【第2話】奇跡の回路
「やっぱ落ち着くなぁ・・。」
ひと月ぶりの秋葉原、木更津はにやにやしながら歩き回ってた。
今ではすっかりフィギュアとアニメの街になってしまったが、
ラジオセンターを始め、秋月通商、マルツもまだまだ健在。(※)
時間があれば DigiKey(※)の通販もあるが、今回は急いで直さないとまずい雰囲気を作ってしまった手前、即日で部品が入手できる秋葉原は、やはりありがたい。
SDカードソケットは種類が多い。
必ずしも基板パターンと一致するものが手に入るとは限らないが、幸い、エリカから預かったプレーヤーのソケットは、モレックス製(※)だった。
流通量が多くマルツにも在庫があり、今回の修理ではジャンパー線を飛ばすこともなく交換できそうだ。
お気に入りのラジオセンター3階で、コーヒーとサンドイッチで軽い夕食を済ませ、横浜へとって帰る。
木更津の家は、父親も大手メーカーのエンジニアで、自宅に工作室がある。
母親は仕事を家に持ち込んでいると未だに文句をいうが、父にとって電子工作は趣味でもある。
小学生から半田小手を握っていたのは、父親の血のせいだろう。
中学に入った時、工作室を自由に使う許可をもらい、以降、父親よりも長い時間を過ごすようになっていた。
壁にはパーツケースがずらっと並び、リード部品はもちろん、チップ部品の在庫も豊富。
へたな部品店よりも在庫量が多いぐらいだ。
木更津は、静電防止マットを敷いた机の上に音楽プレーヤーを置くと、分解を始めた。
SDカード用ソケットまでは確認済みだが、他の回路周辺には、銅製のシールドカバーが付いていた。
酸化防止と思われるフラックスが塗ってある。
「手作り感が凄いな・・。 ひょっとして試作機か?」
シールドカバーを外すと、コントローラLSIとDACチップ(※)が姿を現す。
「おかしいな・・DAC用のコンデンサーがみあたらない・・?」
基板を取り出し、ひっくり返す。
ちょうどDACチップの裏側に、平べったい黒い部品が実装されていた。
「フラッシュメモリか? いや・・この型番はなんだ? OE・・?」
ネット検索で、型番を調べる。
「まさか・・・ ブロードライザ!?」(※)
DACの電源ラインにブロードライザとは・・・。
ブロードライザは旧型のプレステ(※)やパソコン用CPUの電源ラインに使われていたが、熱に弱く、劣化しやすいともいわれ、扱いが難しい。
なるほど・・ 音楽プレーヤーなら発熱は少ない。
デジタルノイズがアナログ回路に回り込まないよう、DACの電源回路として使うにはうってつけだ。
しかも、DACのピンそばにディップマイカ(※)まで併用するとは・・。
こんな贅沢なDAC回路、見たことがない。
DACチップは「A化学」製。 実装が2個と言うことは、L/R独立回路か。
A化学は、DACチップのメーカーとしては後発で、当初、日本のオーディオメーカーは関心を持たなかった。
アメリカの半導体メーカーのDACチップが、「ブランド」として定着していたためだ。
時としてオーディオメーカーは、音質よりもイメージに拘る悪い癖がある。
ブランド力が無い新参者のA化学のDACチップなど、興味がなかったらしい。
しかし、A化学を積極的に採用したのは GL-TONE だった。
当時、GL-TONE の山城氏が専門誌サンレコ(※)で技術解説記事を連載していた際、A化学の取材レポートを書き、A化学を推していたという事実もある。
今では、A化学のDACチップを多くのオーディオメーカーが採用している。
DACの先は完全ディスクリート。(※)
はたして GL-TONE 製かはまだ半信半疑だが、試しに回路図を起こしてみるか。
基板は4層・・いや、6層か。 導通テスターであたるしかないな。
パソコンに向かい LT-SPICE(※) を起動すると、解析した回路図を打ち込んでいく。
「妙だな。 初段はお決まりの作動回路だが・・負荷抵抗はどこだ?」
再度、導通テスターでパターンを確認する。だが間違ってはいない。
「作動回路の出力に・・また、トランジスタ?」
なにかの間違いと思いながら、回路の解析を進めていく。
すると・・・
「これは・・・。 カレントミラー負荷!?」
通常のオーディオアンプ回路では、初段の作動回路の負荷として、「抵抗」を使用する。
電流出力であるトランジスタの信号を次段で受けるためには、電流->電圧変換が必須だからだ。
しかし負荷抵抗には大きな欠点がある。
電圧出力の影響で、トランジスタのコレクタ電位が変動し、これが信号の「歪み」を発生させてしまう。
しかし抵抗を使用しないと次段へ電圧信号を送れないため、必要悪となっているのだ。
通常のオーディオ回路では、これをNFBを使用して打ち消しているが、裸特性が悪化することは避けられない。
この回路の改良案としては、アポジー(※)の業務用マイクアンプなどで採用された「OPアンプキャンセル方式」がある。
作動回路の2つの負荷電圧をOPアンプの作動回路でキャンセルする方式で、NFBに頼らずに歪みを押さえることができる。
しかしOPアンプという余計な部品が増えた分、少なからず音質への影響が避けられない。
これに対し、GL-TONEの「カレントミラー負荷」は、抵抗の代わりにカレントミラー回路が使用されている。
カレントミラー回路の入力側は、回路動作的には単なるダイオード、つまり電圧は一定となる。
抵抗負荷のように、信号に応じで電圧が変動しないため、トランジスタのコレクタ電圧が安定する。
結果、そもそも「歪みが発生しない」のだ。
歪みを発生させ、それを無理やり打ち消す回路と、そもそも歪みが発生しない回路。
どちらが特性的にすぐれているか、いうまでもない。
オーディオアンプの差動回路など、何十年も前にアイデアが出尽くした回路と言われていたが、GL-TONE は斬新なアイデアで、あっさりとこれを改良してみせた。
まさに奇跡の回路。
そしてその回路が、目の前にある音楽プレーヤーで使用されている・・・。
「本当に・・GL-TONE 製の音楽プレーヤーなのか?」
未だに信じられない。
もし発売されているなら、自分の耳に入らぬはずはない。
試作品だろうか・・。
たとえそうだとしても、なぜエリカの爺さんがそれを手に入れたのだ?
さらに回路の解析を進めると、またもや驚くべきものが見つかった。
「まさか、ダブルNFB!? もう、間違いない・・。」
通常のオーディオアンプでは、NFB抵抗は1本しかない。
NFB抵抗とは、出力端子から初段の差動アンプまで信号をフィードバックさせる抵抗である。
出力端子が一つなら、NFB抵抗も当然一本だけ。
しかし GL-TONEが開発したダブルNFBは、抵抗が2本ある。
+駆動側のパワートランジスタと、-駆動側のパワートランジスタ、それぞれから独立して信号をフィードバックさせるのだ。
そもそもNFB方式は、出力端子の信号を差動回路にフィードバックさせるため、微妙な振動が発生する。
またケーブルなどの浮動容量の影響を受けやすいため、ケーブルによっては回路が異常発振を起こすことすらある。
NFBを使用しない、俗称「NON-NFB」方式もあるが、特性が非直線性の半導体アンプでNFBを使用しない回路は、歪を発生させ、特性の悪化を伴う。
ダブルNFBは両者の欠点を補った方式で、出力パワートランジスタのベース端子から、+側、-側それぞれの信号を2本のNFB抵抗でフィードバックする。
出力端子には直結されていないため、負荷容量などの影響を受けにくい。
それでいて、トランジスタのベース端子まではNFBループに取り込まれるため、
増幅回路等の非直線性はきっちり補正される。
パワートランジスタはNFBループから外れてしまうが、パワー段は増幅率がなくベースエミッタ間電圧も一定のため、非直線性はほとんど問題にならない。
たった一本の抵抗を追加しただけで、画期的に回路の性能が上がるのだ。
しかも、ダブルNFB回路は、量産品では採用されていない。
GL-TONE に「特注」で制作を依頼した、ごく一部のパワーアンプでのみ採用された「幻」の回路だ。
世界に数台しかないと聞いている。
まねをしてコピー品を作るにも、そもそもこの回路の存在自体が世に知られていない。
それが使われているということは・・・。
「まいったなぁ・・・・。」
どうやら本物の GL-TONE 製の音楽プレーヤーらしい。
しかし、量産化されていないのは確かだ。
なぜこんなものが・・・。
謎が深まる。
「音・・聴いてみるか・・・。」
交換したSDカードソケットの端子を、一本ずつ、導通テスターで確認していく。
銅製のシールド版を戻し、ケースをねじ止めする。
電流制限を掛けた電源ユニットを接続し、電源を入れる。
「大丈夫そうだ・・・・。」
エリカから預かったヘッドフォンは、S社製のインナータイプ。
ラックからゼンハイザー(※)の 650 を取り出す。
「本当に GL-TONE なら、鳴らせるはず・・・。」
GL-TONE のヘッドフォンアンプは、小型スピーカーも鳴らす駆動力がある。
恐らく音楽プレーヤーでも同じコンセプトで設計しているに違いない。
もし 300Ωのインピーダンスを駆動できないようなら・・・。
プレーヤーのジャックに 650 のプラグを差し込むみ、再生ボタンを押す・・・。
目を閉じたまま、じっと聴き入る木更津・・・。
「ドルフィン・・・。」(※)
訪内晶子のコンサートは、幼少の頃に一度、父親に連れられて聴きに行ったことがある。
当時は大人気のバイオリニストで、後方の席しかとれなかった。
現実のコンサートでは、思うように楽器の音色を聴けないこともあるのだ。
しかしオーディオ機器は、特等席での音色が聴ける。
しかも、繰り返し何度でも。
もっともそれは、「きちんと鳴る」ことが前提で、これもまた、現実は簡単にはいかない。
しかし・・・。 このプレーヤーは・・・。
そう言えば、エリカは将来バイオリニストになるんだと言っていたような気がする。
エリカの爺さんはそれを知ってプレゼントしたのだろうか。
悪いことしたな・・・。
明日、もう一度きちんと謝ろう・・・。
それにしても・・・。 心地よい・・・・。
木更津は、そのまま眠りについた。
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※注釈
・ラジオセンター、秋月通商、マルツ:実在する電子部品販売店
・DigiKey:実在するアメリカの電子部品通販会社。日本からも発注でき、購入部品は航空便で送られてくる。
・モレックス:実在するコネクタメーカー
・DACチップ:デジタル信号をアナログ信号に変換する半導体。DAコンバーターを略してDACと呼ぶことがある。
・ブロードライザ:NECトーキンが開発した高周波特性に優れたコンデンサ。しかし熱に弱く、劣化しやすいともいわれ、扱いが難しい。
・プレステ:ソニー製のゲーム機器、プレイステーションの略称。
・ディップマイカ:高周波特性に優れたコンデンサ。コストが高く、現在では生産しているメーカーも少なく、入手も難しい。
・サンレコ:実在するレコーディングエンジニア向け専門誌の略称
・ディスクリート:OPアンプを使用せず、トランジスタ/FETで構成した回路。うまく設計すればOPアンプよりも性能が高いが、設計には高度な技術が要求される。
・LT-SPICE:アナログ・デバイセズ社製のアナログ回路用シミュレーションソフト
・アポジー:アメリカの業務用オーディオ機器メーカー。同名の音楽バントとは無関係。
・ゼンハイザー:ドイツのヘッドフォンメーカー
・ドルフィン:1714年製ストラディバリウスの名称。日本のバイオリニスト、訪内晶子氏が約20年間使用していた。
続く------------