【第4話】ゲシャ・エスメラルダ
大きな病院に来ると、いつも落ち着かない。
自分が患者ならまだしも、見舞で訪れるときはなおさらだ。
微妙に場違いな気がするし、迷惑を掛けてはいけないと気を遣う。
607号室。個室か・・・。
幸い大事はないと聞いていたのだが、少し緊張する。
ドアをノックする木更津。
「どうぞ」
「失礼します・・・」
病室に入ると、ベッドの上にエリカが起き上がっていた。
その横には、エリカの母親と、父親・・ いや、祖父らしき男性。
「えーーっ、木更津君! いらっしゃーい。」
元気そうな声で、少しほっとする。
「あら、お久しぶりね。」
「ごぶさたしております。」
「娘のために、わざわざありがとう。」
「いいえ・・・。」
エリカが男性の紹介をしてくれた。
「えと、同級生の木更津君。 こっちは、わたしのおじいちゃん。」
「初めまして、木更津です。」
しまった。まだご存命だったのか。プレーヤーを形見などと・・。
「エリカのプレーヤーを直していただいたそうだね。」
「SMT(※)のカードコネクタを交換できる高校生がいるとは、少し驚いたよ。」
「でも事故の時に、ヘッドフォンと一緒に壊れてしまってね・・・。申し訳ない。」
「いいえ、お気遣いなく。」
「実は、ヘッドフォンを貸したのはまずかったと思ってまして・・・。」
木更津は、改めてエリカを見る。
「ポータブルに密閉型は危険だったな。せっかくおじいさんに忠告していただいたのに・・すまん。」
「そんなことない。すごくいい音だったよ。」
「聞き入り過ぎちゃって、ヘマしをしたのは私だから。」
腕の包帯が気になる。
「骨折・・なのか?」
「ううん、ひびが入っただけ。全治1かげつぅ!」
周囲に気を使っているのか、天然なのか、エリカの性格は謎が多い。
母親が口を開く。
「2週間で退院らしいけど、ギブスはすぐに取れないらしくて・・。」
「申し訳ないけど、学校でのエリカの面倒、みてやってくれないかしら。」
「わかりました。ご心配なく。」
「カバン持ち、お願いねー。」
妙にうれしそうな顔をするエリカ。
「まぁ、家が近いからな。そのくらいはまかせてくれ。」
「やたっ!」
少し間が空いた。
木更津は、エリカの祖父に、プレーヤーの入手経路を尋ねたくてしかたなかった。
しかし、音楽に夢中で怪我をしたエリカの病室で、プレーヤーの話をするのは気が引けた。
次にエリカの祖父に会えるのは、いつになるかわからないのだが・・・。
「木更津君、おじいちゃんに聞きたいことがあるんでしょ?」
しまった。 病人に気を使わせてしまったらしい。
てか読まれたのか? エリカの性格は謎が多い・・・。
「なにかね?」
「こういう場で聞いていいものか・・。 プレーヤーのことなんですが。」
「ああ・・。」
「木更津君・・だったかね。 コーヒーでも飲みにいかないか。」
「話が長くなると、エリカのからだにさわるかもしれないし。」
「えーー、二人で内緒話?」
「そんなにご迷惑はかけられないから、すぐ終わらせるよ。」
二人は病室を出た。
「この病院に来て見つけたんだが、向こうに珈琲のうまい店があってね。5分ほど歩くんだが・・。」
「自分も珈琲は好きです。夏でもホットで飲んでますし。」
「ほう・・。」
「わたしは昔、ジャズ喫茶通いをしていてね。今でもたまに「ちぐさ」(※)というジャズ喫茶へ行ったりしていてね・・。」
「日ノ出町のちぐさ・・でしょうか? 父につれられて何度か行ったことがあります。」
「本当かね! ちぐさを知ってる高校生なんて初めて会ったよ。」
「普段はレコードですが、イベントの時に生演奏が聴けるので、お前もちゃんと楽器の音を聞いておけと。」
「それはうれしい話だ。君のお父さんとウマが合いそうな気がするよ。」
「GL-TONE の社長・・山城さんというんだが・・。」
「お名前は聞いてます。」
「山城さんとも「ちぐさ」で会ってね。」
「ああ、ここだよ。」
住宅街の中にポツンと立っている喫茶店だった。
平日のせいか、客は少ない。
「ゲシャ・エスメラルダ(※)、2つ。」
「かしこまりました。」
木調で落ち着いた雰囲気の店。
椅子は組みつけのBOX席。
カウンターにはサイフォンが並んでいる。
残念ながらBGMは天井スピーカーだが、もし、JBLかALTEC(※)でも置いてあったら完璧・・・。
「山城さんの話だったかな・・・。」
エリカの祖父が口を開く。
「ちぐさで何度か見かけて親しくなってね。」
「それ以来、GL-TONE の試作機なんかを借りて感想を言ったりしてたんだよ。」
「まぁ、自分の耳がいいなどとは思ってないんだが、それでも凄い音色だった。」
「うちは父がヘッドフォンアンプの 20 を持ってまして。それを聞いて興味を持ちました。」
「20 か・・。 30 は聞いてみたかね?」
「いえ。父も 30 を買うつもりだったようですが、その前に閉鎖してしまったので・・。」
「そうか・・。 20 もいいアンプだが、30 はそれを上回っていたな。」
「そんなに違うんですか?」
「ああ・・。 30 はバランスアンプ構成だが、そもそもバランスアンプとはなにか?ということを徹底して追及したアンプだ。単にバランス構成と言うだけではなく、同じ特性のアンプを2つ組み合わせてこそのバランスアンプという発想だった。」
「同じ特性?」
「同じ回路で基板を組み上げても、部品の誤差の影響で、回路全体の特性は微妙に異なる。特性が異なる回路でバランスアンプを組んでも、その誤差の影響で、完全なバランス特性にはならない。30 は基板を選別して、特性がそろった基板を組み合わせているんだ。」
珈琲が運ばれてくる。
気のせいか、かすかにフルーツのような香りがする。
「なんだか高そうですね・・・。」
「私のおごりだ。気にしなくていい。」
「若い時こそ、うまい珈琲を飲んでおくべきだよ。」
「音楽も・・ね。」
ふたりはしばらくの間、珈琲を味わった。
これは・・忘れられない珈琲になりそうだ。
これで心地よい音楽があったら・・。
ますます、天井スピーカーが残念・・・。
「GL-TONE が閉鎖した理由をご存じですか?」
「うむ・・。」
「一つは、部品の入手難と聞いている。」
「部品・・ですか。」
「山城さんは、信号用のコンデンサはディップマイカでないとダメだと言っていた。」
「日通工(※)がディップマイカの生産を中止してしまった後、海外メーカーの部品を使用していたらしいんだが、音質がいいディップマイカが入手困難になったらしい。」
「SS電子ではダメなんですか?」
「SS電子のは高域の伸びがイマイチらしい。一部の愛好家がべた褒めしていたが、山城さんは気に入らないと言っていた。」
「部品選びにそこまでこだわるんですね。自分は回路ばかり解析していました・・。」
話が進むと、珈琲の消費が早い。
自宅ではいつものことなんだが。
「もう一杯のむかね?」
「すみません、お願いします。」
「エスメラルダ、2つ。」
「はい。少々お待ちください。」
しまった! 高い珈琲であることをうっかり忘れていた。
「私のおごりだと言ったろう?」
「それだけ顔に出ると、きっとエリカにも見え見えだね。」
少し楽しそうに笑う。
まいったなぁ。専門知識も含め、完全に相手の方が上手に思える。
「それで・・部品の他にも理由があるんですか?」
「ああ・・。」
手提げ袋から何かを取り出した。
「もう一つの原因は・・これだよ。」
「!!」
それは、事故で壊れたはずの音楽プレーヤーだった。
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※注釈
・SMT:表面実装方式。この方式の部品を交換するためには、部品の取り外し、半田除去などに、専門の工具が必要。
・ちぐさ:横浜市の日ノ出町に現存するジャズ喫茶。
・ゲシャ・エスメラルダ:日本では「ゲイシャ・エスメラルダ」と呼ばれることが多い。エチオピアのゲシャ村で栽培される珈琲。
・JBL、ALTEC:アメリカのオーディオメーカー。ジャズを聞くために、これらのスピーカーを愛用するオーディオ愛好家が多い。
・日通工:日本のコンデンサーメーカー
続く------------




