草原の姫から帝国の賢母へ:孝荘文皇后(ブムブタイ):⑩
〇
1644年(清・順治元年)5月27日、明の都北京が李自成の反乱軍によって陥落したという報は、山海関に陣取る明の将軍、呉三桂の元にも届いていました。彼は、その知らせに衝撃を受けました。しかし、彼の心を激しく揺り動かしたのは、都が落ちたという事実だけではありませんでした。
李自成軍の部将が、北京に残してきた最愛の女性、陳円円を奪ったという知らせでした。
「陳円円が……奪われただと!」
呉三桂の声は、怒りに震えていました。長い間、明の忠臣として国境を守り抜いてきた彼でしたが、愛する人が手の届かない場所に連れ去られたという報は、彼の忠誠心をも凌駕するほどでした。彼の脳裏には、清に降るか、李自成に投降するかという選択肢が浮かび上がりましたが、陳円円を奪われた怒りが、彼を清軍との共闘へと駆り立てました。
こうして、呉三桂は清の摂政王ドルゴンとの密談を決意しました。場所は、山海関の近くの、人目を避けたひっそりとした場所でした。
ドルゴンと呉三桂は、それぞれ兵を少なくして顔を合わせました。山海関を挟み、敵対してきた両者でしたが、この時ばかりは、共通の敵である李自成軍を打倒するという目的で一致していました。
呉三桂は、かつて明の勇将として名を馳せていただけに、清に対しても対等な立場での同盟を望んでいました。
「ドルゴン様。我々(われわれ)は李自成という共通の敵を持つ者同士。共に手を取り合い、乱を鎮め、中華に秩序をもたらしましょう。」
呉三桂は、毅然とした態度で語りかけました。彼は、清の力を借りつつも、明の将軍としての誇りを捨てるつもりはありませんでした。
しかし、ドルゴンは静かに、しかし確かな威圧感をもって呉三桂の言葉を受け止めていました。彼は、すでに中華の支配者となることを決意しており、明の将軍と対等な立場で組む気など毛頭ありませんでした。
ドルゴンは、ゆっくりと口を開きました。
「呉将軍。貴殿の苦境は理解できる。だが、今や明は滅んだ。もはや、貴殿に主はいないのだ。」
その言葉には、一切の躊躇も妥協も感じられませんでした。ドルゴンの目は、冷たく、そして力強く、呉三桂を見据えていました。
「我々(われわれ)清は、天の命を受けて中華を治めるのだ。貴殿が我々(われわれ)に協力するというならば、それは同盟ではない。帰順である。」
ドルゴンの声は、低く響き渡りました。彼の言葉には、彼自身の強大な意志と、清の国家としての絶対的な自信が込められていました。
呉三桂は、ドルゴンの迫力に押され、言葉を失いました。彼の脳裏には、奪われた陳円円の姿が浮かび、復讐心が燃え盛っていました。しかし、それと同じくらい、目前のドルゴンの威厳に圧倒されていました。
自らが誇りとしてきた明は滅び、愛する女性は敵の手にあります。もはや、彼に残された道は、わずかでした。
呉三桂は、ゆっくりと、しかし確かに膝を屈しました。
「承知いたしました。ドルゴン様の命に従いましょう。」
その言葉は、呉三桂が、長く仕えてきた明への忠誠を捨て、新たな時代の波に乗ることを決意した瞬間でした。そして、この屈服が、清が中華を支配する上で、大きな転換点となるのでした。山海関の門は、清軍のために開かれ、李自成の農民反乱軍との決戦へと向かう道が敷かれたのです。
〇
1644年(清・順治元年)6月6日、旧暦の4月29日のことでした。山海関の城門は、ついに開かれました。明の将軍である呉三桂が清に降り、清軍を招き入れたためでした。
________________________________
李自成軍と清軍
山海関を突破した清軍の先頭には、摂政王ドルゴンがいました。彼の率いる清軍は、厳格な軍事制度である「八旗」に基づいて編成されていました。八旗は満州族を中核とし、モンゴル(もんごる)族、そして帰順した漢人で構成され、それぞれ旗の色で区別されていました。彼らは幼少期から馬術や弓術を訓練され、その精強さは中華全土に轟いていました。特に騎兵の能力は突出しており、その機動力と突撃力は他の追随を許さないほどでした。
一方、李自成が率いる順軍は、元々(もともと)は各地で飢えに苦しんでいた農民たちが集まってできた軍でした。彼らは数こそ多いものの、正規の訓練を受けた兵士は少なく、武器も統一されていませんでした。多くは槍や刀、粗末な弓を持っているにすぎませんでした。指揮系統も確立されておらず、その場限りの応戦で戦ってきたのが実情でした。北京を陥落させたことで士気は高まっていましたが、長い明との戦いと、都での略奪で、規律は緩みきっていました。
________________________________
山海関での激突
山海関の外で、清軍と李自成の順軍は対峙しました。
順軍の陣では、李自成が激しく部下を叱咤していました。
「者ども、聞こえるか! 明は我々(われわれ)の手で滅びたのだ! あの夷敵どもを撃ち破り、新たな王朝を築くのだ!」
彼の言葉は、兵士たちの一時的な歓声を呼びましたが、その目には、不安の色が隠しきれませんでした。彼らの前に立ちはだかる清軍は、ただの遊牧民の集団ではありませんでした。精鋭たる八旗は、規律正しく、整然と隊列を組んでいました。
清軍の最前線では、ドルゴンが愛馬にまたがり、高らかに叫びました。
「満州の勇者たちよ! 我らの前に敵なし! 中華の天命は我々(われわれ)にある! 進め! 李自成の賊軍を掃討せよ!」
号令とともに、清軍の騎兵が地響きを立てて突撃しました。蹄の音は、順軍の兵士たちの心臓に直接響き渡るようでした。彼らの弓矢は、風を切って飛び交い、次々(つぎつぎ)と順軍の兵士たちを射倒しました。
「ひ、ひぃぃぃ!」
ある兵士が恐怖に震え、武器を落としました。その恐怖は瞬く間に周囲に広がりました。
順軍は、清軍の猛攻の前に、なすすべなく崩壊していきました。訓練不足と規律の緩みが露呈し、瞬く間に統制を失いました。多くの兵士が武器を捨てて逃げ出し、戦場は混乱に陥りました。
李自成は、自軍の敗走を目の当たりにし、怒りと絶望に顔を歪めました。
「何たる体たらく(ていたらく)だ! 逃げるな! 戦え!」
彼は叫びましたが、もはや兵士たちの耳には届きませんでした。戦場は、清軍の一方的な勝利の様相を呈していました。李自成自身も、側近に促され、やむなく戦場からの遁走を余儀なくされました。
山海関の戦い(たたかい)は、李自成の順軍にとって目も当てられぬほどの敗北となりました。清軍の組織力と戦闘力の差は歴然であり、この勝利によって清は中華全土への足掛かりを確固たるものとしました。
〇
1644年(清・順治元年)10月19日、旧暦の9月20日のことでした。清軍は、ついに北京の城門をくぐり、その中に足を踏み入れました。永楽帝以来、およそ240年にわたって明の都であった北京は、今や清のものとなったのです。
________________________________
紫禁城への入居
清軍が入城して間もなく、若き順治帝と、その生母である皇太后布木布泰も北京へと移ることになりました。彼らが新たな住まいとするのは、かつて明の皇帝たちが暮らした壮麗な宮殿、紫禁城でした。
布木布泰は、広大な紫禁城を見上げながら、感慨深い面持ちでつぶやきました。
「この紫禁城が、我らのものとなるなんて……まるで夢のようです」
そばにいた摂政王ドルゴンは、力強く頷きました。
「ええ、まさに天命です。明は腐敗し、その役目を終えた。これからは我ら清が、中華を治める時代です」
順治帝は、まだ幼い6歳でした。広い宮殿の中を、好奇心に満ちた瞳で眺め、時折布木布泰の服の袖を引っ張りました。
「母上、ここはとても広いですね。私のお部屋はどこですか?」
布木布泰は優しく微笑み、順治帝の頭を撫でました。
「ええ、そうですね。この紫禁城のどこでも、あなた様のお部屋になりますよ」
________________________________
ドルゴンと布木布泰の密約
北京に入城し、紫禁城に居を構えた後、清朝の本格的な中国支配が始まりました。実権は、清軍を率いて北京を陥落させたドルゴンが掌握していました。幼い順治帝と、その母である布木布泰は、彼の支えなしには政を行うことはできませんでした。
ある日、紫禁城の奥深い部屋で、布木布泰とドルゴンは密かに会談していました。部屋には、二人の声だけが静かに響き渡っていました。
ドルゴンが口火を切りました。
「皇太后様、これから清は中華全土を治めることになります。私は軍事と政治の全権を掌握いたしますが、宮廷と後宮のことは、皇太后様にお任せしたいと存じます」
布木布泰は、静かにドルゴンの言葉を聞いていました。彼の言葉は、彼女が願っていた未来の形を示していました。息子である順治帝の帝位を守り、清の国を安泰させるためには、ドルゴンとの協力が不可欠であることを、彼女は理解していました。
「承知いたしました。軍事と政治は摂政王様にお任せいたします。ですが、宮廷と後宮のことに関しては、私が責任を持って差配させていただきます」
ドルゴンは満足げに頷きました。
「これで、清の未来は盤石ですな」
この密約は、清朝が中華を支配していく上で、重要な礎となりました。ドルゴンは軍事と対外政策を主導し、布木布泰は幼い皇帝を支え、宮廷内の秩序を保つ役割を担いました。新たな時代の幕開けに、二人の思惑が重なった瞬間でした。




