表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑧

1639年((しん)崇徳(すうとく)4年)、(しん)(みん)の間で、歴史(れきし)()(きざ)(おお)いなる(いくさ)が始まろうとしていました。それは、後に「松錦(しょうきん)の戦い」と()ばれる、遼西(りょうせい)()(めぐ)激戦(げきせん)でした。


________________________________


時代背景(じだいはいけい)


この(ころ)中国(ちゅうごく)は、(みん)という王朝(おうちょう)(おとろ)えを見せ(はじ)め、(きた)(かた)からは新興(しんこう)(しん)(当時は後金(こうきん)から改名(かいめい)したばかり)が勢力(せいりょく)拡大(かくだい)していました。(しん)(ひき)いるのは、先代(せんだい)のヌルハチの(あと)()いだホンタイジです。(かれ)(たく)みな外交(がいこう)強大(きょうだい)軍事力(ぐんじりょく)で、(うち)モンゴルや朝鮮(ちょうせん)服従(ふくじゅう)させ、(みん)への(あつ)(りょく)(つよ)めていました。(とく)に、(みん)勇将(ゆうしょう)である袁崇煥(えんすうかん)謀略(ぼうりゃく)によって排除(はいじょ)したことで、(しん)(いきお)いはますます加速(かそく)していきます。


(みん)にとって、遼西(りょうせい)首都(しゅと)北京(ペキン)(まも)るための重要(じゅうよう)防衛線(ぼうえいせん)でした。ここを(しん)(うば)われれば、北京(ペキン)無防備(むぼうび)同然(どうぜん)となってしまうでしょう。(しん)にとっては、この遼西(りょうせい)()()れることで、(みん)本拠地(ほんきょち)への(みち)(ひら)かれ、中国(ちゅうごく)全土(ぜんど)支配(しはい)()けて(おお)きな一歩(いっぽ)()()せるのです。


________________________________


戦いの推移(すいい)


1639年、ついに両国(りょうこく)命運(めいうん)()ける大激戦(だいげきせん)、「松錦(しょうきん)の戦い」が(はじ)まりました。戦場(せんじょう)となったのは、錦州(きんしゅう)松山(しょうざん)中心(ちゅうしん)とする遼西(りょうせい)一帯(いったい)です。(みん)は、この()(まも)るため、総兵(そうへい)祖大寿(そだいじゅ)錦州(きんしゅう)に、総督(そうとく)洪承疇(こうしょうちゅう)援軍(えんぐん)として派遣(はけん)しました。


(しん)のホンタイジは、(みずか)大軍(たいぐん)(ひき)いて出陣(しゅつじん)。その(かず)(やく)10(まん)とも()われています。(たい)する明軍(みんぐん)も、(やく)13(まん)大兵力(だいへいりょく)応戦(おうせん)しました。


(しん)宮廷(きゅうてい)では、戦況(せんきょう)(めぐ)る様々(さまざま)な意見(いけん)交錯(こうさく)していました。ある日、ホンタイジは重臣(じゅうしん)たちを招集(しょうしゅう)し、(いくさ)(すす)(かた)について議論(ぎろん)していました。


錦州(きんしゅう)(しろ)堅固(けんご)だ。無理(むり)()めれば、(へい)損耗(そんもう)(はなは)だしいだろう。」 (ひと)りの(しょう)慎重(しんちょう)意見(いけん)()べました。


すると、ホンタイジの異母弟(いぼてい)であるドルゴンが(くち)(ひら)きました。 「いや、兄上(あにうえ)錦州(きんしゅう)()とすことは、(みん)(おお)きな打撃(だげき)(あた)える。兵糧(ひょうろう)()めも一手(いって)だが、それだけでは時間(じかん)がかかりすぎる。」 ドルゴンは、強気(つよき)姿勢(しせい)(しめ)します。


ホンタイジは深く(うなず)きました。 「うむ、ドルゴンの言う通りだ。だが、(みん)援軍(えんぐん)が続々(ぞくぞく)と到着(とうちゃく)している。洪承疇(こうしょうちゅう)(ぐん)は、油断(ゆだん)ならぬ。」 「洪承疇(こうしょうちゅう)は優れた(しょう)ですが、(へい)士気(しき)は我々(われわれ)に(おと)るでしょう。それに、(かれ)後方(こうほう)からの支援(しえん)(たよ)りすぎている。」 ドルゴンが(こた)えました。


ホンタイジは、さらに言葉(ことば)(つづ)けます。 「では、まず援軍(えんぐん)(たた)くか。錦州(きんしゅう)包囲(ほうい)しつつ、洪承疇(こうしょうちゅう)(ぐん)分断(ぶんだん)し、各個撃破(かっこげきは)する(さく)はどうだ?」 ホンタイジの()には、勝利(しょうり)への確信(かくしん)宿(やど)っていました。


(いくさ)は、(しん)(ぐん)(たく)みな戦略(せんりゃく)によって(すす)められました。(しん)(ぐん)はまず錦州(きんしゅう)厳重(げんじゅう)包囲(ほうい)し、明軍(みんぐん)救援(きゅうえん)()ちました。明軍(みんぐん)洪承疇(こうしょうちゅう)は、錦州(きんしゅう)(すく)うため、援軍(えんぐん)(ひき)いて松山(しょうざん)布陣(ふじん)します。しかし、(しん)(ぐん)明軍(みんぐん)兵糧(ひょうろう)()()ち、孤立(こりつ)させることに成功(せいこう)しました。飢餓(きが)疲労(ひろう)(くる)しむ明軍(みんぐん)は、士気(しき)低下(ていか)し、ついに崩壊(ほうかい)寸前(すんぜん)(おちい)ります。


1642年、明軍(みんぐん)絶望的(ぜつぼうてき)状況(じょうきょう)()たされ、総督(そうとく)洪承疇(こうしょうちゅう)(しん)(ぐん)(とら)えられました。錦州(きんしゅう)もまた、()えと疲弊(ひへい)によってついに陥落(かんらく)祖大寿(そだいじゅ)(しん)降伏(こうふく)しました。


この戦いでの明軍(みんぐん)敗北(はいぼく)は、決定的(けっていてき)なものでした。遼西(りょうせい)広大(こうだい)地域(ちいき)主要(しゅよう)城塞(じょうさい)(おお)くが(しん)支配下(しはいか)(はい)り、山海関(さんかいかん)防衛線(ぼうえいせん)(しん)(ぐん)目前(もくぜん)(せま)ることになります。(みん)滅亡(めつぼう)(しん)中国(ちゅうごく)支配(しはい)()けた(みち)が、確実(かくじつ)(ひら)かれた瞬間(しゅんかん)でした。



1639年((しん)崇徳(すうとく)4年)、(しん)宮廷(きゅうてい)では、縁談(えんだん)がまとまり、また一人(ひとり)皇女(こうじょ)(とつ)ぐことになりました。孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)こと布木布泰(ブムブタイ)(むすめ)固倫端靖公主(こりんたんせいこうしゅ)が、故郷(こきょう)モンゴルの科爾沁多羅郡王(コルチンタラぐんおう)奇塔特(キタート)のもとへ降嫁(こうか)したのです。


この結婚(けっこん)もまた、清朝(しんちょう)とモンゴルのホルチン()との(あいだ)(きず)かれた強固(きょうこ)姻戚(いんせき)関係(かんけい)を示す(しめす)ものでした。モンゴル出身(しゅっしん)布木布泰(ブムブタイ)は、(むすめ)たちが故郷(こきょう)有力(ゆうりょく)部族(ぶぞく)(とつ)ぎ、(しん)基盤(きばん)(かた)める役割(やくわり)()たしていることに、複雑(ふくざつ)感情(かんじょう)(いだ)いていました。それは、(いと)しい(むすめ)たちとの(わか)れであると同時(どうじ)に、自分(じぶん)故郷(こきょう)(あら)たな(くに)が、婚姻(こんいん)によってより(つよ)(むす)びつくことへの期待(きたい)でもありました。


________________________________


(とき)(なが)れ、1641年(崇徳(すうとく)6年)の(ふゆ)(しん)宮廷(きゅうてい)(くら)(かげ)()()みました。ホンタイジが最も(もっとも)深く(ふかく)寵愛(ちょうあい)した(きさき)海蘭珠(ハルジョル)(やまい)(たお)れ、帰らぬ(ひと)となったのです。


海蘭珠(ハルジョル)は、布木布泰(ブムブタイ)(あね)にあたる人物(じんぶつ)でした。幼少(ようしょう)(ころ)から、姉妹(しまい)草原(そうげん)(とも)(そだ)ち、遊牧民(ゆうぼくみん)として自由(じゆう)(うま)()け、(ひつじ)()う日々(ひび)を()ごしていました。布木布泰(ブムブタイ)にとって、(あね)はただの家族(かぞく)ではなく、(こころ)(ささ)えであり、故郷(こきょう)記憶(きおく)そのものでした。


海蘭珠(ハルジョル)()(しら)せを()けたホンタイジは、悲嘆(ひたん)()れました。彼は政務(せいむ)(ほう)()し、ただひたすらに海蘭珠(ハルジョル)亡骸(なきがら)(かたわ)らで()(つづ)けました。その姿(すがた)は、普段(ふだん)威厳(いげん)()ちた皇帝(こうてい)からは想像(そうぞう)もできないほど、(きずつ)つき、弱々(よわよわ)しいものでした。


一方(いっぽう)布木布泰(ブムブタイ)もまた、(あね)()(ふか)(かな)しんでいました。彼女(かのじょ)(しず)かに、しかし(こた)えきれない(なみだ)(なが)していました。宮廷(きゅうてい)一室(いっしつ)で、ホンタイジと布木布泰(ブムブタイ)は、二人(ふたり)きりで悲しみを()かち合っていました。


「ハルジョルは、(わたし)にとって(なに)よりも大切(たいせつ)存在(そんざい)だった…」 ホンタイジは、(かす)れた(こえ)(つぶや)きました。その()には、大粒(おおつぶ)(なみだ)(あふ)れていました。


布木布泰(ブムブタイ)は、(ふる)える(こえ)(こた)えました。 「ええ、陛下(へいか)のお気持ち(きもち)は、(いた)いほど()かります。(わたし)にとっても、姉上(あねうえ)は、かけがえのない存在(そんざい)でした。」 彼女(かのじょ)脳裏(のうり)には、(おさな)(ころ)記憶(きおく)鮮明(せんめい)(よみがえ)っていました。草原(そうげん)()ける姉妹(しまい)姿(すがた)。お気に入りの首飾り(くびかざり)をねだる自分(じぶん)と、(やさ)しくも(かたく)なに「もっと(おお)きくなってからね」と()った(あね)言葉(ことば)。そして、「家族(かぞく)みんなで(うま)()って、()()れるまで草原(そうげん)()けたいわ、地平線(ちへいせん)()こうまで」と(ねが)った、(かな)わなかった(ゆめ)


姉上(あねうえ)一緒(いっしょ)に、もう一度(いちど)あの草原(そうげん)()けたい…」 布木布泰(ブムブタイ)は、(こころ)(こえ)()らしました。


ホンタイジは、布木布泰(ブムブタイ)言葉(ことば)()き、その()(やさ)しく(にぎ)りました。 「きっと、ハルジョルもそれを(のぞ)んでいるだろう。いつか、(わたし)たちもまた、あの()で共に(ともに)()けられる(とき)()るだろう。」


海蘭珠(ハルジョル)()は、ホンタイジの(こころ)(ふか)(きず)(のこ)し、その健康(けんこう)(いちじる)しく(そこ)なう一因(いちいん)となりました。(しん)最盛期(さいせいき)(きず)()げようとしていた皇帝(こうてい)心身(しんしん)に、(くら)(かげ)()としたのです。


布木布泰(ブムブタイ)もまた、最愛(さいあい)(あね)(うしな)った悲しみ(かなしみ)を抱え(かかえ)ながらも、気丈(きじょう)(ふる)舞いました。彼女(かのじょ)は、悲嘆(ひたん)()れるホンタイジを(ささ)え、(おさな)息子(むすこ)たちを見守る役割(やくわり)を担う(になう)ことになります。この悲劇(ひげき)は、布木布泰(ブムブタイ)人生(じんせい)(ふか)影響(えいきょう)を与え(あたえ)、彼女(かのじょ)をより一層(いっそう)(つよ)く、そして賢明(けんめい)女性(じょせい)へと成長(せいちょう)させていくことでしょう。



1642年((しん)崇徳(すうとく)7年)、松錦(しょうきん)の戦いは、(さん)(ねん)にわたる激戦(げきせん)(すえ)、ついに決着(けっちゃく)を迎え(むかえ)ました。明軍(みんぐん)清軍(しんぐん)大敗(たいはい)し、遼西(りょうせい)広大(こうだい)地域(ちいき)と、数多(あまた)主要(しゅよう)城塞(じょうさい)を失っ(うしなっ)たのです。これにより、(みん)防衛線(ぼうえいせん)であった山海関(さんかいかん)は、清軍(しんぐん)目前(もくぜん)に迫る(せまる)こととなりました。


この歴史的(れきしてき)勝利(しょうり)目前(もくぜん)に、清軍(しんぐん)指揮官(しきかん)ドルゴンは、熟慮(じゅくりょ)を重ね(かさね)ていました。彼は、この()を逃す(のがす)ことなく、(みん)に決定的な(けっていてきな)打撃(だげき)を与えるべきだと確信(かくしん)していました。そのためには、皇帝(こうてい)ホンタイジの親征(しんせい)不可欠(ふかけつ)だと判断(はんだん)したのです。


ドルゴンは、使者(ししゃ)(みやこ)盛京(しんよう)(おく)り、ホンタイジに親征(しんせい)要請(ようせい)を行いました。


陛下(へいか)、今こそ(いまこそ)(くに)を挙げて(あげて)の決戦(けっせん)でございます。陛下(へいか)親征(しんせい)なくして、この勝利(しょうり)盤石(ばんじゃく)なものとすることはできません。」


報告(ほうこく)()けたホンタイジは、直ちに(ただちに)親征(しんせい)決意(けつい)しました。彼は、長年(ながねん)宿敵(しゅくてき)であった(みん)との戦い(たたかい)に、自ら(みずから)終止符(しゅうしふ)を打ちたいと強く願っていたからです。


しかし、その道のり(みちのり)は、思い(おもい)がけない苦難(くなん)に満ちていました。清軍(しんぐん)進軍(しんぐん)(つづ)ける途中(とちゅう)、ホンタイジは原因(げんいん)不明(ふめい)体調不良(たいちょうふりょう)に悩まされるようになりました。倦怠感(けんたいかん)がひどく、頭痛(ずつう)や目まいに(おそ)われることも度々(たびたび)ありました。


さらに、ホンタイジは鼻血(はなぢ)が止まらなくなるという、恐ろしい(おそろしい)症状(しょうじょう)に苦しむことになります。高熱(こうねつ)にうなされ、意識(いしき)朦朧(もうろう)することも増え(ふえ)ました。


随行(ずいこう)医師(いし)たちは、あらゆる()を尽くしましたが、ホンタイジの病状(びょうじょう)一向(いっこう)改善(かいぜん)しませんでした。むしろ、()を追う(おう)ごとに悪化(あっか)していくように見え(みえ)ました。


ホンタイジは、苦しみながらも、自らを奮い立たせようとしました。 「こんなところで倒れるわけにはいかぬ…! (みん)を討つまでは…!」


しかし、その(からだ)限界(げんかい)に近づいていました。顔色(かおいろ)蒼白(そうはく)で、()(おく)には深い疲労(ひろう)が宿っていました。


遠く(とおく)離れた(はなれた)盛京(しんよう)宮廷(きゅうてい)では、孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)こと布木布泰(ブムブタイ)が、(おっと)ホンタイジの無事(ぶじ)を祈って(いのって)いました。彼女(かのじょ)は、以前(いぜん)(あね)海蘭珠(ハルジョル)を失ったばかりで、ホンタイジの健康(けんこう)を心から(こころから)案じて(あんじて)いました。


ある(よる)布木布泰(ブムブタイ)はホンタイジからの書簡(しょかん)を読み(よみ)ました。そこには、体調不良(たいちょうふりょう)のこと、そして鼻血(はなぢ)が止まら(とまら)ない苦痛(くつう)のことが、簡潔(かんけつ)に綴ら(つづら)れていました。


陛下(へいか)()に、(なに)かあったのでは…」 布木布泰(ブムブタイ)(むね)に、嫌な(いやな)予感(よかん)がよぎりました。彼女(かのじょ)は、(おっと)がどれほど無理(むり)を重ね(かさね)てきたかを知っていました。政務(せいむ)に、軍事(ぐんじ)に、そして愛妻(あいさい)()による(こころ)疲労(ひろう)。それらが、ホンタイジの(からだ)を蝕んで(むしばんで)いるのではないかと、布木布泰(ブムブタイ)は考え(かんがえ)ました。


「どうか、ご無理(むり)なさらないでくださいませ…」 布木布泰(ブムブタイ)は、書簡(しょかん)を握り締め(にぎりしめ)、静か(しずか)に(つぶや)きました。その(かお)には、深い(うれ)いが刻まれて(きざまれて)いました。(しん)未来(みらい)左右(さゆう)する(だい)いなる戦い(たたかい)の裏側(うらがわ)で、皇帝(こうてい)皇后(こうごう)(こころ)には、それぞれ異なる(ことなる)不安(ふあん)が渦巻いていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ