草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑧
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1639年(清・崇徳4年)、清と明の間で、歴史に名を刻む大いなる戦が始まろうとしていました。それは、後に「松錦の戦い」と呼ばれる、遼西の地を巡る激戦でした。
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時代背景
この頃の中国は、明という王朝が衰えを見せ始め、北方からは新興の清(当時は後金から改名したばかり)が勢力を拡大していました。清を率いるのは、先代のヌルハチの跡を継いだホンタイジです。彼は巧みな外交と強大な軍事力で、内モンゴルや朝鮮を服従させ、明への圧力を強めていました。特に、明の勇将である袁崇煥を謀略によって排除したことで、清の勢いはますます加速していきます。
明にとって、遼西は首都・北京を守るための重要な防衛線でした。ここを清に奪われれば、北京は無防備同然となってしまうでしょう。清にとっては、この遼西を手に入れることで、明の本拠地への道が開かれ、中国全土の支配へ向けて大きな一歩を踏み出せるのです。
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戦いの推移
1639年、ついに両国の命運を分ける大激戦、「松錦の戦い」が始まりました。戦場となったのは、錦州と松山を中心とする遼西の一帯です。明は、この地を守るため、総兵の祖大寿を錦州に、総督の洪承疇を援軍として派遣しました。
清のホンタイジは、自ら大軍を率いて出陣。その数、約10万とも言われています。対する明軍も、約13万の大兵力で応戦しました。
清の宮廷では、戦況を巡る様々(さまざま)な意見が交錯していました。ある日、ホンタイジは重臣たちを招集し、戦の進め方について議論していました。
「錦州の城は堅固だ。無理に攻めれば、兵の損耗が甚だしいだろう。」 一りの将が慎重な意見を述べました。
すると、ホンタイジの異母弟であるドルゴンが口を開きました。 「いや、兄上。錦州を落とすことは、明に大きな打撃を与える。兵糧攻めも一手だが、それだけでは時間がかかりすぎる。」 ドルゴンは、強気な姿勢を示します。
ホンタイジは深く頷きました。 「うむ、ドルゴンの言う通りだ。だが、明の援軍が続々(ぞくぞく)と到着している。洪承疇の軍は、油断ならぬ。」 「洪承疇は優れた将ですが、兵の士気は我々(われわれ)に劣るでしょう。それに、彼は後方からの支援に頼りすぎている。」 ドルゴンが答えました。
ホンタイジは、さらに言葉を続けます。 「では、まず援軍を叩くか。錦州を包囲しつつ、洪承疇の軍を分断し、各個撃破する策はどうだ?」 ホンタイジの目には、勝利への確信が宿っていました。
戦は、清軍の巧みな戦略によって進められました。清軍はまず錦州を厳重に包囲し、明軍の救援を待ちました。明軍の洪承疇は、錦州を救うため、援軍を率いて松山に布陣します。しかし、清軍は明軍の兵糧路を断ち、孤立させることに成功しました。飢餓と疲労に苦しむ明軍は、士気が低下し、ついに崩壊寸前に陥ります。
1642年、明軍は絶望的な状況に立たされ、総督の洪承疇も清軍に捕えられました。錦州もまた、飢えと疲弊によってついに陥落。祖大寿も清に降伏しました。
この戦いでの明軍の敗北は、決定的なものでした。遼西の広大な地域と主要な城塞の多くが清の支配下に入り、山海関の防衛線が清軍の目前に迫ることになります。明の滅亡と清の中国支配へ向けた道が、確実に開かれた瞬間でした。
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1639年(清・崇徳4年)、清の宮廷では、縁談がまとまり、また一人の皇女が嫁ぐことになりました。孝荘文皇后こと布木布泰の娘、固倫端靖公主が、故郷モンゴルの科爾沁多羅郡王奇塔特のもとへ降嫁したのです。
この結婚もまた、清朝とモンゴルのホルチン部との間に築かれた強固な姻戚関係を示す(しめす)ものでした。モンゴル出身の布木布泰は、娘たちが故郷の有力な部族に嫁ぎ、清の基盤を固める役割を果たしていることに、複雑な感情を抱いていました。それは、愛しい娘たちとの別れであると同時に、自分の故郷と新たな国が、婚姻によってより強く結びつくことへの期待でもありました。
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時は流れ、1641年(崇徳6年)の冬。清の宮廷に暗い影が差し込みました。ホンタイジが最も(もっとも)深く(ふかく)寵愛した妃、海蘭珠が病に倒れ、帰らぬ人となったのです。
海蘭珠は、布木布泰の姉にあたる人物でした。幼少の頃から、姉妹は草原で共に育ち、遊牧民として自由に馬を駆け、羊を追う日々(ひび)を過ごしていました。布木布泰にとって、姉はただの家族ではなく、心の支えであり、故郷の記憶そのものでした。
海蘭珠の死の報せを受けたホンタイジは、悲嘆に暮れました。彼は政務を放り出し、ただひたすらに海蘭珠の亡骸の傍らで泣き続けました。その姿は、普段の威厳に満ちた皇帝からは想像もできないほど、傷つき、弱々(よわよわ)しいものでした。
一方、布木布泰もまた、姉の死に深く悲しんでいました。彼女は静かに、しかし堪えきれない涙を流していました。宮廷の一室で、ホンタイジと布木布泰は、二人きりで悲しみを分かち合っていました。
「ハルジョルは、私にとって何よりも大切な存在だった…」 ホンタイジは、掠れた声で呟きました。その目には、大粒の涙が溢れていました。
布木布泰は、震える声で応えました。 「ええ、陛下のお気持ち(きもち)は、痛いほど分かります。私にとっても、姉上は、かけがえのない存在でした。」 彼女の脳裏には、幼い頃の記憶が鮮明に蘇っていました。草原を駆ける姉妹の姿。お気に入りの首飾り(くびかざり)をねだる自分と、優しくも頑なに「もっと大きくなってからね」と言った姉の言葉。そして、「家族みんなで馬に乗って、日が暮れるまで草原を駆けたいわ、地平線の向こうまで」と願った、叶わなかった夢。
「姉上と一緒に、もう一度あの草原を駆けたい…」 布木布泰は、心の声を漏らしました。
ホンタイジは、布木布泰の言葉を聞き、その手を優しく握りました。 「きっと、ハルジョルもそれを望んでいるだろう。いつか、私たちもまた、あの世で共に(ともに)駆けられる時が来るだろう。」
海蘭珠の死は、ホンタイジの心に深い傷を残し、その健康を著しく損なう一因となりました。清の最盛期を築き上げようとしていた皇帝の心身に、暗い影を落としたのです。
布木布泰もまた、最愛の姉を失った悲しみ(かなしみ)を抱え(かかえ)ながらも、気丈に振舞いました。彼女は、悲嘆に暮れるホンタイジを支え、幼い息子たちを見守る役割を担う(になう)ことになります。この悲劇は、布木布泰の人生に深い影響を与え(あたえ)、彼女をより一層強く、そして賢明な女性へと成長させていくことでしょう。
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1642年(清・崇徳7年)、松錦の戦いは、三年にわたる激戦の末、ついに決着を迎え(むかえ)ました。明軍は清軍に大敗し、遼西の広大な地域と、数多の主要な城塞を失っ(うしなっ)たのです。これにより、明の防衛線であった山海関は、清軍の目前に迫る(せまる)こととなりました。
この歴史的な勝利を目前に、清軍の指揮官ドルゴンは、熟慮を重ね(かさね)ていました。彼は、この機を逃す(のがす)ことなく、明に決定的な(けっていてきな)打撃を与えるべきだと確信していました。そのためには、皇帝ホンタイジの親征が不可欠だと判断したのです。
ドルゴンは、使者を都盛京へ送り、ホンタイジに親征の要請を行いました。
「陛下、今こそ(いまこそ)国を挙げて(あげて)の決戦でございます。陛下の親征なくして、この勝利を盤石なものとすることはできません。」
報告を受けたホンタイジは、直ちに(ただちに)親征を決意しました。彼は、長年の宿敵であった明との戦い(たたかい)に、自ら(みずから)終止符を打ちたいと強く願っていたからです。
しかし、その道のり(みちのり)は、思い(おもい)がけない苦難に満ちていました。清軍が進軍を続ける途中、ホンタイジは原因不明の体調不良に悩まされるようになりました。倦怠感がひどく、頭痛や目まいに襲われることも度々(たびたび)ありました。
さらに、ホンタイジは鼻血が止まらなくなるという、恐ろしい(おそろしい)症状に苦しむことになります。高熱にうなされ、意識が朦朧することも増え(ふえ)ました。
随行の医師たちは、あらゆる手を尽くしましたが、ホンタイジの病状は一向に改善しませんでした。むしろ、日を追う(おう)ごとに悪化していくように見え(みえ)ました。
ホンタイジは、苦しみながらも、自らを奮い立たせようとしました。 「こんなところで倒れるわけにはいかぬ…! 明を討つまでは…!」
しかし、その体は限界に近づいていました。顔色は蒼白で、目の奥には深い疲労が宿っていました。
遠く(とおく)離れた(はなれた)盛京の宮廷では、孝荘文皇后こと布木布泰が、夫ホンタイジの無事を祈って(いのって)いました。彼女は、以前姉の海蘭珠を失ったばかりで、ホンタイジの健康を心から(こころから)案じて(あんじて)いました。
ある夜、布木布泰はホンタイジからの書簡を読み(よみ)ました。そこには、体調不良のこと、そして鼻血が止まら(とまら)ない苦痛のことが、簡潔に綴ら(つづら)れていました。
「陛下の身に、何かあったのでは…」 布木布泰の胸に、嫌な(いやな)予感がよぎりました。彼女は、夫がどれほど無理を重ね(かさね)てきたかを知っていました。政務に、軍事に、そして愛妻の死による心の疲労。それらが、ホンタイジの体を蝕んで(むしばんで)いるのではないかと、布木布泰は考え(かんがえ)ました。
「どうか、ご無理なさらないでくださいませ…」 布木布泰は、書簡を握り締め(にぎりしめ)、静か(しずか)に呟きました。その顔には、深い憂いが刻まれて(きざまれて)いました。清の未来を左右する大いなる戦い(たたかい)の裏側で、皇帝と皇后の心には、それぞれ異なる(ことなる)不安が渦巻いていました。




