【第5話】エンジニアの責務
更新が遅れました。
木更津は、一瞬、声を失った。
エリカの音楽プレーヤーは、ヘッドフォンと一緒に壊れたと聞いた。
修理したのか?
いや・・それにしてはきれいすぎる。まるで新品だ。
しかし、もはや新品が手に入るはずはない・・。
エリカの祖父が口を開いた。
「これは、GL-TONE の山城さんからいただいた、2台目だ。」
「2台目!?」
「ああ。最初の1台目を孫にプレゼントしたと言ったら、山城さんがもう一台くれたんだ。」
「最後の一台だと言ってね・・・。」
自分が取り出した音楽プレーヤーを、いとおしそうに見つめる。
「最後の一台といわれると、ちょっと怖くてね。」
「一度聞いただけで、ずっと保管しておいたんだ。」
「エリカには内緒だったんだが・・。」
「ひょっとして、君が見舞いに来るかもしれないと思って、持ってきていたんだよ。」
その言葉に、木更津は驚いた。
自分が見舞いに来ることを予想して?
しかし、なぜ・・。
「これは、君に渡しておこう。」
思いもしなかった言葉に、木更津は驚いた。
「そんな・・。こんな貴重なもの、受け取れません。」
「いいんだよ。」
「こういうものは、いつまでも年寄が持っていてはいけない。若者に継がせるべきだ。」
「山城さんも、その方が喜ぶだろう。」
木更津は少し嫌な予感がして、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「もう一杯飲もうか・・・。」
再度、珈琲のおかわりを注文する。
珈琲が来るまで、しばらく沈黙が続いた。
3杯目の珈琲をゆっくりとすすると、口を開いた。
「君は、将来エンジニアになるのかね?」
「はい。そのつもりです。」
「父の影響が大きいと思うのですが、電子回路をいじっているのが楽しくて仕方ありません。」
「そうか・・。」
「将来やりたいことが見つかっているのは、幸せなことだ。」
「自分もそう思います。」
再び、珈琲をすする。
「エンジニアにとって、一番大事なことは何だと思うかね?」
一番大事なこと?
向上心ということだろうか? それともコスト感覚?
精神的な質問をしているのか、それとも実務的な質問をしているんだろうか。
木更津は少し迷ってから答えた。
「常に新しいことにチャレンジを続けること・・でしょうか。」
「つきなみな気もしますが・・。」
「うん・・。 それも大事だね・・。」
「これは山城さんの受け売りなんだが・・・。」
「一番大事なことは、安全性への責任感だよ。」
「安全性?」
正直、意外な言葉だった。
いわれてみれば当然なような気もするが、あまりにありふれていて、正直ピンとこない。
「大事なことだが・・忘れられやすい・・。」
ゆっくりと珈琲をすする。
「私が若いころ・・昭和の時代の話だが・・。」
「家電製品の発火事故で、人が焼け死ぬ事故が年に一度はあった。」
「電気毛布が発火して高齢者が焼け死んだのは10年ぐらい前だったかな・・。」
「今では、焼死事故はめったになくなったが、それでも発火事故自体はなくなっていない。」
「リチウムバッテリーなどという怖いものも普及してしまったし・・。」
「怖い・・ですか?」
「ああ、正直、リチウムバッテリーは、まだ普及させるには早かったと思うね。」
「電子機器が発火すれば、人が焼け死ぬかもしれない。
車のブレーキに不具合があれば、事故で人が死ぬかもしれない。
ガス器具に設計ミスがあれば、ガス漏れを起こして爆発するかもしれない。」
「ミスをすると人が死ぬ。 エンジニアとは、そういう仕事なんだ・・。」
木更津は、どう答えてよいかわからなかった。
「すまんね。高校生にはまだ重い話だったかもしれない。」
「いえ・・・。」
「だが君は、エリカに密閉型ヘッドフォンを貸したことに責任を感じていたんだろう?」
「はい・・。まさか本当に事故になってしまうとは・・。」
「幸い、エリカは無事だった。いまはそれで十分だよ。」
「本当に、申し訳ありません。」
「いや、責めているつもりはないんだ。
君は、大事な人生経験をひとつ積んだと言いたかったんだよ。」
「だが・・・。」
一瞬、口ごもる。
「山城さんは、それでは済まなかった。」
はたして話すべきか否か、まだ迷っているようだった。
木更津は、黙って次の言葉を待った。
「試作品を貸し出していたアーティストが、事故で亡くなってね・・。」
「もちろん、音楽プレーヤーをどう扱うかはユーザーの責任でもあるんだが・・。」
「たとえユーザーが使い方を誤っても、安全性だけは確保する・・・。
それがエンジニアの責任だと、山城さんは考えたらしい。」
「それで・・発売中止を?」
「ああ・・。」
「 GL-TONE が発売を中止したところで、ポータブル音楽プレーヤーは巷にあふれている。なによりも、スマフォが普及しているしね。」
「それでも山城さんは、ユーザーの安全性を保障できない製品を、自分の会社で製品化することはできない、とおっしゃってね・・。」
「まじめというか・・ 多少、頑固なところもあるかな・・。」
店員に声を掛ける。
「ゲシャは、ひとり3杯までだったかな?」
「はい、豆に限りがありますので・・。」
「ではブレンドを2つ。」
「承知いたしました。」
木更津は、一度は飲み込んだ言葉を口にした。
「あの、山城さんは、今どちらに・・・。」
「鳥取で養生しているらしい。」
「大丈夫。まだご存命だよ。」
木更津の顔を見て、少し笑った。
「もし、よかったら紹介しようか? 会って話をしてみたいんだろう?」
予想外の言葉。
「はい。是非お願いします!」
全く、初対面の気がしない。
両親以上に、自分の考えを読まれている気がする。
「恥ずかしがる必要はない。」
「心が読まれやすいのは、性格が正直な証拠だよ。」
「エンジニアは物理現象を扱う。物理現象に嘘やごまかしは通じない。」
「君は、本当にエンジニアに向いていると思うね。」
この人の性格なら、いやみはないだろう。
お褒めの言葉を、素直に受け取っておこう。
「山城さんに会うなら、なおさら、これを聴いておくべきだろう。」
「感想を聞かれるかもしれないからね。」
あらためて音楽プレーヤーを差し出す。
「ありがとうございます。」
「では、よろこんで使わせていただきます。」
「おそーーーい!」
病院へ戻ると、エリカが口をとがらせた。
「ごめん。ちょっと話が長くなった。」
「へぇ・・・。 何の話していたの?」
「まぁ・・その・・。」
「無事に退院したら、木更津君が話してくれるだろう。」
「えーーー。」
「そういうことにしよう。早く治してくれ。」
エリカは、木更津が持っている手提げ袋に気が付いた。
確か、病室を出た時はおじいちゃんが持っていたはず・・。
「ま、いっか・・。」
「カバン持ちの約束、忘れないでね。」
「ああ。まかせてくれ。」
木更津は挨拶をすると、病室をあとにした。
正面に沈む夕日の光が眩しい。
エリカの見舞いだけのつもりが、予想を超えて充実した一日となった。
憧れの人物に会える日を楽しみに、木更津は帰路についた
- 完 -
音楽プレーヤーの話は、これで完結です。
「横浜北高校、電子工作部」の話としては、第2部を構想中。執筆が進み次第、公開する予定です。