断罪希望なのでシナリオ通りに行動してみた
ざまあに関して自分でも足りないと思ったので書き足しました。
誤字の指摘ありがとうござます。
「我が愚妹ローズ! お前の罪は明日、明らかにされるぞ! 楽しみにしていろ!」
夕食の席、テーブルに着くやいなや兄のグラズが声高に言い放った。長テーブルを挟んでいなければ、唾が料理に飛んできていただろう。
「心優しき聖女エミリを公然と虐めるなど、全くお前は公爵令嬢あるまじき女だ。しかしそれも明日で終わる。お前の婚約者であるダニエル王太子は、我慢の限界だと仰った!」
得意げに演説するグラズに一瞥もくれず、ローズは黙々とポタージュスープを口へ運ぶ。
そんな妹の様子が気に食わないのか、グラズの声は益々熱を帯びていく。
「エミリの教科書を破り、制服を中庭で焼き、王宮の噴水に突き落とすなど下劣な虐めの証拠は揃っているのだぞ! 少しは反省したらどうだ! ああ、何があっても顔色一つ変えないお前に反省を促しても無意味だったな。本来なら死罪が妥当だが、殿下はそんなお前にも慈悲を与えてくれるそうだ!」
「慈悲とは、どういうことでしょうか」
やっと反応したローズに、グラズがにやりと歪んだ笑みを浮かべた。
「国外追放だ!」
「煩い!」
ダン!
とテーブルにナイフを叩き付けると狂ったように頭をかきむしりながら叫んだのは、妹のサリーだ。
長テーブルの丁度中央に座る妹は、美しいブロンドの巻き毛を振り乱し両端に座る兄と姉を交互に見てからキーキーとわめく。
「お兄様! 食事の時くらい黙って! お姉様もその辛気くさい顔をどうにかして頂戴! 二人とも私が楽しめる話題を出したらどうなの? 気が利かないわね!」
「さ、サリー落ち着け……」
顔を引きつらせながら宥めようとするグラズに、サリーはワイングラスを投げつける。
三人で食事をするときは恒例行事みたいな光景なので、ローズは眉一つ動かさない。
「ああもう! どうして食事くらい静かにできないのかしら? まったくお兄様もお姉様も、マナーを分かってないのね! この公爵家の行く末が心配だわ! アンナ、料理は部屋に運んでちょうだい! 馬鹿な兄姉と一緒に食事なんてできませんわ」
言うとサリーは椅子をひっくり返す勢いで席を立ち部屋から出て行く。
「……全く……十五歳になるというのに、癇癪が治らないサリーはどうしたものか。あれでは社交会デビューなどできはしない。いっそお前と一緒に、どこぞの国へ行ってくれたらなぁ……ああ、それがいい。そうしよう」
うんうんと一人頷く兄にかまわず、再びローズは黙々と料理を食べ続ける。
が、内心ではガッツポーズを取っていた。
(よっしゃ! 私の国外追放はほぼ確定って事ね。サリーも体よく押し付けてくれそうだし。あとは明日の断罪が成功すれば問題なし!)
***
ローズ・ブラッド公爵令嬢には前世の記憶があった。
十歳の時に原因不明の病で高熱を出して生死の境を彷徨った後、ローズは奇跡的な生還をし同時に前世の記憶を取り戻したのである。
ここは前世でプレイした乙女ゲームの世界で、自分はヒロインを虐める所謂「悪役令嬢」のポジションだ。
貴族学院在学中にヒロインへの悪質な虐めを行い、婚約者である王太子直々に衆目の中で断罪される。一般的に考えれば避けたいルートだ。
けれどローズは違った。意識を取り戻したローズは、ベッドの上で一人呟く。
「こんな頭お花畑の国なんて捨ててやる」
***
淡々と夕食を終えたローズは、何ごともなかったかのように席を立つ。
「今日も美味しかったわ。料理長にお礼を伝えておいてちょうだい」
控えているメイドにこそりと囁くと、彼女が微笑んでうなずく。
兄はスープに塩気が足りないとか肉を持って来いなどと喚いており、ローズが出て行ったことにも気づいていない。
ちなみに両親は夜会に出かけて不在だ。そもそも家族揃って食卓を囲んだ記憶はない。跡取りであるグラズは別として、ローズもサリーも公爵家繁栄の駒としか見られていないので、両親からの関心は薄い。
ローズが十二歳の時、正式に王太子の婚約者となって暫くは気にかけてくれるようになった。しかしローズを羨んだサリーが癇癪を起こすようになってからは、その世話をローズに押し付け屋敷にすら寄りつかなくなった。
そして現在、十六歳になったローズが両親の代理として学業の傍ら屋敷を取り仕切っている。本来なら跡取りである一つ年上の兄がやるべきことだが「殿下の補佐で忙しい」と言って聞く耳すら持たない。
(お父様とお母様は、婚約破棄の件をご存じなのかしら? 屋敷に戻ってこないということは、王太子が聖女と浮気三昧って噂すら聞いていないのかも……いいえ、まさかね。知っていても「我慢しろ」としか言いそうにないもの)
公爵家のためだけに生きろと散々言われてきたローズは、両親からの愛情など期待していない。少なくとも両親も家のために生きるような人間ならば、公爵家の人間として仕方ないと受け入れたかもしれない。
しかし両親は公爵家の潤沢な資産で放蕩三昧。公爵家の領地運営も代官任せだ。
王家を含めこの国の大多数の貴族がこんな馬鹿げた生活を送っているのだが、それでも国が成り立っているのは「お花畑すぎるゲームシナリオ」が影響しているのではとローズは考えている。
ローズは自室ではなく妹のサリーの部屋に向かう。
部屋の前には家令のカシムが立っていて、ローズに頭を下げた。
「ローズ様、先ほどの件は……」
「明日の婚約破棄は確定と考えていいわ。殿下の腰巾着をしているお兄様が自信満々に言うのだから、余程の事がない限り決行する気よ。カシム、これまでありがとう。明日は忙しくなるけれど、終わったら自由にしていいわ」
これを、と付け加えてローズは紹介状の封書と金貨の入った革袋を渡す。
「あなたが幼い頃暮らしていた村の近くに、家令を探している子爵家をみつけたの。給料は下がってしまうけど。どうかしら?」
「十分でございますお嬢様」
祖父の代から使える家令の目尻には、涙が浮かんでいる。
「転職を希望した全員分の紹介状は書き終えてあるわ。お父様とお兄様に見つからないように、今は隠してあるの。明日の婚約破棄が確定したら出て行く前に皆に配るから伝えておいて」
「畏まりました」
「今まで私の滅茶苦茶な我が儘を聞いてくれてありがとう」
改めて礼を言い、嗚咽を漏らす家令の肩を軽く叩いてからローズは妹の部屋へと入った。
「お待ちしておりましたわ、お姉様」
先ほどのヒステリックな姿が嘘のように穏やかな微笑みで出迎えた妹を、ローズは思わず抱きしめる。
自分と同じ金色の髪に碧の瞳を持つ妹。違うのは自分はさらりとした直毛で、サリーは柔らかな巻き毛という点だ。
「薔薇の紅茶を淹れましたの。お茶菓子は私の焼いたクッキーを用意しましたわ」
「まあ、お菓子も作れるようになったのね」
「お姉様が「何があっても、一人で生きていける力を付けなさい」と躾けてくださったお陰ですわ。さ、おかけになって」
にこにこと笑う天使のような妹に促され、ローズは椅子に腰掛ける。
「お姉様が、前世の記憶があるのって言い出したときは驚きましたけど。本当に記憶の通りになりましたわね」
紅茶を淹れて自分も椅子に腰を下ろしたサリーがはあ、とため息を吐く。この世界で唯一、ローズの秘密を知っているのはサリーだけだ。
「私も正直驚いてるのよ。こんなにも記憶そのままの世界が存在するなんて……」
紅茶を一口飲んで、ローズは遠い目をする。
この世界はローズが前世でプレイした乙女ゲームの世界だ。前世では乙女ゲーム好きが高じて、学生ながらもレビューライターとして小遣い稼ぎをしていた時期もある。
そんなわけで幾つもゲームをクリアしたローズだが、一々タイトルなどは覚えていないしキャラの名前だって全て言えるはずもない。けれどこの世界のゲームシナリオだけは、悪い意味で印象に残っていたのだ。
乙女ゲームのエンディングは、基本的に数人居る中の攻略対象の一人を選んでゴールインする。そして全ての攻略が終わった時点で、所謂「逆ハー」と呼ばれる特別なエンディングルートが用意されていることが多い。
しかしこの世界は、その逆ハーが基本エンドだったのだ。
それも「みんな仲良しハッピー」というふんわりとした逆ハーではない。ヒロインの聖女は豪華な屋敷を王家から与えられ、毎夜訪れる攻略対象達とがっつり十八禁な内容を繰り広げるというトンデモシナリオのおまけ付きだ。
(これは単純に好みの問題なのだけど……私はなんかしっくりこなかったのよね)
逆ハーは好きでも嫌いでもない。でも最初からなんの苦労もなく、全員とラブラブハッピーエンドを見せられて、攻略熱が些か冷めたのは否めない。
しかし自分はヒロインではなく、彼女を虐める悪役令嬢なので断罪回避さえすればいい。と最初は考えていた。
けれど記憶が戻って十日もしないうちに、重大な事に気づく。
当たり前と言えばそうなのだが、この世界はゲームではない。
それぞれが人格を持ち、生きているのだ。
悪役令嬢として設定された自分は王太子の婚約者として恥ずかしくないマナーと教養を身に付けるべく、幼い頃から多くの家庭教師が付けられていた。自由な時間などほぼ無く、趣味どころか料理や部屋に飾る花でさえ王太子が好む物しか与えられてこなかった。
これはまあ仕方ないが、教師達はまっとうな人ばかりだったので教育虐待がなかったことは救いだ。
しかし更なる問題は、その他の人々に関してだった。
まず両親。父親はモラハラセクハラ常習者の屑だった。実の娘の前でも、聞くに堪えない下品な会話を好むクズで、これまでも手を出されそうになったメイドを何人逃がしたか分からない。しかし父は外面が良いせいで社交界では人格者として認められており、クズっぷりを訴えても一笑に付されるのは目に見えている。
母親はそんな父親の一番の被害者なのだが、「酷い事をされても耐えて、夫に尽くす自分」に完全に酔っている。顔を合わせれば「いかに酷い浮気をされたか」を幼いローズに切々と語ったかと思えば、「あなたは子どもだからいいわよね」と訳の分からない嫉妬を向けてくる。ここ数年はローズの反応が鈍くなったので「仕方なく愚痴を聞いてもらったら肉体関係になってしまった」と娘を理由に若い男を囲い始めた。
そんな母親に対して父も当てつけのように愛人を増やす無限ループに陥っている。
なのに別れる気配は全くない。
こんな両親の精神的SMプレイに、ローズとサリーは散々振り回されてきた。
一方兄のグラズは跡取りということもあって、両親に溺愛されて育った。お陰で父親のモラハラセクハラ気質をしっかり受け継ぎ、これまたどうしようもない馬鹿息子に成長した。
そして何より面倒だったのは、婚約者である王太子ダニエル・バリルだ。
彼は兄を上回る酷いモラハラ気質の人格破綻者だったのである。
ただ激高しやすい兄とは違い、ダニエルはどこまでも冷徹でねちっこい。顔も頭も良い彼は、両親である国王と王妃からは優秀な跡継ぎと認められており、国民からの人気も高い。
しかしその内面は、酷く歪んでいる。
標的を定めるとチクチクといびり倒し、心が破壊されるまで徹底的に追い詰めるのだ。標的となった相手に非があるなしは関係なく、単に遊び半分で人を精神的に壊すのだからたちが悪い。
彼に仕えた多くの優秀な侍従や大臣が心を病んで城を去っていくのをローズは見てきた。
(ビジュアルがいいから、余計やってることがエグく感じるのよね)
こんな男の妻になるくらいなら断罪されて追放ルートが天国だと思ったローズは、婚約が結ばれた直後すぐさま行動に出た。
まず幼いが賢い妹にだけ「自分には前世の記憶がある」と話し協力を頼んだ。
最初はサリーも戸惑っていた。だが両親と兄の横暴にうんざりし、更に気紛れに屋敷を訪れる王太子の言動から胡散臭さを感じ取っていた事もあって、この屋敷にいては自分にも姉にも未来は無いと判断してくれた。
それから先は、特に障害はなく進める事ができた。
次にローズは、屋敷に仕える使用人達を買収した。
金はドレスや宝石を売って工面した。幸い公爵家には腐るほどドレスはあったので、新作のドレスや宝飾品を売り込みに来る商人に「いらないから買い取って」と言えば、それなりの値で引き取ってくれる。公爵夫妻ではなく娘についた方が得だと使用人達に理解させたローズは、次に彼らの仕事を褒めまくった。
普段から公爵とグラズのモラハラで疲弊していた使用人達は、ローズの優しい言葉一つで感激の涙を流すほどだった。
とはいえ彼らの仕事ぶりは公爵家で通用する一流のものなので、褒めるのは当然とも言える。だから重箱の隅をつつくように家令達を罵倒する父の嫌みったらしい言葉はただ不愉快でしかない。
そんな訳で、使用人達が金を渡さずともローズたちに味方してくれるようになるまでそう時間はかからなかった。
こうして使用人達の信用を得た後、ローズはサリーに「癇癪」を演じるように指南したのだ。これは自分が断罪された後、サリーの処遇を見越しての計画である。娘を駒としてしか見ていない両親は、妹の幸せなど考えず、ろくでもない相手に嫁がせるだろう。そうはさせないためにあえて社交界にも出せない「ダメ娘」を演じさせれば、ローズの追放に同行させると考えたのだ。
そしてこの計画は、今のところ全面的に上手く進んでいる。
「サリー、明日私が学園から戻ったらすぐに出発よ。今夜中に持っていくドレスをトランクに詰めておいて。いかにも慌てて詰めましたっていう感じを出すから、数着だけよ。裏地に宝石を縫い止めるのも忘れないで」
「ええ分かってますわお姉様。ですが、明日お姉様お一人で大丈夫ですか? やはり護衛を付けた方がよろしいのでは?」
サリーが心配するのも無理はない。明日の断罪は学園の中、王太子とその取り巻きとヒロイン対ローズなのだ。
「安心してサリー。記憶どおりなら、断罪はあっさりしたものなの。私が罪を認めて追放を承諾すれば、すぐに帰宅できるわ」
***
翌日、貴族学園の中庭では緊迫した空気が漂っていた。
「ローズ・ブラッド! お前の悪行は全て知っている。卑劣な女など私の側に立つ資格などない。今を以て婚約を破棄する」
そう高らかに宣言するダニエル王太子を、ローズは黙って見つめていた。
彼の隣にはヒロインであるエミリが困り顔で立っている。
平民ながらも特待生としてこの学園に入学できたのは、彼女が教会から聖女として認められたからだ。
確かにエミリはちょっとした傷なら治せるし、数日先までの天気も当てられる。
しかし、それだけだ。
お花畑……ではなく、平和なこの国ではたったそれだけの奇跡でも聖女認定されてしまう。
(さて、エミリ。どう出る?)
ある意味、ここがローズの正念場でもあった。
断罪でエミリがローズを庇う選択肢が出るのだ。それを選んでしまうと、婚約は破棄されるものの追放は免除される。
それだけは避けたかった。
「……今、ローズ様が私を見ました。こわい……」
生まれたばかりの子鹿のようにぷるぷると震えながら、エミリがダニエルに訴える。ちなみにエミリは可愛らしい美少女だが、その髪はピンクブロンドどころではなく蛍光ピンクだ。瞳も比喩でなく星のように輝いており物理的に正視できない。
(うっまぶしい…とか言ってる場合じゃないわね。最後まで演技は大事!)
心の中でガッツポーズを取りつつ、悪役令嬢らしくローズは悔しそうな表情を作ってエミリを睨む。すると王太子の取り巻き、つまりエミリの攻略対象者達がここぞとばかりにローズを怒鳴りつけた。
「教科書を破り捨てたそうだな! 聖女の勉強の邪魔をして、成績の順位を落とそうとしたのだろう。卑劣な真似をする女だ」
宰相の子息がトレードマークの眼鏡をくいっと片手で上げた。彼はモラハラ気質ではないけれど、酷いマザコンで有名だ。元婚約者と最初のデートに母親をエスコートして現れた話は、令嬢達の間では語り草になっている。
幸い元婚約者の両親はまともだったので、あれこれと理由を付けて婚約を白紙に戻すとすぐさま娘を連れて他国へと引っ越していった。
「はい」
(シナリオにあったのでそうしました。代わりの教科書は用意したので、授業に差し支えは無かったはずです)
「聖女殿の制服を焼いたと報告が上がっている。これは鉄拳制裁で矯正するしかありませんな」
蔑むように言いながら拳を鳴らすのは、騎士団長の息子だ。
彼は所謂、非常に悪い意味での『筋肉馬鹿』である。全ての物事は暴力で解決できると信じて疑っていない。その相手が女性や子どもであってもだ。
そのせいで元婚約者に怪我をさせてしまい、こちらも婚約が白紙撤回されている。
(それもシナリオ通りです。ですが制服はエミリさんのサイズに合っていなかったので、正しく採寸した新品を彼女のクローゼットにご用意しておきましたよ)
「可愛らしいエミリ嬢を公衆の面前で噴水に突き落とした場に俺も居合わせたのだぞ! 全く我が妹とは思いたくない恥ずべき行いだ!」
口から唾を飛ばして彼らの尻馬に乗るのは兄のグラズだ。
(これもシナリオにあったのですけど……これはエミリさんが自分から噴水に飛び込んでくれたんですよね。まあこの件で、エミリさんもこのゲームを知っていると気づけたんですけど)
大勢の見ている前で噴水に突き飛ばすのは、シナリオとはいえ流石に気が引けた。けれど何故かエミリは自ら噴水にダイブした挙げ句、立ち尽くすローズにこう吐き捨てたのだ。
『NPCなんだから、シナリオ通りにさっさと動いてよ』と。
その時ローズは、エミリも前世の記憶があると確信した。
後はエミリがハーレムエンドを狙ってくれれば問題無いとローズは判断した。
もしエミリが攻略対象を一人に絞っていたら、ローズの負けとなる。
しかしこれでローズの勝ちは確定だ。
「ローズ、君の行いには失望したよ」
王太子いかにも残念だと言わんばかりに肩をすくめて首を横に振った。流石メインヒーローなだけあって、芝居かがった口調も振る舞いも美しくつい見惚れてしまう。
ダニエルだけでなく、他の攻略対象者も性格は破綻しているが顔だけは抜群に良い。
(こんなどうしようもない連中でも王太子の側近として認められてるのは、やっぱりゲームシナリオの補正が働いているからなのでしょうね)
エミリの登場は学園生活が始まってからなので、当然ながら彼らとの交流時間は非常に少ない。つまりシナリオで出てくる「キャッキャうふふな学園生活」でしかクズ達と接点がないのだ。
上辺だけなら完璧で顔の良い上流貴族の男達。
その実態はとてもお近づきにはなりたくない性格破綻者共だ。
「ローズ。君は公爵家から籍を抜き、平民となった上で国外追放とする。そして私の新たな婚約者として、聖女エミリを迎えよう」
「かしこまりました。では婚約破棄に関して正式な書類を…」
「安心したまえ。既に用意してある」
宰相令息が王太子に頷き、書類を手にローズへと歩み寄る。一瞬エミリが「ん?」と首を傾げたのをローズは見逃さない。
(そうよね。ゲームならさらっとした会話で終わるシーンでしょうけど、ここは現実。口先だけの遣り取りではなく公式文書が必要になるわ)
「ではこちらにサインを」
どう考えても正式な手順を踏んで作られた書類ではない。しかしここがダニエルの恐ろしいところ。
一般的に婚約破棄を行う王子は馬鹿、もとい少々頭の足りない場合が殆どだがダニエルは悪知恵が働くのだ。父である現王を言いくるめ、書記官達をパワハラで黙らせ書類を整えたのだと予想はできる。
だからこそ、ローズは悪役令嬢を演じつつ水面下で事を運ぶ必要があったのだ。もしローズが自分の意思で逃げようとしているなどとダニエルが気づいたならば、厄介なことになる。
(彼の本質に気づいた人達は、全員モラハラで心を病んだ。逃げられない立場の私は病むだけでは済まされない)
病んで修道院行きになればマシだが、ダニエルのことだから逃げることは決して許しはしない。『自分が看病する』などと優しい夫として振る舞いつつつ、ローズの気が狂うまで精神を弄ぶだろう。
だからあくまで『悪役令嬢』として周囲のヘイトを集め、シナリオ通りにゲームの舞台から退場する必要があったのだ。
サインを終えたローズは王太子に向かい深く頭を下げる。
「罪深き私に、国外追放という温情を与えてくださり感謝致します。殿下と聖女様にこれから幸多からんことを――」
「物わかりがいいのは褒めてやる。いいからさっさと何処かへ消えてしまえ。ついでにあの癇癪持ちの妹も連れて行け!」
汚物でも追い払うように、グラズがしっしと手を振る。
(お兄様完璧よ!)
まさかこんな最後で兄に感謝するとは思わなかった。
ローズは心の中で何度も兄に頭を下げて学園から出て行った。
***
「ここまで上手くいくとは思ってませんでした」
馬車の窓から見える屋敷の門が遠ざかっていく。ローズは緩やかに笑みを浮かべた。
隣に座るサリーは、落ち着かない様子で何度も窓の向こうを振り返っている。
「……お姉様。本当に大丈夫でしょうか?」
「もちろんよ。私が悪役を演じ切ったことで、あの子たちは気持ちよく『勝った』と満足していることでしょうね。おかげで誰も、私たちの行き先なんて気にしてない」
馬車の床下には、裏地に宝石を縫い込んだドレスが数着と旅券が収められていた。見送ってくれたメイド達にも家令同様、次に仕える屋敷の紹介状も無事に渡すことができたので、もうこの国に思い残すことはない。
ローズはまるで遠足でも行くような気楽さで背伸びをする。
「そうだ、お姉様の新しい婚約者の方はどんな方なの?」
国外追放が上手くいくとは限らなかったのでサリーには伝えていなかったが、ここまで来ればもう大丈夫だろうとローズは判断する。
「ゾーナ帝国の公爵家の方よ。ダニエル殿下のお祖母様の親戚なの」
バリル王家の中で皇太后だけが、唯一ダニエルの人格に疑問を持っていた。ローズが婚約者として選ばれて程なく、王家の「影」を使い本心を問い質す手紙が届けられた日の事はよく覚えている。
(まさに天の恵みだったわ)
本格的に逃亡準備を進めていたローズはこれ幸いと皇太后と手紙を交わし始めた。そしてあえて「ダニエルと婚約破棄ができないか?」と働きかけてもらったのである。しかしダニエルは見目の良いローズを手放す気はなく、何より理由もなく王命を取り消すなど皇太后でも難しい。
そこでローズはあえてシナリオ通りに動き、婚約破棄と国外追放の言質を取るという一見無謀ともいえる計画を練り上げたのだ。
皇太后と手紙を交わす過程で、幸いにも帝国の公爵家との繋がりも得た。そして皇太后の「影」を借り、公爵家令息との文通が始まった。逃亡に必要な旅券と一緒に求婚の手紙も添えられていたのは少し驚いたけれど、悪い気はしなかった。
「ではゾーナ帝国への旅券を用意してくださったのはその方なのですね」
「ええそうよ。彼の力を借りれば、少なくとも生き延びるには困らないわ」
「さすがですわ、お姉様……」
ぽつりと呟いたサリーの声には、まだ少し不安が滲んでいた。
ローズはそれに気づくと、彼女の手を軽く握る。
「大丈夫。この国の法律では国外追放者が戻ることはできないし国を出た先で何をしようと自由なのよ。そこから先は、もう私たちの物語よ」
「……では、エミリ嬢はどうなるのでしょう? あの方の物語は終わってしまったのでしょう?」
確かにサリーの言うとおりだ。シナリオは悪女ローズを追い出し、ハーレムスチルが映ってエンドロールが流れる。
おまけ特典として18禁のシナリオがあるものの、別に人生のエンディングではない。
「さあ? あの子が望むハーレムエンドは現実の制度では成立しないし。正妃が複数の婚約者を持つなんて、宗教的にも倫理的にも破滅行為ですものね」
ゲームでは大団円でも、現実世界ではそういう訳にはいかないだろう。なにせ人生はこの先も続いていくのだ。
ローズは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「きっと、あの子の『ゲーム』はこれからよ。選べない恋、嫉妬する男たち、崩れる秩序……楽しめばいいわ。自分で望んだ物語でしょうから」
「お姉様は強いのですね」
不敵に笑うローズをサリーが尊敬の眼差しで見つめる。
(ここからはゲームじゃない。私の選んだ道が始まる)
馬車の行く先にはまだ見ぬ土地と、新しい人生が待っている。
「さてとゲームのことは忘れて新しい人生を切り開かなくちゃね。サリー、あなたも人生を楽しむのよ」
「はい!」
やっと屈託のない晴れやかな表情を見せた妹に、ローズは令嬢らしからぬいたずらっ子のような笑みを返した。
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「やばい、やばい、やばい! なによアレ! どうなってんのよ!」
エミリは爪を噛みながら部屋の中を行ったり来たりと落ち着かない。
階下からは怒鳴り声や何かを壊す音が絶え間なく響いている。
扉には鍵をかけ、念のため椅子や机置いて簡単なバリケードを作ったけれどとても安心などできない。
『悪役令嬢ローズ・ブラッド』を無事に王子と婚約破棄させ、待ちに待ったハーレムエンドに突入したのだが……聖女エミリの夢見た酒池肉林はたった一夜で崩壊した。
「シナリオは完璧にクリアしたはずなのに、どうしてこんなことになるのよ!」
攻略対象全員のフラグは回収してハーレムエンドへと繋がるローズの追放も無事に終わり、王家からは立派な屋敷を与えられ聖女と王太子の婚約を祝うパーティーが開かれた。
そして昨夜、エミリはダニエルと結ばれた。
しかし翌朝目覚めるとダニエルの姿はベッドにはなかった。ここで少し違和感を覚えたけれど、どうせこの先は攻略したイケメンを取っ替え引っ替えだと気楽に考えていたのだが…。
何故かそれまで全く姿を見せなかった「宰相令息の母親」が乗り込んできたのである。
「可愛いボクチャンから手を離しなさい! このアバズレ!」
「やめてよママァ。ぼく聖女様とエッチがしたいんだよぉ! 初めては聖女様がいいよぉ。でも一人じゃ恐いから、ママも側にいてね」
「仕方のない子ねえ。ちゃんとママがお手伝いしてあげるから、安心なさい」
ひっくり返って泣き叫ぶ宰相令息(マザコンと表記します)と母親の遣り取りに、エミリは真っ青になった。
けれど騒ぎはこれで終わらない。
「聖女殿、このようなマザコン男はすぐに叩き出すべきですぞ」
バカにしたように言ってマザコンを蹴ろうとした騎士団長の息子(暴力男と表記します)のズボンを、マザコンが偶然掴んだ。次の瞬間、下着ごとズボンが引き下ろされてしまい暴力男の下半身が露出する。
「げーっ」
吐いたのはエミリではなく、公爵子息のグラズだった。他にももらいゲロをした男達の間から、ひそひそと声が聞こえてくる。
「あの噂は本当だったのか」
「上級娼館は、女性に対する暴力沙汰で軒並み出入り禁止だからな。おおかた場末の娼館か、性病検査もしない行きずりの女から病気をもらったのだろう」
「しかし…形が判別できないほどとは。確かあの性病は脳にまで影響を及ぼすと聞くが…おええっ」
吹き出物で覆われた下半身を晒され、笑いものにされた暴力男は怒りに顔を真っ赤にして暴れ始めた。
「うるさい黙れ! これは立派な男の証! ベッドでこのモノをお試しくださいエミリ嬢!」
相手かまわず殴りつけ暴れる暴力男の目的はただ一つ。エミリを我が物にすることだ。咄嗟にエミリは「この暴力男を取り押さえた人と、今夜ベッドを共にするわ!」と叫んで自室へと避難してきたのだ。
「どうしよう。あんなのとヤッたら、私まで変な病気移されちゃうじゃない。殿下はどこへ行ったのよ…まさかヤり逃げしたんじゃ……」
「エミリ」
「殿下!」
どこから入ったのか、王太子ダニエルの姿にエミリはほっと息を吐く。
「一体どうやってこちらへ?」
「この屋敷は王家の所有物だ。非常時に備えて隠し扉が幾つもあるんだよ」
やはりダニエルは自分を心配して戻ってきてくれたのだと、エミリは心の中でにやりと笑う。
(そうよ。フラグ回収は完璧だったんだから、攻略相手が裏切るわけないわ)
「ブラッド公爵家の財産没収と、爵位返上に関しての書類にサインさせるのに手間取ってね。全く使えない文官ばかりで嫌になる」
「財産…爵位返上?」
「ああ、ローズが自らの非を認めたからね。婚約破棄に関して公爵家に違約金を請求したんだ。グラズも仕事ができる男ではないし、これ以上飼っていても意味ないからね」
笑顔で話すダニエルを前に、エミリの背を冷たい物が伝う。
「階下の騒ぎをグラズの責にすれば丁度いいだろう。それとエミリ、君は私の妾になることが決定した」
「え?」
「やっぱり平民の女は王妃にできないよ。それにもう「聖女の処女」はもらったし興味ないんだ。でも想像したより普通だったね。がっかりしたよ」
あははと笑うダニエルを前に、エミリは怒りと羞恥で真っ赤になった。
「じゃああなた、初めから私の体が目的だったのね!」
「当然じゃないか。神殿の連中はうるさいから、君を妻に迎えるとでも言わなければ手は出せなかったし。でももう恋愛ゲームは終わりだ」
階下での騒ぎに悲鳴が混ざる。誰かが「医者を!」と叫ぶが、怒声にかき消された。
「二階へ上がる前にナイフを何本か置いてきたから、誰かが使ったのだろう。精々殺し合ってくれると助かる。余計なお喋りをする口は少ない方がいい」
「最低っ」
「大人しくしていれば妾として飼ってやる。けど私に逆らえばどうなるか、分かるだろう?」
優しげな微笑みを浮かべるダニエルだが、その目に感情は無い。
「さてと、今頃路頭に迷って泣いているローズを迎えに行ってやらないとな。野盗にでも処女を散らされたら目も当てられない」
「どうしてローズを?」
「あれは顔も頭もいい。側妃として迎えれば、お前と違って色々と使える。妹は躾ければ外交の駒にもできるだろう」
恐る恐る問うたエミリに、ダニエルが平然と答える。
『冷血王ダニエル』とその名を知られた若き王が断頭台に散るのは数年先の事である。
ダニエルに関してローズ絡みで一悶着思いついたのですが、長くなるのでこの話はこれで一区切りにします。皇太后も無事に脱出させないといけないし、婚約者の件も纏めなきゃだし。
塩漬けにしてた話を「勿体ない」と引っ張り出したものの「ざまあ」が中途半端すぎました。反省。