第零話 父と話した日
ぎし、そんなありふれた音がつばめの背後から聞こえた。
つばめは振り返る事はしなかったし、相手もそれを咎める事はない。
手元には細く長い竹があって、何をしようというのかもう一方の手には小刀が握られていた。
不意に小刀が閃いた。
ざく、ざっ
竹を削るそんな音に続いてつばめの斜め後ろに衣擦れの音。
彼女はなお、手を止めなかった。
「――……昔はな、」
聞き慣れた老人の声につばめは顔も声も上げなかった。
ああ、昔話が始まる。
「妖なんぞいなかった」
「へぇ、そりゃ良い事じゃない」
「まぁな。……だが今はどうだ? 山や森に妖がいるのは至極当たり前。それどころか最近じゃ村にまで出るようじゃねぇか」
「らしいね、この村には華音がいるから襲われないけど」
「なぜこのご時世にいきなり妖が現れたんだと思う?」
「さぁ。いち村人の知るところじゃないよ」
「確かにな。世間一般には“戦が増えたから”だと言われているらしいぞ。真偽の程は解らんがな」
「そうなの」
「だがな、俺は違うと思う」
「へぇ。それじゃ何で?」
「人間が持っちゃいけねぇ力を持って、忘れちゃいけねぇ力を忘れたからさ」
「力?」
「そうだ。最近、刀に異形の力をつけようって動きがあるのは知ってるな?」
「うん。領主さんが推奨してるんだよね」
「ああ。お陰でこちとら商売上がったりさ。……あの力はな、人間がおいそれと手を出して良いもんじゃねぇんだよ」
「ふぅん……」
「いわば神の、創造主の力を無理やり人様が引きずり出してきたのさ。自然の力を人工物に明け渡すって言うのはそれほどまでに愚かな事なんだ。だから怒ってんだろ、神様って奴がさ」
「へー……じゃあ、忘れちゃいけない力って?」
「そりゃあれだ、解るだろ?」
「解らん」
「あー……俗に絆の奇跡とか、想いの力とか言われるもんだが」
「……似合わない」
「言うと思ったよ、この馬鹿娘。……簡単に言ったら、あれだ。火事場の馬鹿力」
「ああ、なるほどね」
それならさぁ、彼女はようやっと顔を上げて不器用に笑った。
「その火事場の何とやらで病、治してよ」
「無理だな」
あっそう、つばめは呟いて小刀を握りなおした。
人間に出来ることなんて限られてる。
その手に余る願い事なんて所詮叶わぬ望みにしかならない。
「……父さんはさ」
「あん?」
「幸せだった?」
「……は、だった、なんて殊勝な事だな。今だって幸せだよ。馬鹿な娘がいるからな」
「そう」
男が息を引き取る、数日前の話だ。
2011・07・30 ルビ削除、変更