私が守る [クララの視点]
昨夜は大変だったな……。
マリエルが用意してくれた朝食を取りながら、私は寝不足の頭で、ぼやぼやと昨夜のことを思い返していた。
さすがに、二日続けて酔うのは問題だったので、アルコールは入っていない。
ただ、寝不足でぼんやりしているのと、このところ見る夢がリアルで、現実との区別がつきにくく、それで困っているのだ。
「クララとヘザーを私付きの侍女に召し上げるわ。よろしいでしょう?もっともっと二人とお話がしてみたいの。私の滞在期間中だけですから。帰ったらすぐ支度をして、明日にでも王宮へ出仕してちょうだい」
夜会前の控室に、突然現れた王女様は、私たちを侍女に任命すると言った。
侍女として王宮に上がること自体は問題ない。
王宮に行儀見習いを兼ねて上がることは、よくあることだったし、ヘザーも一緒なので、それなりに心強い。
それに、いろいろと権力派閥争いに巻き込まれるほど、我が男爵家は権力もお金もない。
つまり問題なのは、私が王女様の前で、泣いてしまったことなのだ。
それは、王女様お気に入りの小説『真実の愛』について、私の意見を求められたときだった。
「悲しい話です。王族である彼は、国のために国を捨てなければならなかった。その覚悟を知って、彼女はともに逃げたんだと思います。自分を守らせることで、彼が生き抜くことを放棄しないように」
そう言いながら、私は誰かを想って泣いた。
それは、ヘザーから言わせると、最新刊の『真実の愛』のヒロインになりきっていたからということだった。
でも、何度考えても最新刊を読んだ覚えはない。
そして、どうにか思い出せたのは、私が森の儀式のシーンを、夢に見たということだった。
酔っていてよく覚えていないけど、前日の学園パーティーで、ヘザーから『真実の愛』の話は聞いたかもしれない。
だから、もしかしたら無意識で、それを思い出したのかもしれない。
それでも、私が王女に伝えたのは、物語への感想や意見じゃなかった。もっともっと個人的な感情だった。
愛しい人のために、ただ共に逃げて、そして共に死ぬことしかできない悲しさと苦しさ。
足手まといになる彼女がいないほうが、彼は逃げ遂せる可能性が高かった。
でも、もし守るべき彼女がいなかったら、彼はすぐに死を選んだはずだった。
泣き出してしまった私に、王女様はこう言った。
「王族のことをよく分かってくださるのね」
そうだろうか。私は王族のことなんて、よく分かっていない。知っているのは、あの人の苦しみだけ。
でも、あの人というのは、一体、誰なんだろうか。
それなのに、王女様は私の感想を気に入られて、ぜひもっと話がしたいと言いだした。
「大好きな物語を、いろいろな角度から語れるのは、楽しいわ。それに、あなたの深い洞察力に感動したわ」
それが、私が侍女に召し抱えられた理由だった。
「真実の愛か…」
小さなつぶやきだったのに、同室でちょこまかと荷造りをしていたマリエルは、聞き逃さなかった。
「そう言うと思って、最新刊までを荷物に入れておきましたわ!ヘザー様もいらっしゃるし。王宮メイドにも、たくさん、この本のファンがいるんですから!愛読書として持っていけば、すぐにみなさんと仲良くなれますよ!」
マリエルは、私が王女付侍女に選ばれたのが、嬉しいらしい。これは大出世ですわ……と朝から張り切って、準備をしてくれている。
父も、大変名誉なことと、真摯に受け止め、急なことなのに、十分な支度を整えてくれた。お金ないのに、本当に迷惑かけてごめんなさい。
ローランドは、ずいぶんと反対したらしいけれど、ちょうど視察から戻った父の最終決定に従ったと聞いた。
彼は未だに、私を子供扱いしているところがある。私が王宮で、大きな問題を起こさないかと、心配しているんだと思う。
でも、実際には、私は良くも悪くも、そんなに大それたことができる器じゃない。
周囲がテキパキと動くなか、私はしばらくぼんやりとしていた。でも、いつまでもそうしてはいられない。
当面の荷物以外は、別途送ってもらうことにして、私は父と共に馬車に乗り、王宮へと向かった。
父が王都に戻っていて、よかったなと思う。昨夜、ローランドはすごく怒っていた。慣れている私でもちょっと行き過ぎだと思うくらいに。
最近のローランドは、ちょっとおかしいくらいに過保護だ。それはたぶん、カイルが言っていたことに関係があるんだと思う。
ローランドは、なんというか、私が好きらしい、たぶん。信じられないけど。間違いや勘違いの類だと思うけど!
王宮について馬車を下りると、騎士団が私を迎えてくれた。学園で見知った顔もいるけれど、基本的によく知らない。
学園でも騎士科は棟が違うし、社交界でもあまり見かけないから。
それでも、カイルがいるのには気がついていた。
父と私は、そのまま応接室に通され、殿下と王女のお出ましを待った。
国王陛下と宰相様は、まだ北方外交で不在であり、代理として、侍女宣下をするのは、殿下の役目だった。
スルスルと衣擦れの音がして、王女が入室された。少し遅れて殿下も。私たちはその場で膝を折った。
「よく来てくださったわ。顔をあげて!楽にしてちょうだい」
王女様は相変わらず、小鳥がさえずるような可愛らしい声で言った。
「王女の希望とはいえ、急なことですまなかった」
それは、聞き慣れた殿下の優しい声だった。きっと、王女様のわがままを、余すところ無く受け止めているんだろう。殿下も頑張っているんだ。
「とんでもございません。娘は未熟者でごさいますが、何かのお役に立てますでしょうか。父としてはとても心配で」
父は恐縮していたし、私も全く同じ気持ちだった。
私みたいなとぼけた娘が、王宮なんぞで、うまくやっていけるのだろうか?珍獣扱いされるのでは?
「クララのことは、私にまかせてちょうだい。いいお友達になれると思うわ」
「もったいないお言葉でございます」
王女様の弾んだ声に、父が深く頭をさげた。私もそれに倣って、急いで頭をさげた。
「さ、詳しい手続きのことは殿方にまかせて、私たちはもう行きましょう!他の方々も集まってきているのよ!お茶会にしましょうよ」
父には、もう行ってよし……と目で合図された。
ただし、かなり不安を抱いているようではある。私が何かしでかさないか、心配なんだと思う。
でも、たぶん大丈夫だと思う。いくらなんでも、休暇までの十日間くらいは、猫をかぶれる。断言してもいい。
私は、王女様と護衛の騎士に従って、応接室を後にした。
ちょうど廊下を曲がったところで、カイルがこちらに歩いてくるのが見えた。
彼は王女様の少し先で立ち止まると、その場で跪いた。
「ハミルトン伯爵と妹殿がお見えです」
王女は「あらあら」言って、私のほうを振り返った。
「ヘザーが来たみたいだわ。申し訳ないけど、ちょっと抜けていいかしら。あなたの部屋は、カイルに案内させるわ」
王女はそういうと私の手を取って、カイルへと差し出した。
カイルはそっと私の手をとると、真っ直ぐと王女を見つめて言った。
「お任せください」
王女様は「じゃあ後でね」と言って、護衛の騎士と共に、応接室のほうへと引き返していった。
私はカイルに手を取られたまま、王女に頭を下げた。
「なんでこんなことになったんだ?」
王女様が完全に去ってしまってから、カイルは私の両肩を掴んでそう言った。
驚いて顔をあげると、カイルの真剣な顔にぶつかった。
「なんでここにいるんだ!今すぐに屋敷へ帰れ!仮病でもなんでも使って!」
訳が分からない。いつも冷静なカイルが、こんな風に取り乱したのを初めて見た。
私が宮仕えができないほどの、馬鹿だと思っているのかな?
そう思うと、私はだんだんと腹が立ってきた。
こんな風に怒られる理由はない。私が望んで来たわけじゃないのに。
「そんなの無理よ。もう宣下もされてるし、王命には逆らえないじゃない」
私は少し自棄になって、吐き捨て気味に言った。
いくらなんでも、みんな私を、全く信頼していないのはひどいと思う。私だって、仕事くらい覚えられるし、責任を持って頑張れる。
「ここに、あんたにできることがあるのか?見た目は華やかだが、陰謀や策略が渦巻く闇だ。危険なんだよ。自分で自分を守れない、あんたのような女が来るところじゃない!」
「それなら、カイルが私を守ってくれればいい!」
え…?
私は自分の言葉に驚いた。無意識に口をついた言葉だったけれど、いつかどこかで同じ言葉を言った気がした。
いつだったか、どこだったか。全く思い出せないし、むしろこんなことを言う状況なんかなかった。
それなのに、この言葉には覚えがあった。
その瞬間、私の肩を掴んでいたカイルの手に、さらに力が入った。
カイルは目を見開き、ひどく驚いたような顔を私に向けていた。
なぜか分からないけれど、私もカイルも、かなり動揺していた。私はカイルから離れようと、少しだけ後に体を引いた。
それなのに、逆に、体ごと反対方向へ強く引きよせられ、私はカイルの大きな胸の中に閉じ込められた。
自分のだか、カイルのだか分からない心臓の音が、早鐘のように鳴っていた。
初めて、カイルに抱きしめられた。息ができなくらいに強く。胸の苦しさに、私は少し気が遠くなった。
そして、カイルは私が予想した通りの、聞き覚えのある言葉を発した。
「守りきれる自信がない。頼むから逃げてくれ。手遅れにならないうちに」
彼の体は小刻みに震えていた。
それに気がついた私は、いつのまにか自分の腕をカイルの背中に回し、震える彼をしっかりと抱きしめていた。
この人は、私が必ず守る。
守ってくれと言ったくせに、私は彼を守ろうと、なぜか強くそう思っていた。