第一話 何もかもの始まりの日
この村は名を真古村という。
日ノ本の国の北、村は冬になると雪に閉ざされる。
辺鄙な場所にあるが、その割には人が多く笑顔が絶えない。
――その中心には必ず、と言って良いほど彼女がいた。
「華音?」
「あ、おっそいよーつばめ!」
「これでも急いできたっての」
そう、この私、つばめ……ではなく私の親友の華音である。
容姿端麗、天真爛漫、更にそういう雰囲気を持っているのか男には十中八九好かれる。
村の若い男たちに彼女を好かない人間はいない。
……とは言えこの村に年頃の女性は私たち含め二人。
つまり、私と華音しかいないのだ。
そのうち私は女性らしい仕草も服も言動もしない上顔立ちは平凡。
年頃の男女がいると恋だの何だのと煩くなるという話が正しければこうなるのは自明の理、火を見るよりも明らかだ。
そんな女性の親友である私には、恋の相談やら八つ当たりやら面倒事もやたら多い。
何かと面倒な立ち位置だと思う事は少なくないけれど、こうも多いと逆に笑いたくなる。
「ふふ、解ってるよ! ね、薬草摘み手伝ってくれない?」
「あー……御依頼なら承りますよ、お嬢さん」
「面倒臭がりは悪い癖だよ」
がりがりと頭を掻く。
面倒臭がりなのは解ってるが必要以上の――つまり仕事以外の事をする気になれないのは悪い事だろうか。
……悪い事ですね。
ふぁ、と欠伸を漏らすと彼女はあ、と声を上げた。
籠を担いで近くまでやってきた彼女を見ると、華音はぎゅ、と私の服を引っ張った。
「? な、」
「まぁた袴なんて穿いてー! 着飾ったら可愛いのに!」
「……あんたに言われても嫌味にしか聞こえないよ」
思わず額を押さえる。
着飾りたくなんかないんだから外見については放っておけば良いのに。
因みにこの袴はもともと父の物で、動きやすいから多用させてもらっている。
この子は私がこれを着ているのを見てはこうやって口を尖らせる。
大体、こんな村の中で泥まみれになって働くのに着飾ってどうするんだ。
ふぅと溜め息を吐いて彼女の背の籠を奪い取った。
あ、という声を聞かなかった事にして近くの森への道を見る。
今日は晴れているけど、一応響刹を持ってきて正解だったようだ。
森の中には妖がいないなんて誰も言わない。
「今日も深潭の森?」
「そ、そうだけど……! つばめ返してよー!」
「私はほとんど薬草なんて見分けられないんだから私が持った方が効率良い」
違う? と言って首を傾げる私だけど勿論本音はそこにはない。
この子に籠を持たせると男どもが煩いのだ。
お前ら……まさか箸も持てない年頃じゃあるまいし、とは思うものの反論するのも面倒だ。
依頼だと思えば(こんな依頼は十中八九有り得ないが)何とかなる。
――依頼、というのも私はこの村で万屋を営んでいるのだ。
鍛冶屋だった父に似てなのか、会った記憶もない母に似てなのか、私は割と手先が器用だ。
細かい物や小屋の修理、その他失せもの探しなどなど。
時折、華音の親父さんである村長から山賊討伐の依頼が来ると竹光の響刹を持って東の深潭の森や北の樂楼の森へ行く。
……最近では妖討伐もあるのだから憂鬱なものだ。
「もう……疲れたら言ってね? 代わりばんこに持とう?」
「疲れたらね」
さく、
草鞋に踏まれて草が音を上げるのを聞いた。
ああ、嫌な予感がする。
ふと空を仰いだ。
嫌味なまでに晴れ渡った空に、ひゅるりらと鳶が舞った。
†
深潭とは深い淵を意味していて深淵とほぼ同意義だ。
由来としては、神の怒りに触れた男がこの森の谷に落ちて不老不死になってしまうという神話が一説にあるらしいが、如何せんこの森にそんな谷はどこにもない。
私は父が深潭の森と呼んだからそう呼んでいるし父も誰かに聞いたからそう呼んでいるんだろう。
詳しいことは誰にも解らない。
「……ねぇ、つばめ」
ぼんやりと思考に沈みながらヨモギを摘んでいると不意に華音が呟くように私を呼んだ。
はいはい、面倒事ですか。
腰に佩いている竹光を確認してから華音へ視線を向ける。
「なに、疲れたんなら帰ろうか」
「違うって! ……何かさ、聞こえない?」
耳の後ろに手をやって耳を澄ます華音。
……生憎だが私は耳が良くない。
だけどその表情からあまり楽しい音ではないと解った。
そして、良くも悪くも好奇心旺盛な彼女のこの後とる行動は解りきっている。
「あっち、かなぁ……?」
ほら来た。
ふらふらと歩き出すその姿に小さく溜め息を吐いて、最後に一枚ヨモギを採る。
薬草摘みはここいらで終わりか。
私の勘もよく当たる、良い事だ。
「聞こえるって何が?」
「――悲鳴、みたいな……声……?」
華音の後を追いながら問いかけると首を傾げながら要領を得ない答えが返ってきた。
変な話だ。
華音が悲鳴を聞いて走り出さないなんて。
怪訝に思って彼女を見ていると、予備動作もなくその足が止まった。
「! い、今! 聞こえた……誰っ!?」
きょろ、と華音が辺りを見渡す。
……声なんて聞こえないけど……、まさか幽霊とか精霊とかと心通わせるようになったのか?
華音の事だから有り得ない話じゃない。
彼女はあちこちに向けていた目を地面に落とし、“声”に聞き入っていた。
ふと既視感を覚えて過去を辿る。
――ああ、数年前にもこんな事があった。
その時に彼女は“守る力”を手に入れて、代わりに彼女の一部を失った。
望まない力にも代償はあるらしいと知ったのはその時だ。
「助けてって……どういう意味……!? ちょっと待ってよ、ミコって何の事!?」
黙って彼女の様子を眺める。
本日は晴天なり。
風が気持ち良い。
葉のさざめきに耳を寄せていると、がさがさと草の波を掻き分けて歩く音が聞こえた。
人か、しかし華音は気付かない。
「――華音、」
「つ、つばめ! 何でそんな平然としてるの!? 今、私……神に愛される子って……!」
「華音」
「な、なに……?」
私が宥めるように名前を呼ぶと、彼女はやっと私に目を合わせた。
まだ戸惑うように揺れている瞳を見て、そっと口を開く。
「人だよ、妖に追われてる」
「!」
見計らったかのように近くの茂みから人が飛び出てきた。
髪は薄い栗色で、ひとつに括れるくらいには長い。
男性にしては甘やかで整った顔をしているが、真古村の住人ではないだろう。
年頃で整った顔の男性なんて聞いたことがないし、何よりあの小さな村では皆が知り合いなのだから、見覚えのない顔だということは十中八九外から来た人だ。
それに、とざっと観察するように視線を動かす。
履いている袴は私たちみたいな淡色じゃなくて鮮やかだ。
それに凝った装飾のついた刀も左腰に差している。
ということはそれなりに地位の高い人間だろうと見る。
ぶらりと垂れた右腕は折れているのか、少なくとも今すぐに動きそうではない。
利き腕が使えなければ真剣を持っていても意味がない。
――しっかしここいらでそこまでやる妖っていうと……。
「! ……ッ人が……、逃げてください!」
「で、できません、そんなこと! 妖に追われているんでしょう!?」
素早く駆け寄った華音は持っていた手拭いで彼の顔や腕の傷を拭いている。
華音の造形を認識して、男の顔が赤くなった。
後から聞いたところによるとそれを見た華音は傷が熱を持っているのだと勘違いしていたらしい。
素晴らしい鈍感。
だが、これを見たら誰でも思うものだ。
――惚れたな、ありゃ、と。
呆れながら思って、二人を背に立つ。
この森には化け狐やら化け狸……俗に言う狐狸の類が出るが、滅多に被害はない。
腕を折ったり、傷を作らせたりできる妖っていうと数が限られるのだ。
「……華音、鎌鼬か」
「十中八九ね……! 来てるよ、つばめ!」
彼女が叫ぶと同時に、また茂みが揺れた。
「キィィイ……ッ!」
「キゥウ!!」
「(――あれ?)」
2011・07・30 ルビ削除、変更/華音・つばめの台詞、一部変更