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溢れる思い

 24時間体制でクララの護衛をするために、僕は王宮の騎士寮に入ることになった。


 殿下の円卓から、護衛へと配置換えになるのは珍しく、降格だという噂が立っていた。そのせいでまるで腫れ物を扱うかのように、同僚からも表立った詮索はなかった。


 僕にとっては、それは逆にありがたかった。今の僕には、クララ以外のことを考える余裕がなかったから。


 レイが王女の周りに特殊な魔法陣を張ったので、僕ら専属の騎士は必要なときに、主である王女や侍女の状況が感じ取れるようになった。


 迅速に彼女たちの危険を察知できるように。


 これは情勢不安な状況下で、危機管理を重んじた王女の指示だった。しかし、その事実は侍女たちには伏せられている。

 ある意味で、彼女たちにはプライバシーの侵害になるからだ。


 騎士は主人に忠誠を誓って命をかける。それには、主従に恋に似た、深い絆が必要になる。もちろんプラトニックなものだ。


 普通、それは時間をかけて築かれる信頼だったり、または一方的な憧れであったりするのだが、今回はそれを魔法で強制的に構築された。


 僕たちには、侍女たちが後宮に入るべく選ばれた令嬢だと、内々に知らされていた。未来の側室として、その命と純潔は最優先として守らなくてはいけない。


 決して心惹かれてはいけない相手と、強制的に強い絆が結ばれる。

 ある種の洗脳のように、僕らは彼女たちの感情に支配され、それを共有していく。


 僕にとって、これは想像以上に苦しい枷だった。


 僕はもともとクララと知り合いだった。彼女が慕っていた殿下、いやアレク先輩の直属の騎士だし、許婚であるローランドの友人だ。


 慣れない王宮暮らしの中で、クララが近くにいる僕に信頼を寄せてくるのは、ある意味で当然の帰結だった。


 そう思って、なるべく深く考えないようにするのだが、さすがに苦しくなってくる。


 クララは比較的感情が顔に出やすい。それでも偽りのない気持ちが、真っ直ぐ心に流れ込んでくるのとは、比べものにならない。


 喜び、悲しみ、憂い、苦しみ、迷い、葛藤、思慕。


 そんなものを始終つぶさに伝えら、その感情を分かち合うなど、どんな拷問かと思う。


 クララの心を覗き見て、その望みを知っていても、それを叶えることは許されない。

 僕の気持ちを伝えることもできない。手を差し伸べたくても、黙って見守るしかない。


 僕はいつもギリギリの線で、彼女との主従関係を保っていた。


 本当は、クララが苦しいときには、抱きしめてやりたかった。辛そうなときは、王宮から攫って逃げたくなった。


 それでも、なんとかその感情をを押し留めて、任務を遂行した。クララの身の安全のために。


 彼女の心をケアすることはできないが、その身を守ることはできる。

 それだけでも、そばにいられるだけでも、僕には過ぎた役目だった。


 他の騎士たちが、どうやって揺さぶられる感情をコントロールしているのかは知らない。たぶん、僕と同じように、精神的に疲弊していると思う。


 いや、もしかしたら、こんな魔法は単なる連絡手段だと捉えているのかもしれない。

 僕だって、相手がクララでなければ、こんなにきつくなかっただろう。


「カイルがいてくれてよかった」


 クララは口に出してそう言う。とても元気そうに。


 その言葉の裏に、別の感情が隠されていても、僕はそれに気が付かないふりをするしかない。気付いてはいけない。


 王女は、彼女たちの側室としての資質を問うため、随分と過酷なタスクを仕掛けている。

 特に殿下との閨事に関しては、後宮内の嫉妬による衝突を避けるため、細心の注意が払われているようだった。


 王女の閨支度を担当するクララは、いつも擦り切れたギリギリの精神状態で、役目を終えて戻ってくる。

 殿下と王女が恋人を偽装していることを知っていて、王族の使命に胸を痛めているのだ。


 僕を前にして安心すると、緊張の糸が切れて泣き出すこともあった。それなのに、彼女が疲れ切って優しい抱擁や体温の温かさを求めていても、僕にはそれを与えることは許されない。


「よく頑張ったな。君は立派な侍女だ」


 そういって、頭をなでてやるくらいしかできない。最低限の手を差し伸べるだけの。


 とにかく、なにもかも急がなくてはいけない。手遅れにならないうちに。引き返せるうちに。僕が手を離せるうちに。


 警護の合間を見て、僕は殿下の執務室を訪ねた。王女が不在の時間を狙って。


 円卓を外れてから、僕は中央の政局に関わらなくなった。そのため、殿下に直接会う機会もなかったし、稀に会うことがあっても、王女が一緒なので表面上の話しかできかった。


「カイルか、問題ないか?」


 僕の姿を見ると、殿下が穏やかな声をかけてきた。


 かつての同僚たちは気を効かせたのか、さりげなく挨拶をして執務室を出て行った。


 殿下と二人きりになったところで、僕は口火を切った。


「クララを、王宮から下がらせることはできませんか」


 僕の言葉を聞いて、殿下は少し間を置いてから答えた。


「そっちか。円卓復帰を願い出るかと思ったが……」

「王女にお仕えするには、彼女は純粋すぎます。どこかで、心のバランスを崩す」


 殿下にも分かっているはずだった。クララには、魑魅魍魎がうずまくような王宮勤めは無理だ。

 彼女の心は清らかすぎる。ときにはそれが、内側から毒として彼女を蝕むのだから。


「クララのためには、そのほうがいいのは分かっている」

「では、すぐにお役を解いてください」


 そう詰め寄る僕を前に、殿下は目をつぶって思案していた。


「今は無理だ。王女の顔を潰すことはできない」

「そんなことのために、クララを苦しめるのですか!」


 僕は思わず声を荒げた。


 結局、殿下も王女の言いなりなのか。怒りがふつふつと湧いてきた。


「すまない。だが情勢不安の中、王女との関係が強固であることを、対内外に示さなくてはならない。王女の意見は私の意見だ。蟻の穴から城は崩れる。今はそのときではないんだ。お前も分かるだろう?」

「それは、殿下の本心ですか」


 僕は不敬を承知で聞いた。王女の思惑に乗ってクララを側に置くことは、殿下にとってもまんざらではないはずだ。


 クララは殿下の特別な女性なのだから。


「そうだ」


 殿下は静かにそう言った。その表情は苦渋に満ちてはいたが、口調には断固としたものがあった。


「クララを側室にする気ですか」


 僕は知らないうちに殿下の腕を掴んでいた。


 正妃を持つ前に愛妾を召すことはある。だが、あのクララに、この先ずっと日陰の身に甘んじる人生を押し付けるなど、到底承知できなかった。


「それはない」


 殿下は腕を掴む僕の手を取って、ゆっくりと下ろした。そして、僕の肩に手を乗せて言った。


「私を信じてくれ。それだけは絶対にない。何があっても、それだけは私が阻止する」


 断固として言い切る殿下に、それでも僕は食い下がった。


「殿下はクララを愛しているでしょう。それなのに、絶対に彼女を望まないと、なぜ言い切れるのです。もし本当にそうなら、今のうちに手放すべきでしょう!」


 僕の言葉に、殿下は一瞬だけ戸惑ったようだった。それでも辛抱強く、先を続けた。


「本当にすまない。だが、信じてもらうしかない。命をかけて、クララを側室にはしないと誓う」

「筋が通りません!側室にしないなら、なぜクララをそばに置いておくのですか!」


 殿下は苦しそうに顔を歪め、それでも絞るように言った。


「クララの安全のためだ。私の想い人として、北方に利用される危険がある。王女の侍女ならば、公的機関をつかって警護できる。王女との婚約が正式に公表されるまでだ。それまで耐えてほしい」

「警護なら私がします。騎士を辞すことになりますのが、彼女を守れるなら、国など捨てても悔いはありません」

「カイル、お前もクララを……」


 殿下にそう言われて、僕は思わず口を噤んだ。


 知られてはいけない感情だった。なのに、こんなに簡単に晒してしまった。


 呆然と立ち尽くす僕の両肩をぐっと掴んで、殿下は頭を垂れた。


「お前にしか任せられない。頼む、クララを守ってやってくれ。何があれば私が責任を取る」


 苦悩をにじませたその言葉を聞いたとき、僕にはもうこう答えるしか道はなかった。


「承知いたしました」


 僕は礼を取って踵をかえした。そのとき、背後から殿下の声がした。


「何をしてもいい。お前が信じる方法で、クララに最善を尽くしてほしい。それが私の望みだ」


 僕の心から、もはや怒りは消えていた。


 殿下は僕に許可を与えた。いざとなれば、殿下に背いていいと。そうしてでもいいから、クララを守れと。


 それは、クララへの想いの深さが言わせた言葉だ。殿下は心からクララを愛している。


 僕は敗北感に打ちのめされた。そして、殿下には負けたくないという不思議な闘争心が芽生えた。これが嫉妬という感情だろう。


 クララのために僕は何ができるのか。


 それを考えながら、僕はまたクララの元へ、つらい任務へと戻っていった。


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