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草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑤

1629年(後金こうきん天聡てんそう3ねんみん崇禎すうてい2ねん)のふゆこごえるような北風きたかぜが吹きふきあられるなか、ホンタイジ(太宗たいそうひきいる後金軍こうきんぐんは、ついにみん万里ばんり長城ちょうじょう突破とっぱしました。かれらは、防備ぼうび手薄てうす場所ばしょき、みん領域りょういきふか侵入しんにゅうしたのです。目指めざすは、みん心臓部しんぞうぶ首都しゅと北京ぺきんでした。


みやこの人々(ひとびと)は、まさか長城ちょうじょうえててきせまってくるとはおもってもおらず、突然とつぜんほうせに大混乱だいこんらんおちいりました。城壁じょうへき内側うちがわでは、兵士へいしたちがあわただしく配置はいちにつくなか市民しみん不安ふあん恐怖きょうふ渦巻うずまいていました。ホンタイジ(太宗たいそう)は、この攻勢こうせいみん一気いっきやぶり、長年ながねん宿願しゅくがんたすつもりでした。


しかし、かれまえちはだかったのは、"鉄壁てっぺきまもり"とうたわれたみん将軍しょうぐん袁崇煥えんすうかんでした。かれは、とおはなれた寧遠ねいえん本拠地ほんきょちで、後金軍こうきんぐん長城ちょうじょうえ、北京ぺきんかっているという急報きゅうほうけました。


なに北京ぺきんあやういだと!冗談じょうだんではない!」


袁崇煥えんすうかんは、自室じしつ地図ちずひろげると、すぐさま決断けつだんしました。通常つうじょうならば数週間すうしゅうかんかかるとされる寧遠ねいえんから北京ぺきんまでの道のり(みちのり)を、かれ想像そうぞうぜっする速度そくどける覚悟かくごめたのです。


全軍ぜんぐんきゅうようする!北京ぺきんかうぞ!おくれるもの一人ひとりたりともゆるさぬ!」


かれ号令ごうれいは、こごえる空気くうきふるわせました。袁崇煥えんすうかんは、りすぐりの精鋭せいえい部隊ぶたいひきい、ほとんどやすむことなく行軍こうぐんつづけました。てつくみちを、兵士へいしたちはいしばってすすみます。うま兵士へいしたちも疲弊ひへいしきっていましたが、袁崇煥えんすうかんえるようなひとみと、祖国そこくまもるというつよ意志いしが、かれらを突きつきうごかしていました。


馬蹄ばていおと大地だいちらし、まるでかぜそのものが疾走しっそうしているかのようでした。かれらがとおぎたあとには、雪煙ゆきけむりだけがのこり、人々(ひとびと)は「あのはやさは尋常じんじょうではない。まるでかみ軍勢ぐんぜいだ」とささやいました。そして、後金軍こうきんぐん北京ぺきん城下じょうかせまったまさにそのとき袁崇煥えんすうかんぐんは、驚異的きょういてき速度そくど北京ぺきん到達とうたつしたのです。


ゆきなか北京ぺきん城外じょうがい両軍りょうぐん激突げきとつしました。


後金軍こうきんぐん騎馬隊きばたい砂塵さじんげながら突撃とつげきします。そのいきおいは、天地てんちるがすほどでした。しかし、袁崇煥えんすうかん指揮しきする明軍みんぐんは、寸土すんどゆずりません。かれらは、訓練くんれんされた歩兵ほへい火器かきたくみに連携れんけいさせ、後金軍こうきんぐん猛攻もうこうしのぎました。袁崇煥えんすうかん自身じしんも、前線ぜんせんち、兵士へいしたちを鼓舞こぶつづけます。そのこえは、こごえる空気くうきふるわせ、兵士へいしたちの士気しきたかめていきました。


ホンタイジ(太宗たいそう)は、みずからもぐんひきいて指揮しきりましたが、袁崇煥えんすうかん巧妙こうみょう戦術せんじゅつと、兵士へいしたちの堅固けんご防衛ぼうえいくずすことができません。何度なんど攻撃こうげき仕掛しかけるたびに、後金軍こうきんぐん多大ただい損害そんがいこうむりました。かつてちちヌルハチ(太祖たいそ)でさえたおせなかった袁崇煥えんすうかんかべは、ホンタイジ(太宗たいそう)のまえにもちはだかりつづけたのです。


結局けっきょく、ホンタイジ(太宗たいそう)は撤退てったい余儀よぎなくされ、本拠地ほんきょち盛京しんようもどると、またしてもふかくやしがりました。かれかおには、疲労ひろう屈辱くつじょくいろかんでいました。


「なぜだ!なぜ袁崇煥えんすうかんにはてぬのだ!やつは、まるでわたしすすみちはばむ、巨大きょだい岩壁がんぺきのようだ。何度なんどいどんでも、かえされるばかりではないか!」


ホンタイジ(太宗たいそう)のいかりとあせりが、宮廷きゅうていちていました。そのとき妊娠にんしんちゅう側室そくしつである布木布泰ブムブタイが、しずかにかれもとに歩みりました。彼女かのじょは、おっと苦悩くのう間近まぢかかんじていました。


「ホンタイジ(太宗たいそうさま、お気持きもちはおさっしいたします。」


布木布泰ブムブタイは、やさしいこえかたりかけました。


「しかし、袁崇煥えんすうかんは、たたかいのたおすことは、もはやむずかしいかとぞんじます。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、怪訝けげんかお布木布泰ブムブタイつめました。


「では、どうすればよいというのだ?あのおとこほうっておけば、いつまでってもみんかべくずれぬままだ。」


布木布泰ブムブタイは、いたこえこたえました。


たたかいとはちが手段しゅだんで、かれ排除はいじょすることが可能かのうではないでしょうか。」


ホンタイジ(太宗たいそう)のに、わずかなひかり宿やどりました。


たたかいとはちが手段しゅだんだと?一体いったい、どういうことだ?」


布木布泰ブムブタイは、ゆっくりと説明せつめいはじめました。


袁崇煥えんすうかんは、みん皇帝こうていからあつ信頼しんらいているようにえます。しかし、かれ功績こうせきねたものや、その剛毅ごうき性格せいかくきらものも、すくなくないはずです。みん朝廷ちょうてい内情ないじょうさぐり、かれ評判ひょうばんとすようなさくこうじることはできないでしょうか。皇帝こうてい疑心ぎしんあおるような方法ほうほうもあるかとぞんじます。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、布木布泰ブムブタイ言葉ことばに深く(ふかく)かんがみました。たしかに、袁崇煥えんすうかん戦場せんじょうでは無敵むてきでしたが、人間にんげんである以上いじょう弱点じゃくてんはあるはずです。それは、かれささえる皇帝こうていとの関係かんけいかもしれません。


「なるほど……。いくさてぬならば、あたま使つかえということか。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、それまでかたまっていた思考しこうが、布木布泰ブムブタイ助言じょげんによってひらかれたようにかんじました。


「しかし、具体ぐたいてきに、どうすればよいのだ?」


布木布泰ブムブタイは、しずかに微笑ほほえみました。


奸計かんけいは、一朝一夕いっちょういっせきにはりません。綿密めんみつ計画けいかくと、時間じかん必要ひつようでございます。しかし、わたくしは、きっとみちひらけるとしんじております。」


彼女かのじょ言葉ことばは、ホンタイジ(太宗たいそう)のこころに、あらたな希望きぼうともしびともしました。布木布泰ブムブタイは、たたかうことだけでなく、ひとこころ機微きびみ、深謀遠慮しんぼうえんりょけていました。彼女かのじょは、このあと、ホンタイジ(太宗たいそう)のために、袁崇煥えんすうかん失脚しっきゃくさせるための、巧妙こうみょう謀略ぼうりゃくることになります。


そのふゆ北京ぺきんゆきは、布木布泰ブムブタイはらなかはぐくまれるあらたないのちと、後金こうきん未来みらいへの布石ふせきしずかにつつんでいました。そして、彼女かのじょ助言じょげんは、後金こうきんみん戦局せんきょくを、おおきくえることになるのです。



1629年(後金こうきん天聡てんそう3ねん)のあき布木布泰ブムブタイは、ホンタイジ(太宗たいそう)の長女ちょうじょとなる雅図ヤトゥ、後の固倫雍穆公主(こりん ようぼく こうしゅ)を無事ぶじ出産しゅっさんしました。あらたないのち誕生たんじょうは、戦乱せんらん一筋ひとすじひかりをもたらすかのようでした。布木布泰ブムブタイは、ちいさな雅図ヤトゥうでき、ははとしてのよろこびをめていました。しかし、そのこころおくには、おっとホンタイジ(太宗たいそう)がかかえるみんとのたたかい、とくに「鉄壁てっぺき」としょうされる袁崇煥えんすうかんへの対策たいさくが、おもくのしかかっていました。


そして、季節きせつめぐり、1630年(後金こうきん天聡てんそう4ねん)となりました。


あの北京ぺきん攻防戦こうぼうせんあと、ホンタイジ(太宗たいそう)は布木布泰ブムブタイ助言じょげんけ、綿密めんみつ謀略ぼうりゃくっていました。そのねらいは、みん皇帝こうてい崇禎帝すうていていの「うたがぶかい」性格せいかくにつけむことでした。ホンタイジ(太宗たいそう)は、にせ密書みっしょ間者かんじゃたくみに使つかい、袁崇煥えんすうかん後金こうきんつうじているかのようなうわさみん朝廷ちょうてい内部ないぶながしました。


崇禎帝すうていていは、元来がんらい部下ぶかへの不信感ふしんかんつよ皇帝こうていでした。北京ぺきん防衛ぼうえいした功績こうせきおおきかった袁崇煥えんすうかんたいしても、その強大きょうだい権力けんりょく人気にんきに、ひそかに警戒心けいかいしんいだいていました。そこへ、後金こうきんがわから巧妙こうみょう仕掛しかけられた謀略ぼうりゃくが、まさに「わたりにふね」とばかりに、崇禎帝すうていてい疑念ぎねんてたのです。


朝議ちょうぎ紛糾ふんきゅうしました。


陛下へいか袁崇煥えんすうかんは我々(われわれ)をすくった功臣こうしんにございます。そのような謀反むほんうたがいは、誤解ごかいではございませんでしょうか!」


忠臣ちゅうしんたちが、口々(くちぐち)に袁崇煥えんすうかん無実むじつうったえました。しかし、崇禎帝すうていていこころは、すでに疑心暗鬼ぎしんあんきとらわれていました。


だまれ!証拠しょうこがっているのだぞ!あのおとこは、ちん不信ふしんにつけみ、後金こうきん結託けったくしようとたくらんでいたにちがいない!」


崇禎帝すうていてい怒号どごうひびわたり、宮廷きゅうていしずまりかえりました。


そしてついに、崇禎帝すうていてい命令めいれいにより、袁崇煥えんすうかん無実むじつつみせられ、北京ぺきん市中しちゅう処刑しょけいされることになったのです。かれは、みんたみおおきな衝撃しょうげきあたえ、忠臣ちゅうしんたちはその理不尽りふじん処遇しょぐうなげかなしみました。


このほうせが盛京しんようのホンタイジ(太宗たいそう)のもととどいたときかれ複雑ふくざつ表情ひょうじょうかべていました。


袁崇煥えんすうかんが、処刑しょけいされたと……。まさか、本当に(ほんとうに)成功せいこうするとはな。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、たたかいでは一度いちど袁崇煥えんすうかんてなかったことをおもい、口元くちもとをぎゅっとむすんでいました。戦場せんじょうで正々堂々(せいせいどうどう)とやぶることができなかった相手あいてが、謀略ぼうりゃくによってんだことに、どこか憮然ぶぜんとした気持きもちがあったのです。かれは、武人ぶじんとしてのほこりと、勝利しょうりのためには手段しゅだんえらばない冷徹れいてつさのあいだれていました。


そのホンタイジ(太宗たいそう)の姿すがたて、布木布泰ブムブタイは、やさしくかたりかけました。


「ホンタイジ(太宗たいそうさま経過けいかがどうであれ、これは貴方あなたちです。」


布木布泰ブムブタイ言葉ことばには、まよいがありませんでした。


へいそこねることなく、長年ながねん宿敵しゅくてき排除はいじょできたのです。これこそ、まこと勝利しょうりではありませんか。」


彼女かのじょこえは、んだみずのようにホンタイジ(太宗たいそう)のこころひびきました。布木布泰ブムブタイは、だけでなくをもおもんじる賢明けんめい女性じょせいでした。彼女かのじょにとって、重要じゅうようなのは「結果けっか」であり、その結果けっかがもたらすしん未来みらいでした。


ホンタイジ(太宗たいそう)は、布木布泰ブムブタイ言葉ことばに、ゆっくりとかおげました。かれには、たしかなひかり宿やどっていました。


「……そうだな。おまえとおりだ。結果けっかすべて。これでみん防衛線ぼうえいせんは、おおきくほころぶことになるだろう。」


袁崇煥えんすうかんという、しんにとって最大さいだい障壁しょうへきったいま、ホンタイジ(太宗たいそう)は、つぎなる一手いってかんがはじめていました。布木布泰ブムブタイ助言じょげんは、かれ覇業はぎょうおおきく後押あとおししたのです。後金こうきんは、袁崇煥えんすうかんによってひらかれたあらたな時代じだいへと、確実かくじつあゆはじめていました。



1632年(後金こうきん天聡てんそう6ねん)のはる盛京しんよう宮廷きゅうていに、またあらたないのち産声うぶごえひびわたりました。布木布泰ブムブタイは、ホンタイジの次女じじょとなる阿図アトゥ、後の固倫淑慧公主(こりん しゅくけい こうしゅ)を出産しゅっさんしました。ちいさなひめうできながら、布木布泰ブムブタイは、そのいとおしさにむねあつくしていました。彼女かのじょこころには、まれたばかりのむすめ未来みらいと、後金こうきん未来みらいかさなってえているようでした。


袁崇煥えんすうかん崇禎帝すうていてい謀略ぼうりゃくによって処刑しょけいされて以来いらいみん防御ぼうぎょは、かつてのような堅固けんごさをうしなっていました。ホンタイジは、この好機こうきのがさず、次々(つぎつぎ)とみんへの攻勢こうせいつよめていました。しかし、かれ視野しやは、たんなる武力ぶりょくによる征服せいふくだけにはとどまっていませんでした。布木布泰ブムブタイとの会話かいわとおじ、かれは「政治せいじ」と「婚姻こんいん」の重要性じゅうようせいを、よりふか理解りかいしていたのです。


とくに、布木布泰ブムブタイ故郷こきょうであるホルチンをはじめとするないモンゴル(もうこ)の諸部族しょぶぞく動向どうこうは、後金こうきんにとってきわめて重要じゅうようでした。モンゴル諸部族しょぶぞく味方みかたにつけることは、みんはさちにするうえ不可欠ふかけつであり、また、将来しょうらいしん支配しはい盤石ばんじゃくにするためにも必要ひつようでした。


ある、ホンタイジは布木布泰ブムブタイかたりかけました。


布木布泰ブムブタイよ、そなたの助言じょげんは、わたしあらたなみちしめしてくれた。袁崇煥えんすうかん排除はいじょできたことはおおきい。だが、まこと天下てんか統一とういつするためには、武力ぶりょくだけではりぬ。ひとこころつかみ、同盟者どうめいしゃやす必要ひつようがある。とくにモンゴルの諸部族しょぶぞくは、我々(われわれ)にとって重要じゅうよう存在そんざいだ。」


布木布泰ブムブタイは、しずかにうなずきました。


「ホンタイジさまのおかんがえ、わたくし同感どうかんでございます。故郷こきょうのホルチンはじめ、モンゴル(もうこ)の各部族かくぶぞくは、その強大きょうだい騎馬隊きばたいだけでなく、広大こうだい草原そうげん支配しはいしております。かれらを味方みかたにつければ、後金こうきんは、さらに強大きょうだい勢力せいりょくとなるでしょう。」


ホンタイジは、ふかいききました。


「しかし、どうすれば、かれらを我々(われわれ)のもとに引きひきいれることができるだろうか?たん武力ぶりょくしたがわせるだけでは、長続き(ながつづき)はしない。」


布木布泰ブムブタイは、やわらかなみをかべ、いました。


わたくしは、モンゴル(もうこ)のものとして、ちからになりたいとねがっております。婚姻こんいんとおじた関係かんけい強化きょうかは、ふるくからおこなわれてきた、有効ゆうこう手段しゅだんにございます。わたくし自身じしんも、こうしてホンタイジさまもととついでまいりました。」


ホンタイジは、布木布泰ブムブタイ言葉ことばに、はっとしました。かれは、布木布泰ブムブタイがホルチン首領しゅりょうジャイサン(寨桑)のむすめであり、彼女かのじょ伯母おば自分じぶん正室せいしつ孝端文皇后こうたんぶんこうごう(ジェルジェル)であることを改めて(あらためて)おもしました。すで存在そんざいする血縁関係けつえんかんけいを、さらにふかめること。それは、武力ぶりょくではられない、強固きょうこむすびつきをみ出す(うみだす)でしょう。


「なるほど……。そなたのとおりだ。血縁けつえんちからは、時に(ときに)けんよりもつよい。とくにモンゴルの人々(ひとびと)は、つながりをおもんじる。これは、我々(われわれ)にとって、おおいなるとなるであろう。」


布木布泰ブムブタイは、つづけていました。


わたくしちちあにたちも、きっとホンタイジさまのおちからとなっていただけるとぞんじます。かれらをとおじて、諸部族しょぶぞくとのあいだに、よりふか信頼関係しんらいかんけいきずき、後金こうきん支配しはいみとめてもらうのです。」


この布木布泰ブムブタイ助言じょげんは、ホンタイジにとって、まさに青天せいてん霹靂へきれきでした。彼は、すぐさまモンゴル諸部族しょぶぞくへの外交がいこう強化きょうかするようめいじました。そして、布木布泰ブムブタイとその血縁けつえんが、その中心ちゅうしんになうことになったのです。


実際に(じっさいに)、この1632年(後金こうきん天聡てんそう6ねん)には、布木布泰ブムブタイ実家じっかであるホルチンをはじめ、数多あまたないモンゴル(もうこ)の諸部族しょぶぞくが、続々(ぞくぞく)と後金こうきん帰順きじゅんしました。これは、ホンタイジひきいる後金軍こうきんぐん武力ぶりょくつよさだけでなく、布木布泰ブムブタイかいしたモンゴルぞく女真族じょしんぞく婚姻戦略こんいんせんりゃくが、見事みごとこうそうした結果けっかでした。


布木布泰ブムブタイは、みずからの出生しゅっしょうが、後金こうきん国力こくりょくし、ひいてはむすめたちの未来みらいひらくことにつながっていることを確信かくしんしました。盛京しんよう宮廷きゅうていは、かつての武骨ぶこつ軍事国家ぐんじこっかから、諸部族しょぶぞく包摂ほうせつする、よりおおきな勢力せいりょくへと変貌へんぼうげつつありました。その中心ちゅうしんには、常に(つねに)布木布泰ブムブタイ賢明けんめい助言じょげんと、彼女かのじょつな血縁けつえんきずな存在そんざいしていたのです。

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