第六章 魔王ゼフィリオ
私は大きく息を吸い込んだ。
攻撃魔術は使えないこともないが、魔力操作が不十分な今の私のレベルでは、威力はさほど出ない。
当然ながら、魔王には到底通じないだろう。
しかし、それでも使い道はある。
「風刃魔術!」
魔法陣から風が吹き付け、刃となってゼフィリオに向かう。
勿論、彼がそれをそのまま喰らうなどとは思っていない。
案の定、彼が右手をすっと振り払っただけで、魔力の波動が生まれ、風の刃を相殺させてしまった。
「……流石はゼフィリオ様! すごい! 格好いい!」
思わず前世のノリで呟いてしまう。
彼になら殺されても良いと思い始めている自分がいる。
いかんいかん。生きるためにここに来たのだから、私よ気をしっかり持て。
己に言い聞かせて、私は続けざまに叫んだ。
「氷槍魔術!」
魔法陣がゼフィリオの周囲を取り囲むように、五つ顕現する。
そこから、無数の氷の刃が飛び出して彼を襲う。
同時に、私は駆け出して間合いを詰めた。
腰に剣を挿しているが、前世で剣道やフェンシングは嗜んでいない。私が齧ったのは空手と柔道と合気道という、己の身一つで戦う武道のみだった。
私は氷の刃の陰に隠れるように、ゼフィリオの懐に飛び込む。
そして、ゼフィリオが私の攻撃魔術を躱すために再び右手を振り払った瞬間、手首と前襟を掴み、思い切り背負い投げた。
本来、小柄な私の体格で彼ほどの巨体を投げ飛ばすのは至難の業だが、魔力を纏わせて強化した身体と、前世からの私の技術があれば不可能ではない。
「おりゃぁぁぁっ!」
よもや私が投げ技に出ると思っていなかったであろうゼフィリオは、ほとんど抵抗できず、魔王城の床に大の字で転がった。
「……!」
彼自身、おそらく何が起きたか理解できていないだろう。
目を瞬いて天井を見つめている。
やったー! ゼフィリオ様相手に一本取ったー! ひゃっほー!
脳内では前世の私が狂喜乱舞して踊り狂っているが、私は努めて平静を装い、彼の首筋に剣を宛がう。
「僕の勝ちですね」
ふふっと笑うと、彼は信じられないものを見るような目で私を見た。
「……生まれて初めて負けた……それも、投げ飛ばされるなんて……」
彼が起き上がろうとしたので、私は剣を収める。
実を言うと彼を殺す気など最初からない。討伐と言ってはいたが、魔族による侵略をやめさせられればそれで御の字なのだ。
「……お前は勇者か?」
「いいえ。でも、勇者を目指しています」
「そうか……負けた言い訳はせん。約束も守ろう。何でも一つだけ言う事を聞いてやる」
流石はゼフィリオ様。性格も男前だ。好き。
「では、人間の国との永久的不可侵条約を結んでください」
「そんな事で良いのか?」
「ええ。僕はそのために来たので」
真正面から魔王を見返す。
ああ、本当に顔も格好良いけど、全身の美しい筋肉が何とも絶妙。好き。
惚れ惚れしていると、一連の流れを見物していたケイロンが初めて声を上げた。
「魔王様! このような人間相手に、そのような……!」
「俺は約束は違えん。それはお前も知っているだろう」
「しかし……」
ケイロンが、悔しそうに私を睨む。
まぁ、絶対服従の主が、ぽっと出て来た人間に負けたとあっては、彼とて内心穏やかではあるまい。
「……ところで、エレス。お前、どうして男のフリなんかしているんだ?」
ここで唐突に、ゼフィリオが、私のトップシークレットを衝いてきた。
まさか魔術による男装がバレるとは思っておらず、私は露骨に狼狽えてしまった。
「うぇっ? な、なんの、事でしょう?」
「嘘が下手だな。魔力を見ればわかる」
「魔力に男女差があるなんて聞いた事ありませんが」
「微妙な差だからな。普通の人間にはわからんだろう」
しれっと答えたゼフィリオは、私に右手を翳した。
彼が何かを唱えたと思った直後、私の変化魔術が解けて、エレストリアの姿に戻ってしまった。
私の姿を見たケイロンが、唖然とした顔をしている。彼は私の正体に気付いていなかったらしい。
「……私をどうするおつもりですか?」
見上げると、彼は私の顔をまじまじと見つめてから、不敵に笑った。
「俺はお前を気に入った……いや、もはや恋に堕ちたと言って良い。お前には責任をもって俺の花嫁になってもらおうか」
「ゼフィリオ様の花嫁っ?」
悪役令嬢が魔王の花嫁になるなんて、どのルートにも存在しないエンディングだ。
まさか悪役令嬢の私が、攻略対象キャラの誰かと結ばれる可能性があるとは思いもしなかった。
強いて言えば、セリナがギャレス以外の攻略ルートに入っていたら、ギャレスとそのまま結婚していただろうけど、それ以外のキャラとどうにかなるなんてありえないと思っていた。
しかも、ゲームでは隠しキャラであり、前世の私の最推しキャラである魔王ゼフィリオ様となんて、露程も想像していなかった。
「俺の花嫁は不満か?」
そう尋ねる顔も、私が不満に思うなどとは微塵も思っていない事が伺える。
ゼフィリオ様は、常に自信に満ち溢れている。好き。
不満などあるはずがない。
だって彼は私の推しなのだ。恐れ多いことはあっても嫌だと思う要素が一つもない。
私はぶんぶんと全力で首を横に振った。
「いいえ滅相もございません! 望むところと言いますか、喜んでと言いますか、何なら狂喜乱舞するくらい嬉しいです! しかし、申し上げにくいのですが、私には祖国に婚約者がおりまして……」
あれでも一応ギャレスは第一王子だ。
彼がセリナに攻略されかけているとはいえ、まだ正式な婚約破棄をしていない以上、私の立場で勝手な事はできない。
「……なら、その婚約者とやらを殺せば、お前は俺のものになるか?」
「素敵な殺し文句ですが、できればこれ以上人間との争いを生むのは止めてほしいですね。一応私は人間なので、できれば魔族と共存して、さっきも申し上げた通り不可侵条約を結んでお互い平和にしてほしいです」
殺し文句に意味が違う気がするが、この際どうでも良い。
ギャレスには愛はないが情はある。
あんなのでも、見殺しにはしたくない。
「つまり、人間の国への不可侵さえ誓えば、お前は俺の花嫁になること自体には異論はないと?」
「はい、異論なんてあるはずがありません。ああ、あと、一応婚約破棄の手続きはちゃんと踏ませてください。心置きなく嫁ぎたいので」
条件が多すぎるだろうか。
しかしながら、こんな状況を想定していなかったが、私がゼフィリオ様の花嫁になる事で人間の国への不可侵条約を結んでもらえるのならば、ある意味私は勇者になるのではないだろうか。
少なくとも、ギャレス殿下とセリナが結ばれたとしても、私が処刑されることはないはずだ。
私は最推しキャラの花嫁になれて処刑も回避、更には魔族が人間の国への不可侵を約束してくれるとは、万事解決どころではない。
私にとっては一石百鳥くらいの価値がある話だ。
ただ、折角ゼフィリオ様から私を花嫁にしてやっても良いというお言葉を頂戴したというのに、こんな条件を出して「面倒臭い女は嫌だ」とか言われたら切ない。
少々心配になりつつ彼を見ると、彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「良いだろう。その程度で良いのなら、安いものだ」
「え?」
「ケイロン、人間の国への侵略は今を以て中止だ。それと、今からルベウス王国に出向く。用意をしろ」
ケイロンが何か言いたげな顔をしたが、ゼフィリオに睨まれて渋々頷き、下がっていった。
「……さて、お前の本当の名は何と言う?」
「あ、エレストリア・プラテアードと申します。ルベウス王国のプラテアード公爵の娘です」
「ふむ。それでエレスか……ならば今後もエレスと呼ぼう」
ゼフィリオ様が私の名前を呼んでくださるだけで天にも昇る気持ちです。
内心でそう叫びつつ、私は必死で顔がにやけないように表情筋を総動員して「お好きなようにお呼びください」と答えた。
すると、彼はじっと私を見つめた。何かを訴えるような眼差しに、思わず目を瞬く。
「……ゼフィリオ様も、もしかして愛称で呼んで欲しいとか……?」
ついそう口にすると、彼はほのかに頬を紅く染めて視線を逸らした。
え、何その顔。ヤバい、好き。
「……では、ゼオ様でどうでしょう?」
「悪くないが、様はいらん。花嫁になるのだからな。敬語も不要だ」
ああ、なんて寛大なの。好き。
内心でうっとりしながらも、私は笑顔で頷いた。
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