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1667年(康熙6年)、清の宮廷では、若き康熙帝が親政開始を望む声が高まっていました。しかし、彼の行く手を阻む大きな存在がありました。筆頭輔政大臣であった鰲拝です。彼は先に亡くなった索尼とは異なり、権力を掌握し、意のままに振おうとしていました。
その年の暮れ、宮廷に衝撃的な報せが飛び込みました。四大輔政大臣の一人であった蘇克薩哈が、鰲拝の讒言によって処刑されたのです。蘇克薩哈は、鰲拝の専横に異を唱え続けてきた人物でした。彼の死は、鰲拝の権力を一層強固なものにし、宮廷内に恐怖と不安を広げました。
孝荘文皇后布木布泰は、この事態に深い憂慮を抱きました。愛する孫である康熙帝の身を案じると同時に、清の未来に暗雲が立ち込めていることを悟ったのです。
ある日のこと、布木布泰は、静かに康熙帝を呼び出しました。玉座のそばにある、陽の光が優しく差し込む部屋で、二人は向かい合いました。康熙帝は、祖母の顔に刻まれた憂いの色に気づき、心配そうな眼差しを向けました。
「祖母上、何か(なにか)ございましたか?」
康熙帝の問い(とい)に、布木布泰はゆっくりと口を開きました。
「陛下。あなたは、もうすぐ親政を開始するお方です。しかし、今の宮廷は、鰲拝の力があまりにも強すぎます」
康熙帝は、ぎゅっと唇を噛み締めました。彼自身も、鰲拝の専横には苦しめられていました。何かをしようとしても、鰲拝が邪魔をしてくるのです。
「私も、どうにかしたいのです。しかし、どうすればよいのか…」
康熙帝の言葉に、布木布泰は首を振りました。
「私が直接手を下しても、うまくいきません」
康熙帝は、驚いて祖母を見つめました。聡明な祖母ならば、きっと良い策を授けてくれると信じていたからです。
「なぜです、祖母上?」
布木布泰は、静かに続けました。
「私は、後宮の人間です。そして、何よりも、あなたを支える存在でなければなりません。もし私が直接動けば、かえって混乱を招き、鰲拝に反撃の機会を与えることになります」
彼女の言葉には、長年宮廷で生きてきた者だけが持つ、重みがありました。
「これは、あなたが、あなたの力で成し遂げなければならないことです」
布木布泰の視線は、力強く、康熙帝の心に語りかけました。康熙帝は、その言葉に、自らの背筋が伸びるのを感じました。
「私の力で…ですか?」
「そうです。あなたは、この清の皇帝です。皇帝としての威厳と、これまで学んできた知恵を尽くしなさい。あなたは、まだ若いですが、誰よりも賢く、そして誰よりも強い心を持っています。私は、それを信じています」
布木布泰の言葉は、まるで魔法のように、康熙帝の心に勇気を与えました。彼は、これまで鰲拝の巨大な影に怯え、自らの無力さに苛立っていましたが、祖母の言葉は、彼の心に炎を灯したのです。
「わかりました、祖母上。私は、私の力で、鰲拝を排除してみせます」
康熙帝の瞳には、決意の光が宿っていました。その日から、彼は、鰲拝に対抗するための周到な計画を練り始めました。それは、彼が祖母から学んだ知恵と、培ってきた胆力を試す、最初の大きな試練となるのでした。布木布泰は、その様子を温かく見守りながら、静かに康熙帝の成長を祈っていました。
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1669年(康熙8年)、春の訪れとともに、紫禁城の中では緊張が高まっていました。若き康熙帝は、先の年に祖母である孝荘文皇后布木布泰から授けられた言葉を胸に、秘めたる決意を固めていました。「あなたが、あなたの力で成し遂げるのです」その言葉が、彼の心に強く響いていました。
康熙帝の目の前に立ちはだかるのは、依然として絶大な権力を振う輔政大臣の鰲拝です。鰲拝は、康熙帝を子供扱いし、政務のすべてを己の意のままに進めていました。康熙帝は、親政を開始したいと願っていましたが、鰲拝の存在がそれを阻んでいました。
ある日のこと、康熙帝は御花園で、いつものように力士の訓練を眺めていました。彼は、少年の力士たちを集め、彼らが力を競い合う様子を楽しそうに見ていました。鰲拝もまた、皇帝が武芸を好むことを喜び、時折その場に顔を出していました。
「陛下は、本当に力士たちがお好きですな」
鰲拝は、康熙帝の隣に立ち、鷹揚に語りかけました。彼は、まさかこの若き皇帝が、自らに牙を向けるとは夢にも思っていませんでした。
康熙帝は、にこやかに答えました。
「はい。彼らの鍛え抜かれた体と、たゆまぬ努力を見ると、心が奮い立つのです」
その日も、いつものように少年力士たちの訓練が行われていました。鰲拝は、皇帝のそばで、彼らの力自慢に興じていました。その隙を狙い、康熙帝は密かに準備を進めていたのです。
「そこの少年たち。鰲拝殿の武勇は並大抵のものではないと聞く。ぜひ、その強さを間近で見せていただきたい!」
康熙帝の突然の言葉に、鰲拝は得意満面の笑を浮かべました。彼は自らの武力に絶対的な自信を持っていました。
「はっはっは。陛下のお望みとあらば、この鰲拝が少々(しょうしょう)手合いをいたしましょう」
鰲拝が少年力士たちの方へ向き直ったその時、康熙帝は静かに合図を送りました。突如、訓練をしていた少年力士たちが一斉に鰲拝に襲いかかりました。彼らは日頃から康熙帝に可愛がられ、密かにこの計画に加担していました。少年たちの素早い動きに、巨漢の鰲拝も戸惑いを隠せません。
「な、何をする!?」
鰲拝は抵抗しようとしましたが、少年たちは彼に組み付き、地面に押さえつけました。多勢に無勢、そして油断しきっていた鰲拝は、あっという間に身動きがとれなくなりました。
康熙帝は、毅然とした態度で鰲拝を見下ろしました。その顔には、もはや幼い皇帝の面影はなく、確固たる帝王の風格が宿っていました。
「鰲拝!そなたの罪は明白である。長きにわたり、私を蔑み、私利私欲のために権力を振ってきたな。蘇克薩哈を無実の罪で処刑したこと、その他の悪行の数々(かずかず)。すべて、この康熙帝が見聞してきたことだ」
鰲拝は、ようやく事態を理解し、驚愕に目を見開きました。
「陛下…まさか…」
「もはや、そなたに弁明の余地はない。罪を認め、裁きを受けるがよい」
康熙帝の命により、鰲拝はたちどころに捕縛され、投獄されました。権勢を誇った大物も、若き皇帝の周到な計画の前には、手も足も出ませんでした。獄中で、鰲拝は自らの罪を問われ、間もなくして息を引き取りました。
この鰲拝の排除により、康熙帝の親政が本格的に開始されました。清の未来を担う若き皇帝は、祖母の教えを守り、自らの手で強大な敵を打ち破ったのです。宮廷には、新たな風が吹き始め、人々(ひとびと)は若き皇帝の采配に期待を寄せるのでした。
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1669年(康熙8年)、春の穏やかな日差しが紫禁城の屋根を照らしていました。先日の鰲拝排除という大仕事を終えられた康熙帝は、執務室で次なる政策について考えを巡らせていました。彼の脳裏にあったのは、先帝である父の順治帝の時代に敷かれた「遷界令」という海禁政策です。
遷界令は、明の残党である鄭成功らが台湾に勢力を築き、清に抵抗していた頃に、彼らへの物資供給を断つためとして、沿海部の住民を内陸に移住させ、海上交易を厳しく禁じるものでした。しかし、この政策は、沿海に住む多くの民の生活を苦しめ、経済にも深刻な影響を与えていました。
康熙帝は、その弊害を肌で感じていました。民の苦しみを見過ごすことはできません。しかし、長く続いた政策を急に変えることは容易ではありません。重臣たちの中には、依然として強硬な海禁を主張する者もいます。康熙帝は、思案に暮れていました。
その日の午後、康熙帝は祖母である孝荘文皇后布木布泰の寧寿宮を訪れました。布木布泰は、孫の訪問を温かく迎えました。
「陛下、この度は鰲拝を排除され、心よりお慶び申し上げます。あなた様の親政が本格的に始まることを、わたくしは心から嬉しく思っておりますよ」
布木布泰の言葉に、康熙帝は深く頭を下げました。
「祖母上 の長年にわたるご指導と、鰲拝への対抗策のお陰でございます。しかし、まだ課題が山積しております。特に、あの海禁政策について、祖母上 のご意見を伺いたく参りました」
康熙帝は、海禁政策が民に与える苦痛と、経済への悪影響を詳細に説明しました。布木布泰は、静かに耳を傾けていました。彼女自身も、かつてこの政策に反対していた経緯があります。
「なるほど…。陛下のお気持は、痛いほどわかりますよ」
布木布泰は、穏やかな口調で語り始めました。
「あの海禁政策は、当初は鄭成功を孤立させるための止むを得ない措置でした。しかし、時が経てば、状況は変わるものです。いつまでも旧弊に囚われていては、国は疲弊してしまいます。陛下のお考えの通り、民の生活を第一に考えるべきでしょう」
康熙帝は、祖母上 の言葉に安堵の表情を浮かべました。
「やはり、祖母上 もそう思われますか」
「ええ。わたくしは、あなたが皇帝に即位した頃から、この政策が長く続くことの危惧を抱いておりました。ただ、当時は鰲拝らの輔政大臣たちが実権を握り、わたくしの意見も聞き入れられませんでしたからね」
布木布泰は、かつての悔しさを滲ませながらも、毅然とした態度を崩しません。
「しかし、今は違います。陛下はもう、ご自身の力で政を司ることができるのです。民の声に耳を傾け、良いと思われた政策は、臆することなく実行なさい。それが、真の帝王の道というものです」
「はい、祖母上。祖母上 のお言葉で、私は確信を得ました。海禁政策の緩和を、早急に検討いたします」
康熙帝は、決意に満ちた表情で答えました。布木布泰は、孫の成長を温かい目で見守っていました。彼女の教えと支えが、若き皇帝を偉大な帝王へと育てていくことを、彼女は確信していました。
この対話は、康熙帝の治世における重要な転換点となりました。祖母の強い後押しを得て、康熙帝は海禁政策の緩和に向けて具体的な行動を開始することになります。それは、やがて清の経済を再興させ、国力を増大させる礎となるのです。