……!」


目の前を走る小さな背中に投げかける。

この近隣の村の人なのかもしれないが、颯爽と走るその姿は凛として美しい。

ちらりと私にその視線が移る。

ほんの一瞬かち合ったそれに体が熱くなった。

しかし彼女はすぐに前を向いてしまう。


「大丈夫なんかじゃありません!」

「…………は」

「だから、こうして走ってるんじゃないですか……!」


という事はこの方向は村に向かう道なのだろうか。

村にはあの妖を倒せる猛者(もさ)がいるということなのだろう。

それにしては川から離れていっているようだけれど……。

思いながら走っていると不意に彼女が何事か呟いた。

聞き取れずに更に耳を澄ますと、彼女は向かって右――北東に視線を移す。


「……あっちね、ありがとう……!」

「――(何かと…話している……?)」


すぐさま方向転換をした彼女に慌てて付いていく。

はて、この様子では村に向かっているのではないようだが。


――それにしても綺麗な人だ。

走る度に左右に揺れる髪は艶やかなまでに美しい。

その(かんばせ)も息を忘れるほどに凛としていて神秘的だ。

声は甘やかでそれが私だけに向けば良いと思うほどに惹き込まれてしまった。

女性に(うつつ)を抜かすなど、私に限っては有り得ないと思っていたが彼女の前ではそれもかなわないらしい。

彼女の背を見つめながら思っていると、不意に彼女が信頼の眼差しを向けた人が思い浮かんだ。

顔は至って普通、長めの髪を頭上で結び、庇うように私たちの前に立った彼は一体何者なのだろう。

動きはかなり良かった。

“あの戦闘狂”にも勝るとも劣らないだろうその実力はこんな辺鄙(へんぴ)な村にあって然るものではない。

ただ、竹光を使っていた事は気にかかる。

真剣を持てば向かうところ敵なしだろうに、どうしてあんな玩具(おもちゃ)を使うのだろう。

しかし私の目の前を走る彼女の、全幅の信頼が彼に向けられていた。

彼に実力があったにしても竹光では勝ち目など欠片もないのはどんなに戦いに縁遠い人間であっても解る筈なのに。

そう、それなら例え怪我をしているとは言え、真剣を持つ私に軍配があがる。

――真剣かそうでないかの違いをふいにするだけの信頼が二人の間にはあるという事か。

ずくりと胸が音を立てたようだった。

醜い黒の塊が私の頭を痺れさせる。

それを抑えるように手を握り締めて、思わず小さく笑う。

この感情は知っていた。

厄介なものに囚われてしまったものだと今更ながらに思う。

ふと、何かを見つけたらしい彼女が徐々に速度を緩める。

そのすらりと細い足が一本の木に近づいて、止まった。


「ああ……動けなくなっちゃったんだね」


笑みさえも含んで聞こえる言葉はどこか慈愛を持っていた。

仄かに笑い、しゃがむ彼女の上からその手元を覗き込んだ。

ふわりとした短い毛が見える。

動物、だろうか。

この緊急事態に?

更に首を伸ばして見た先には見覚えのある小さな肢体が転がっていた。


「!? ……ッそれは、鎌鼬じゃないですか……!」

「きー……」

「暴れないで」


よく見ると、鎌鼬は木の根に足を引っ掛けていて動けないのか、ばたばたと腕を上下させていた。

その足に手をかけようとする彼女に思わず声を荒げる。


「ちょ、何を考えているんですか!? その妖は……」

「この、か弱い妖が一体なんだと言うんです。この子がいなければ……あの鎌鼬は止まりません」


言葉の意味は解らないがどこか厳かにその声は響いた。

この人は……何に対してもこんな風に接するのだろうか。

惚れた弱みか、はたまた気圧された所為か、言葉を発せない私を尻目に彼女は木の根を持ち上げようと力を入れた。

ぷつりとその手に棘が刺さる。

――……見ていられない。


「……私がやりましょう」

「え? でもあなた、怪我をして……」

「大した怪我ではありません。……大丈夫ですから、ね?」


小首をかしげて笑うと彼女は一瞬戸惑ってから横に避けた。

地面に膝を着いて、片手で押し上げると先ほどよりも大きく木の根が歪んだ。


「きぃ!」

「――あ」


ぴょん、と跳ねるように木の根から開放された鎌鼬は風をまとって宙に浮いた。

彼女が安堵の溜め息を吐いて、そっと笑みを零した。

思わずその表情に囚われて目を離せなくなる。


「ありがとう……」

「ッ……! い、いえ……」


柔らかに細められた目が私を捉えて、甘やかな声色が取り払えないほどの熱となって体を蝕んだ。

……自分のことながら呆れる。


ふわりと、風を使役した鎌鼬が私に触れたのには、気付かなかった。

2011・07・30 ルビ削除・変更

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