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草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):④

1627年(後金こうきん天聡てんそう元年がんねん)、朝鮮ちょうせん遠征えんせいでの成功せいこうおさめたホンタイジ(太宗たいそう)のこころは、つぎなる目標もくひょうであるみんへの攻勢こうせいへとかっていました。とくに、前回ぜんかい寧遠ねいえんたたかいでちちヌルハチ(太祖たいそ)をやぶったみん将軍しょうぐん袁崇煥えんすうかん存在そんざいが、ホンタイジ(太宗たいそう)のこころおもくのしかかっていました。


父上ちちうえ無念むねんは、わたしかなららしてみせる。」


ホンタイジ(太宗たいそう)はそうこころちかい、みんぐんとの再戦さいせん決意けついします。目指めざすは錦州きんしゅうでした。錦州きんしゅうは、遼西りょうせい回廊かいろう要衝ようしょうであり、ここを攻略こうりゃくできれば、みん首都しゅとである北京ぺきんへのみちが大きく(おおきく)ひらけるはずでした。


2がつ寒風かんぷうれるなか、ホンタイジ(太宗たいそう)は大軍たいぐんひきいて盛京しんよう出発しゅっぱつしました。こおくような大地だいちすす兵士へいしたちに、ホンタイジ(太宗たいそう)は力強ちからづよ訓示くんじあたえます。


「これよりかうは錦州きんしゅうである。我々の父祖ふそまもり、後金こうきん栄光えいこう確固かっこたるものとするため、なになんでも勝利しょうりおさめねばならぬ。つわものどもよ、こころを一つにし、ひるむことなくすすめ!」


ホンタイジ(太宗たいそう自身じしんうまうえから兵士へいしたちを鼓舞こぶし、最前線さいぜんせん陣頭指揮じんとうしきりました。錦州きんしゅうじょう包囲ほういしたホンタイジ(太宗たいそう)は、やすもなく攻城戦こうじょうせん準備じゅんびすすめます。巨大きょだい攻城兵器こうじょうへいきてられ、城壁じょうへきくずすべく、容赦ようしゃない攻撃こうげき開始かいしされました。後金こうきんぐんは、前回ぜんかい敗戦はいせん雪辱せつじょくたすべく、猛攻もうこう仕掛しかけます。


しかし、錦州きんしゅうまも袁崇煥えんすうかん指揮しきは、ホンタイジ(太宗たいそう)の想像そうぞうをはるかにえるものでした。袁崇煥えんすうかんは、城壁じょうへき防御ぼうぎょ徹底てっていし、火器かき効果的こうかてきもちいて後金こうきんぐん攻撃こうげきをことごとくかえしました。兵士へいしたちは疲弊ひへいし、犠牲者ぎせいしゃえていきます。幾度いくどとなく突撃とつげきこころみるも、みんぐん堅固けんごまもりはくずれません。


数日すうじつにわたる激戦げきせんすえ、ついに後金こうきんぐん撤退てったい余儀よぎなくされます。またしても、袁崇煥えんすうかんはばまれ、錦州きんしゅうじょうとすことはできませんでした。


失意しついのまま本拠地ほんきょち盛京しんよう帰還きかんしたホンタイジ(太宗たいそう)は、苛立いらだちをかくしきれませんでした。宮殿きゅうでん一室いっしつで、かれみずからの無力むりょくさをなげき、かべこぶしたたきました。


「なぜだ! なぜ袁崇煥えんすうかんにだけはてないのだ! 父上ちちうえかたきつどころか、またしても屈辱くつじょくあじわうとは……!」


その様子ようすていたのは、ホンタイジ(太宗たいそう)の側室そくしつである布木布泰ブムブタイでした。彼女かのじょしずかにかれ近寄ちかよると、やさしく言葉ことばをかけました。


「ホンタイジ(太宗たいそうさま……。おつかれでしょう。どうか、おとされませんよう。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、振りふりかえることなく、ふかいききました。


「この屈辱くつじょくらすまで、わたしやすらぎはない。」


布木布泰ブムブタイは、そっとかれ背中せなかきました。彼女かのじょしずかな言葉ことばは、ホンタイジ(太宗たいそう)のあらぶるこころに、わずかながら安寧あんねいをもたらしました。袁崇煥えんすうかんへの雪辱せつじょくは、ホンタイジ(太宗たいそう)のこころふかきざまれ、かれつぎなる戦略せんりゃく原動力げんどうりょくとなっていくのでした。



1628年(後金こうきん天聡てんそう2ねん)のはる、ホンタイジ(太宗たいそう)のぐんは、モンゴル・チャハルタラトへと進軍しんぐんしていました。前年ぜんねん錦州きんしゅうでの敗北はいぼく記憶きおくは、ホンタイジ(太宗たいそう)のこころふか爪痕つめあとのこしていました。とくに、宿敵しゅくてきである袁崇煥えんすうかん二度にど苦杯くはいめさせられたことは、かれほこりをきずつけ、なにとしてもつぎ勝利しょうりつからねばならないというつよ決意けついいだかせていました。


この遠征えんせいには、ホンタイジ(太宗たいそう)の異母弟いぼていであるドルゴンも従軍じゅうぐんしていました。ドルゴンは、あにホンタイジ(太宗たいそう)の指揮しきのもと、精力的せいりょくてきたたかい、次々(つぎつぎ)と手柄てがらてていました。かれ勇猛ゆうもうさと的確てきかく判断力はんだんりょくは、兵士へいしたちからも一目置いちもくおかれるほどでした。


ある、チャハルタラト平定へいていえ、へいやすませていたホンタイジ(太宗たいそう)は、従軍じゅうぐんしてきた重臣じゅうしんたちをねぎらいました。


「ドルゴン、今回こんかいいくさでのそなたの功績こうせき目覚めざましいものがあった。てきうごきをみ、瞬時しゅんじ判断はんだんくだすそなたの才覚さいかくは、まさしく天賦てんぷさいだ。」


ホンタイジ(太宗たいそう)は、ドルゴンを称賛しょうさんし、あらたな称号しょうごうさずけることをげました。


「よって、そなたには『メルゲン・ダイチン(聡明王そうめいおう)』の称号しょうごうたまわる。今後こんごも、後金こうきん未来みらいのために、そのさい存分ぞんぶんふるってもらいたい。」


兄上あにうえ、もったいないお言葉ことばにございます。」


ドルゴンは、深々(ふかぶか)とあたまれました。わかかれむねには、あにからの言葉ことばほこらしくひびきました。しかし、そのかがやかしい戦功せんこううらで、ドルゴンにはだれにもえないひそかなおもいがありました。それは、あにホンタイジ(太宗たいそう)の側室そくしつである布木布泰ブムブタイへの思慕しぼねんでした。


遠征えんせいから盛京しんようもどったドルゴンは、宮廷きゅうてい布木布泰ブムブタイ姿すがたをひそかにかけることがえました。あにきさきである彼女かのじょは、気品きひんにあふれ、そのふるいは優雅ゆうがで、ものきつけます。彼女かのじょ微笑ほほえむたび、その知性ちせいうつくしさが、ドルゴンのこころはげしくさぶるのでした。


布木布泰ブムブタイさま…なんという美しさだ…我が物としたい…。」


ドルゴンは、だれにもこえぬように、そっとこころなかつぶやきました。あに側室そくしつである布木布泰ブムブタイへのおもいは、決して(けっして)くちにすることのできない禁断きんだんのものでした。それでも、彼女かのじょかけるたびに、ドルゴンの心臓しんぞう高鳴たかなり、そのうつくしさにただただ見惚みとれるばかりでした。かれは、らのおもいをさとられぬよう、布木布泰ブムブタイ姿すがたいながらも、ふかいきひそめていました。


袁崇煥えんすうかんへの雪辱せつじょくという重責じゅうせき背負せおうホンタイジ(太宗たいそう)は、このときまだ、おとうとこころ芽生めばえたひそかな恋心こいごころ気付きづくことはありませんでした。そして、布木布泰ブムブタイもまた、わかきドルゴンが自分じぶんせるおもいをよしもありませんでした。



1628年(後金こうきん天聡てんそう2ねん)のふゆ盛京しんよう宮廷きゅうていは、つめたいかぜけるなか緊迫きんぱくした空気くうきつつまれていました。ホンタイジ(太宗たいそう)は、みん首都しゅと北京ぺきんへの直接攻撃ちょくせつこうげきという大胆だいたん計画けいかくっていました。しかし、そのためには、みん万里ばんり長城ちょうじょう迂回うかいし、モンゴル高原こうげんける必要ひつようがありました。当然とうぜん、そこにはモンゴルの部族ぶぞくたちの協力きょうりょく不可欠ふかけつでした。


ホンタイジ(太宗たいそう)は、信頼しんらいする側室そくしつ布木布泰ブムブタイにその難題なんだいけました。


布木布泰ブムブタイよ、そなたの故郷こきょうであるモンゴルぞく協力きょうりょく必要ひつようとなった。北京ぺきんるには、かれらの領地りょうちとおらせてもらうほかみちはない。そなたのちからで、かれらを説得せっとくしてはくれぬか。」


布木布泰ブムブタイは、こと重大じゅうだいさを理解りかいしました。彼女かのじょ故郷こきょうであるホルチンは、後金こうきん姻戚関係いんせきかんけいむすんでいましたが、ほかのモンゴル部族ぶぞく説得せっとく容易よういではありません。しかし、おっとホンタイジ(太宗たいそう)の悲願ひがんかなえるため、そして後金こうきん未来みらいのため、彼女かのじょ決意けついしました。


「ホンタイジ(太宗たいそうさまわたくしにおまかせください。故郷こきょうものたちに手紙てがみおくり、かならずやみちを切りきりひらいてみせます。」


布木布泰ブムブタイは、すぐさま故郷こきょうちちジャイサンやあに烏克善ウクシャン満珠習礼マンジュシリあて手紙てがみをしたためました。言葉ことばえらび、懇切丁寧こんせつていねいに、ホンタイジ(太宗たいそう)の意図いとと、後金こうきんとモンゴルの未来みらいのための重要性じゅうようせいうったえました。


父上ちちうえ兄上あにうえがたいま後金こうきんみんとのおおいなるたたかいをひかえております。このいくさ勝利しょうりするためには、なによりもモンゴルぞく皆様みなさまちから不可欠ふかけつでございます。後金こうきんぐん北京ぺきん進軍しんぐんするさい、どうか貴方様あなたさま方の領地りょうち通行つうこうをおゆるしいただきたく、してお願いもうげます。このみちは、後金こうきんのみならず、モンゴルぞく皆様みなさまにとっても、あらたな時代じだいきずくための希望きぼうみちとなるでしょう。」


手紙てがみは、布木布泰ブムブタイ真摯しんしねがいをせ、モンゴル高原こうげんへとおくられました。彼女かのじょは、ただ手紙てがみおくるだけでなく、宮廷きゅうていなかでも、モンゴル部族ぶぞくとの関係かんけい強化きょうか尽力じんりょくしました。使者ししゃ派遣はけんし、とおはなれた故郷こきょう親族しんぞく有力者ゆうりょくしゃたちとみつ連絡れんらくいました。彼女かのじょは、たんなる側室そくしつではなく、後金こうきんとモンゴルぞくむすかけはしとしての役割やくわりたしていました。


数週間後すうしゅうかんご布木布泰ブムブタイもとに、故郷こきょうからの返信へんしんとどきました。おそおそふうひらくと、そこには通行つうこう許可きょかするという、待望たいぼう言葉ことばしるされていました。


布木布泰ブムブタイよ、そなたの熱意ねついが、我々のこころうごかした。ホンタイジ(太宗たいそう殿どの通行つうこうみとめよう。この決断けつだんが、後金こうきんとモンゴルぞく繁栄はんえいをもたらすことをねがう。」


布木布泰ブムブタイは、その手紙てがみをホンタイジ(太宗たいそう)にせました。ホンタイジ(太宗たいそう)は、歓喜かんき表情ひょうじょうかべ、布木布泰ブムブタイ両手りょうてつつみました。


「よくぞやってくれた、布木布泰ブムブタイよ!そなたの功績こうせきは、後金こうきん歴史れきしおおきくきざまれるだろう。これまでの苦労くろうむくわれる日が、きっとるはずだ。」


布木布泰ブムブタイは、ホンタイジ(太宗たいそう)の言葉ことばに、こころから安堵あんどしました。彼女かのじょ奔走ほんそうが、後金こうきん北京ぺきん攻略こうりゃくへの道筋みちすじ確実かくじつにしたのです。この外交がいこう成功せいこうは、たん軍事ぐんじルートを確保かくほしただけでなく、清朝しんちょう将来しょうらいにわたってモンゴルぞくとの良好りょうこう関係かんけいきずうえでの重要じゅうよういしずえとなりました。そして、彼女かのじょは、後金こうきんみんとのたたかいの行方ゆくえを、しずかに見守みまもつづけるのでした。

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