パトローネはタイムカプセル
納屋の奥で、埃をかぶった黒いケースを見つけた。
中には父の古い"Nikon"が収まっていた。
金属の冷たさと、うっすらと残る革ケースの匂い。軍艦部に誇らしく”F”の大文字。
父が若いころ大事にしていたカメラだ。
シャッターは固く、もう動かない。
裏底を開けてみると、一本のパトローネが全部撮影されることなく壊れたNikonFの中に入っていた。
何十年も前から時を止めていた小さなカプセル。
分解して油を差し、ギアを回すと、
「カシャ」と軽やかな音が戻ってきた。
この時代、近所にDPE店はない。
ネットで調べると、白黒もからーも現像液さえそろえれば、意外に簡単に現像できることがわかり、自宅で現像することにした。
ダークバックの中で感光しないように、リールに巻き取り、現像するためのBOXに収納すると
あとは、台所で、温度計とタイマーとにらめっこしながら化学の実験だ。ツーンと鼻をつく薬品の匂いの中、慎重にフィルムを現像する。
乾いたネガをデジタルスキャナーでスキャンする。
画面に浮かび上がったのは――
白骨温泉の駐車場。
トヨタ・コロナ1700DXの横で並んで立つ父と母。
父は、笑って母の肩に腕を回している。3脚を立て、セルフタイマーで撮影したようだ。
母は父に寄り添い、少し恥ずかしそうに笑っている。
まだ二人とも若く、
その笑顔は、今の自分の記憶よりもずっとやわらかかった。
カメラの製造年月日から推定すると、写真の中の父母は今の自分より一回りは若いようだ。
ファインダー越しに父に笑いかける母は、記憶にある母と違いスマートで美しかった。
この日は日帰り旅行だったと、聞いたことを思い出す。
自分は大学に入ったばかりで、家を出ていた。
写真の二人は、自分のいない時間を、
静かに、そして確かに楽しんでいた。恋人のように。
(まるでデートの様じゃないか!?こんなに仲良かったんだ(苦笑)
ちょっと見てはいけない家族の秘密を見たような気がした。
母はコロナ禍の最中、
病室で会うことも許されずに逝った。
「亡くなられました」という短い電話で、
最期を知らされた。
別れの言葉すら交わせなかった。
でも、この古いカメラは、
母が生きて笑っていた時間を、ちゃんと覚えていてくれた。
父と並び、風に髪を揺らしながら微笑む母を。
モニターに映る二人を見つめながら、
思わず声が出た。
「…おかえり」
その瞬間、画面の中の母が、
ほんの一瞬、まばたきをしたように見えた。
そして小さく唇が動く。
――ただいま。
耳ではなく、胸の奥で、その声を聞いた気がした。
気づけば、写真の中の母は、
記憶にある、いつもの笑顔で、ただそこに立っていた。




