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嗤う幻影魔術師サイラス  作者: さば缶
エピソード1:寂れた花街の出来事
3/8

第2話 咲かない花の残像

通りの片隅から、サイラスの静かな笑い声が聞こえる。

街の中央広場へと続く道を、彼はあえて遠回りしながら進んでいた。

その途中、使われなくなった露店の跡や、埃をかぶった看板を眺め、口元に薄い嘲笑を浮かべる。


「昔はずいぶん賑わったらしいけど、見ての通りだね。

まるで花が咲かなくなった庭園のようだ。」

ひとり言のように呟いたあと、サイラスは足を止める。

正面には広場があり、かつては華やかな歌や踊りで盛り上がったというが、今は閑散とした空気だけが漂っていた。


彼は指先を軽く動かしながら、目を伏せる。

すると、ほのかな光の粒がサイラスの周囲に集まり始め、すぐに満開の花びらへと形を変えた。

風もないのに、広場いっぱいに舞い散るその光景は、かつての花街を思い出させるほどに美しい。

だが、花びらに手を伸ばした通行人は、その瞬間に表情を曇らせてしまう。


「消えた……幻なのか……。

でも、ずいぶん綺麗な花だった……。」

近くに立っていた男が落胆の声を漏らし、周囲をきょろきょろと見回す。

花びらは儚い光の揺らめきとともに霧散し、まるで最初から何も存在しなかったかのように空気に溶けてしまう。


「惜しいな。

だが、あまりに美しいからこそ、触れようとした瞬間の落差が大きい。

そういう反応、嫌いじゃないね。」

サイラスは人ごみの外れからそれを眺め、冷たく微笑んでいる。

彼のほそい指先には、微かな震えがあった。

興奮とも愉悦ともつかない、妙な高揚感が胸を満たしているのだろう。


一方、ロノワールは店を出て広場の様子を横目で見ていた。

少し前まで店先でうなだれていた彼女も、その美しい幻に一瞬心を奪われてしまう。

だが、薄い虚しさがすぐに訪れ、彼女は肩を落とす。


「本当に咲いた花だったら、どんなに良かったことか。

だけど幻だとわかったときの落胆は……きっと昔の輝きを知っている人ほど辛いはず。

こんなやり方で街は救われないわ。」

ロノワールの胸には、懐かしさと無力感が入り混じっているように見えた。

その表情を遠くから捉えて、サイラスはなおも楽しげな笑みを浮かべる。


「やっぱり嘆き顔が一番の見ものだね。

偽りの輝きなんて要らないと、人は口では言う。

でも、こうして手を伸ばしてしまうんだ。

弱い生き物だからね。」


サイラスは広場の中央を避けるように歩き、今度は路地裏へと向かっていく。

裏通りでは、道が分岐する場所ごとに、異常な風景が広がり始めた。

たとえば、普段なら右へ曲がるだけで店にたどり着くはずが、そこに見えるのは石壁が立ち塞がった行き止まり。

あるいは、確かに存在するはずの入り口が全く見つからず、人々は道を迷いながら意味もなく行ったり来たり。


「道が閉じている……?

そんなはずは……ここを曲がればすぐに店が……。

まさか、道を間違えたのか?」

焦燥した声があちこちから上がる。

動揺した住民たちは、同じ路地を何度も往復しては途方に暮れていた。


「困るな。

せっかく用事があるのに、どこが出口だかわからない。

一体、誰がこんな悪戯を……。」

痩せぎすの青年が壁を叩きながら、苛立ちを隠せない。

そこへサイラスが現れたことに気づかず、彼は必死に見えない出口を探している。


そんな混乱を見下ろすように、サイラスは建物の二階の庇に腰掛けていた。

あたかも舞台を眺める客のような、気ままな姿勢だ。

彼のローブが風に揺れ、紫の文様が仄かに輝いている。


「どうだろう。

出口が見えなくなるなんて、なかなか悲壮感があっていいだろう?

うろたえる姿もまた良いね。」

舌なめずりするかのように、小さく唇を震わせて笑う。

その表情には、底意地の悪さしか感じられない。


「何を変な事したの、おかげで皆パニックになってるわ。」

いつの間にかロノワールが背後に立っていた。

足音を消すように歩いたわけでもないが、彼女の存在にサイラスは動じない。

まるで見られて当然だとでも言うように、気楽に視線を投げかける。


「どうせすぐに気づくさ。

あれはただの錯覚。

確かめようと壁にぶつかれば、本当はすり抜けられる。

気づかないで騒いでいるだけなんだ。

もっとも、気づくまでに時間がかかれば、その分面白いけれどね。

お陰で活気が出てきただろう?」


ロノワールはサイラスの隣に立ち、困惑した表情のまま、下を覗き込む。

混乱した人々を見ながら、幻の花びらの残像が、まだどこかに漂っている気がしている。


「そんな悪趣味な遊びに付き合いきれないわ。

あと、一時の幻なんかで客を呼んだって、何も変わらない。

むしろ、街の悲しみが深くなるだけ。」

ロノワールの声は怠惰でもなく、怒りでもなく、どこか乾いた響きを帯びていた。


サイラスは片手を庇につけ、足を組み替える。

真下では、ようやく一人の中年男が壁に突っ込み、何事もなくすり抜けた瞬間に悲鳴が起こっていた。

それを見て、彼はくすくすと笑いを漏らす。


「やれやれ、もう気づいてしまったか。

まあいい。

あなたはどうするんだ、ロノワールさん。

俺は、もっと酷い幻を見せることもできるんだけどね。」


「そんなこと、もうたくさんよ。

あなたが去ってくれないなら、私は店を畳むわ。

この花街にこれ以上の惨めさを見せられたら……耐えられない。」

ロノワールの指先は震えていたが、その瞳は意外なほど冷静だった。


「偽りの輝きなんかいらないわ。

それを求めて人が集まったとしても、どうせ幻だとわかって落ち込むだけ。

そんな虚しさを誰が望むの。

私はもう潮時だと思う。」

凛とした口調で言い切ると、彼女は踵を返した。


サイラスは少しだけ驚いた顔を見せる。

そして、彼女を追うでもなく、ただ庇から身を滑らせるように降りていく。

振り向かないロノワールの後姿をしばらく見つめたあと、彼は路地に散らばる光の粒をかき集めるように腕を回した。


「へえ、あの人がそう言うなら仕方ないか。

惜しいな。

せっかく面白い表情をいろいろ見られそうだったのに。」

自嘲気味な口調で独り言を呟き、彼は花街の外へと歩き出す。

追いかけてくる者も、止めに入る者もいない。

やがて人々の混乱はゆっくりと収まり、幻の花びらだけが風とともに虚しく散り去っていった。


ロノワールは店へ戻り、そっと扉を閉める。

彼女の目には、いつかの賑わいを思い出したようなわずかな潤みがあった。

その潤みは、次の瞬間には固く結ばれた唇とともに消えてしまう。

決心を胸に抱えたまま、静かに奥へ進む。


サイラスはほとんど足を止めずに街の入り口まで来た。

夕闇が迫る花街を振り返ると、最後の残像のように、花びらが一枚だけ宙を舞っている。

彼は鼻で小さく笑い、黒と紫のローブを翻して歩き去る。

誰もがその正体を知らず、ある者は不気味なイリュージョンとして記憶に残し、またある者は二度と関わりたくない出来事として忘れようとした。


そうして残された花街には、完全には咲ききらない花の幻影が、一瞬だけ漂った。

それを知覚したのは、ひとり心を閉ざしたロノワールだけだったかもしれない。

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