第九章 プラテアード公爵邸
初老の執事長は、私の姿を見て心底安心したように息を吐いた。
「お嬢様! 今までどちらに! このマクスウェル、心配で心配で夜も眠れず……!」
「あー、ちょっと大冒険に……」
「大冒険? 何を馬鹿な……」
私を幼い頃からみているマクスウェルは、今でも時々私に対して幼子のような扱いをしてくる。
だけど、まさか私が魔王討伐に乗り出したなんて、夢にも思わないだろうな。
私は笑って誤魔化しながら、両親を応接間に呼んで欲しいと頼んだ。
怪訝そうにしながらもすぐに応じたマクスウェルが両親を応接室に連れてきてくれたので、端的に事情を話すと、予想通りに二人は顎を外さんばかりに驚いた。
「ギャレス殿下との婚約を解消して、魔王ゼフィリオに嫁ぐ、だと……?」
父が愕然とする横で、母は今にも泡を吹いて倒れそうになっている。
「お、お前は、本当にそれで良いのか……?」
「ええ、勿論です。今回初めてゼフィリオ様にお会いしましたけれど、それはそれはとても素敵な殿方ですのよ」
両親に対して、私は前世の記憶が戻ってからもこれまで通りの態度で接してきた。今回も今まで同様の口調ながら、溢れるゼオへの愛を隠せずに答えると、両親は顔を見合わせた。
「……ギャレス殿下と聖女セリナ殿の関係が噂になった時でさえ動じなかったお前が、そんな顔で言うのだから、嫌々嫁ぐ訳ではないんだな?」
「勿論です」
「……ならば何も言うまい」
渋々頷いた父に、結婚そのものに了承を得た私はおずおずと切り出す。
「それで、今、挨拶のために屋敷まで来てくださっているんです」
「誰が?」
「ゼフィリオ様がです」
「……は?」
父が間の抜けた顔をする。
そりゃあ、魔族の皇帝、最強の魔王であるゼフィリオが、ルベウス王国の公爵邸にやって来るとは夢にも思わなかっただろうよ。
私が今一度玄関に戻って、外で待機してくれていたゼオを呼んで戻ると、両親はただ青褪めていた。
ああ、お父様、お母様、ごめんなさい。
「エレストリアの御両親。此度はエレストリアを我が花嫁にすべく、挨拶に来た」
「ままま、魔王陛下っ!」
恐怖で卒倒寸前の二人に、ゼオが少し困ったように私を見る。
「ごめんなさい。普通の貴族は魔族に免疫がないから……」
「それは仕方あるまい。ところで、魔族の慣例に従えば、花嫁の実家には魔牛一頭を贈る事になるが……この国ではどうだ?」
魔牛とは、牛型の巨大な魔物だ。
魔族の間では高級食材として好まれているらしいが、強い魔力を含んでおり、普通の人間が食べれば魔力に充てられて体調を崩してしまう。当然、私の両親は魔牛を貰っても捌けないし食べられない。
「ルベウス王国では、高い男性側の方が地位が高い場合、結婚時には祝い金として女性側の家に金品を贈ります。逆の場合は女性側の家から男性側に領地を分け与えることが一般的ですね」
「ふむ。ならば俺はお前の両親に金品を渡せば良いのか? どの程度だ?」
「それは男性側の家の財政状況によるので、一概に決まっていないんです。花嫁の値段とも言われていて、令嬢側に多数の縁談が来ている場合は、その金品をどの程度支払えるかによって相手を選ぶくらいですから」
「ほう? ならば、お前の許婚約者であるあの王子は、この家にどの程度支払う予定だったんだ?」
「ギャレス殿下は、ええと……」
私が言い淀んで父を見る。
話を聞いていた父は、言いづらそうに視線を落としつつ、小さな声で答えた。
「大金貨百枚、です」
この国で使用されている硬貨の種類は、金銀銅にそれぞれ大小あって全部で六種類。
大金貨とは、最も価値の高い硬貨だ。主に貴族間での商いで使用され、市場には滅多に出回らない。
大金貨一枚で庶民の家が一軒建つほどの価値がある。
それが百枚となれば、王族と貴族の結婚だとしても、あまりに高額だ。
その理由は簡単。
ギャレスは、王家の証とも称される緋眼を受け継がず、王妃の瞳の色である碧眼を受け継いでしまったからだ。
ルベウス王国の国王は代々緋色の瞳をしている。王位継承権も、緋色の瞳を有している者が優先されるため、ギャレスは第一王子でありながら王位継承権は第二位だった。
王位継承権第一位は、第三王子のヴァルダンだ。側妃の息子であるが、正妃の二男である第二王子も緋眼ではないため、彼が現在の王太子である。
その状態で、ギャレスが国王になるべく残された道はただ一つ、緋眼の貴族令嬢と結婚する事だ。
長い歴史をもつルベウス王国には、王族に緋眼の男児が生まれなかったこともある。その場合、緋眼の令嬢と子を成して緋眼を継承してきたのだ。
ルベウス王国特有の変わった風習ではあるが、緋眼の花嫁を得た王子は、緋眼の王子に対して王位継承権を懸けた決闘を申し込むことができる。
その決闘に勝てば、晴れて次期国王になれるという訳だ。
そして、今現在、ルベウス王国内に緋眼の貴族令嬢は私だけ。
そもそも緋眼というのは非常に珍しい。
何故なら、緋眼は王族の印であり、王族以外の緋眼というのは、かつて王家から降嫁した三つの公爵家のいずれかにしか生まれないからだ。
だから、私が生まれた直後、私の眼が緋色だと知ったギャレス王子の母である正妃は、すぐにプラテアード公爵邸に使いを送った。生まれた緋眼の娘を、ギャレス王子の婚約者にしろと。
高額の祝い金の提示は、断ることを許さないと言う王族側からの圧力に相違なかった。
王族直々の申し出を、父は断れなかった。
そうして、私の人生は生まれてすぐに決められてしまったのだ。
まぁそれも、今日で全てが変わってしまった訳だけれど。
「ふむ。人間の国の金は持ち合わせていないが……ケイロン」
「はい、こちらに」
ケイロンがさっと何かを取り出す。
煌びやかな細工が施された箱だ。旅行鞄くらいあるサイズだが、一体どこから出したのだろう。
私が疑問に思っている間に、ケイロンがその箱を開ける。
中には、宝石がぎっちりと詰まっていた。
「こ、これは……」
「魔族の国では金よりも宝石が好まれる。これでどうだ? 不服か?」
ルベウス王国でも宝石にはそれなりの価値を付けて取引している。
素人の私が見ても、その箱の中にある宝石はどれも大粒で美しいものばかりだ。ざっと見ただけで大金貨二百枚分くらいにはなるんじゃないだろうか。
「め、滅相もございません! こ、こんなに沢山の宝石、いただいてしまってよろしいのでしょうか……?」
「お前達の大事な娘を花嫁としてもらい受けるのだからな。当然の対価だ」
え、なにその私の両親まで大事にしてくれる感じ。懐が大きすぎる。好き。
彼の器の大きさに惚れ惚れしていると、その様子を見ていた母が、安堵したように微笑んだ。
「エレストリア、本当に魔王陛下の事をお慕いしているのね……無理矢理じゃなくて、貴方の意思のようで、私は安心したわ」
流石は私の母。よくわかっている。
母のその言葉に、父も落ち着きを取り戻して、緊張はしつつもゼオを受け入れてくれたのだった。
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