【第3話】ヘッドフォンの謎
翌日の放課後。
木更津は修理が終わったプレーヤーをエリカに手渡した。
「うわぁ、ありがとう!」
「さすが木更津君、昨日の今日なのに。」
「たまたま、同じ型番のコネクタの在庫がマルツに(※)あったからな。運も良かった。」
「それと・・・。」
木更津が紙袋を手渡す。
エリカが袋を開けると、中からヘッドフォンが出てきた。
「赤毛(※)の553だ。良かったら使ってみてくれ。俺が使っていた中古だが、イヤーパッドは新品と交換してある。」
「えっと・・借りていいの?」
「ああ。今使っているS社のインナー型よりは遥かに解像度が高い音が聴ける。高域の伸びもいい。」
「ありがとう!」
「あ、でも・・・。」
エリカが少し顔を曇らせた。
「これ・・密閉型だよね。」
「ああ。 ポータブルで聴くなら音漏れが少ない方がいいだろう。」
「そうなんだけど・・。」
「実はおじいちゃんがね、ヘッドフォンは必ず開放型を使いなさいって。」
「耳を覆うタイプの密閉型は、絶対に使っちゃダメだって・・。」
「そ・・そうなのか?」
ヘッドフォンのハウジング構造は、大きく分けて、密閉型と開放型の2種類がある。
密閉型は音漏れが少なく、周囲のノイズも遮断できる長所があるが、構造的に空気の逃げ場がないため振動版を空気圧で抑えてしまい、音がこもる、左右の音の広がりが狭い、などの欠点を持つ。
開放型はその逆で、音が漏れる上に周囲のノイズも聞こえてしまう。しかし振動版が空気圧で抑えられることが無く動きやすいため、音の解像度が高く、左右に音が広がる等の長所を持つ。
ただしこれらは一般論で、例えば、空気の圧力でわざと振動版を抑えて疑似的に質量を重くし、低域を伸ばすという設計手法もある。
ヘッドフォンの振動版はサイズが小さいため、設計上の工夫をしないと低域が細るため、あえて密閉型にして低域を伸ばすのだ。
スピーカーの小型密閉方式もこれと同じ理屈。
要は、密閉型も開放型も設計次第、ということなんだが・・・。
「まぁ、一般的には開放型がいいと思うんだが、553 は並みの開放型には負けない。音質は俺が補償する。」
「そもそも、今使っているS社のインナー型も、いってみれば構造上は密閉型だぞ?」
「あ、これはね。 髪型が崩れちゃうから、あとで買ったんだ。」
しまった! 髪型を気にする女性は、大型ヘッドフォンを嫌がるのか!
チーン・・・。 (まだまだ女性経験が未熟)
「でも、せっかくだから借りとくね。家で聴くときは大きいヘッドフォンも使ってるから。」
「そ、そうか・・・。」
まずい・・うっかり自分のお気に入りを押し付けて、気を使わせてしまったかも・・。
「直してくれてありがとう。本当にうれしい!」
「お礼、するからね!」
そうやって笑うと、エリカは小走りで帰っていった。
お礼・・か・・。
まぁ、挨拶と受け取っておくべきか。
「掃除、始めるわよーー。」
日直の田島が声を掛ける。
おっと、俺も今日は掃除当番だった。
ガラガラと机を移動させながら、考え事を始める木更津。
確かに、髪型を気にする女性には、フルサイズのヘッドフォンは使いにくいんだろうな。
レコーディングエンジニアには、ヘッドフォンを使う時に邪魔にならないよう、髪を短めにする人もいるが、女性はそうもいかない。
レコーディングエンジニアに女性が少ないのはそのためか?
いや、これは考えすぎだろう。
髪型が派手なアイドル歌手は、レコーディングの時はどうしているんだろうか。
バケツに水をくみ、モップで床を拭く。
そんなことより、エリカの爺さんはなぜ密閉型を嫌ったのだろう?
入手経路はいまだに謎だが、少なくても GL-TONE のプレーヤーを所有していたほどの人物なら、開放/密閉にこだわらず、それこそ音を聞いて判断するはずだ。
絶対に使うなとは、何か別の理由があるんだろうか・・・。
掃除が終わっても、木更津はブツブツと独り言を続け、そのまま部室へ向かった。
電子工作部の部室。
同級生の遠藤が、にやにやしながら木更津に近づいてくる。
「聞いたぞー。エリカにプレゼントしたんだって?」
「なにいってんだよ。ヘッドフォンを貸しただけだ。」
「ふーん・・・。」
なおもにやにやしたままの遠藤。
顔をそむけたまま答える木更津。
「インナー使ってるみたいだから、553を貸してやったんだよ。」
「553? お前のお気に入りじゃないか。ますますアヤシイな。」
「正確にはお気に入りだった・・だな。」
「今は 650 か 660 がメインだし・・。」
「ふーん・・なにか理由でもあるのか?」
「そうだな・・やはり解像度が少し高いかな。」
「没頭するには 553 も便利なんだが、母親がうるさくてな。」
「母親?」
「飯に呼んでも部屋から出てこない、ってうるさいんだよ。」
「なるほど、553じゃ聞こえないか。」
「ああ。660ならなんとか聞こえ・・。」
「!!」
まさか・・そういうことか!
エリカの言葉が、頭によみがえる。
「耳を覆うタイプの密閉型は、絶対に使っちゃダメだって・・・。」
それで爺さんはエリカに・・しまった!
木更津はあわててスマフォを取り出し、エリカに電話を掛ける。
が・・・エリカは出ない。
「ん? どうかしたのか・・?」
「すまん、急用ができた。今日は部活さぼる!」
慌てて部室を飛びだす木更津。
「お、おい! 部長がさぼってどうすんだよ!!」
なんてことだ!
普通の音楽プレーヤーならまだしも、GL-TONEで・・あの音色で・・密閉型はまずい!
問題が起こる前に、彼女に警告を!
木更津は走り出し、エリカを追った。
公園のベンチ。
木更津から受け取った袋を開けるエリカ。
やっぱり髪型がくずれるかなぁ・・・
553 のパッドは、完全に耳を覆う大きさ。
何とか髪をかきわけたものの、バンドの長さを調整するのに、さらに数回手間取った。
音楽プレーヤーに、ヘッドフォンのピンを差し込み、ボタンを押す。
本当だ・・凄い!
呼吸まではっきり聞こえる。
へぇ・・こんなタイミングで吸ってるんだ・・
バイオリンの演奏には、かなりの腕力が必要となる。
バイオリンを抑える首と肩、背筋の筋肉も使う。
演奏中は運動するのと変わらず、おのずと呼吸も激しくなる。
呼吸のタイミングは演奏の動きにも影響を与えるため、タイミングを間違えると音もずれてしまう。
名演奏者の呼吸のタイミングは、参考になる。
エリカは目を閉じ、しばらく演奏に聴き入った。
スマフォが鳴った。しかしエリカは気が付かない・・。
しばらくして、演奏に聴き入っていたエリカが、ふと我に返る。
「あ・・・いけない。」
エリカはベンチから立ち上がると、駅へ歩き始めた。
涼しくて心地よい風・・・
素晴らしい音色・・・
なんて幸せな時間・・・
エリカは歩きながら演奏に聞きいっていた。
と・・次の瞬間・・。
キィーーーッ! ドオンッ!
車のブレーキ音と共に、鈍い音がした。
ヘッドフォンとプレーヤーが高く宙を舞い、そのままアスファルトに叩きつけられた。
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※注釈
・マルツ:秋葉原に実在する電子部品販売店。
・赤毛:正式名称は「AKG」。オーストリアの業務用音響機器メーカー。ドイツ語圏のため、ア-カ-ゲーと読む。
続く------------