君だけの騎士
余計なことを言ってしまった。あんなつもりはなかった。ただ、あいつを王宮から出したかっただけ。それだけだったのに。
王宮に上がるあいつが、あまりに頼りなくて、儚げで。つい昔のことを、あの人のことを、思い出してしまった。
逃したかったのに、逃がせなかった人。守りたかったのに、守れなかった人。自分の非力さを思い知った辛い過去。
あのときの僕は、僕でなかった。彼女はそれに気がついたと思う。
それなのに、あの人の身代わりとしてぶつけた思いを、彼女はそのまま黙って受け止めてくれた。
僕の背を撫でる、彼女の優しい手は、会ったことのない母を思い起こさせた。
今の王宮に信頼できる人間は数少ない。おそらく、彼女を本気で守ろうとするのは、殿下とローランドだけだ。
だが、ローランドは王宮では目立っては動けないし、殿下には王女が張り付いている。
殿下も王女も、生まれながらの王族だ。木ではなく森を見る。国のためなら、個人どころか自分すら犠牲にするだろう。それが王族に課せられた運命だ。
おそらく王女は、殿下に後宮を作り、後顧の憂いないよう早々に後継者を儲けるつもりだ。
後継者のいない国は危うい。そして、臣下が強くなりすぎた国も。
王家の血筋をしっかり確保し、外戚の干渉を防ぐ。それが王女の狙いだ。
侍女に選ばれた令嬢たちは、みな身分こそしっかりしてはいるが、親戚にそれほど大きな後ろ盾がない。
いわば王政に影響力を持たない家の出身ばかりだった。婚約者はいても疎遠であるか、まだ決まった相手がいないような、若い令嬢ばかりだ。
そういう意味では、クララが一番不適任者かもしれない。
実家は男爵家だが、筆頭公爵家と懇意だ。いずれはローランドと結婚するはずなので、未来の舅となるべき宰相殿は、それを覆すのを良しとはしないだろう。
それでも、王女がクララを侍女にしたのは、殿下の気持ちへの配慮だ。
そして、もしかしたら僕のせいでもあるかもしれない。
クララが王宮にいるかぎり、僕はここを離れない。物理的な意味ではなく、精神的な意味で。
そして、彼女を守るためには、どんな汚い仕事にも手を染める。
王女はそれを見越して、僕を決して離反しない駒として取り込んだのだ。
望む望まないにかかわらず、僕の魔力量はレイに匹敵する。王女にはそれが分かっている。
だから、僕が敵方へ靡かないように、足止めをした。クララを使って。
「クララの専属騎士は、カイル、あなたにお願いするわ」
彼女の専属警護を任命されたとき、殿下は僕が円卓から外れることを危惧した。政務の中枢から外されることで、僕が他の道を模索するんじゃないかと思ったようだ。
だが、王女の思惑はむしろ、円卓より強い枷を僕につけることだった。絶対にこの国を裏切らないために、人質を取ること。
それが王女が好む方法。隣国の国王の血は、たしかに彼女にも流れているのだ。
僕はあいつのためになら命をかける。あいつを安全で幸せな世界へ戻すためなら、僕はできるかぎりの力を尽くす。
でも、それはあいつに知られてはいけない。何がなんでも隠し通す。
僕には、それしかできないし、それだけが僕にできることなのだから。
「心得ました。王女様のお心のままに」
僕がそう言って任務を承諾すると、王女は満足したように頷いた。
そして、ちょっとからかうような、挑戦的な目を殿下に向けた。
「クララには、閨の支度の手伝ってもらうわ。毎晩、アレクの部屋まで私に付き添って、翌朝、私を迎えに来てもらう。人の少ない時間帯だから、くれぐれも間違いなどないように。しっかり警護してちょうだいね」
それを聞いて殿下は顔色を変えたが、表立って王女を止めることはしなかった。
僕は跪いたまま、唇を噛んでいた。王女は僕だけではなく、殿下をも煽っている。
クララを王女の駒にすることは許さない。なんとしても、早くローランドの元に送り返さなくては。手遅れになる前に。
「御意」
王女が扇で合図をしたので、私はその場を辞した。胸がムカムカしていた。
そして、クララが王宮にあがった夜、早速、侍女の仕事として王女の閨支度のお召しがあった。
事前に知らされていたものの、僕はクララの部屋をノックするのをためらった。
それでも、これは王命だ。僕もクララも避けて通ることはできない。
「はい。今、行きます」
すぐにドアが開かれ、侍女の正装を身に着けたクララが現れた。
黒のタートルネックドレスで、銀のボタンが首からスカートの先まで並んでいる。袖は軽いパフスリーブになっていて、長袖の先にも銀のボタンが二つついていた。
デザインは地味だが、クララが着るとその禁欲的なデザインが、さらに彼女の女性としての魅力を引き出してしまう。
やはり彼女を王宮にとどめては置けない。危険すぎる。
「カイル!あの、さっきは、ごめんなさい。変なことを言ってしまって……」
僕を見て、彼女はすぐに、今日の午後の出来事を謝ってきた。
「いえ。無礼をお許しください。王女から専属護衛を仰せつかりました。御用があれば、何なりとお申し付けください」
「え?あ、はい、ありがとうございます」
僕が頭を下げると、クララはちょっと面を食らったようだった。
きっと、僕の態度が変ったことに驚いているのだろう。
任務中、僕の実質的な主はクララとなる。敬語は必須だ。今までように接することは、その命を下した王女への不敬にもなる。
「今から、王女様の夜の支度を手伝うの。王宮は広いし、夜はちょっと薄暗いし、カイルがいてくれてよかった」
クララは屈託なく笑い、僕らは王女の部屋への行き方を確認しながら歩き始めた。
王女の部屋が近づくにつれて、クララは次第に考え込むように黙り込んだ。
そして、意を決したように、こう尋ねてきた。
「さっき、手遅れにならないうちにって言ったよね?あれはどういう意味?」
僕は慎重に言葉を選んだ。
クララはたぶん何も知らない。王女の思惑も、殿下の望みも。知らせる必要はない。
「申し訳ありません。亡き母のことを思い出してしまって。母は父に嫁ぐまで、ずっと他国の王宮で、侍女をしていましたので」
「そうだったんだ。お母様が」
「母は王宮の生活に馴染めず、ずいぶんと苦労をしたようです。体を壊して、早くに亡くなりました」
嘘は言っていない。
母は他国の王族の侍女だった。出仕中に王族のお手つきになり、側室の一人として王宮で飼い殺しになった。
そして、多くの女性たちと寵を争うことに疲れ、ついに狂を発した。
狂った母が、元婚約者だった父に下げ渡されたとき、すでに腹に子を宿していたという。それが僕だ。母は体よく王宮を追い出されたのだ。その子と共に。
長男でありながら、僕が孤児院に送られたのは、子爵である義父の血が入っていないから。
そして、僕は自分の本当の父親が誰かを知らない。
「私、王宮のことも、仕事のことも、本当によく分かっていなくて。カインは心配してくれたのね。そんな悲しい思い出があるのに、あんなに簡単に守ってほしいなんて言ってしまって。ほんと、ごめん」
クララは本当に申し訳なさそうに言った。
君は何も知らなくていい。知らないで過ごしてほしい。
「ローランドも、侍女の仕事にはすごく反対してたの。あれはやっぱり心配だからだったのね」
ローランドという名前に、僕はつい反応してしまった。
あいつは王宮内では身動きが取れない。早くここから連れ出さなければ、クララは王女の手に落ちる。
王女の部屋まであと一区画というところで、僕は立ち止まった。どうしても言っておきたいことがあったから。
「何かあったら、僕を頼ってほしい」
僕はクララのほうを振り返り、その小さな肩を両手でつかんだ。
そして、彼女の目を真っ直ぐに見てこう言った。
「僕は君の騎士だから」
僕らはしばらくそのまま見つめ合っていたが、そのうちどちらからともなく離れて、王女の部屋へ向かった。
薄暗い夜の王宮は、まるで深い森のようだった。