2話
2話 告白
「オオカミって知ってます?大神って書くんですが」
リクニスは目を見開いた。
ミヤマカイドウの話を聞きながらずっと蓋をして開けていなかった記憶が蘇る。
幼い頃から黒い龍がでる悪夢を見ていた。
俺の周りをぐるりと囲みとぐろを巻いて
「オオカミヲ消セ」と繰り返す夢。
邪龍討伐に師を見送った夜、その悪夢は俺の師について言及した。
「お前の師に会いたければオオカミを消せ」
ずっとオートのように繰り返すだけだと思っていた龍に未だ自我があるのだと知った日。
番人になった後でわかった事だったが
その時刻、その瞬間に
恩師の存在を示す灯火が消えた。
「天照大御神は女神なので権能の関係上、女の巫女に下ろす方が都合がいいんです
でも僕は男として生まれてきた、だから権能の殆どは僕には使えません」
カイドウは困った様に頭をかいて笑った。
「つまり僕は歴代最弱オオカミなんですよ」
カイドウはあくまで朗らかに言う。
「でも妖術だけは並より使えますから、番人になって活躍すればこんな僕でも誰かに好きになって貰えるかなぁって。不純ですねっ動機が」
聞いてるだけで吐き気が伴う心地がした。
少し想像するだけでも分かる。幼い頃から続く強大なプレッシャーと男に生まれた事への絶対的否定。
他者の顔色に過剰なまでに機敏な所も、実力に伴わない異常なまでの自己否定もカイドウが受けてきた仕打ちがベッタリと彼自身の性格に焼き付いている。
逆に何故今笑っていられるのかが不思議なほど。
今のオオカミの風当たりは強い。
「何故、俺にそんな大事な事を教えてくれるんだ」
リクニスは声のトーンを落とさないよう務めた。
カイドウは頭をかいていた手を降ろした。
「どうしてでしょう……なんとなくリクニスさんに知って貰いたかったんです」
リクニスはカイドウの方を向くといつもの社交的な仮面のような笑顔が消え、代わり虚ろで廃りきった笑みに強く燻る火花を称えような眼だけが際立っていた。
初めてカイドウの顔を見たと思った。
オオカミでも首席でもないミヤマカイドウという男はこういう顔だったんだなとリクニスは思った。
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ミヤマカイドウは臆病で弱虫な愚か者だ。
使命からも責任からも大義からも一度は逃げて、
逃げ切れずに、結局戻ってきた。
戻って来た時には昔から変わらないニタニタ顔でダフニーが大隊長の席に座っていた。
「おかえりカイドウくん」
そしてその隣には知らない顔が側近に居た。
「紹介するよ、彼はヒメヒオウギ僕の優秀な部下さ」
無表情のやつれたオールバックの男は聞けば、番人ではなく正真正銘のダフニーの雇われで直々の部下だ。
圧倒的な実力があるにも関わらず番人では無いと言うことはなれる資格が無いことが容易に想像ができた。
さしずめ反勢力に居た過去があるといったところだろうか。
そんな怪しい人材を部下にして他方から言われるであろう文句や敵視を握りつぶせるだけの手腕を軽々と持ち合わせるこのダフニーという仮面の人がずっと苦手でならなかった。
もうひとつ、戻ってきて大きく変わっていた事と言えばトカゲの物ノ怪が地味に有名になっていたということだ。それはもう悪い意味で。
まず、研修の段階で逃げた化身に無謀にも追いかけて縋りつき制止を計ろうとしていたようだった。
次はやっと入った部隊で部隊員の怠慢や不祥事を露見させ、その部隊の保有地と仕事を奪いさり。
他にも自ら不浄の溜まり場に赴いては半狂乱になって負傷も厭わず穢れをカッ捌いていく等など。
こういう個として目立ち過ぎる番人は組織的に見て嫌われ易い。現に彼を引き入れたがる部隊は0だったようだ。
規律やルールを守り組織を重んじる従順な番人こそが求められる世界だ。
噂を耳にする度、重圧や組織を恐れず自由に大立ち回りをする彼を少しだけ羨ましく感じた。
そしてダフニーはそのトカゲの物ノ怪を誰より早くマークしていたようだった。
彼が数々の大立ち回りに組織から排除されずにいられるのはダフニーのバックからの一声があったのだろう。リクニスはそれを知らないようだが。
ダフニーがマークする者はカイドウの経験上必ず裏があった。
トカゲの物ノ怪リクニスの身辺を出来るだけ調べた。わかった事は彼の恩師は邪龍の打倒を最期まで成そうとし帰らぬ者になったという事だけだ。
そもそも邪龍出現と打倒失敗の二つの事柄は明らかに隠蔽と捏造で塗り潰されていて資料は残されていなかった。
その捏造にリクニスの恩師は利用され、あくまでオオカミを立て、打倒失敗の責任を亡き恩師に全て擦りつける形に記述は改ざんされていた。
真実を知る術は今のカイドウには無かった。
「すげぇなぁ、それ。どうやって練り上げたんだ?」
そんな彼から声をかけられる日が来るとは何かの因果なのだろうかとすら感じた。
立ち回りや噂のイメージではもっと荒々しく目につくもの全てにガンつけるようなヤンキーを連想していたが、いざ対峙すると無機質な爬虫類の眼とは裏腹にいたく人懐っこい顔で笑うんだなと思った。
彼と居るとまるで子どもと遊んでいるような錯覚を覚える。
喜怒哀楽に他意はなく、思った事が顔に出る。己のやりたいことを思考の最優先に置き。他人の視線など二の次だ。
常に他の目に怯えて、他人にどんな風に思われているかことあるごとに気にする自分と正反対の姿。
そんな彼が僕がオオカミだと知ったらどうするだろうか。
怯えるだろうか、怒るだろうか、それとも
「撃たないですか?」
選抜が終わった後、話があるとリクニスはカイドウを呼び出した。
冷たい夜風が当たる集落を見下ろせる崖でカイドウの背中にリクニスは銃口を向けていた。
それが彼の「答え」だ。
口角が上がる。殺伐とした状況なのに妙な高揚感があった。
ある時、妻を人質にされ僕を殺せと命じられた刺客が目の前で護衛に押さえられ泣きながら僕に消えてくれと懇願されたことがあった。
オオカミの僕は天照の加護があり、天罰を恐れて直接手を下す者などいない。
だからこそ
その手で
その眼で
その意思で
彼が僕を撃ちに来てくれたことが狂おしい程嬉しい。
リクニスの持っていた銃をカイドウは自らに引き寄せた。
「痛いのは嫌なので一撃で仕留めて下さいね」
カイドウは軽やかな心地で本心からそう告げた。
その時見たリクニスの表情にカイドウははっとした。
リクニスは銃を離して下ろした。
「ふんっ俺の目的は邪龍打倒であってお前を消すことじゃねぇ」
くるりと踵を返すと片手をあげて去っていった。
「せいぜい泳がせてやるから怯えて暮らすんだな」
冷たく感じていた夜風が今では高揚した身体に心地いい。
カイドウは自身に銃口を引き寄せて笑って見せた時、リクニスは泣きそうな顔で見つめていた。
まるで、大好きな人が遠くに行くのを我慢して見つめる様な、悲しい顔で。
続