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草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):㉑

〇

清(しん)の康熙帝(こうきてい)が帝位について二十四年が経った、西暦一六八五年。深まる秋の気配が漂(ただよ)う頃(ころ)、康熙帝は祖母(そぼ)の孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)ブムブタイと共に、五台山(ごたいさん)へと向かっていました。そこは、彼の父、順治帝(じゅんちてい)が俗世(ぞくせ)の全てを捨て、仏門(ぶつもん)に入り隠遁(いんとん)生活を送る地でした。帝(みかど)として多忙(たぼう)を極める日々の合間(あいま)を縫って、遠路はるばる父を訪ねる旅は、康熙帝にとって特別な意味を持っていました。


________________________________


父子の再会、そして溢れ出る涙


深い山道を幾重(いくえ)にも分け入り、ようやくたどり着いたひっそりとした寺院(じいん)の庵(いおり)。質素(しっそ)な扉(とびら)の向こうに、康熙帝は父の姿を見つけました。順治帝は、静かに座し、来訪者(らいほうしゃ)を待っていたかのようでした。長い年月(ねんげつ)を経て、父と息子は再会を果たしたのです。


順治帝は、目の前に立つ息子、康熙帝の凛々(りり)しく成長した姿を見て、ゆっくりと立ち上がりました。そして、康熙帝の手(て)をそっと取り、その目をじっと見つめました。


「よくやったな、玄燁(げんよう)よ」


その声は、静かな庵(いおり)に優しく響き渡りました。順治帝は、中国全土(ちゅうかぜんど)の統一(とういつ)という、自身(じしん)には成し遂げられなかった偉業(いぎょう)を達成した息子を、心からの称賛(しょうさん)と、深いねぎらいの眼差(まなざ)しで見つめました。


「お前は、この中華(ちゅうか)を完全にまとめ上げた。その手腕(しゅわん)は、父である私をも凌駕(りょうが)している。誇(ほこ)らしいぞ」


その言葉(ことば)は、康熙帝の心に深く、深く染み渡りました。幼い頃から、父の愛情(あいじょう)に飢(う)えていた康熙帝にとって、この一言(ひとこと)は、何よりも尊(とうと)いものでした。彼は、堪(こら)えきれずに、目から大粒(おおつぶ)の涙(なみだ)を止めどなく零(こぼ)し、嗚咽(おえつ)が喉(のど)の奥から込み上げてきました。その肩(かた)は、激しく震え、まるで幼子(おさなご)のように泣き崩(くず)れそうでした。


「玄燁(げんよう)…どうした?、なぜ泣くのだ?」


順治帝は、息子(むすこ)の突然(とつぜん)の号泣(ごうきゅう)に、困惑(こんわく)した表情(ひょうじょう)で尋(たず)ねました。


康熙帝は、嗚咽(おえつ)を漏らしながらも、必死(ひっし)に涙(なみだ)を拭(ぬぐ)い、震(ふる)える声で答えるのでした。


「父上(ちちうえ)に…はじめて褒(ほ)めていただけましたゆえ…」


その言葉を聞いた順治帝は、深いため息をつきました。彼の顔に、微(かす)かな後悔(こうかい)の色(いろ)が浮かびました。そして、ふっと表情(ひょうじょう)を曇(くも)らせ、諭(さと)すように語り始めました。


「まさか、お前は自分が不幸(ふこう)な人生だったと思っているのではないだろうな?」


康熙帝は、驚(おどろ)きと戸惑(とまど)いが入り混じった顔で、父の顔を見つめました。順治帝の瞳(ひとみ)は、冷徹(れいてつ)な光(ひかり)を宿(やど)し、康熙帝の心を見透(みす)かすかのようでした。


「お前は、私の母親(ははおや)の愛情(あいじょう)を独占(どくせん)したのだぞ。この世(よ)で最も聡明(そうめい)な女性(じょせい)の愛情と時間とを独占したのだ。その人生(じんせい)を不幸(ふこう)だったとは言わせないぞ!」


順治帝の言葉は、康熙帝の胸(むね)に、まるで鋭(するど)い刃(やいば)のように突き刺(さ)さりました。彼は返す言葉もなく、ただ閉口するしかありませんでした。父の言葉の重みに、康熙帝は深く、深く考えさせられるのでした。


________________________________


父から息子へ、そして母へ


順治帝は、康熙帝(こうきてい)の沈黙(ちんもく)と、その顔に浮かぶ複雑(ふくざつ)な感情(かんじょう)を見て、少し穏(おだ)やかな表情(ひょうじょう)になりました。


「もう、何の心配もいらん。お前が思うがままの政治(まつりごと)を行(おこな)え。お前が失敗(しっぱい)しても、私は責任(せきにん)はとらん。お前が成功(せいこう)したら、褒めてやるからまたここに来(く)るといい」


その言葉(ことば)に、康熙帝は再び顔(かお)を上げました。彼の目には、先ほどまでの悲しみの涙(なみだ)とは違う、強い決意(けつい)の光が宿っていました。


「…はい。父上(ちちうえ)に褒(ほ)めていただくために、また必ず成果(せいか)を上げてここに来(く)ることを誓(ちか)います!」


康熙帝は、きっぱりとそう言い切りました。その言葉には、父の期待(きたい)に応えようとする、若き皇帝(こうてい)の燃えるような情熱(じょうねつ)が込められていました。


順治帝は、康熙帝の誓(ちか)いを静かに聞くと、母(はは)である孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)ブムブタイに視線(しせん)を向けました。彼の目に、柔らかな光(ひかり)が灯(とも)りました。


「玄燁(げんよう)を下がらせて、母上(ははうえ)と二人(ふたり)きりにしてほしい」


順治帝の言葉に、康熙帝は深く頭(あたま)を下げ、庵(いおり)を後にしました。残された順治帝は、ブムブタイに向き直り、静かに語り掛け(か)るのでした。



〇

遥(はる)か高くそびえる五台山(ごだいさん)の深き奥、ひっそりとたたずむ粗末な庵(いおり)に、清(しん)の第三代皇帝(こうてい)、順治帝(じゅんちてい)は身を隠されていました。時は康熙(こうき)二十四年、西暦で言えば1685年のことです。庵(いおり)の戸口には、第四代皇帝である康熙帝(こうきてい)、その人(ひと)が立っています。傍(かたわ)らには、彼(かれ)の祖母(そぼ)であり、かつては清(しん)の「荘妃(そうひ)」として、また「皇太后(こうたいごう)」として朝(ちょう)を支え続けた孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)、布木布泰(ブムブタイ)様がいらっしゃいました。


康熙帝(こうきてい)は、父(ちち)である順治帝(じゅんちてい)に、この国(くに)を覆(おお)う問題(もんだい)について相談(そうだん)し、その胸中(きょうちゅう)を吐露(とろ)しました。すると、順治帝(じゅんちてい)は静(しず)かにうなずかれました。


「玄燁(げんよう)よ、もうよい。ここからは母上と二人きりにしてほしい」


康熙帝(こうきてい)は、父(ちち)の言葉(ことば)に、わずかに寂(さび)しげな表情(ひょうじょう)を見(み)せながらも、深(ふか)く頭(あたま)を下げ、庵(いおり)を後にされました。庵(いおり)の中には、順治帝(じゅんちてい)と布木布泰(ブムブタイ)様の二人だけが残(のこ)されました。静寂(せいじゃく)が二人を包(つつ)み込(こ)む中、順治帝(じゅんちてい)は、優(やさ)しく、しかし確(たし)かな眼差(まなざ)しで布木布泰(ブムブタイ)様を見(み)つめられました。


「母上。私(わたくし)は皇帝(こうてい)の座(ざ)を譲(ゆず)り、この山奥(やまおく)で俗世(ぞくせ)を離(はな)れました。そして、母上は、幼(おさな)い玄燁(げんよう)を、一(ひと)人(り)の皇帝(こうてい)として教育(きょういく)なさいました。私たち親子(おやこ)は、二人(ふたり)でこの国(くに)にとって最高(さいこう)の名君(めいくん)を創(つくり)上(あ)げたのです。我々(われわれ)の決断(けつだん)は、実(み)に見事(みごと)な成果(せいか)をもたらしましたね」


順治帝(じゅんちてい)の言葉(ことば)には、一切(いっさい)の後悔(こうかい)もなく、ただ穏(おだ)やかな満足(まんぞく)が宿(やど)っていました。彼(かれ)は続(つづ)けて、布木布泰(ブムブタイ)様(さま)へと深(ふか)い感謝(かんしゃ)の念(ねん)を伝(つた)えられました。


「玄燁(げんよう)の成長(せいちょう)は、ひとえに母上(ははうえ)のお陰(かげ)です。厳(きび)しくも温(あたた)かいご指導(しどう)があったからこそ、あの子(こ)は立派(りっぱ)な皇帝(こうてい)となりました。ありがとうございます、母上」


布木布泰(ブムブタイ)は、すでに高齢(こうれい)でした。長年(ながねん)にわたる宮中(きゅうちゅう)での激務(げきむ)と、幼(おさな)い二代(にだい)の皇帝(こうてい)を支(ささ)え続(つづ)けた心労(しんろう)が、その身(み)に重(おも)くのしかかっていたことでしょう。彼女(かのじょ)は、優(やさ)しく微笑(ほほえ)みながら、静(しず)かに言葉(ことば)を返(かえ)しました。


「福臨(フリン)よ。私(わたくし)も、そろそろ表舞台(おもてぶたい)から引退(いんたい)しようと思(おも)っています。それに、もう、これほど深(ふか)い山奥(やまおく)まで来(こ)られる体力(たいりょく)も残(のこ)っていません。今回(こんかい)が、五台山(ごだいさん)へ足(あし)を運(はこ)ぶ最後(さいご)の機会(きかい)となるでしょう。もし貴方(あなた)が、この山(やま)を下(お)りないというのであれば、これが今生(こんじょう)での別(わか)れとなりますね」


布木布泰(ブムブタイ)様の言葉(ことば)は、確(たし)かな覚悟(かくご)と、僅(わず)かな寂(さび)しさを帯(お)びていました。順治帝(じゅんちてい)は、母(はは)の言葉(ことば)を受(う)け止(と)め、深(ふか)く息(いき)を吐(つ)かれました。


「私(わたくし)が山(やま)を下(お)りれば、玄燁(げんよう)の治世(ちせい)の邪魔(じゃま)になるでしょう。私(わたくし)は、この五台山(ごだいさん)で、残(のこ)りの人生(じんせい)を全(まっと)ういたします。母上(ははうえ)、ここでお別(わか)れです」


そう申(もう)されると、順治帝(じゅんちてい)は、深(ふか)く頭(あたま)を下げられました。布木布泰(ブムブタイ)様(さま)は、愛(いと)しい息子(むすこ)の、その穏(おだ)やかな表情(ひょうじょう)を見(み)つめながら、静(しず)かに立(た)ち上(あ)がられました。これ以上(いじょう)、言葉(ことば)を交(か)わす必要(ひつよう)はないと、互(たが)いが理解(りかい)していたのでしょう。


庵(いおり)を後に(あと)した布木布泰(ブムブタイ)様は、山道(やまみち)をゆっくりと下(くだ)り始(はじ)められました。振(ふ)り返(かえ)ることはありませんでした。そして、布木布泰(ブムブタイ)様は、息子(むすこ)である順治帝(じゅんちてい)と、今生(こんじょう)最後(さいご)の別(わか)れを告(つ)げられたのでした。



〇

康熙(こうき)二十七年、清(しん)の皇帝(こうてい)である康熙帝(こうきてい)は、かつてないほどの自信(じしん)に満(み)ち溢(あふ)れ、堂々(どうどう)と政務(せいむ)を執(と)られていました。この頃(ころ)、清(しん)と遠(とお)い異国(いこく)、ロシア帝国(ていこく)との間(あいだ)では、国境(こっきょう)の画定(かくてい)と貿易(ぼうえき)に関(かん)する重要(じゅうよう)な交渉(こうしょう)が始(はじ)まっていました。この交渉(こうしょう)は、翌年(よくねん)に締結(ていけつ)されるネルチンスク条約(じょうやく)へと繋(つな)がる、歴史的(れきしてき)な出来事(できごと)でした。


一方(いっぽう)、康熙帝(こうきてい)の祖母(そぼ)である孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)、布木布泰(ブムブタイ)様(さま)は、若(わか)き皇帝(こうてい)の堂々(どうどう)たる振(ふる)る舞(ま)いを、誇(ほこ)らしげに眺(なが)めていらっしゃいました。彼女(かのじょ)は、長年(ながねん)にわたり清(しん)の安定(あんてい)を支(ささ)え、二代(にだい)の皇帝(こうてい)を育成(いくせい)してきた功労者(こうろうしゃ)でいらっしゃいます。その目(め)には、自身(じしん)の人生(じんせい)が実(みの)り多(おお)いものであったことへの満足(まんぞく)と、将来(しょうらい)への希望(きぼう)が宿(やど)っていました。


しかし、時(とき)は容赦(ようしゃ)なく流(なが)れ、布木布泰(ブムブタイ)様(さま)の身(み)にも、老(お)いという現実(げんじつ)が迫(せま)っていました。この頃(ころ)から、彼女(かのじょ)は体調(たいちょう)の悪(わる)さを自覚(じかく)されるようになっていたのです。


ある穏(おだ)やかな日(ひ)の午後(ごご)、布木布泰(ブムブタイ)様は、宮中(きゅうちゅう)の奥(おく)にある自室(じしつ)で、静(しず)かに休(やす)んでいらっしゃいました。侍女(じじょ)が温(あたた)かいお茶(ちゃ)を運(はこ)んでくると、布木布泰(ブムブタイ)様は、ふと遠(とお)くを見(み)つめるような眼差(まなざ)しで、呟(つぶや)かれました。


「最近(さいきん)、どうも身体(からだ)がいうことを聞きません。思(おも)うように動(うご)かせなくなりましたね」


侍女(じじょ)は心配(しんぱい)そうに、布木布泰(ブムブタイ)様(さま)の顔色(かおいろ)を窺(うかが)いました。


「太皇太后様(たいこうたいごうさま)、ご無理(むり)はなさいませんでくださいませ。康熙帝(こうきてい)様も、常(つね)にお祖母様(おばあさま)のお身体(からだ)を気遣(きづか)っていらっしゃいます」


布木布泰(ブムブタイ)様は、優(やさ)しく微笑(ほほえ)まれました。


「玄燁(げんよう)は、本当(ほんとう)に立派(りっぱ)に成長(せいちょう)しましたね。あの子(こ)が、あのように自信(じしん)を持(も)って政(まつりごと)を執(と)る姿(すがた)を見(み)るたび、私(わたくし)は胸(むね)が熱(あつ)くなります。すべては、あの子(こ)の努力(どりょく)の賜物(たまもの)です」


「いえ、太皇太后様(たいこうたいごうさま)のご指導(しどう)があったからこそでございます。康熙帝(こうきてい)様は、いつも太皇太后様(たいこうたいごうさま)への感謝(かんしゃ)の念(ねん)を口(くち)になさっています」


侍女(じじょ)の言葉(ことば)に、布木布泰(ブムブタイ)様は、ふと遠(とお)い日(ひ)を思(おも)い出(だ)されたようでした。幼(おさな)かった康熙帝(こうきてい)が、熱心(ねっしん)に学問(がくもん)に励(はげ)む姿(すがた)、そして幾度(いくど)もの困難(こんなん)を乗(の)り越(こ)えてきた軌跡(きせき)が、走馬灯(そうまとう)のように心(こころ)を過(よぎ)ります。


「そうですね。あの子(こ)は、私(わたくし)の自慢(じまん)です。私(わたくし)の生(い)きる証(あかし)のようなものです」


布木布泰(ブムブタイ)様(さま)の声(こえ)は、微(かす)かに震(ふる)えていました。しかし、そこには悲(かな)しみではなく、深(ふか)い愛情(あいじょう)と誇(ほこ)りが込(こ)められていました。彼女(かのじょ)は、自(みずか)らの身体(からだ)が衰(おとろ)えていくことを自覚(じかく)しながらも、康熙帝(こうきてい)という次代(じだい)の光(ひかり)を見(み)つめ、静(しず)かにその時(とき)を待(ま)っていらっしゃいました。


長年(ながねん)にわたる激動(げきどう)の生涯(しょうがい)を、彼女(かのじょ)は毅然(きぜん)として生(い)き抜(ぬ)かれました。そして、その生(い)き様(ざま)は、清朝(しんちょう)の歴史(れきし)に、確(たし)かな足跡(あしあと)を刻(きざ)んでいったのです。

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