第十九章 神の剣
ぺリノールが足を踏み入れた瞬間、彼の後ろ姿は見えなくなってしまった。それだけ部屋の中の瘴気が濃いのだ。
部屋の前で、ただ待つ。
永遠にも感じるような時を、両手を組んで、祈った。
時間にして数分。
ぺリノールが戻って来た。手には、金色に輝く柄と鞘に納められた剣を抱えて。
「っ!」
部屋から出たかれは、その場に膝を衝いた。
「ぺリノール!」
「すみません、予想より遥かに瘴気が濃くて、思っていたより、時間が掛かりました」
肩で息をする彼の顔色は紙のように白い。
「回復魔術を……!」
「不要です。それより、瘴気を祓うなら早くしなければ、間に合わなくなります!」
言いながら、ぺリノールは剣を私に差し出した。
「僕は、エレス様ならきっと《神の剣》を屈服させて、瘴気を祓えると信じています」
「……やってみるわ」
《神の剣》に手を伸ばす。
剣に嫌われれば、この時点で私は手指が無くなる可能性がある。
しかし、それを恐れている場合ではない。
《神の剣》に触れた、その時だった。
辺りの景色が真っ白になった。
そして、目の前にはゼオと瓜二つの、しかし白銀の髪に黄金の双眸の男。
「……誰?」
「我が名はデイ。《神の剣》の意思だ」
「……ゼオにそっくりなのね」
「我に決まった姿は無い。持ち主が最も望む形を取っているだけだ」
ふむ。つまり、私のゼフィリオ愛が強すぎる、と。それは仕方ない。
「……で、ここは?」
「《神の剣》に宿る魔力によって生まれた、お前達が普段いる場所とは次元の異なる空間だ。お前が《神の剣》の持ち主として足るか見極めるために呼んだ」
つまりは剣に弾かれて触れる事さえ叶わない、という第一関門はクリアしたという訳か。
「どうしたら認めてもらえるの? っていうか、別に持ち主になりたい訳じゃなくて、たった一回、今回瘴気を祓うための力を貸してもらえたらそれで充分なんだけど」
「《神の剣》を前に、そんな事を言う人間は初めてだ」
デイと名乗った男は口をへの字に曲げた。
「だって、私の大好きな婚約者は魔王ゼフィリオ様なんだもの。その花嫁が《神の剣》の使い手となったら、色々と厄介でしょう?」
《神の剣》の使い手、それはつまり勇者だ。
確かに私は、最初こそ勇者になろうと思ったが、それは魔王を倒す事が目的だった訳ではなく、どうにか侵略を止めさせるためだった。そうすれば自分はある意味勇者となり、聖女が私を嵌めたとしても処刑だけは免れるだろう、という算段でしかない。
それが、紆余曲折を経て、今となっては私は魔王の花嫁。
今の私には、《神の剣》などというゼオにとって危険でしかない物を手に入れる必要はないのだ。
「ならば何故、お前は今この剣の力を望んでいる?」
「そうしないと死ぬ人が一人いる。剣の力が使えれば助ける事ができる。理由なんてそれだけで充分よ」
そう答えると、デイは小さく笑った。
「はは、我が力を一時的に利用するだけで、永続的には不要と申す人間か。気に入ったぞ」
ゼオの顔でやらたに笑わないで欲しいな。色違いと言えどうっかりときめいてしまって罪悪感で死にそうになる。
そんな事を考えていると、デイはすっと右手を差し出した。
「この手を取れば、剣はお前の物になる。今回《神の剣》を使った後、剣をどうするかはお前次第だ」
よくわからないが、剣の意思とやらに気に入られたらしい。
私は遠慮なく、彼の手を取った。
その刹那、白い世界が弾けて、目の前にぺリノールが現れた。
「エレス様? どうかなさいましたか?」
「えっ? 今、私……」
そうか、数分はあの空間にいたと思ったが、どうやらこちらの世界では数秒程度しか経っていないらしい。時間の流れも違うようだ。
とにかく、あれが白昼夢でないのならば、私は剣に認めてもらえた事になる。
私は剣を鞘から引き抜いた。
白銀の刀身が露になり、ぺリノールとギャレスが息を呑んだ。
「エレス様、まさか本当に……」
「エレストリアが、《神の剣》を……」
《神の剣》を抜いた事で、私はゼオを振り返った。
「行くわ」
「……ああ」
不本意だと顔に描いてるゼオだったが、渋々頷いて右手を掲げた。
「結界を解くぞ」
「うん」
部屋の入口に立って剣を構える。
前世でも剣道やフェンシングは未経験だったが、この剣は手にした瞬間に不思議と手に馴染んだ。
剣の持ち方も構え方も知らないはずなのに、不思議と体が勝手に動いてくれる。
「消し飛べ!」
ゼオが結界を解いた瞬間、私は剣を部屋に向かって突き出した。
剣が瘴気に突き刺さった瞬間、凄まじい爆風が起き、部屋の中の瘴気を巻き込んだ。
しかしそれらは何かに吸い込まれるかのように、部屋の中心に集まっていき、凝縮してやがて弾け散った。
「……瘴気が、消えた……」
ぺリノールが呆然と呟き、部屋の中に倒れているセリナを見つけたギャレスが慌てて彼女に駆け寄った。
「セリナ! セリナ! 大丈夫か!」
彼女を抱き抱えて叫ぶギャレス。彼女の裏の顔を見た後も、彼女の事が忘れられずにいるのか、それとも情か。
セリナの顔は蒼白だった。辛うじて息をしているが、放っておけばやがて息が止まるのは明白。
私はぺリノールに彼女に回復魔法を施すように指示をした。念のため、彼女の両手と両足を縛り上げた上で。
「……あれ? 私……ぺリノール? ギャレス? どうして……」
薄っすら目を開けたセリナが、自分の顔を覗き込む二人を見て目を瞬く。
彼女の意識が戻ったところで、私は彼女に近づいて容赦なくその頬に渾身の平手打ちをお見舞いした。
「へぶっ!」
ばちん、と良い音が響き、彼女が目をぱちくりさせる。
渾身の平手打ちだが、当然魔力は込めていないので、ただ痛いだけ。多分数秒後には立派な紅葉模様が彼女の左頬に浮かび上がるだろう。
「なな、何するのよ!」
「これで済ましてあげた私はとっても優しいと思わない?」
にっこりと笑顔で答えてやると、セリナは自分が何をしたのか思い出したらしく、ぐっと言葉に詰まった。
その様子を見ていたゼオが、呆れた様子で嘆息する。
「……愚かな小娘だな。《悪魔の鏡》は俺が二度と人間の手に渡る事がないように封印するぞ」
床に落ちていたそれを拾い上げ、自身の魔力で包み込んだゼオに、誰も異を唱えはしなかった。
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